第四章(2)
手下『モンスター』は立つ力を失い、倒れるように『ボス』の肩から落下する。
「ガイス!?」
『ボス』は目を見張って、とっさに彼を受け止めた。
手の上に落ちたその者は、傷口に炎を宿しながら、滝のように紫色の血を流していた。顔にももはや生気はない。
『ボス』はその手をそっと握ると、代わって肩に立った人間へと横目を向けた。
「ぜぇぇいっ!」
エリスをさらに炎の刃で、『ボス』の首筋へ斬りかかろうとしていた。
しかし樹齢何百年という幹にも迫る、太くてたくましい首だ。たやすくは斬れないだろう。
刃が皮を斬り、肉へと到達しようとした時、『ボス』の反対側の手がエリスへと伸びた。
彼女をつかみ取らんばかりに大きく広げられる。
エリスはすぐさま炎の刃を消失させ、ひょいと背中側へ飛び下りた。
そしてその羽ばたく翼へ狙いを移す。
切っ先を真下に向け、肩甲骨のあたり――翼の付け根へと、体重を乗せて突き立てた。
噴水のように血が飛び出る。
「!?」
しかしその返り血をまともに顔面に浴び、エリスは思わずバランスを崩してしまった。
彼女を振り払おうと『ボス』が体をゆすったのもあいまって、そのまま真っ逆さまに落ちてしまう。
しかし、ただで落ちるような潔い彼女ではなかった。
「おぉおーにゃぁっ!」
落下しながらも、しがみつくように、『ボス』の脚部へ剣を突き立てる。
「フレアぁっ!」
そして再び炎の刃を発生させ、片足の内部を焼き斬り裂いた。
さいわいなことに、その往生際の悪い一撃が彼女の落下速度を大幅に殺す。
真下に控えていたザットが、無事にエリスを受け止めることに成功した。
「……ナイスキャッチ」
と、しばらくぶりに地面に足をつけたのもつかの間。ふたりの上に、大きな影が覆いかぶさった。
『ボス』も地面に降り、ふたりの前にそびえ立ったのだ。
「でかい……!」
圧倒されたからか、ザットは改めて外見的な感想を口にした。
巨大であるということは、それだけで根源的な恐怖を伴うものだ。
この至近距離では逃げるスキもないだろう。『ボス』は彼女らの命を手中にしたと確信しながら、目で圧殺するようにふたりを見下ろした。
「……よもやな」
息をつく間もなく、エリスは剣を構え直す。
「我らをこうも追い詰める人間がいようとは」
「だろうな。まぁてめぇも、そこそこは強かったけど」
言ってみれば、ノド元に刃を突きつけられているのも同じ状況なのである。だというのに悠然と言葉を交わしてみせる彼女を、ザットは困惑にも似た目でチラリと見た。
「だが、詰めが甘かったな」
「そう言うなって」
エリスは目線を、『ボス』のさらに上へと持っていく。
「……お互い様ってやつなんだから」
『ボス』のはるか頭上で、とても自然現象とは思えないような光が、まばゆいばかりに渦巻いていた。
リフィクの体が、夜空に浮かぶ星のように輝いていた。
それは表にあふれ出してしまうほど、彼の『魔術』の力が高まっている証である。
エリスが『ボス』の上から離れたという報告をラドニスから受けると、リフィクはすぐさまその力を解き放った。
「フラッシュジャベリン!」
彼を取り巻く輝きが消え、直後、上空に光の渦が現れる。
それに気付いたらしい『ボス』が振り向くが、すでにその時には遅かった。
渦巻く空から伸びた槍が『ボス』に落ちた瞬間、周囲に地震のような衝撃と激しい風がかけめぐる。
その余波が収まる頃には、戦いは幕を閉じていた。
胴体に大穴を開けられた『ボス』が、焼けた大地に倒れて絶命している。
その片手に包まれていた通常サイズの『モンスター』も、共に動かず息絶えていた。
そんな光景を少し離れてエリスとザットが眺めている。その表情は、達成感と疲労感がほどよく混ざっていた。
「無事?」
駆け寄ったアリーシェが、ふたりへと問いかける。
「近くにいたんでしょう?」
それは『ボス』の近くという意味でもあり、『魔術』が炸裂した近くという意味でもあるのだろう。
エリスは軽く両腕を広げ、「この通り」と短く答えた。
返り血まみれではあるものの、負傷と呼べるほどのものはない。ザットも同じだ。
『ボス』が『魔術』に気付いたあのスキを突いて、ふたりは素早く退避していたのだ。恐らくギリギリのタイミングであったため、あと一秒でも長く留まっていたら今頃どうなっていたかはわからない。
とはいえ至近距離にいたおかげで『ボス』の注意を引き、『魔術』を直撃させられたのだから、結果的には最善の手を尽くしたと言えるだろうが。
「ご苦労様」
アリーシェはそんなふたりの行動を、微笑みをもってねぎらった。
そこへ、レクトとパルヴィー・ジルヴィアもやってくる。
レクトはエリスにひとことかけたあと、深刻そうな眼差しをアリーシェへ向けた。
「あの『モンスター』の使っていた『治癒術』……恐ろしく素早く、効果の高いものでしたね」
「体の基礎が違うもの。人間が使うよりも強力にはなるでしょうね」
アリーシェは苦笑いながら小さく肩をすくめる。
「灰のトュループが良い例よ」
その名を聞き、レクトの脳裏にあの時の光景がまざまざとよみがえってきた。
たしかに、町ひとつを消し去ろうという威力を人間が出せるとは到底思えない。
今さっきのリフィクの『魔術』も相当の威力ではあったが、それでも奴には遠く及ばないのだ。
人間と『モンスター』の力の差というのは、それほどまでに大きいものなのだろうか。
こうして、対抗できているのも事実であるのだが。
「……」
「で、またしてもお前は遊んでたわけか」
熟考しかけるレクトの背後で、エリスが茶化すような視線をパルヴィーに向けていた。
「またしてもってなによぅ」
パルヴィーは心外とばかりに口を尖らせる。
「ちゃんと役目果たしてたもん」
「どういう役目だよ?」
「その……囮とか。誰かがケガした時にすぐに治せるように、体力を温存しとくこととか」
「あやしいもんだな」
「むむむ……」
表面上は口ゲンカのようなやり取りではあるが、単にじゃれ合っているだけである。当初は戸惑ったザットも、それを理解してからは特に止めるようなこともしなかった。
その場へ最後に、リフィクに肩を貸したラドニスが歩いてくる。
リフィクは文字通りに全力を尽くしたためか、ぐったりと疲労しきっている様子だった。
「期待以上の結果だったわ」
そんな彼へ、アリーシェが弾んだ声で感嘆を送った。
「騎士団の中でも、あの規模の『魔術』を放てる者はそうはいないはずよ。すばらしいわ」
「まっ、今回はお手柄だったな」
割って入るようにエリスも言う。
「いっ、いや別に……そんなほどでも……」
リフィクは背負われたまま、困ったように照れ笑った。
◆
ログハウスのように丸太で組まれた建物が大半を占める景色が、窓の外に広がっていた。
看板に記された村の名は『リンツァー』。エリスら七人はその一角にある食堂で、しばしの羽休めを堪能している。
時間的に朝食と昼食のあいだのせいか、他のテーブルにはまったく客がいなかった。時間帯に関係なくもともと繁盛していない店という可能性もあるが、そういう詮索は無粋というものだろう。
「私たちは『コープメンバー』に会ってくるわ」
食事も終わりかけた頃、アリーシェがそう切り出した。
「こんなとこにもいんのか?」 エリスが訊ねる。
「そのはずだけど」
彼女ら銀影騎士団の協力者は、どうやら思う以上に至るところにいるらしい。団員たちがバラバラに活動できるのも、そういう存在があればこそなのだろう。
「あたしは何しよっかなー」
エリスは頬杖をついて、視線を宙に泳がせた。
「旅支度は急がなくてもいいわよ。少なくとも、出発は明日以降と考えているから」
アリーシェが皆にも目を向けながら、ざっくりとした予定を口にしていく。
「地図を見るに、この先は大きな森が広がっているみたいなの。しばらくは村もないはずだから、ここでたっぷりと休息をしておくつもりよ」
年齢のせいか人柄のせいか、この一派の主導権は自然とアリーシェが握る形になっていた。そつなくこなし手際も良いため、エリスを含めた全員からも特に異論は上がっていない。
エリスらと出会う前も、恐らくこういう形であったのだろう。
「……散歩でもするかな」
彼女の話を聞いていたのかいないのか、エリスは視線を窓の外へとかたむけた。
エリスはその宣言通り、子分ふたりを引き連れてぶらぶらと村の中を闊歩していた。
丸太組みの家が多いのは大きな森が近いからだろうか。緑や花もそこそこあり、一見はのどかな雰囲気をかもし出している。
しかしよくよく見てみると、包帯を巻いている村人が目についたり、庭の花壇代わりのように真新しい墓石があったり、そこここの建物に修復のあとが見られたりと、やはり凶者の爪痕が残されているようだった。
そういう諸々をひっくるめて、ここはごく平凡な村だと言えるのかもしれない。
「あの『ボス』が目の前にまで来た時、正直オレは固まってただけだけど、姉御は一歩も引かずにやり合ってた」
ザットは隣を歩くリフィクへ、先の戦いの話を熱弁していた。
「やっぱり姉御はすげぇ……!」
「はぁ」
生返事をするリフィク。
すごいかどうかはともかく、である。リフィクはその光景を簡単に思い浮かべることができた。
そして、想像だけでハラハラする。またそんな寿命の縮むようなことをやっていたのか、と。
エリスを先頭に、練り歩いているのは三人だけである。
アリーシェとラドニスとは前言のように『コープメンバー』のところへ行くため別れ、残るレクトとパルヴィーとは、あの食堂を出たところで別れたきりだった。
彼らも散歩に誘ったものの、やんわりと断られてしまったのだ。
リフィクはその原因がザットにあるのではないかと思っている。
表面上はそうでもないが、あのふたりは彼のことをまだ完全には受け入れていないようなのだ。
彼がこの集団に加わった直後に比べればある程度は距離が縮まっているはずだが、それでもまだ壁を感じざるを得ない。
とはいえそれは時間が解決してくれる問題であろうと、リフィクは特に仲立ちのようなことは行わなかった。
「あの、ラッドさん」
今度はリフィクから話しかける。
リフィクのほうが年上であるのだが、敬語を使うのは彼の性質というやつだろう。
「ザットでいいって」
ザットは快活に笑って、冗談めかしてリフィクの肩を抱いた。ちなみに身長は彼のほうが高い。
「子分同士、遠慮はナシだ。喋り方も普通でいいぜ」
同士とは言っても自ら望んでなった者と、うっかりなってしまった者という違いはあるのだが。
「僕にとっては、これが普通なので……。では、ザットさん」
リフィクは真面目じみた口調で二の句を継ぐ。
「なんだ?」
「『モンスター』と戦うのは……怖いですよね?」
「そりゃ、こえーよ」
ザットは、逆に意外そうな顔をして答えた。
「決まってんだろ」
「ならどうして、『彼ら』と戦おうと思ったんですか?」
「ん……それはな、あのまんま生きてくほうが怖くなっちまったからだよ」
ザットは少しだけ考えたあと、それを口にする。
「……っていうのは、なんつーか、あとから出てきた理由で」
「はぁ……?」
「本音の本音を言うと、オレの前にあの背中があったからだ」
声のボリュームがやや下がる。視線はまっすぐ、先を歩くエリスへと注がれていた。
「背中……」
リフィクも同じものを見る。性格とは裏腹に少女らしい小さな背中が、そこにあった。
「あの背中が、オレの脳裏に焼き付いてる。あの背中に追いつきたいと思った」
ザットは清々しいまでの表情で言い切る。
「だからだよ。だから、怖いのだって我慢する」
年下の、しかも少女を目標としているというのは、男として情けなく思う部分もあるだろう。だからこそそれは本音なのかもしれないとリフィクは思った。
「お前はどうなんだ?」
今度はザットが聞き返す。予期していなかった質問に、リフィクは「えっ?」と目を丸くした。
「あるだろ? 理由」
「それは……」
……ある。最初こそ状況に流されていたが、最近は、少なからず戦う理由を胸に抱くようになっていた。
しかしリフィクは言葉を詰まらせる。
本音をさらけ出してくれた彼に対して、こちらも本音で返したかった。
だができなかった。
「それは……単に、エーツェルさんに言われたからで……」
ノド元まで出かかった言葉は、再び胸の奥まで飲み込まれてしまう。
「ふーん、そんなもんか。まぁ姉御に言われりゃぁ子分としては聞くしかねぇわな」
ザットはその答えで納得したのか、からかい気味に笑ってその話を締めくくった。