第四章(10)
洞窟内は、思う以上に長い道のりだった。
さすがに歩きっぱなしというわけにもいかないので、こまめに休憩を挟む。
そのあいだはエリスも炎を消して剣をおさめるため、辺りは真っ暗闇へと立ち戻った。
……しかしである。
「そんでもってザットがこう言うわけだよ。頼む! あんたの子分にしてくれ! そうするまでオレはここを動かねぇっ! って。さすがにそこまで言われると、あたしとしても悪くはできねぇだろ? よしよししょうがねぇなって、子分にしてやることにしたんだよ。みんなは反対したけど、あたしはあいつの素質をズバッと見抜いてたからな」
とめどなく喋るエリスの声によって、暗闇とは思えないほどにぎやかな場所へ変貌していた。
話の内容は多少(で済むか不明なくらい)改ざんされてはいるが、事実を知る者がいないため、エリスの言いたい放題となっている。
「で、そのザットって奴がなかなか使える奴なんだよ。『モンスター』を軽々、ちぎっては投げちぎっては投げ。投げてはちぎり投げてはちぎり。あたしの目に狂いはなかったってわけだ」
「ふーん……すごいんだ」
なにに対してすごいのかは不明だが、ユーニアが感心するような声を上げる。
暗闇で顔は見えないが、見えなくとも、その表情がやわらかくなっているのが感じ取れた。
先の一幕以降、ユーニアの様子は少なからず上向きになっているようだった。
まだ万全とまではいかないが、それまでのような悲観しきった表情はすっかりとナリを潜めている。
口数も増えたし、ほんのわずか感情も豊かになった。
それはやはりエリスのおかげだろうと、ハーニスは感嘆していた。自分ではこうはいかなかっただろう、と。
「ユーニア」
エリスの話の切れ目を狙って、ハーニスが口を開く。
「これから生きていく中で、ひとつだけ大切なものを見つけてください」
「大切なもの……?」
ユーニアは反すうするように呟いた。ハーニスは、教師のような口調で言葉を続ける。
「そうです。物でも、人でも、誓いでもいい。たったひとつの大切なもの。それを見つけたら、あとは守るんです。他のなにを犠牲にしてでも、そのひとつだけは守り続ける。そうしていれば、きっともう生きる意味を見失うということはなくなるはずです」
それは、彼女が前を向いたからこそかけてやれる言葉であった。さっきまでのように後ろ向きのままだったら、むしろ逆効果になっていたかもしれない。
「……うん」
真摯にうなずくユーニア。彼女の目がチラリとエリスのほうへ向けられたのは、本人しか知らないことであった。
「ひとつだけなんて、ずいぶんとケチくさいこった」
エリスが、からかうように口を挟む。
「あたしなら我慢できねぇな。欲しいもんは全部、欲しくなる。ひとつだって犠牲にしたかねぇよ」
「重すぎる荷物はかえって身動きが取れなくなるものです」
同じく、軽口を叩くようにハーニスが返した。
「『我々』は、生まれた時からすでに重い荷を背負わされていますから。ひとつくらいでちょうどいいのですよ」
「重たきゃ誰かに持たしゃいいよ。誰が持とうが、あたしのもんはあたしのもんだ」
「……そうですね」
ハーニスのほうから、なにやら衣擦れの音が聞こえてきた。
「ふたりの荷物はふたりで持っていこう、リュシール。どこまでも」
彼の声は、すでに現世を旅立っていた。
「見えないからって、あたしの目の前でいちゃこらいちゃこらしてたら、ふたりまとめてたたっ斬るからな」
「ふふ……」
しかし返ってきたのは、意味深な笑いだけだった。
どれくらい時間が過ぎただろうか。
歩いては休み、休んでは歩き。袋小路に入っては戻り、戻っては袋小路に入り。
そんなことを繰り返しているうちに、ようやく洞窟の中がほんのりと明るくなってきた。
どこからか外の光が入り込んでいるのだろう。エリスが剣をしまっても、なんとか人の判別がつくようになった。
「抜け出したら、どうします?」
出口に近付きつつあるせいか、話の流れも自然とその辺りのことへと移っていく。
皆の視線が、ふとユーニアへと集まった。
「……わたしは、エリスと一緒に行きたい」
迷いがあり、絶望があり、逡巡があり。その果てに彼女がたどりついた結論が、それであった。
同じ『リゼンブル』であるハーニスたちもいるが、あえて人間であるエリスを選ぶ、ということに意味がある。それはユーニアが、種族という色眼鏡を捨て去った証なのだ。
「いいかな……?」
「聞くまでもねーよ」
人間だから、『リゼンブル』だから、と言っていては、自分を追い出した村人たちと同じになってしまう。エリスを選ぶことは、彼女なりの反抗の意志でもあるのだろう。
もっとも単純に、エリス・エーツェルという個人に惹かれているのかもしれないが。
「あなたになら任せられます」
ハーニスも後押しする。
「つーことは、どうやってレクトの奴を納得させるか考えなきゃいけねぇな」
エリスは嬉しそうに、頭をひねった。
レクトが『リゼンブル』に対して抵抗があるのは明白だ。ユーニアがそれだと知ったら、どうなるものかわかったものではない。
「まぁ時間はたっぷりあるだろうから、なんかは思いつくだろ」
「合流なされるのなら、彼女の正体は隠しておいたほうがいいでしょう」
楽観的なエリスに、真面目な口調でハーニスが忠告した。
「隠しごとは得意じゃねーよ」
「でしょうね。しかし彼女の身のためです」
「大げさな」
「あなたのボーイフレンドだけならば、恐らくそれほど問題はないでしょうが……」
ハーニスはそこで、一瞬だけ言いよどむ。
「……あの銀影騎士団――」
「おっ!?」
ハーニスが再び言い始めたのと、エリスが驚きと喜びの混ざった声を出したのは、ほとんど同時だった。
角を曲がった先に、洞窟の出口が見えたのだ。
まるで太陽がすぐ近くにあるような、まばゆい光が差し込んでいる。
その感動の前では、ハーニスの言葉などどこかへ消し飛んでしまっていた。
「行こうぜ!」
エリスはユーニアに笑いかけて、出口を目指して走り出す。
「うんっ!」
ユーニアも、それに続いて軽快に走り出した。
無視された形になるハーニスだったが、元気に走るユーニアの後ろ姿を見て、まるで父親のようにやわらかく表情をゆるませた。
「…………!」
だがそんな表情は、数秒と持続しなかった。
エリスは、光そのものの中に飛び込んでいく感覚を味わった。
「まぶしーっ!」
久しぶりの日光を浴びて、思わず目をつぶる。洞窟の暗さに目が慣れていたせいか、とてもじゃないが開けていられなかった。
やはり野外の開放感というのは気持ちが良いものだ。肌で感じる風や、自然の匂い。理屈ではなく本能的にそう思う。
――そこでエリスに油断があったのは事実だろう。
目を閉じていたせいで、反応に遅れたのも事実だ。
だが仮に万全の状態で身構えていたとしても、『それ』が防げたかはわからない――
その時。エリスはヒュッと、なにかが風を切る音を耳にした。
そしてすぐ背後からの、空気が漏れ出たような声、なにかが地面に倒れる音も、耳にする。
振り返って、光に慣れ始めた目を開けた瞬間、
「ユっ……!?」
絶句する。
ユーニアが、倒れていた。
その胸を深々と、一本の矢が貫いていた。
胸から紫色の血が、まるで滝のように流れ出ていた。
「……!」
エリスはほんの一瞬、まるで石になったように硬直し、呆然とする。
「ユーニア!」
ハーニスの声が、そんなエリスの意識を現実へと引き戻した。
「……なんだよ……なにがっ……!?」
ハーニスが、急いでユーニアのそばにヒザをつく。
彼とエリスの真横を、剣を抜いたリュシールが、風のような速さで駆け抜けていった。
この矢を放った者がいる。それはまだ近くにいる。そして自分がユーニアのそばにいても、今はなにもしてやれない。そういう結論に達し、彼女は洞窟の外へと急いだのだろうか。
「くそっ!」
ならば、と、エリスもそれに続いて駆け出した。
すぐさまユーニアへ『治癒術』を施そうとしたハーニスだったが、
「……!」
彼女の容態を見て、色を失った。
「どうした? 当たったか?」
飛び出してきたエリスとリュシールを見て、ニコラウス・ルドルドゥーは愉快そうに笑ってみせた。
洞窟の外は、すでに完全に包囲されていた。ニワトリにも似た『モンスター』たち、その数はどれくらいいるだろう。少なくとも二十か、それ以上か。
それは、洞窟内へ逃げ込む前とまったく同じ光景であった。
「てめぇら……!」
エリスは目をむいて奥歯を噛む。感情の高まりは、一気に天井を突き抜けていた。
「オレの腕もなかなかだろう?」
ルドルドゥーが、手にしていた弓を横の手下へ返すように渡す。
どうやらユーニアを貫いた矢を放ったのは『ボス』自身のようだった。
たしかにあの暗がりの中の、ユーニアの急所を的確にとらえる腕前はかなりのものがある。だがそんなことは、エリスにはどうでもよかった。
「ふざけんなよ……!」
十倍以上もの数の『モンスター』に囲まれていようが関係なく、エリスは自分の怒りを荒々しく投げつける。
「わざわざこんな数引き連れて、待ち伏せまでしやがって! あいつがなにしたってんだよ!」
もはや私怨の域である。ユーニアの知らないうちに、彼らの恨みを買っていたとでもいうのだろうか。
「理由があるなら言ってみろ!!」
「理由など。生きていることが罪なのだ」
ルドルドゥーは臆面もなく言ってのける。
「汚らわしい混血種など、見るにも堪えない。のうのうと生きていることも許せない。引き裂かねば気が済まんのだ。オレの目の前で」
得意げとも言える口調だった。周囲の手下たちも、同意であるかのような表情を浮かべている
「半分は人間かもしれねぇけど、半分はてめぇらと同じ血が流れてんだろうが……! なにも思わねぇのか!」
「ならばこそ余計にだ。我らと同じ容姿であったなら、まだ愛でてやろうという気も湧いたかもしれぬ。だが人間と同じ容姿など、気色の悪い」
ツバのように吐き捨てる。
「そのような者、同胞ではないわ。虫酸が走る!」
「……トサカに来た……!」
エリスは弾かれたように剣を抜き、すぐさま刃に激しい炎をまとわせた。
それを見た『モンスター』たちが、驚異と警戒の混ざった顔をうかがわせる。
「てめぇら全員、くし刺しにして焼いてやる!」
エリスは、柄から伝わる異様な刺激を感じて、一瞬だけリュシールへ視線を飛ばした。
相変わらずの氷像のような立ち姿。しかし剣から伝達されてくる感覚は、過去二回とは比べものにならないほどに強いものだった。
「そうだよな。お前も許せねぇよな」
敵をにらみつけながら、彼女に言い放つ。
「クールぶりやがって。ちゃんと熱いもん持ってんじゃねぇか」
反応はない。期待もしていないが。
「ならさ、やってやろうぜ!」
エリスの言葉に答えたわけではないだろうが、そのリュシールが、はたと後方を振り返った。
なにかと、エリスも振り返る。
洞窟の中から、ユーニアを抱えたハーニスが歩いて出てくるところだった。
しかし、である。
彼の顔には色がない。彼女を抱いたその腕は、したたり落ちるほど大量の血で染まっていた。
そして彼女の胸の傷は、まったくと言っていいほど塞がっていなかった。
矢が引き抜かれただけの、そのままである。
「なにやってんだよっ……! 早く治せよ!」
そんな状態を見て、エリスが声を荒げる。
しかしハーニスは、リュシールかというほどに無表情で無感情だった。
「……『治癒術』というのは、術者が持つ治癒力を増幅して貸し与えて、本人の治癒力を促進するだけのものです」
うわごとのように答える。
「花に水を与えるようなもの。……枯れてしまった花は、いくら水をやろうが、二度と咲くことはありません」
「なんだよ!? 持って回しやがって! なにが言いたいっ……!」
問い詰めるエリスだったが、そんな彼を見て、なにも考えないわけはない。
頭の中には、もう答えは浮かんでいた。
「死んだか?」
ルドルドゥーが、せせら笑いながらそれを口にする。
「めでたいな」