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第四章(4)

 

 毎回の食事は当番制である。

 といっても準備をするのは全員で、食材と相談して「なにを作るのか」を決めるのが、栄えある当番の役目なのだが。

 今回の当番であるアリーシェが選んだのは、オーソドックスなカレーであった。

 グルリと石で囲んだ焚き火、その上にかけられた寸胴鍋から、白い湯気と刺激的な香りが立ち上っている。具材は一口大に切ったニンジン、タマネギ、ジャガイモ、子鹿の肉といったところだ。

 それを別の鍋で炊いたライスと一緒に、適量それぞれの皿に取り分ける。

 テーブルなどはないので、適当な岩や切り株、あるいは地べたに座って、思い思いに空腹を満たし始めた。

「食いたくねぇっつってんのに、なんで入れやがるかなぁ」

 エリスはしっかり食べながらも、ぶつぶつと文句をこぼしていた。

 味に文句はない。あるのは、入っている具材にである。

 エリスは皿の中にニンジンを発見するたび、それを隣りに座るレクトの皿へとせっせと運び出していた。

 すでに慣れているのかあきらめているのか、彼からは特に反応はない。

「ちょっと!」

 代わりと言ってはなんだが、向こう隣りに座るパルヴィーから非難が飛んできた。

「その……直接口につけるスプーンで、口に入れるものを、移したりしないでよ」

「なんでお前が言うんだよ」

「とにかく、好き嫌いしないで食べなさいよねってこと」

「別に嫌いなわけじゃねーよ。食べたくねーだけだ」

 それを世間的には嫌いと言うが。

「いや、俺はかまわないよ。嫌いでもないし」

 レクトは仲を取り持つように、そのニンジンを食べてみせた。

 しかしパルヴィーが気になるのは、そういうことではなかった。

「そうじゃなくて……あの、間接的なアレが……。間接アレ的なアレが……」

「はぁ?」

 パルヴィーの言い方が要領を得ていないために、エリスもレクトもなにを言っているのかわからない顔をする。

 しかしそもそも、幼なじみというやつはそういう意識までなくなってしまうものなのだろうかと、パルヴィーは思った。

「……ところでふたりはさ、昔から仲良かったんでしょ」

 ひとりで勝手に意識していたのがバカらしくなったからか、話題を変える。

「どのくらい?」

「なんだよ、どのくらいって」

 エリスは聞き返しながら、またひとかけらニンジンをレクトの皿に移した。

 パルヴィーはその手をひっぱたいてやりたくなったが、それは想像だけに留めておいた。

「だから、他にも友達はいたわけでしょ? そういう他の人と比べて、ふたりはどれくらい仲良かったのってこと。どのくらい会ったり、話したり、遊んだりしてたかって、そういう」

「……『どのくらい』っつわれてもな」

 人と人との関係の深さを言葉で表せというのは、なかなかに難題だ。特にこのふたりに関しては、それは顕著だった。

「一緒に暮らしていたからな。他の友達よりは、もちろんそういう機会は多かったけど……」

 レクトがさらりと、爆弾を投下する。

 それはパルヴィーの直上で盛大に爆発した。

「ええぇぇぇぇーっ!?」

 パルヴィーは思わず立ち上がって声を張り上げた。皿からカレーが落ちなかったのは奇跡だろう。

「えっ、い、一緒に暮らしてたって、ど、どどどういうことっ!?」

「そのままの意味だけど……」

 レクトもエリスも、きょとんとして彼女を見上げている。なにをそんなに驚いているのだろうと言わんばりに。

 そんな視線をもどかしい心境で受けるパルヴィーである。

「……い、いつから?」

 立ち尽くしたままで訊ねた。

「いつからかな? だいぶ子供の頃だったと思うけど」

「ど、どうしてそうなったの?」

「たしか……俺の両親と、エリスの亡くなったご両親が仲が良かったからだとは聞いたことがある。それで自然と引き取る形になって」

「へー、そうだったのか」

 と横で、むしろエリスが初耳といった顔をした。

「……い、いつまで暮らしてたの?」

 パルヴィーとしては、それが最も気になるところであった。

 子供の頃だけというのなら、まぁいい。気にするほどでもない。幼き日のささいな思い出だ。

 だがそれ以上ということになれば、彼女の中では大問題になる。

「村を出るまでだよ」

 結果は後者であった。

「さ、最近ってこと……?」

「ああ」

「それまでずっと?」

「ああ」

「ひとつ屋根の下で?」

「ああ……」

「毎日寝食を共に?」

「ああ……」

「うぅっ……」

 パルヴィーは立ちくらみを起こしたかのように、へなへなと元の位置に座り込んだ。皿からカレーが落ちなかったのは、奇跡だろう。

 このふたりのあいだに流れる、やけに親密で自然体な空気。その正体がわかった気がした。

 親交の深さに時間は関係ないなどと言われることもあるが、いくらなんでも限度というものがある。

 それはパルヴィーにとって、あまりにも高い壁であった。

「一番仲が良かったのは、セルスかな」

「んー、あたしはリンだな」

 打ちひしがれている彼女をよそに、ふたりは自然と旧友談義に花を咲かせていた。

 小さな村故、男女を問わず同年代の子は皆幼なじみなのだ。

 レクトは、エリスに負けず劣らず活発な少女を思い出し、ふっと口元をゆるませた。

「たしかに。そんな感じはした」

 しかしそんな微笑ましいやり取りを、穏やかには聞いていられないパルヴィーである。

 スプーンを握りしめ、だだをこねるように割り込んだ。

「思い出話禁止ぃっ!」

「お前が言い出したんじゃねーか」

 エリスから当然の答えが返ってくる。が、それをものともしないほどのエネルギーが、今の彼女にはあった。

「と、に、か、く! き、ん、し、な、の!!」

 

 

 元気な若者組とは対照的に、年長組は優雅なものだった。

「ごちそうさまでした。おいしかったです」

 食べ終わったリフィクが、味付けを担当したアリーシェへ笑いかける。

 今のところ、彼女の作る料理に外れはなかった。なんとも欠点のない女性である。

「お粗末様」

 アリーシェはにこやかに答えた。

「この辺りがトウフを作っていないのが残念だったわね。調味料はそろっているから、あとはトウフがあれば『マーボーカレー』ができたのに」

「なんだ? それ」

 とエリスが、耳ざとく料理名を聞きつけた。

「知らない? 簡単に言うと、カレーとマーボードウフを合わせたようなものよ」

「ふーん。うまいのか?」

「そうね。絶品よ。ふたつの料理のおいしさが、二倍ならぬ二乗になったってところかしら」

「はー……」

 彼女を反応を見ていたザットが、意外そうに質問した。

「姉御は食べたことないんですか?」

「ねぇよ」

「えぇっ?」

 ザットの驚きに、逆にエリスのほうが驚く。

「なんだよ?」

「もったいないわね」

「もったいないです」

「もったいないな」

 アリーシェ、リフィク、ラドニスが口々に言った。

 それほどまでにポピュラーな料理なのだろうか。

「みんなして言いやがって……!」

 なんとなく悔しさを感じるエリスである。これまでも何度となくあったが、周囲が当然のように知っていることを自分が知らないというのは嫌なものなのだ。

「たしかに、あれは食べたほうがいいな」

 ついにはレクトまでもがそんなこと言い出した。エリスはキッと彼をにらむ。

「お前だって食ったことないだろ!」

 故郷の村には、そんなこじゃれた料理などなかったはずだ。

 しかしレクトは、「いや」と首を横に振った。

「少し前に寄った町で食べたよ。彼女に誘われて」

 言いながら、隣に座るパルヴィーへと目を向ける。

 自然とエリスの目も彼女に向けられた。

「あたしも誘えよっ!」

「バカじゃないの?」

 パルヴィーは口を尖らせたまま、そっけなく言い捨てた。

 エリスを一方的にライバル視している彼女からすれば、たしかに誘うわけがない。

「……けっ! なんだよなんだよっ!」

 レクトにも裏切られ(曲解だが)、自分ひとりだけが知らないというこの状況に、エリスのヘソは完全にねじれ曲がってしまったようだった。

「いいさいいさ、そうやっててめぇらは、トウフで朝まで語り明かしてろよっ!」

 よくわからない捨て台詞を残して、エリスはその場を立つ。

 愛剣だけをひっつかむと、つかつかと歩き出した。

「どこ行くんですか?」

 リフィクが訊ねる。エリスは、

「散歩!」

 とだけ背中で答えた。そのまま草木の密集するところへ入っていく。

 食べ物の恨みは恐ろしい、などという言葉はよく聞くが、たかだか一品を食べたことがないだけでここまですねる奴もめずらしい。

 アリーシェはほんのり苦笑して、ザットに振り向いた。

「ザット君。片付けはいいから、エリスさんに付き合ってあげてきて。大丈夫だとは思うけど、もし遭難したら大変だから」

 いくら日中とはいえ、この深い森の中をひとりで歩かせるのは不安が伴う。そう遠くまでは行かないとしてもだ。

「わかりやした」

 ザットはすぐに、空になった皿を足元に置いて立ち上がった。

 

    ◆

 

 薄暗闇を、激しい息づかいが流れていく。

 その少女は、懸命に逃げていた。

 草木をかきわけ、肌が傷つくのにも構わず、ただひたすらに足を動かしていた。

 背後から迫る脅威から逃れるために。

 自身を取り巻く恐怖から逃れるために。

 森の中を必死に走っていた。

 

    ◆

 

「姉御、そろそろ戻りましょうや」

 ザットの気遣う声も、ずんずんと進む背中はまったく聞く気がないようだった。

 広く枝を伸ばした高い木が、ところ狭しと並んでいる。そのため深いところへ行くと、日中だというのに不気味に薄暗かった。

 そして高く長い草も多いため、視界が悪く歩きにくい。

 すでに一日近くはそんな森の中にいるので、慣れたといえば慣れたのだが、やはり人数が少なくなると心細さが増してくる。

 精神的なものだろう。

 とはいえ彼の前にいるこの傍若無人少女は、たったひとりでも森を踏破しそうな勢いであったが。

「迷ったら命取りですぜ」

 半分はなだめようと言っているザットだが、半分は本気である。

 それほど歩いていないはずだが、すでに皆がいる場所は見えなくなっていた。振り返っても木があるだけである。

 長らく山に慣れ親しんでいたザットなだけに、自然の脅威というものも熟知している。こういうところは、用心深いくらいで丁度いいのだ。

「……なんであたしの村には『マーボーカレー』がなかったんだよ……」

 失望気味に呟くエリス。口調は深刻にも聞こえるが、内容はこの上なくくだらない。

「そんなうまいもんがさ……」

「ま、まぁ、地域によって文化の違いってのがありますからね。たまたまじゃないすか」

 一応なぐさめるザットである。

 それだけ田舎だったってだけでしょう、と言えれば早いのだが。

「はぁーーー……」

 エリスは深く、長いため息をついた。

 ため息をつきたいのはこちらだ、という心境のザットだ。いまだかつて遭遇したことのない落ち込み方に、どう言葉をかけていいのかわからない。

 ザットは助け舟を求めるように、ふとあさっての方向に顔を向けた。

 自分よりもはるかに長生きをしているこの木なら、こういう時にふさわしい言葉を知っているのだろうか。

 そんなことを思った時である。

「だっ……!」

 という短い声を聞いて、ザットは視線を元に戻した。

 一瞬、なにが起きたかわからなかった。

「……!?」

 すぐ前方にあったはずのエリスの姿が、視界から跡形もなく消えていたのだ。

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