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第四章(9)

 

「逃がすか!」

「まぁ待て」

 エリスたちを追い洞窟の中へと入ろうとする手下たちを、ルドルドゥーは落ち着いた声で引き止めた。

「わざわざ薄汚いところに入ることもあるまい。……下がっていろ」

 全員が洞窟のそばから離れるのを待ってから、ルドルドゥーは自分の体に『魔術』の力を集中させた。

「ぬん!」

 突き出した手から、岩石のような火球がうち出される。それは洞窟の入り口の、やや上の岩壁へと命中した。

 次の瞬間――『魔術』が炸裂した地点を中心に、岩壁が崩れ始める。

 地響きが轟き、激しい岩なだれが大量の砂ぼこりを巻き上げた。

 それが治まった頃には、落石によって洞窟の入り口は完全に塞がってしまっていた。

「今ので生き埋めになったのならよし……」

 それを眺めながら、ルドルドゥーが得意げに笑う。

「仮に生き延びたとしても……知っているだろう? この洞窟は一本道。我らは、もうひとつの出口で待ち伏せをしていればいいだけなのだ」

 出来ることなら、後者のほうがいい。あのガキの死体まで埋まったら、それはそれで残念である。

「さすがボス!」

 手下たちから、わっと喝采が上がった。わざわざ追いかけるよりも、待ち伏せをしたほうが楽に良い結果が得られるのは明白だ。

「一石二鳥ですね!」

 その石を投げるほうが鳥に似ているというのも、なんだかおかしな状況であるが。

「ふふふ……つまり奴らは、カゴの中の鳥も同然というわけよ」

 ルドルドゥーは、崩れた洞窟を見据えながらこれ以上ないというほどほくそ笑んだ。

 

 

「なるほど……そういう手できましたか」

 真っ暗な闇の中に、ハーニスのやけにゆったりとした声が残響した。

「あるいは追ってくればとも思ったのですがね。どうやら、見かけほど鳥頭でもなかったようです」

「落ち着いてる場合かよ!」

 相手がどこにいるのかわからないので、とりあえず適当な方向に向かって叫ぶエリスだった。

 さっきの地震のような衝撃で、入り口が塞がれたのは見なくてもわかる。ほんのわずかに差していた光もなくなり、そこは完全なる暗闇と化していた。

 声や音もあちらこちらから跳ね返って響き、自分がちゃんと立っているのかも怪しく感じてくる。

「とにかく……みんないるのか!?」

 視界はゼロなので、確認するにはまず声を出さなくてはならない。

 すぐにハーニスの声が返ってきた。

「ユーニアは私が抱いてます。リュシールもここに」

 そういえば彼は、ユーニアを抱えたまま走っていた。その彼女は別として、この期に及んでも喋らないリュシールの無事がどうやってわかったのかはエリスとしては謎だった。

 しかしそんな疑問は後回しでいいだろう。

 なにはともあれ光が欲しい……と思ったエリスは、自分が剣を握っていることを思い出した。

 そしてひらめく。次に、ひらめきを実行に移す。

 『いつもの要領』で剣に炎をまとわせると、その光に照らされてようやく辺りの様子が見えるようになってきた。

 あとはその激しく猛る炎を徐々に弱めていく。すると、たいまつに早変わりというわけだ。

「力を使いすぎて、肝心な時に息切れ、ということはないようお願いしますよ」

 光源を目印に、ハーニスたちが歩み寄ってきた。

 ハーニスは片腕にユーニアを抱き、もう片方の手をリュシールの手と結んでいる。場所が場所なら、仲の良い親子にでも見えただろうか。若すぎる親ではあるが。

「大丈夫だよ、いつもこういう練習してるから」

 エリスは剣を振って、なんでもないよとアピールする。

 もっとも力の加減を練習し出したのは、この剣を使うようになったからだ。

 今までの調子で技を出していると、強力にもなったがすぐにバテてしまうため、ある程度は手加減しなくてはならないのである。

「それなら結構」

 ハーニスは言いながら、そこでようやくユーニアを地面に下ろした。

 やはり暗闇の中で放すのは危険と思っていたのだろう。しかし、リュシールと結んだ手は放さなかった。

「それで、これからどうすんだ?」

「まずは、ここから脱出します」

「んなこたわかってるよ。そのあとの話だよ」

 そもそもこの洞窟から無事に抜け出せる保証はないのだが、 エリスの頭にはどうやらそういう懸念はないようだった。

「こっから出て、あいつらぶっ倒して、それからどうすんだよ?」

 おまけに、『モンスター』らを撃退するところまで勘定に入っているらしい。

 エリスの「どうするか」は、つまりユーニアのことをである。先ほどは結局そこまで話を進められなかったのだ。

「……やはりそれは、彼女次第ですね」

 ハーニスはささやくように言って、ユーニアに顔を向けた。

 ハーニスたちにしても、無論エリスにしても、本来の目的がある。しかしそれをひとまず隅に置いてでも、彼女のことをなんとかしたいと思っていた。

 すべては彼女の選択に、行動が委ねられている。

「……もういい」

 しかし彼女が答えた言葉は、そんな三人の厚意を真っ向から払いのけるものだった。

「あの『モンスター』たちの目的はわたしでしょ……? だったらわたしを差し出して、みんなはもうどこかに行っていいよ……」

 

 ユーニアの心の中は、まるでこの洞窟のように、暗く冷たいもので満たされていた。

 さっきまでは、必死だったからよかった。『モンスター』に追われ、その途中で母と別れても、本能的に生きようと必死だったから、余計なことを考えずに済んでいた。

 しかしハーニスらに助けられ、安心して落ち着いてくると、もう駄目だった。途端にその暗く冷たいものが心を埋め尽くしていく。

 夜の海に、投げ込まれたような気分だった。

 つかむものも、支えるものも、なにもない。なにも見えずなにも聞こえず、ただ苦しさだけが身を包んでいる。

 そこを泳ぐ力は、ユーニアには残っていなかった。

「なに言ってんだよ。んなことできるわけないだろ」

 エリスの言葉にも、彼女の心は動かない。

「あいつらにつかまったら、どうなるかわかってんのか? みすみす死ぬって言ってんのと同じなんだぞ」

「……じゃあ、どうすればいいの……?」

 ユーニアの絞り出すような声が、岩壁に響く。

「どうしたいって聞かれても……わかんなくなっちゃったの。なにをすればいいのかも、なにをしたいのかも……なんのために生きてるのかも……!」

 声に含まれる熱が高まるにつれ、目に溜まった涙がこぼれ落ちていく。

「教えてよ……。わたしの生きてる意味って、なに……? あの『モンスター』から逃げられたとしても、それからどうすればいいの……? 誰からも望まれてないのに、誰からも嫌われてるのに……それで生きてる意味ってあるの……?」

 痛ましい吐露だった。

 『モンスター・リゼンブル』だということが発覚してから、彼女は多くのものを失った。そして、多くの傷を負った。

 喪失感は、次第に胸の底まで冷え切る絶望へと変わっていく。

 傷つき荒廃した心では、前向きな考えなど出せようもないのだ。

「……もしあるなら、教えてよ……」

 しゃくりあげる姿は、そのまま暗闇の中に溶け込んでしまいそうなほどに弱々しかった。

 ハーニスは、具合の悪そうな表情でユーニアを見つめている。

 意を決したように片ヒザをつき、彼女と目線を合わせようとした。

「ただ、生きればいい。生きてさえいれば、いつかは、必ずその意味は見つかります。今はわからずとも」

 しかし真摯なその言葉も、ユーニアには届かないようだった。

 むせび泣き、流れ落ちる涙は、失われていく彼女の生気のようにも見えた。

「……まっ、ただ単に生きてくだけってのは、そりゃつまんねーよな」

 黙って聞いていたエリスが、口を挟む。

「あたしだってやりたかねーもん」

「……それは、あなたが人間だから言える『贅沢』です」

 ハーニスは立ち上がって、少し硬い声をエリスに向けた。

「我々は、自由に生き方を選ぶことさえ困難なのです。そういう、世界なのですよ」

「お前はどうだか知らねぇけど、こいつはまだなにもやってねぇだろうが。できるできないを決めつけてやるなよ」

「……同じ『混血種』です」

「聞き分けのねぇ」

 エリスはそう言い捨てると、ユーニアの目の前まで歩み寄った。

 そしてまっすぐにその顔を見る。

「あたしの子分になれよ」

 放たれた言葉が意外すぎたからか、ユーニアは、驚いたようにエリスの顔を見た。

「そんで、あたしにいっぱい尽くす。そうすりゃあたしも嬉しいし、そうしてくれんのならそう望む」

 エリスの口調は、決して冗談のようなものではなかった。真剣に、本心からそう言っている。

「それにあたしも、こいつらも、別にお前のこと嫌ってねーよ。だから誰からもってのは間違いだな」

 それはエリスなりの、ユーニアの先ほどの吐露に対する答えでもあった。

「ユーニア」

 改めて名前を呼ぶ。

 彼女に向けて、まっすぐ右手を差し出した。

「あたしのために生きろ。それすら嫌だってんなら、もうお前とはこれっきりだ。あとは勝手にしろ」

 差し伸ばされた手と、突き放すような言葉。その二択は、ユーニアの胸を激しく突き動かした。

 

 ユーニアは、まだエリスのことを信用してはいなかった。

 人間だからだ。

 共に暮らし、育ち、笑い合っていた隣人たちと、同じ人間。そして自分の素性が発覚した途端、目の色を変え態度を変え、一切を拒絶した隣人たちと同じ、人間だからだ。

 たしかにエリスは、ユーニアが『リゼンブル』だということを知っても、接し方を変えなかった。だが、腹の中ではなにを考えているかわからない、いつか裏切られるかもしれないという不安は、どうしようもなく胸にわだかまっている。

 それはハーニスたちに対しても同じであった。

 『リゼンブル』同士だということで助けは求めたが、完全には信用していない。まだ心のどこかで、疑っている自分がいるのだ。

 信用していた友人知人から向けられた拒絶の目は、ユーニアの心を引き裂くのに充分な殺傷力を持っていた。

 その傷は、まだ癒えていないのだ。

 差し伸べられたエリスの手は、その傷をひどく痛ませる。

 しかしその手こそ、ユーニアが求めていたものでもあった。

 あふれる涙の種類が、別のものへと変わっていく。

 他人の冷たさによって生まれた傷を癒やすのは、他人のあたたかさでしかあり得ない。遠ざけようとしていたものを、心の奥底ではなによりも欲していたのだ。

 誰かに必要とされること。必要だと言ってもらえること。その輝きは不思議な魔力を伴って、胸の中に染み渡っていく。

 暗い洞窟の中で、エリスが炎を灯した。それと同じことが、ユーニアの心の中でも起こっていた。

 夜の海の中からでも見える、こうこうと輝く満月が現れた。渇望していた光明。そこを目指していけば、海面に出られる。この苦しさから抜け出せる。

 それに気付いてしまった瞬間、ユーニアの手は、しがらみから解き放たれていた。

 エリスの手に、そっと重ねられる。

「……少し、考えさせて」

「少しだぞ? こう見えて、あんまり気の長いほうじゃないからな」

 エリスはギュッと、その手を握り返した。

 

 それを見つめていたハーニスとリュシールは、互いに結んだ手の力を、少しだけ強くした。

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