第四章(6)
「奇遇ですね、『ブレイジング・ガール』」
「なんでお前らがこんなとこにいんだよ?」
エリスは、久しぶりに顔を合わせたふたり――ハーニスとリュシールに、早速そんな言葉を投げつけた。
ついつい言い方にトゲが立ってしまうのも、彼女の性格だからというだけではない。
彼らと最後に会ったのは、クローク・ディールという『モンスター』が根城にしていたところだ。
そこで共闘(と言っていいのかは微妙だが)をしたのち、エリスは彼らに一方的に私闘をふっかけたのである。そして返り討ちにあって以来の、再会であった。
とはいえそれを根に持っているわけではない。
ほんのわずかに残っていた『しこり』を、彼女の悪い意味で素直な性格が露骨に表わしてしまったのだ。
「我々も旅をしている身ですから」
流れる水のような優雅さでハーニスが受け答える。
「そして最終的な目的地はあなたと同じ。ならば、行く道を同じくすることもありましょう」
わかりやすいほどの正論を返されて、エリスとしては黙るしかなかった。
「……まぁそんなことはどうでもいいとして」
大雑把にその話をなかったことにして、彼らの脇に立つ例の少女へと目を向ける。
「よう、無事だったんだな」
「……そうでした」
ハーニスはすっかり忘れていたという顔をして、再び少女の前にヒザをつく。
エリスを見つめる少女の瞳は、明らかな怯えを含んでいた。
「大丈夫」
それを見て取ったハーニスが、やわらかく言葉をかける。
「彼女は、どうやら品性というものを置き忘れたまま生まれてきてしまったようですが、敵ではありませんよ」
「いちいちひとこと多いんだよ、てめーはっ!」
という野次も気にせず、ハーニスは少女の体に片手をかざした。
彼の手がほのかに光を帯びる。
「…………!?」
その瞬間。エリスは、なにかに気付いて大きく目を見開いた。
「おいっ!」
と彼まで駆け寄って、『治癒術』をかけようとしていたその手をパッとつかみ上げる。
「……どうなってんだ……?」
少女の体をまじまじと眺めて、疑問のニュアンスを声にした。
その視線が、さらに少女を怯えさせる。
少女は、体中にいくつも小さな生傷を作っていた。転んだり、葉で切ったりしてできたものだろう。もしくは『モンスター』にやられたか。
崖を豪快に転がり落ちたエリスほどではないが、やはり至るところから出血している。
しかし、だ。
その血が、紫色をしているのだ!
周囲に飛び散る『モンスター』の血と、同じ色。
エリスは、それは返り血でも浴びたのだろうと無意識のうちに処理していて、今の今まで見過ごしていた。
「…………」
だがこうして気付き、じっくりと見てしまえば明白。
その紫の血は、少女の傷口から流れ出ている。
「……なんでだよ……?」
エリスは再び、呆然とつぶやいた。
少女の外見は、完全に人間だ。これで『モンスター』ということはないはずである。
「ヒーリングシェア」
エリスが頭を混乱させているスキに、ハーニスはもう片方の手で『治癒術』を使う。やわらかな光に包まれ、少女の傷は見る間に癒えていった。
「ご存じありませんでしたか。お仲間から聞いていませんか?」
それが終わると、ハーニスは立ち上がってエリスの顔を見下ろした。
交代するように今度はリュシールがヒザをつき、キレイな布で少女の肌に残った血を拭き取り出す。
「これこそが、我々と人間とを隔てる壁。その証です」
ハーニスの『我々』という言葉が意味するところを、エリスは知っていた。
人間と『モンスター』の血を引く混血種。『モンスター・リゼンブル』と呼ばれる者のことだ。
「じゃあ、こいつもか……?」
エリスは改めて、その少女に目を向けた。
ハーニスとリュシールがその『リゼンブル』であることは、以前の出来事で知っている。
ということはこの少女同様、彼らの体にも『モンスター』と同じ色の血が流れているということなのだろうか。比喩などではなく、実際に。
「正確に言うならば、体内にあるうちは人間と同じように赤く、体外に出ることでこの色に変わるわけですが……それはこの際ささいなことでしょう」
ハーニスは少し声を硬くして、言葉を続けた。
「あなたは前に、我々の素性を知った時に、『どうとも思わない』と言いましたよね。それは、これを知った今もですか?」
試練をぶつけるように問いかける。
「外見は人間とほぼ同じですが、こうして血の色が違うのです。あなたとは、目で見てわかるほどに異質な存在。悪しき『モンスター』を彷彿とさせる特徴。それでも『どうとも思わない』と?」
彼の脇にいるリュシールと少女も、エリスの顔を見つめていた。
「そりゃ、驚きはしたけど……」
エリスは無意識に、傷だらけな自分の体を見下ろす。自分から流れているのは、やはり赤い血だ。
「血の色が違うっても……髪の色とか、目の色とか、肌の色とか、そういうのだって人によって違うじゃねぇか。……そういうのと同じことだろ」
それがエリスの、今のところの本音であった。
たしかに自分とは違っている。そしてそれは『モンスター』と同じだ。……だからなんなのだ、である。
それが不気味さや、気味の悪さにつながる者もいるだろう。結果として忌み嫌われるというのもわかる話ではある。
しかしエリスの中では、そうはならなかった。
「違ってたらどう、ってこともねぇよ。聞かれたって答えようがねぇ」
彼女の中で重要なのは、なにを考え、なにをする、どういう者であるか、ということなのだ。
過去や素性などはさほど重要ではない。だからこそ、賊であったザット・ラッドもをあっさり受け入れることができたのだろう。
それを器が大きいと見るか思慮が浅いと見るかは、意見が分かれそうなところであるが。
「……まっ、あいつはどう思うかわかんねーけどな」
あいつ、とはレクトのことだろう。以前彼は、ハーニスたちに対して露骨に嫌悪感を表わしていたのだ。
「……そうですか。わかりました。試すようなことを聞いて申し訳ありません」
ハーニスは声に穏やかさを戻して、柔和に微笑んだ。
「しかしさすが、私が見込んだあなたです。以前の出来事は水に流しましょう」
「申し訳なく思ってんなら、そのお詫びにあたしの子分になれよ」
「そのジョークはあまり面白くないので、新しいネタを考えてみては?」
エリスを見つめる少女の目から、わずかに怯えの色が消えていた。
「とりあえず自己紹介でもしとくか」
エリスは改めてその少女と向かい合う。
並んでみると、エリスのほうが頭ひとつぶん身長が高かった。顔立ちや体つきから見ても、やはり年齢は少し下といったところだろうか。
「あたしはエリス・エーツェル。エレガントのエに、リーダーシップのリに、スーパースターのスで、エリスだ。覚えやすいだろ?」
自己紹介がしたかったというよりは、ただそれが言いたかっただけ、という気がしないでもない。
「エゴイスティックのエにリーズンレスのリにスクラッピリーのス、の間違いでは?」
ハーニスが口を挟んだが、それは完全に無視を決め込む。
「お前は?」
「……ユーニア」
少女はおずおずと、自分の名前を答える。
もっかの脅威はなくなったというのに、どことなく怯えているような様子だった。今さっきまで『モンスター』に追いかけ回されていたのだから、仕方ないといえば仕方ないことではあるのだが。
「ふたりは面識があったのですか?」
と、ハーニスが訊ねる。
今度はさっきのようなからかいまじりの口調ではなかったので、エリスは素直に応じた。
「こいつが『奴ら』に追いかけられてんのを見たから、あたしも追ってきたんだよ。お前らこそ知り合いか?」
エリスも聞き返す。
この少女、ユーニアに関して気になるところが少しあった。事情を知っているのなら、達弁な彼から聞くのが早いだろう。
「ふむ。そうですね、あれは……」
ハーニスは思い起こすように、アゴに指を乗せた。
「そう……少し前。我々が普段通り、愛の語らいに興じていた時でした」
「どんな普段だよ」
訊ねておきながら口を入れるエリスである。少なくともエリスには縁遠い『普段』であろう。
「嗚呼リュシール、なぜ君はそんなに美しいんだ。君の輝きは、すべての星々を集めても及ばない。僕には君だけでいい。君さえいれば、他にはなにもいらない。……と」
「愛は聞いてねーよっ! いいからこいつのことを早く話せよ」
「そして私はリュシールの手を取り、そこに私の……」
「行為もいらねーよっ! それが一番いらねーよっ! いつ出てくんだよ、こいつはっ!!」
エリスは片足でドシドシと地面を踏み叩く。
というか話が迂回しすぎだろう。
「失礼」
ハーニスは含み笑いながら謝罪した。
「……と、そんなところに、割って入る者が現れたのです。それが彼女でした。他ならない同胞に、『モンスター』に追われていると助けを求められたら、その甘美な時間を中断することもやむなしでしょう」
もし同じ『モンスター・リゼンブル』でなかったら、構わず続けていたのだろうか。気になるところである。
「そして詳しい事情を聞くヒマもなく『奴ら』がやってきたため、リュシールがそれを美しく倒し……その直後にあなたが現れて、今に至るというわけです」
……つまり。
「……お前らもさっき会ったばっかかよ?」
「ええ」
しれっと答えるハーニスである。
「じゃあさっと言えよっ! そうやって!」
無駄、この上ない。なにやら疲労感だけを得たエリスであった。
ハーニスは、予想通りの反応が得られたと言わんばかりに、意地悪くほくそ笑んだ。
「さて」
そして、本題に入るようにユーニアに振り向く。
「なにか事情があるのでしょう? 聞かせていただければ力にもなれますが」
ただ単に『モンスター』に追われていた、というだけではないのだろう。それは様子から察せられる。
「……」
ユーニアは、ためらいがちに目を伏せた。言うか言うまいか迷っている、そんなところだろうか。
「……とはいえ、それは場所を変えてからにしましょうか」
彼女の心境を感じ取ったからかは不明だが、ハーニスがそう提案した。
たしかに、『モンスター』の死体が転がる横で腹を割った話はしにくいだろう。
まだ近くに奴らの仲間がいるかもしれない可能性も含めて、さっさとこの場を離れたほうがよさそうである。
「そうだな」
と当然のように話に加わるエリスに、ハーニスは怪訝な表情で振り向けた。
「あなたはお仲間のもとに戻られては?」
「あっ、そういえば」
言われてから、エリスはそのことを思い出した。
ふっと後方を振り返る。
しかし、だ。目印もなく走ってきたため、あの場所まで戻れるかは相当に怪しい。
それに加えて、ユーニアをこのふたりに任せて、はいさよならというわけにもいかなかった。
一度首を突っ込んでしまったのである。こんな中途半端なままでは気が済まないのだ。
「うーん……まっ、いいや、あっちは。あたしがいなくてもなんとかやってけるだろ」
そしてそういう、微妙にズレた結論を出すエリスであった。
心配している皆が聞いたらどんな顔をするだろうか。
「そんなことより、黙って見てないで早くあたしの傷も治してくれよ。気が利かねーなー」
そしてハーニスへ、あつかましく言うのであった。
傍若無人ここに極まれりである。
エリスを見るユーニアの目に、なにやら呆れがただよい始めていた。
そんなやり取りをする四人を、遠巻きに見つめる瞳があった。