第五章(3)
レタヴァルフィーの町並みは、まるで川のように人が行き交っている。
ザット・ラッドは、その奔流に揉まれていた。
道の上には様々な外見の様々な人間がいるものの、果たしてエリスのような格好の者はいなかった。
エリスのような格好とは、つまりヘソ出し肩出し太もも出しという露出度の高い服装のことである。
これだけ大勢の人間がいても、やはりそんな趣向はめずらしいようだ。
だからこそ特徴となって目立ち、見つけやすいのではないかと思ったのだが、どうやらそうそう上手くはいかないものである。
ザットがそんな特徴を尋ねても、大抵、
「こんなに明るいうちから『キャット』か?」
と冷やかされるだけなのだ。
たしかに『飾り窓』のある一角に目をやると、似たような(あるいはもっと際どい)格好の女性がそこら中にいたが。
ザットは場所が悪いと感じ、ひとまず大きな通りに出てみる。
先ほどの通りが川なら、そこは海だった。
通行人は同じほどいたが道幅が段違いに広いため、とてもゆるやかな流れに感じる。
やはり先ほどは場所が悪かったのだ。ようやくじっくりと聞き込みができる。
と安心した、そんな時。
どこからか、騒ぎ声が聞こえてきた。
騒ぎ声といってもやかましいものではなく、どちらかというと盛り上がった声と表すのが近いだろうか。
ザットは辺りを見回し、その発生源を探す。
そうしているとたちまち通行人が左右に分かれ、道の真ん中ががらんと空いた。
「なんだ?」
ザットは取り残される形で、空いた道に立ち尽くす。
「おい、なにやってんだ。兵団長たちが通るぞ」
そんなザットの腕を誰かがつかみ、皆が並ぶ道脇へと引っ張った。
やがてその大通りに、騎馬隊が優雅に闊歩してくる。
五頭ずつ二列にならび、先頭にもう一頭。すべてにフルプレートを身につけた衛兵がまたがっていた。
「兵団長?」
ザットは、自分を引っ張った中年の男性へもののついでに問いかける。
「旅のもんか? 衛兵団、兵団長じきじきの見回りの時間なんだよ。あの先頭にいるのが、そのフェリックス・ムーアだ」
男性は、まるで身内のことのように誇らしく答えた。
ザットは改めて、その騎馬隊の先頭を見る。
年齢は五十代の終わり頃だろうか。引き締まった顔つきに、目元はつり上がり気味。アゴに生えるヒゲは無精というわけではなく、きれいに整えられている。
ともすれば厳格そうに見える顔立ちだが、周囲にかたむけている微笑みが、そういった印象を打ち消していた。
よく見れば、彼のフルプレートだけデザインが異なっている。ところどころに金のラインが入り、高貴な雰囲気をかもし出していた。
道端に立つ住人たちは、敬意と憧憬のこもった目を彼に向けている。
その様は、まるで英雄のようだった。
「前の兵団長は、めんどくさがってああいうことはしなかったからな。あの人が見回るようになってから、いざこざがかなり少なくなったよ」
男性はザットに、兵団長の説明を続けている。
「へー……」
無論ザットが聞いたからなのだが、彼としては、それほど興味があることでもなかった。
今はもっと大事なことがあるのだ。
「なるほど、その兵団長ってのが偉大な奴なのはわかった。ところで、『キャット』みたいなカッコをした女の子を捜してるんだけど、見なかったか?」
ザットはさりげなく、尋ね方を変えていた。
主に通行人に聞き込みをしていたザットに対し、レクトは商売人を攻めていた。
食堂、宿屋、武具屋、衣服店など、エリスが立ち寄りそうなところを片っ端から当たっていたのである。
「もし見かけたら、『アイネイアス亭』まで来るようにと」
と、自分たちの滞在している宿屋の名前を添えて。
直接的な成果は、さほど期待しているわけではない。とにかく数をこなして、広く網を張っておくのだ。そうすれば、いつかはどこかに引っかかるかもしれない。
とはいえ量が量である。
気の遠くなるようなことではあるが、レクトは、黙々とそれを繰り返した。
彼女のことを思えば苦ではない。
エリスと初めて会ったのは、いくつの頃だったろうか。十何年も同じ家で共に育った彼女は、血こそ繋がっていないが兄妹も同然だ。
思い返せば、こんなに長く顔を見ていないというのは初めてかもしれない。
常に当然のように近くにあったものが無いというのは、こうも落ち着かない気分なのだろうか。
こんな状態を、心に穴が開いたと言うのかもしれない。
心配はある。不安もある。しかし、あきらめはなかった。
彼女もあきらめずにこの町を目指しただろう。そしてたどり着いているのなら、あちらもこちらを捜しているはずだ。
それを思えば、憂いなどは吹き飛んでしまう。
レクトは知らないことだが、以前ザットが、エリスに感化されたために『モンスター』と戦うことを決めたと胸の内をもらしたことがある。
彼女に感化されているのは、レクトも同じなのだ。
パルヴィーは道端に雑に置かれた木箱に腰かけ、少し息をついていた。
ザットやレクトと比べると、パルヴィーのエリス捜索に対する気持ちはいくらか弱くなる。そのぶん早く疲労を感じてしまうのかもしれない。
しかしまったく会いたくないかといえば、そうではなかった。だからこそ、こうして捜してもいるのだ。
彼女の中でのエリスの存在は、せいぜい目の上のたんこぶ程度であった。だが行方不明になったことで、そんな印象に変化が起きたのである。
寂しいのだ。
あるいは張りがない、とも言う。
同年代であり同性であるというのは、個人的な感情とは別に、無意識に親しみを感じていたのだろう。
そういう存在は、彼女の周りでは皆無だったからだ。
パルヴィーが銀影騎士団に参加したのは、二年ほど前のこと。
生まれ育った町を『モンスター』に襲撃され、家族や友人たちの大半を失ったのがきっかけだ。
その場に居合わせ、その『モンスター』らを撃退したのが、誰あろうアリーシェ・ステイシーであった。
彼女に対する恩義や憧れ。そんな気持ちが相まって、行動に至ったのである。
家族や友人を失った悲しみが怒りに転化しなかったのは、単にそういう性格だったからだろうか。
銀影騎士団の中にも似たような境遇の者はいて、仇討ちを理由に戦っているのがほとんどだったが、パルヴィーの場合はそれらとは違っていた。
『モンスター』と戦うのは、ただアリーシェのためにである。
彼女が望むことを、手助けしたいだけなのだ。
そんな銀影騎士団の団員は、やはり大人ばかりである。
同年代がいないこともなかったが、総じて男の子であった。
そして基本的には別々に活動しているため、滅多に会うこともない。
そんな中で現れたエリス・エーツェルという奴は、実に新鮮で、貴重な存在だった。
それが突然いなくなってしまったのだから、なんともうら寂しい気分なのである。
そしてそんな気分になっている自分に、なんとももやもやしているのだ。
「もう……見つけたら、厚着させてやる!」
と、ささやかな反撃をたくらむパルヴィーだった。
「パルヴィー・ジルヴィア?」
不意に、そんな呼びかけが彼女の耳を打った。
「えっ?」
と振り向くパルヴィー。
そこにいたのは、二十代前半ほどの男性だった。
涼やかな顔立ちに、肩まである男にしては長い髪。背は高く痩身だが筋肉はついている。そして腰に、二本のロングソードがぶらさがっていた。
「……クレイグ?」
パルヴィーは座っていた木箱から降り、記憶の中にあるその名前を掘り起こす。
記憶がたしかなら、一度か二度会ったことがある人物だ。
クレイグ・クルシフィクス。銀影騎士団の一員の。
「やはり君か。無事でなによりだ」
クレイグは微笑みを携えて、彼女のそばまで歩み寄った。
別々に活動している団員同士が出会った場合、まず互いの無事を祝うのが慣例となっているのだ。
「うん。そっちこそ、無事で」
それにならって、パルヴィーも同じあいさつを返した。
「君がいるということは、ミズ・ステイシーもこの町に?」
「うん、今は、『コープメンバー』の人のところに行ってるけど。ラドニスさんも一緒に」
「そうか。会えるのが楽しみだよ」
クレイグは、笑みをより一層深くする。
恐らく彼は、アリーシェの呼びかけを受けてこの町にやって来たのだろう。ならば会って話したいことも多いはずだ。
「そうだ、俺の他にも仲間が集まってるんだ。案内するよ」
言いながら、先導して歩き出そうするクレイグ。しかしパルヴィーは、「ちょっと待って」と彼を呼び止めた。
「今、人捜しの途中で……」
「人? 誰を?」
「えーと」
パルヴィーは、何故かそこで言葉に詰まる。エリスのことをどう説明しようか、表現に迷ったのだ。
『仲間』というのは、なんだかむずがゆい。『知り合い』というと少し違うし、『友達』というのはもっと違う。ああ、違うとも。
「……一緒に、『モンスター』と戦ってる子を」
迷った結果、回りくどい言い方に落ち着いた。
「外部の協力者か……。どの辺りで、はぐれたんだ?」
「……はぐれたのは町の外なんだけど、この町にいるかなって」
改めて言ってみると、なんだか町にいないような気も少ししてくる。
そんな心境を読み取ったからかは不明だが、クレイグは励ますように提案した。
「それなら、他のみんなにも捜してもらおうか」
「他のみんな?」
それは、この町に来ている他の銀影騎士団のみんな、という意味だろうか。
「いいの?」
「その人も、『モンスター』と戦っているんだろう? だったら仲間さ。他の人たちもそう言うと思うよ」
清々しく言うクレイグの顔を見て、そういえばこんな人だったなと思い出すパルヴィーだった。
「じゃあ、そうする」
「わかった。こっちだよ」
歩き出すクレイグのあとについて、パルヴィーも歩き出した。
「すぐ近く。『コンフォータブル・ベッド』っていう宿屋なんだ」