第四章(8)
「オルセーくんが犬だったら、匂いで捜せるのに」
仲間の一員だと言っても過言ではない馬をなでながら、パルヴィーは呑気に呟いた。
そもそも犬なら旅には連れてこないだろう、と律儀に指摘する者は、あいにく誰もいない。
彼女以外の面々は、少し離れたところで難しい顔を突き合わせていた。
話の内容は、やはりエリスのことだ。どうするのか検討中なのである。
パルヴィーがそれに参加しないのは、どうせそのうちひょっこり戻ってくるだろう、とあまり真剣には考えていないからだ。加えて、自分がアリーシェたちよりも良い提案が出せるはずがない、と思っているからでもある。
なにかしらの決定が出たなら、それに従う。それまでは待つしかない。
待つしかないと思っているのは、他の皆も同様であった。
「捜索に出たとしても、今度はそちらが行方不明になったら、ますます事が大きくなるわ」
エリスを捜しに出るべきだと主張するザットに、アリーシェは苦い顔でそう答えた。
現にひとりが行方不明になっているため、普段以上に慎重にならざるを得ないのだろう。
メンバーをふたつに分けるのは避けたい。しかしだからといって、全員で捜しに行くというのも避けたいところだった。
もしエリスが自力でこの場所まで戻ってきた場合、行き違いになってしまう。
少なくともそういう可能性が残っている以上、この場を動くのはためらわれた。
つまり、待つしかないのである。
歯がゆいところだが。
「とりあえず、今日いっぱいはここで待ちましょう」
アリーシェが、しのびなくといった様子で提案する。
待つにしても、やはり期限は決めておかなくてはならない。それが唯一の指針となるのだ。
「もし、だけど。明日の朝になっても彼女が戻ってこなかったら……その時は……」
言いよどむアリーシェ。
しかし言わずとも、その先は明白であった。
◆
ユーニアは、顔をヒザにうずめたまますすり泣いている。
リュシールは、そんな彼女の横に座り、肩を抱いている。
そしてエリスは、入り口付近の壁にもたれかかり、外の森林を眺めていた。
「…………」
それは『モンスター』たちが来ないかという見張りのためでもある。ユーニアにかけてやる言葉がわからず、そばに居づらかったというのもある。
しかしなにより、少し考え事がしたかったのだ。
ユーニアのように、村を追い出されるほど皆から拒絶されるという経験は、エリスにはなかった。
故郷の村は、それこそ住人全員が家族のように親しかったため、想像すらつかない。
かなり怒られることもやってきたエリスだったが、たいてい最後には笑って許してもらえたものだ。さして反省せずに同じことを繰り返した時も、である。
甘やかされていたとは違う、情愛に満ちた環境だったのだ。
ユーニアは、話を聞くに、特に問題を起こしたというわけではないようだった。
普通に、平穏に暮らしてきたある日。『モンスター・リゼンブル』だということがバレた途端、周囲の見る目がガラリと変わってしまった。そして追放された。
だからこそ、エリスにはその辺りのことがよく理解できないのだ。
彼女自身はなにも悪いことをしていないのだから。
そしてエリスは、「ということは」とも考える。
彼女の他にも、同じような扱いを受けている『リゼンブル』はいるのだろうか?
……恐らく、いるのだろう。思うよりもはるかに。多くは語らなかったが、ハーニスからもそんな気配が感じ取れた。
エリスはそれを、ひどく理不尽だと思う。
混血種だからというだけで忌み嫌われる……。それは、人間だからというだけで『モンスター』に襲われる、という日頃から感じていた理不尽さに近いものがあるような気がした。
「…………」
あまり働くことのない頭がめずらしく労働意欲を出しているせいか、エリスの思考は、さらにその一歩先まで踏み込んでいく。
ならば。……ならば自分はどうなのか、と。
『モンスター』だからというだけで剣を向け、戦う。それは果たして理不尽ではないのだろうかと。
「……ガラにもねぇ」
エリスは、熟考している自分に自分らしくないものを感じて呟いた。
昔の自分ならこんなことなど考えなかったろうにな、と。
それは恐らく、旅の中で様々なものに触れ、視野が広がったということなのだろう。そういう自身の変化――成長とも言える――が、まだ自覚できていないのだ。
エリスの表情は暗く曇っている。皆の前では決して見せないような表情だ。
それをしてしまうのは、やはりひとりでいるせいなのだろうか。どちらかというと、こちらのほうがガラではない。
「ブレイジング・ガール」
そこへ、洞窟の奥からハーニスが歩み寄ってきた。
並ぶように立つ彼へ、エリスはニュートラルに戻した顔をかたむける。
「……なんだよ?」
「あの方々とは、どうして一緒にいたのですか?」
世間話を持ちかけるような口調。エリスは「あの方々?」と聞き返した。
「銀影騎士団の方々と」
「ああ……あいつらか。どうしてってこともねぇけど、なりゆきでだな。あいつらも『モンスター・キング』とやらを倒すっていうから一緒に旅してるんだよ」
答えてから、エリスは少し妙なことに気がついた。
「なんでお前がそのこと知ってんだ?」
彼と出会った時は、まだアリーシェらとは会ってもいなかった。そして彼と再会したのも、ついさっき、ひとりになってからなのだ。
知っているはずないのである。
「……先ほど言っていたではありませんか。あなた自身で」
「そうだっけ? うーん……そうだっけ?」
エリスは首をひねる。たしかにその辺りの話をした記憶はあるが、『銀影騎士団』ということまで話したかは記憶になかった。
「そうですよ。ところで、あなたのお友達も彼らとはうまくやっているのですか?」
「友達……」
聞き返しかけたところで、今度はその意味を理解することができた。レクトとリフィクのことだろう。
なぜそんなことを聞きたいのかはわからないが。
「まぁ、そこそこうまくやってんじゃねぇか?」
ザットはともかく、あのふたりはうまく馴染んでいるようである。エリスから見ても特にぎくしゃくしている様子はない。
片方は、約一名から熱烈に好かれているくらいだ。
「……なるほど」
ハーニスは、それを聞いて満足したかのようにうなずいてみせた。
――そんな時。
話をしていたハーニスの顔が、不意に洞窟の外へと向けられた。
柔和な瞳が一転、研ぎ澄まされた刃のように鋭くなる。
つられるように、エリスも外へ目を向けた。しかしざっと見ても、特に変哲はない。
「……どうやら、少しゆっくりとしすぎてしまったようですね」
ハーニスの口調は普段通りに穏やかだったが、声にわずかな硬い芯が含まれていた。
洞窟の奥から、リュシールが足早にやってくる。
それと同時に、エリスが知覚できるくらいの気配が、わらわらと近づいてきた。
ざわざわと草木が揺れる。
「……!」
それらを踏み荒らすように、『モンスター』の集団が現れた。
ニワトリにも似た容姿。先ほど出くわした者の仲間だろう。
しかし正面だけではなく、右の草むらからも、左の木陰からも、彼らはぞろぞろと姿を見せる。
一気に二十体以上もの巨体が、洞窟を半円状に包囲した。
それぞれ手に握られた剣、槍、弓矢などの武器が、ギラリと凶悪に牙をむく。
リュシールと同じように奥から出てきたユーニアが、その光景を見て息を呑んだ。
「よかったな、仇がむこうからやってきてくれて」
エリスはそんな数の暴力にも臆することなく、逆に嬉々とした態度で愛剣を引き抜く。
「どれか一体くらい、トドメはお前に刺させてやるよ。だからちょっと下がってろよ」
背中でユーニアにそう告げ、並ぶ『モンスター』たちをズラリとにらみ渡した。
ハーニスが、エリスの持つライトグリーンの刃に一度だけ視線を落とす。その彼を守るように前へ出たリュシールも、すぐさま剣を抜いて襲撃者たちと対峙した。
彼女の周囲に、凍てつくような冷気がただよい始める。
「……!」
その瞬間、エリスの剣を持つ手に、ピリピリとした刺激が伝わってきた。
先ほど感じたのと、まったく同じあの感覚だ。
エリスは、引き寄せられるようにリュシールを横目に見た。
「……」
……たしか。
この『エーツェルソード』を指して、『魔術』の力を伝達しすぎるとアリーシェが言ったことがある。それはつまり、エリスの力をより発揮できるという意味なのだが、もしかしたらその逆もありえるのではないだろうか。
内側からだけではなく、外側からの力も伝達してしまう。
リュシールの発する力が刃を伝わり、エリスのもとへと逆流している……ということも考えられるのではないだろうか。
しかし今まで、仲間たちと共に戦ってきた時は、こんな感覚などはなかったはずだ。
それだけリュシールの力が強い……と考えれば、理屈としては納得できるが。
「どうやら、貴様らのことのようだな」
と、『モンスター』たちのあいだから、威厳のありそうな声が投げかけられた。
包囲したまま動きを見せなかったのは、もしかしたら『それ』を待っていたのかもしれない。
視線を戻したエリスは、奴らを割って出てくる、ひと回り大きな『モンスター』の姿を瞳の中に入れた。
恐らく『ボス』だろう。気配からそれがわかるようになってきた。
「その『リゼンブル』をかばいだてしている人間というのは」
ボスの視線がエリスたちをすり抜け、その奥のユーニアをとらえる。ニヤッと、くちばしの片側が上がった気がした。
「どんな者かと思えば、ただの女子供ではないか」
どうやらハーニスたちの素性には気付いていないらしい。
「ただで済むほど安い女じゃねぇよ。ほら、お前も言い返してやれ」
リュシールに水を向けるエリス。
しかし、と言うのか相変わらずと言うのか、彼女はなにも答えなかった。冷淡で冷徹な表情で、剣を片手に構えているだけである。
普段なら代わりに言い返すはずのハーニスも、なぜか今は沈黙に徹していた。
「腕に自信があるようだが、悪いことは言わない。大人しくそのガキを差し出せ。そうすれば、命だけは見逃してやってもいいぞ?」
慈悲深く、しかし高圧的に、ボスがささやきかける。
そんな誘いになど、乗るわけがない。
「ふざけんな、このから揚げ野郎ーっ! てめぇらなんかには、手羽先一本触れさせねぇからなっ!」
「交渉決裂か。キジも鳴かずば射たれまい、と言うのにな」
ボスの口調が冷たく落ちる。それに反比例するように、周囲の闘争への熱は高まっていった。
取り囲む者たちの目が、獲物を狩る時のそれに変わる。
いつ口火が切られてもおかしくない状況だ。
ハーニスは、この局面を好ましくない思いで分析していた。
敵の数は二十から三十。さらにボス格もいる。倒すだけならなんてことはないが、それはユーニアがいない場合の話だ。
奴らとしても彼女を狙ってくるだろう。
あの数を武器に一挙に攻められたら、とても彼女を守りきれそうにない。さしものリュシールをもってしても、体はひとつしかないのだ。無い袖は振れぬ、である。
ならばと、ハーニスの決断は早かった。
「リュシール!」
身をひるがえし、洞窟の奥へ走り出す。
そしてユーニアを抱きかかえると、そのままさらに奥へと入っていった。その背にリュシールも続く。
「って逃げんのかよ!」
取り残された形になったエリスも、仕方なく、彼らを追うように駆け出した。