序章(6)
「ブレッシング・フィアネイラ!」
祝いの時の決まり文句をドート団長が高らかに言い上げ、歓喜の宴は始められた。
村で唯一の食堂兼酒場。そこに自警団の面々はおろか村人のほとんどが会し、『モンスター』を討ち取った喜びをわかち合っていた。
寿司詰め状態ではあるがひとつの店舗に全村民が収まってしまう辺りに、この『フィアネイラ』の村の小ささがよくわかる。
朝の奇襲戦。かろうじて勝利を手にしたものの、自警団は八人もの犠牲者を出してしまった。
村へ凱旋し簡単な治療を済ませたあと、団の皆はまず仲間の弔いを優先した。疲労した体もなんのその、墓をこしらえ丁重に仲間たちの遺体を葬送する。
尊い犠牲は出てしまったが、とにかくこれでこの村は救われたのだ。もう『モンスター』たちがいつやってくるのかと怯えなくてもよくなった。
文字通り命を賭して村を守った故人たちの分までと、村人たちは盛大に勝利と平和とを祝い合った。
しかし、他の者たちのように手放しで喜べない者がひとりいた。
今回の功労者である旅人、リフィク・セントランである。
「いやぁ、参った。明日から仕事なくなっちまうなー!」
団員のひとりが、酒瓶を抱えながら上機嫌に軽口を叩いた。そこここから、それに合わせた笑い声や合いの手がどっと上がる。
「……と言っても、完全に……心からの安心はできませんが」
と、そんな時。水を差すようで申し訳ないといった様子で、リフィクがおぞおぞと口を開いた。
盛り上がった店内でその声を耳に入れたのは、周囲にいたごく数人だけであったが。
「……どういう意味です?」
隣席の青年、レクト・レイドが不審に思って聞き返す。村を襲っていた『モンスター』たちはすべて撃退した。たしかに生き残りはいるかもしれないが、大した数ではないだろうに、と。
「たしかに、『彼ら』はなんとかやっつけることができましたが……また他の『モンスター』がやってくる可能性も」
リフィクは深刻な面持ちで言葉を続ける。
「だから、これで万事平和というわけには……」
「他の……!?」
それを聞いて、レクトは目を見開いて絶句した。
リフィクの言葉は伝言ゲームのようにしてまたたくまに他の者たちへ広がり、店内を別の意味で騒然とさせる。
それも無理からぬことだろう。決死の覚悟で挑み、さらにリフィクの助力があってなおようやく勝てた相手だ。
そんな相手がまたやってくるかもしれないと聞かされたのだから。
「おい、お兄ちゃんよ」
ざわめきを代表するように、ドートが口を開いた。
「どういうこった。あいつらの仲間がまだいるってのか?」
その疑問を耳にし、リフィクは薄々感づいていたことに確信を持った。彼らは知らないのだ。『モンスター』と呼ばれる異形の強者が、世界中にはびこっていることを。そしてこの地域だけでなく、世界中の人間たちが支配されていることを。
それらを伝えると、さすがのドートも驚きを隠し切れない様子だった。
命からがら倒した者たちが、全体のほんの一部でしかない。同じような手合いがまだまだわんさかといるともなれば、浮かれていた頭も冷静になってしまうというものだ。
さっきまでの騒ぎはナリを潜め、店内は重苦しい空気を充満させつつある。
そんなシリアスめいた雰囲気を打ち破ったのは、
「ならばあたしがやるっ!」
という威勢の良い少女の声であった。
「他の誰でもねぇっ、このエリス・エーツェルがやるしかあるまいっ!」
エリスはテーブルの上に飛び乗り、周囲の人間を見渡して宣言した。
「その『モンスター』って奴らがそこら中にいるなら、あたしが行って根こそぎやっつけてきてやるよ!」
大言壮語に、村人たちから「おおっ!」という声が上がる。
「無理ですよ、そんな……危険っ! それに、いっぱいいるんですよっ?」
すかさずリフィクが制止した。
「それがひいては村を守ることにもなる!」
「聞いてくださいっ!」
数の話をするなら『いっぱい』という言葉では済まされないほど無数にいるのだが。
そしてなにより、『モンスター』を相手に渡り合っていくつもりでいるのだろうか。すぐに死ぬ。そんな無謀さでは。
「いっぱいいるのか……じゃあ親玉だ! 奴らにだっているんだろ? そういうのは」
エリスはリフィクへと振り向き、矛先を変えた。
「それは……たしかに、『キング』と呼ばれる存在がいるとは聞いたことがありますが……」
それでも質問には答えてしまうリフィクである。エリスは、我が意を得たりと歯を見せつけた。
「ならその『キング』とやらをぶっ倒しに行く! そうすりゃあとは烏合の衆だ。奴らだって、自分の親玉を倒した奴には迂濶に手を出せなくなるだろ」
「えぇっ!? そっ……!?」
リフィクは圧倒される。
たしかに理屈としてはそうだが、それは屁理屈にすらなっていない。現実味が伴っていないのだ。
絵に描いたパンである。実現するはずがない。
「よし、行ってこい!」
が、しかし。無茶としか思えないエリスの提案を、ドートは立ち上がって賛同した。
「村のことはオレたちに任せて、お前は『キング』とやらの首を取ってこい! 言い出したんなら意地でもな!」
荒々しい激励に、シリアスめいた空気が吹き飛ばされていく。それが波紋するように団員や村人たちがこぞってエリスを応援し始めた。
「どうして励ますんですかっ! 止めてくださいよーっ」
リフィクはあたふたとしてドートに口答えた。彼らは『モンスター』がどういうものか、本当は理解していないのではないだろうか。
「おいお兄ちゃんよ、オレの前で『ハゲが増す』たぁ言ってくれるじゃねぇか」
「言ってませんっ……断じてっ……!」
リフィクは弁解しながら、ドートの寂しい頭に無意識に視線をやった。
「まぁたしかに。あの化け物共の、ましてや親玉に挑もうなんてのは無茶な話かもしれねぇ」
ドートは落ち着いた様子でリフィクをなだめていく。
「けどな、そういう無茶も、髪型を色々変えて楽しむのも、若いうちにしかできねぇことだ。やれることがあんならやっときゃいい。やれなくなってから後悔するよりはな」
「仰りたいことはわかりますが……」
リフィクはやはり腑に落ちない表情で、ドートの寂しい頭に無意識に視線をやった。
「それにエリス・エーツェルってのは、できもしねぇことを言う女じゃねぇ。オレはあいつを信じるぜ」
自信満々に断言してみせるドート団長。
が、信じるだけで万事うまくいくなら誰も苦労はしない。そんな現実的な考えを抱きながら、リフィクはテーブルの上で意気天を突いている彼女を困惑の目で見つめた。
翌日。村の入り口に、大多数の村民が集結していた。
昨朝と違うところと言えば、自警団以外の面々もいることとその大半が見送りであるということくらいであろう。
旅支度を整えたエリスと、そしてレクト・レイドが皆と別れや励ましの言葉を交わしていた。あのあとの話で、どうやら彼女らふたりで行くことになったらしい。
数の問題ではないかもしれないが、ふたりというのはあまりにも心許なかった。
「本当に行かれてしまうんですか……?」
リフィクは最後の忠告のような気持ちで、不安げにそう尋ねた。
「あたぼうよ。お前、昨日の話聞いてなかったのか?」
まるで迷いもなく答えるエリス。もはやなにを言っても無駄らしい。
「……わかりました。では、お気を付けて。無事でおられることを祈っています」
リフィクは観念したように悲しい声を出した。
とはいえ。冷たいことを言うようだが、祈ったところであっさりと命を落としてしまうに違いない。接していた時間は短くともこれが今生の別れとなると切ないものだ。
ひとりしんみりしているリフィクに向かって、
「なに他人事みたいなことぬかしてやがる」
エリスが叱りつけるように声を尖らせた。
「……はい?」
「お前も行くんだよ、あたしらと一緒にな」
「えっ……ええぇーっ!?」
ハトが豆鉄砲ならぬ大砲を食ったような顔をするリフィク。いったいいつ、なぜ、そんなことになってしまったのであろうか。
「ど、どうして……?」
「どうしてもこうしてもあるか。子分がついてくるのは当たり前だろうが。拒否権も決定権もねぇよ」
エリスは至極当然とばかりに言い含めた。
「そんなっ……!」
リフィクは頭を抱える。あんな、とっさに言ってしまったたったのひとことがこんな事態にまで発展するなんて……!
彼女らについて行くということは、『モンスター』と戦うということだ。バカげている。命がいくつあっても足りないだろう。そんなことは。
「あなたに同行してもらえるのなら心強い」
せめてものなぐさめか、レクトがフォローするように言葉をかけた。
見るからに猪突猛進なエリスと違い、彼はそれなりに理知的な雰囲気をただよわせている。そんな彼がこんな暴挙を黙認し、なおかつ共に行こうとしているのもリフィクから見れば妙な話であった。
とはいえ今はそれを言及している余裕はない。
「……うぅ……わかりましたぁ。お供します」
リフィクはいじけながらも結局は首を縦に振った。
なんだかんだで、彼女らの身が心配なのだ。自分がそばにいればそれを助けられるかもしれない。そのために行くのだ。……と、自分に言い訳をしながら。
「あのぅ……お供はしますから、せめてその子分という称号は変更して頂けませんか?」
「あー? 子分ってのは称号なんかじゃねぇよ。お前の生き様だ」
「僕の生き様を勝手に決めないでくださいっ……!」
弱々しく反論するリフィクを完全に無視して、
「じゃぁみんな、行ってくる! 親玉をやっつけたら帰ってくるからなーっ!」
エリスは高らかに別れのアイサツを告げた。
呑気にも盛り上がる村人たち。その場でひとり、リフィクだけが今にも泣き出しそうな表情をしてた。