第四章(11)
「死っ……!?」
エリスは目を皿のようにして、ぐったりとしているユーニアを凝視した。
……死んだ……?
ほんのさっきまで元気でいたのに? 胸を矢に貫かれ、ほとんど即死だったとでもいうのだろうか……。
こんなにもあっさり……?
エリスは、いきなり冷水を浴びせかけられた気分だった。
だが……だ。
故郷の村で自警団として戦っていた時に、さんざん仲間の死は見てきたはずだ。そしてわかっていたはず。人は、たやすく死んでしまうということを。
リフィクやアリーシェなどと出会い、『治癒術』に慣れすぎていたためか、そういう感覚がマヒしていたのかもしれない。
だから信じられないのだ。
だが、ハーニスの腕の中で血にまみれ、糸の切れた人形のようになっている彼女の姿は、否応なくその事実を突きつけてくる。
「…………!」
エリスは、自分の中にたぎる炎が、徐々に体の外へ溢れ出るような感覚を味わった。
そんな彼女よりも、さらに激情をほとばしらせている者が、ここにいる。
誰あろうハーニスだ。
悲哀と憤りが胸のうちで煮えたぎり、うねりを上げて、波濤を駆けめぐらせる。
彼は、自分の感情をどう処理していいのか困っていた。
これ以上は、抑えきれないのだ。
「……悪いね、リュシール。今ばかりは、君に花を持たせてあげられない」
言うが早いか、彼の周囲に、一瞬にして猛烈な光の奔流が現れた。
エリスと『モンスター』たちが、驚きに息を呑む。
ハーニスは、片手を天高く突き上げた。
「討て! ヴォルトールランス!!」
光の渦が上空へと飛び立つ。次の瞬間、それは無数の稲妻となって、『モンスター』たちに降り注いだ。
「!!?」
エリスは腕で顔を覆って、目をしばたたかせる。
殺人的な光の明滅と轟音の中で、稲妻に打たれた『モンスター』が、うめき、苦しみ、焼け、そして消し炭のようになるのが、いたるところで繰り返された。
響き渡るは断末魔か、雷光が大地を切り裂く音か。
洞窟を取り囲んでいたすべての『モンスター』が地に伏すまで、それは終わらなかった。
「……!」
切り立った崖に立つリフィクは、まるで衝撃的なものを見たように、大きく目を見開いた。
く、と固唾を呑む。
そこは、少し前にはエリスが立ち、広大な森を見渡していたところである。リフィクも同じように、大自然のなす景色を眺めていたところだった。
背後では他の仲間たちも、思い思いに時間を潰してい。
「どうかした?」
たまたま近くに寄っていたアリーシェが、彼の様子を見て取って声をかけた。
「いえ……なんでも」
リフィクは顔をそむけるように、再び崖の向こうへと視線を戻す。
アリーシェも自然とそちらを眺めるが、見えるのは、青空と緑の絨毯だけだった。
「……戻ってくるといいわね」
「はい……」
ガクリと、ハーニスがヒザをつく。
「はぁ……はぁ……」
息づかいは大きく、表情には、疲労の色が濃く表われていた。
あれだけの『魔術』を使ったのだから当然だろうなとエリスは思いながら、彼へと歩み寄る。
そしてその腕に抱かれたユーニアを、憂える瞳でじっとりと見つめた。
まるで眠っているような表情だが、作り物のように血の気がない。その目は二度と開くことはなく、その口は、二度と言葉を発することはない。
顔に触れてみると、まだ温かさが残っていた。それがさらに、エリスの感情の波を荒立たせる。
エリスは拳を握って立ち上がり、気を紛らわすように、ざっと辺りを見回した。
黒い煙を上げながら、焼けた臭いをただよわせる『モンスター』であったもの。それが、ゴロゴロと転がっている。
「……」
ユーニアの仇を取れたことにはなる。だがエリスの胸中は、まったくと言っていいほど晴れていなかった。
それはやはり、直接自分の手で行なっていないからだろうか? だが仮に自分の手で行なったとしても、この気持ちが晴れるようなことはない気がした。
感情が発散する方向を見失って、ぐるぐると胸の中をさまよっている。
その時。
「……!」
並ぶ消し炭のうち、一カ所がモゾモゾと動き出した。
それは、周囲でも目立って大きい消し炭だ。そうなる前は、忘れもしない、ルドルドゥーが立っていた場所―――!
不意に、おたけびが鳴り響いた。
自身の生命力を誇示するべく叫びながら、抑圧から解き放たれたように声の主が起き上がる。
全身が焼けただれ、黒こげになり、異形と化していたが、間違いなくそれは『モンスター』・ルドルドゥーであった。
「……力を分散させすぎましたか」
力無く、ハーニスが呟く。
三十弱の『モンスター』を同時に攻撃し、なおかつボス格まで葬り去るには、少しだけ力が足りなかったようである。
「やはりリュシール……花は君にこそふさわしい……」
ハーニスがそれを言い終わる前に、エリスとリュシールが剣を構えてルドルドゥーへと突撃していた。
エリスの剣から、赤い炎が噴き上がる。
リュシールの剣から、青い閃光が放たれる。
「オーバーフレアぁっ!」
赤と青の剣閃が、ルドルドゥーの巨体の上で交差した。
◆
木が少なく、花の多い、陽当たりのいい場所だった。
地面に掘られた穴に、胸の上で手を組んだ少女が静かに横たわっている。
シーツの代わりにたくさんの花に包まれて。
そしてその上から、ゆっくりと土がかぶせられていく。
すべてが済むと、その地面に、細長い木の板が立てられた。
『ユーニア』。刻んであるその文字が、眠りについた少女の名前だった。
墓標の前に、三人が並んでいる。
いつもと変わらぬリュシールの無表情にほんの少しだけ陰りがあるような気がするのは、果たしてエリスの感傷なのだろうか。
「……納得できねぇよ」
抑えた声で、エリスが吐き捨てる。
「『モンスター』っつっても、食うために人を殺したんなら、許せねぇがまだ納得はできる」
人間も動物や魚を取って食べる。それと同じことだからだ。
「けど、ユーニアは違った」
それは、誰に対しての言葉でもない。あえて言うなら、墓標に向かっての吐露だろうか。
「誰かが生きるためでもなく、憎まれたわけでもなく、ただの勝手で殺された。わかんねぇよ! 『リゼンブル』ってのは、そんなにいけないのかよ……!」
もどかしさと、せつなさと、自分の力の無さが渦を巻く。
怒りの向けどころがわからなかった。
彼女を手にかけたルドルドゥーを同じ目に遭わせてやっても、気持ちはまったく治まらなかった。
ただ虚しさが募るだけである。
「……それがまかり通ってしまう世界なのです」
あえて抑揚を消した声で、ハーニスがそれに答えた。
「こんな世界を変えたくて、私たちは『モンスター・キング』を討とうとしているのです」
「世界……」
エリスはオウム返しに呟いた。
彼らと初めて会った時にも、聞いた言葉だった。
「変わるのか?」
そこでハーニスは、墓標に向けていた顔をエリスへと振り向かせた。
「……『モンスター』とは、群れをなし、序列の中に生きる者たちです。その序列を決定するのは、なによりも力の強さ。思考や思想以前の本能として、強い者には逆らわないようにできているのです」
前半は、エリスとしても把握していることだ。これまで出会った『モンスター』は、たいてい集団でいた。そして『ボス』と呼ばれる一体がそのトップに立っているのも、共通するパターンだ。
ハーニスは、灰のトュループのような例外もいますが、と補足してから話を続ける。
「小さな群れで言うところの『ボス』と同じく、『モンスター』という種族全体の、序列の頂点に立つのが『キング』なのです。そして代々、『キング』を倒した者が、新たな『キング』として認められます」
そこまでの説明を聞くと、エリスも話のおおよそが理解できてきた。
「我々が『キング』を倒せば、理屈の上では『モンスター』すべてを配下とできるはずです。……あなた風の言い方をするなら、子分ですね」
最後は軽口めいた声になる。少し、気分を持ち直してきたのだろう。
「そうなれば、少なくとも『モンスター』側からの迫害はなくすことができるはずです。そして『モンスター』の在り方が変われば……人間との関係も変わり、いつかは人間からの迫害もなくすことができると思っています」
かなり先を見越した算段だ。しかしそうまでしないと『リゼンブル』の地位が上がらないのも事実なのだろう。
エリスはそれを聞いて、自分が『キング』を倒そうとしている理由が、ぼんやりしすぎているなとふと思った。
具体的なものを見ている彼らと比べると、いささか漠然としているかもしれない、と。
「……まぁ、倒すのはあたしだけどな」
エリスは、墓標に視線を戻した。
「そん時にもし覚えてたら、お前らのやりたいこともなんとかしてやるよ。……こういうのはもうごめんだからな」
「頼もしい限りです」
ハーニスは、ほがらかな微笑みを見せた。
「……そろそろ行くよ」
エリスは墓標を名残惜しそうに眺めてから、くるりと体をひるがえす。
「じゃあな」
「ブレイジング・ガール」
歩き出したその背中へ、ハーニスが持ちかけた。
「私たちと共に行きませんか?」
「ん」
エリスは足を止めて、眉を上げる。
「あなたと私たち、志は同じはずです。お互い手を取り合うこともできましょう?」
「んー……」
エリスは少しだけ考えたあと、両手を天秤のように持ち上げた。
「おじゃま虫になる気はねーよ」
答えは、ノーだった。
「それに、小うるさい弟分もいることだしな。こうして一緒にいるってのがバレただけでも、なんて言われるかわかったもんじゃねぇ」
「……そうですか」
ハーニスは、ため息をつくように残念がる。
ユーニアにとってのエリスがそうであったように、彼らにとってのエリスもまた、『リゼンブル』を受け入れてくれる数少ない人間なのだ。
加えて『モンスター・キング』を倒そうという目的も一緒なのだから、好意に思う気持ちも強いのだろう。
まんざらでもないエリスだったが、正直なところ……このふたりが作り出す雰囲気にずっとひたる羽目になるかと思うとそれだけで頭が痛くなってくる。
無論、言葉通りにレクトの反応が気になるというのもあるのだが。
「なんだっけ、『目的地が一緒なら、同じところを行くこともある』とかなんとか……」
エリスは、ハーニスが口にしていた言葉を言い返した。
「だったら、あたしはそれでいいよ。もう二度と会えないってんなら、ちょっとばかし寂しいけど」
一度は別れたが、こうして再び会うことができた。二度あることは三度ある、だ。
「そうですね。では、みたびお会いできることを願っています」
ハーニスが心からそう言う。
エリスはふたりに手を振りながら、その場をあとにした。