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第五章(4)

 

 なにかに導かれるように、リフィクはそこへ向かっていた。

 通りから外れた裏路地。そこをさらに曲がったところにあったのは、古びたコーヒーハウスだった。

 外観は、看板がなければ廃墟かと思うほどに老朽化している。しかし不潔という印象はなく、それが絶妙な味わいになっているようにも感じられた。

 リフィクはためらいながらも、そのドアを開ける。

 狭い店内に、香ばしいコーヒーの匂いが充満していた。

 ショットバーにも似た内装。細長い敷地の右側にカウンターがあり、左に丸テーブルがふたつだけ置かれている。

 客は、奥のテーブルにいる一組だけのようだった。

 座っているのは、どちらも若い男と女。

 リフィクは静かに息を呑む。知っている、ふたりだった。

 カウンターの向こうには、『おじいさん』と呼べる年齢のマスターが立っている。リフィクはそのマスターに会釈しながら、奥のテーブルへと歩いていった。

 そしておずおずするように、そのふたりへ声をかける。

「……ハーニスさんに、リュシールさん」

「おや?」

 男性、ハーニスは、まるでそこで初めて気付いたように顔を上げてみせた。

「久しぶりですね。リフィク・セントラン」

 そして柔和な表情を向ける。

「はい、お久しぶりです。おふたりともお元気そうで……」

 リフィクも少し緊張をほぐして、表情をやわらかくした。

 チラリと、彼の横に座る女性、リュシールに目をやる。彼女は以前と変わらぬ氷像じみた顔で、コーヒーカップに口をつけていた。

「かけては?」

 とハーニスが、手で指してすすめる。

「では……失礼して」

 リフィクは律儀に断わってから、正面のイスに腰かけた。

 注文を聞きにきたマスターには、オーソドックスなものをおねがいする。

「あのハーニスさん。今エーツェルさんを捜してまして……見ませんでしたか?」

「この町で、ということですか?」

 ハーニスの返答に、リフィクは「えっ?」と聞き返した。町以外の場所でなら見かけたようにも聞こえる。

「なるべくなら……。けど、町の中じゃなくてもいいです」

 コーヒーが運ばれてくるあいだに、リフィクはエリスが行方不明になったいきさつを説明した。

 森の中ではぐれたこと。そして、彼女もこの町を目指しただろうということを。

 マスターが、リフィクの前に湯気の上るコーヒーカップを持ってくる。

「おかわりを。彼女にも」

 ついでにハーニスが、追加の注文をおねがいした。

「なるほど。ならば、はぐれた直後に我々と出会ったということになりますね」

「会ったんですか!?」

「ええ。少しのあいだ、一緒にいました」

 マスターが再びやってきて、追加の二杯を置いていく。

 その頃には、ハーニスの話も終わっていた。

 大森林の中での出来事。エリスと出会い、『モンスター』とも出会い、そして『リゼンブル』の少女がひとり命を散らしたことを。

 リフィクはそれを聞いて、表情を険しくした。

 少し前のこととはいえ、エリスの無事が確認できたのは嬉しい。しかしその話は、リフィクになんとも言えない悲哀を抱かせるものでもあった。

 やはり……なのだ。

「歩くペースは、我々とそう変わらないでしょう」

 ハーニスは新しいコーヒーに口をつけて、エリスの動向に話題を移す。その横でリュシールもカップを持ち、その表面に息を吹きかけていた。

「我々がこの町についているということは、彼女もここについている可能性が充分にあります。方角を間違えてさえいなければ、ですが」

 理屈としてはその通りである。単純に確率がはね上がったことに、ずいぶんと心が楽になったリフィクであった。

「そうですね……いますよね?」

 それは質問ではなく、祈りに近い。

 ハーニスはやさしく、「きっと」とうなずいてみせた。

「私たちにしても、このまま行方不明で終わられると少々心残りですから」

 

 その後少しだけ、互いの近況を話し合った三人である。もっとも三人とはいっても、実質的にはふたりだが。

 コーヒーも飲み終わり、そろそろ捜索を再開させようかと思うリフィクである。

 しかし最後に、ふたりにどうしても伝えておきたいことがあった。

「あの、おふたりはいつまでこの町に滞在するご予定ですか?」

「さて……一日か二日といったところでしょうね。私たちも少し、休んでおきたいので」

 答えるハーニスの表情は、どことなく疲れているようにも見えた。先日の出来事が精神的に尾を引いているのだろうか。

「一日か二日……。なるべくなら、早いほうがいいと思います」

 深刻そうに告げるリフィク。

 ハーニスは、「それは?」とその理由について訊ねた。

「近いうちに、ここに『銀影騎士団』の方々が集まるそうなんです。えっと『銀影騎士団』というのは……」

「名前は知っています。その活動も」

「そうですか。だから……気を付けたほうがよろしいかと」

「それはご忠告、感謝します。……しかし」

 朗らかに言ったあと、ハーニスも表情に深刻さを含ませる。

「気を付けるのはあなたのほうこそ、ではないのですか?」

「……」

 リフィクは、まるで痛いところを突かれてしまったように顔を伏せた。

 しかしそれは一瞬。すぐに顔を上げ、微笑みを浮かばせてみせる。

「僕は、大丈夫だと思います。今のところは」

「なら、いいのですが」

 ハーニスは表情を元に戻して、ちらりとリュシールと目を合わせた。


 

 

 アリーシェとラドニスは、『コンフォータブル・ベッド』という宿屋へ向かっていた。

 そこに、現時点でこの町にいる仲間全員が集まっているそうなのだ。

 マスターから受け取った紙によると、町の中央部の、やや南よりといった場所にあるようだった。

「同志たちと会って、しばらくの方針決定。私たちもその宿に荷物を移して、それから……衛兵団に関する情報収集」

 アリーシェが整理するように、やるべきことを挙げていく。さすがに細かいものまで含めればキリがないが。

「……それが済んだら、私たちもエリスさんの捜索に加われるわね。その頃には見つかっているかもしれないけど」

 楽観的に口にしつつも、そうそう簡単に見つかるとも思っていなかった。

 たとえ彼女がすでに町の中にいるとしても、数日……十数日はかかるだろうというのが、アリーシェの予測だった。

 それでもずいぶんと希望的観測が含まれているが。

 ともあれ、銀影騎士団の仲間たちが集結するまで、恐らくそれ以上の期間この町に滞在することになるのだ。

 時間はある。焦る必要はない。

「なにかしら?」

 路地を抜けたふたりは、大通りの真ん中を闊歩する騎馬隊に遭遇した。

 通行人らは揃って、道を開けて彼らが行くのを見届けている。

「……フェリックス・ムーアか」

「……?」

 ラドニスの呟きを聞き、アリーシェは隊の先頭へと目を向けた。

 他の兵とは明らかに違う鎧。堂々たる居住まいにも、人の上に立つ風格が表れていた。

「あれが、兵団長……?」

 言われてみれば、そういう雰囲気がある。

 騎馬隊は周りの人間にまざったアリーシェとラドニスの前を、整然とした足並みで通り過ぎていった。

 彼らが通過したあとは、脇で見ていた通行人らも元通りに歩き出す。

 それにたがわず、ふたりも目的地へ向けて足を踏み出していた。

「今のが元凶……と言うのは聞こえが悪いけど、問題の当事者ではあるわけね」

 アリーシェは、周囲を意識して声をひそめる。

 様子を見るに、どうやら民衆からはある程度支持されているようである。水面下で起こりかけている危機に、気付いている者が少ないということでもあるのだが。

「ところであなた、彼のことを知っていたわね?」

 ラドニスに問いかける。

 あの場面で、フェリックス・ムーアがフェリックス・ムーアたる要素は何ひとつなかったはずだ。それなのに彼の名前を言い当てたということは、顔を知っていなければ説明がつかない。

「ああ。なにか問題が?」

 ラドニスはさらりと答える。

「問題はないわよ。ただ、それは『初耳』だったから」

 アリーシェは肩をすくめた。

 兵団長フェリックス・ムーアのことは、先ほどのコーヒーハウスでの話に何度か出たはずだ。知っているなら、それらしい反応があってもよさそうなものである。しかしラドニスには、それがなかった。

 ささいなことだが、アリーシェとしてはそれが気になったのである。

「大した理由はない。同一人物だと思わなかっただけだ」

 ラドニスはたしか、若い頃にこの町に来たことがあるともらしていた。その時に出会ったのだろうか。

「知り合いなの?」

 それなら、話が早くて助かるのだが。

「話したことすらない」

 ラドニスは首を振る。

 その割には、顔を見てすぐに本人だとわかったようだったが。

「だが、互いによく知っている間柄だ」

 互いに……?

 まるでなぞなぞのような言葉に、アリーシェは眉をひそめて小首をかしげた。

 

 宿屋『コンフォータブル・ベッド』の軒先で、ひとりの男がツーハンデッドソードを素振りしていた。

 いかにもたくましい肉体は上半身が裸で、したたる汗が太陽の光を反射してきらめいている。

 四十を過ぎた頃に見える顔には、左目の上あたりに大きな傷跡があった。

 アリーシェは、彼の姿を見つけて少し嬉しくなった。

「ファビアン!」

 彼の名前を呼びかけて歩み寄る。

 その男性、ファビアン・イーバインも、ふたりの姿を見てパッと表情を明るくした。

「同志アリーシェ! 同志ラドニス! 無事だったか、待っていたぞ」

 素振りをやめて、剣を下ろす。息は上がっていたが、苦しそうな様子はまったくなかった。

 ファビアンとふたりは、互いに再会のあいさつを交わす。

 ファビアンが汗まみれの手を躊躇なく差し出してきたため、アリーシェは一瞬だけためらいつつも、その手を握り返した。

「此度の件、聞いたときは冗談とも思ったが、すぐに考え直した。いや、むしろ目が覚めたと言っていい。俺にはまったくない発想だったからな」

 握手をしたまま、熱く語るファビアンである。

 しかしここは、少し奥まったところとはいえ、立派な往来だ。そんなところで汗だくの半裸の男性に手を握られているという状況は、アリーシェとしては一刻も早く脱したい心境であった。

 旧知の仲間とはいえ、である。それとこれとは別問題だ。

「詳しい話は、中で?」

 やんわりと手を抜き取って、場所を変えることを提案する。

「おお、そうだな。入って待っていてくれ。汗を流してくる」

 ファビアンはそう言い残すと、宿屋の裏手へと小走りに駆けていった。

 それを眺めながら、ラドニスが微笑をこぼす。

「変わりないようでなによりだ」

「……もう少し変わっていても、私は構わないけどね」

 アリーシェは苦笑いを浮かべて、自分の手をじっと見つめていた。

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