第四章(7)
エリスに「まっ、いいや」で済まされたとはつゆ知らず、彼女の安否を気遣う面々は、時が経つたびに不安を募らせていた。
中でも、一番心配を表わしているのはザットである。
「一旦戻ろう」
というレクトの言葉にも、首を横に振るばかりだった。
近くの樹に巻き付けたロープの先が、エリスが落ちた崖下へと垂れている。上に誰かがいなくても、戻ってきたら登れるようにだ。
なので待っていたい気持ちはわかるが、その意味は薄いのである。
可能性は低いが、アリーシェの言った通り別の場所から登ってきたとしたら、なおさらここへは来ないだろう。
とにかくアリーシェのもとに一度戻り、それから対策を考えるなりなんなりしたほうが、明らかに建設的なのだ。
ザット以外の、レクト、リフィク、パルヴィー、ラドニスは、すでにそういう意向にかたむいていた。彼だけが、ここを動こうとしないのである。
「みんなは戻っててくれ。オレはもう少しここにいる」
と言うばかりで。
エリスと最後に顔を合わせていたのは彼だ。責任を感じているのもわかるが、さすがにレクトの口調にも熱が含まれ始める。
「これ以上、ひとりでいてなにかあったら困る。本当はアリーシェさんもそうなんだが……だから、早く合流するべきだ」
「お前は心配じゃねぇのかよ? 姉御のことが」
ザットの声には、いくらかのトゲが含まれていた。不安で気が立っているせいだろう。
もしエリスの「まっ、いいや」を聞いたら、脱力して倒れてしまうかもしれない。
「心配はしている。だが、エリスのことだ。心配はない」
一見、矛盾しているようなレクトの言葉である。
しかし、なんとなくわかる気がするリフィクだった。たとえ危機に瀕していたとしても、なんとかして挽回してしまう。そう思わせるのがエリス・エーツェルなのだ。
「今はひとりでいるアリーシェさんのほうが心配だ。……それにザット・ラッドをここに残していったら、今度はそっちが心配になる」
そうでなければ、ひとりだろうと残していけばいい。レクトはレクトなりに、ザットの身を案じているということなのだ。
「……わかったよ」
その気持ちが伝わったからか、ザットはようやく首を縦に振ってみせた。
◆
「あのガキを追ってたはずが、なぜやられて帰ってくる?」
ニコラウス・ルドルドゥーは、たっぷりと苛立ちは含んだ声を手下へぶつけていた。
「いや『ボス』、やられたのはベックたちで……オレはただ見てただけです」
「このチキン野郎がっ!」
言い訳じみたことをこぼす手下に、チキンに似たルドルドゥーが罵声を浴びせかけた。
深い森の、薄暗い一角。巨大な樹の根元をまるで玉座とするように、大きな『モンスター』が腰を下ろしている。それがルドルドゥーだ。
全身を覆う白い羽毛に、赤いトサカ。くちばし。そして上質そうな布のローブとマントを身につけている。
その足元には、なにやら真新しい、人間のもののような骨が転がっていた。
彼の周囲には、彼をひと回り小さくしたような手下が、五体ほど控えている。群れ全体としてはもっといるのだが、残りの仲間はすべて森の中に散っているのだ。
誰あろう、あの『モンスター・リゼンブル』の少女を捕らえるために。
「け、けど、あの三人をあっというまにやっつけちまうような奴ですよ!? しかも人間のくせに。『ボス』に知らせるべきだと思って……!」
報告する彼は、一部始終を目撃していたのだ。リュシールが三体を瞬殺する、あの場面を。そして慌てて戻ってきた。
その彼の真に迫った口調は、ルドルドゥーもさすがに気にならざるを得なかった。
「『リゼンブル』をかばう、腕利きの人間か……。疑わしくはあるが」
まったくのウソを言っているようにも見えない。
ならば、だ。
「……いいだろう。その真偽、オレ自らが確かめてやる」
百聞は一見にしかずとも言う。
どの道、あのガキは自分の目の前で八つ裂きにするのだ。こちらから出迎えに行くのも悪くなかろう。
「飛ぶ鳥を落とす勢いと名高い、このルドルドゥーが自らな!」
飛べない鳥に似たルドルドゥーは、威風堂々と立ち上がってみせた。
「野郎共を呼び戻せ!」
◆
「そこであたしは言ってやったわけだよ。勝機はいつでもあたしの中にある! それを捨てない限り、エリス・エーツェルに負けはない! ってな。そん時のアリーシェの顔ったらなかったぜ。すっかりあたしの魅力に溺れちまいやがってさ。まぁそれでも遅いくらいなんだけど」
森を歩きながらペラペラペラペラと喋るエリスへ、ハーニスは苦笑うような表情をかたむけた。
「……ブレイジング・ガール。その話はいつまで続くので?」
女三人寄れば……などという言葉があるが、どうやらそれは、そのうちのふたりが喋らなくても適応されるらしい。
「これからボスを倒すところだよ」
「ではそれは、のちの楽しみにとっておきましょう」
やんわりと切り上げさせる。そもそも、敵から逃げているという認識が彼女にはあるのだろうか。
先ほど悪ノリしたハーニスも、どっちもどっちであるが。
「なんだよ、ここからが面白いってのに」
打ち切られて、エリスはつまらなそうにそっぽを向いた。
アリーシェに言われてから、『モンスター』と戦ったということを大々的には話していない。その反動からか、誰かに武勇伝を話したくてしょうがなかったのだ。
さいわいハーニスたちは、数少ない『そういうこと』を話せる相手だ。ここぞとばかりにエリスの舌もうずいてしまうのである。
「……」
エリスはふと思い出したように、腰元の愛剣に触れてみた。
あの感覚は、いつのまにか消え去っている。結局原因はわからないままであった。
「……じゃああの話にするか。この前さぁ、灰のトュループとかってムカつく野郎に会ったんだけど、そいつがマジにムカつく野郎でさ」
エリスはなにか勘違いをしているのか。話の内容を変えればいい、という問題ではないのである。
内容に興味がなくはないハーニスだったが、悠長に聞いていられるほど呑気でもなかった。
「……ひとまず、あそこで落ち着きましょうか」
エリスの話をさえぎるように、前方を指差す。
その先で、洞窟がぽっかりと口を開けていた。
その洞窟は、ちょうどエリスが転げ落ちたような岩肌に面していた。
入り口部分は広く、ちょっとした小屋ならすっぽり入ってしまうだろうか。
さすがに中はひんやりとしていて、奥のほうから運ばれてくる風は肌寒いものがある。
「どこまで続いてんだ?」
好奇心が顔を出したか、エリスは洞窟の奥へと足を踏み出した。
暗くて先のほうまで見えないが、かなり続いていそうである。
「風を感じますから、どこかに出口はあるのでしょう。奥までは行きませんよ」
ハーニスは一応言いながら、入り口にほど近い、それでも外からは見えにくいところへ腰を下ろした。
同じように座ったリュシールが、途中で拾った何本かの枝を地面に置く。ハーニスがその前で指を鳴らすと、それはたちまち、たき火となった。
「さぁ、どうぞ」
ハーニスが、立ったままだったユーニアを座るよう促す。
「……」
ユーニアは隣り合って座るふたりの正面へ、たき火を挟んで腰を下ろした。
ひんやりとしていた空気が、じわじわと暖まっていく。
「まずはなにから……。どうして、このようなところにひとりでいたのですか?」
ハーニスが話を切り出したのと、戻ってきたエリスが火の前であぐらをかいたのは、ほとんど同時だった。
ユーニアはヒザを抱えて、じっと火を見つめている。少しの沈黙のあと、彼女は絞り出すように口を開いた。
「わたしが『モンスター・リゼンブル』だっていうことが、みんなにバレて……村を追い出されたから……」
「こんな森の中に放り出したってのか? ひでー奴らだな」
「追い出されたくらいで済んだのは、さいわいでしたね」
エリスとハーニスが、対照的な感想をもらす。エリスは、そんな彼へ怪訝な表情を向けた。
「どういう意味だよ?」
「言葉通りの意味ですよ」
それがわからないから訊ねたのだが。どうやら彼は、それ以上説明する気はないようだった。
「あの『モンスター』たちとは、なにか因縁が?」
質問に戻る。ユーニアが積極的に話そうとしないため、自然とひとつひとつ訊ねていく形になる。
「そうだ、それだよ」
エリスも、それが気になっていた。
『モンスター』から見れば人間は食料の一種でもあるため、それだけでも追いかける理由にはなるだろう。
だが、彼女を追っていた者たちは、単にそういう風には見えなかったのだ。
ただメシの調達がしたかっただけなら、あの時、エリスに狙いを移せばいいはずなのである。
エリスを素通りしてまで彼女を追いかけたということは、それなりの理由があるのではないかと思わざるを得ない。
「……どうしていいかわからずに、森の中を歩いてた時に、たまたま遭遇しただけです」
「……そんだけか?」
肩すかしを食らったように、エリスは首をかしげる。
「あの者たちは、あなたの素性を知っていたのですか?」
つまり『リゼンブル』であるということを。
「はい……」
その答えを聞き、ハーニスは納得したようにうなずいた。
「だからなんだよ?」
しかしエリスは釈然としない。
「我々は、人間にとっても『モンスター』にとっても、うとましい存在であるということですよ。そして『モンスター』は、それがより直接的なのです」
ハーニスの説明は、必要最低限のものだ。あまり言明したくないのか、エリスとしてはそこから読み取るしかない。
それにしても、『モンスター・リゼンブル』に対する世間の風当たりは、エリスが思う以上に強いもののようだった。
少なくともふたりの言葉を聞くにそういう印象を受ける。
「家族とかはいなかったのか?」
今度はエリスから、ユーニアに質問した。
「……お母さんと暮らしてました。一緒に村を追い出されて……」
「一緒に? じゃあ今は、どこにいんだよ?」
「…………」
今まではとつとつと答えていたユーニアの言葉が、そこで完全に途絶えてしまった。
もしやまずいところに足を踏み入れてしまったのかと、エリスはハーニスの顔を見る。彼も、無理にそこに踏み込もうとしなかった。
ややあってから、ユーニアが再び口を開いた。
「……あの『モンスター』に追いかけられてる時に……わたしを逃がすために……」
消えてしまいそうなほど、小さな声だった。
会った時から異様なまでに怯えているように見えたのは、もしかしたらそれが原因だったのだろうか。
エリスは跳ねるように立ち上がり、そして、怒気を含ませながら訴えた。
「だったらこんなとこでジッとしてねぇで、仇取りに行こうぜ!」
しかし、誰からの反応も薄い。
「それを決めるのは我々ではありません」
ハーニスはさらに口調を丸くして、ユーニアへと視線を注いだ。
「ユーニア。あなたは、これからどうしたいのですか?」
「…………」
「その仇を討ちたいと言うのなら、手を貸します。ここから逃げたいと言うのなら、共に行きます。新たに生きる場所を探すと言うのなら、付き合います」
親身な、言葉だった。
彼がこうも義理堅い性格だったとは、エリスとしては意外であった。やはり同胞なだけに、いろいろと思うところがあるのだろうか。
ユーニアは、
「わかりません……。……わからない」
ひざに顔をうずめて、涙ぐむように呟いた。
「もう、どうしていいかわからない……。……みんなからも嫌われて……お母さんもいなくなって……もう、なにも……」
嗚咽まじりの声は、最後には聞き取れなくなってしまう。
洞窟の中に、すすり泣く息遣いだけが残響した。
エリスはそんな少女を見つめながら、なんとかしてやりたいと、漠然と思った。