第四章「討て! ヴォルトールランス」(1)
「だぁぁぁっ!」
という叫び声を上げながら、エリス・エーツェルはふっ飛ばされ、山の斜面を転がるように落ちていた。
「エリスっ!」
ちょうど真下にいたレクト・レイドが走り込み、弓を片手に彼女をキャッチする。
勢いでもろとも倒れそうになったが、背後にあった木が、それをなんとか持ちこたえさせた。
「無茶をするな! 力押しじゃ通用しない! 戦い方を考えるんだ!」
腕の中でほとんど逆立ち状態のエリスへ、早口でまくしたてる。
「それをすんのはお前らの役目だよ」
しかしエリスはろくに聞きもせず、地面へと飛び降りた。そして自分がまだ剣を握っていることを確かめると、
「そんでもって」
斜面の上へ向かって走り出す。
「無茶をするのがあたしの役目っ!」
決してそんな役目などない。とはいえ、無茶という自覚があるのは意外であった。
「ということはっ!」
と、斜面の上からエリスの様子をうかがいにきたザット・ラッドが、その言葉に呼応した。
「その無茶に付き合うのがオレの役目か!」
果たしてそれもどうだろうかと思うレクトであったが、今は構わず、木々の上を飛び回る巨大な『モンスター』へと視線を戻した。
個体差はあれど、たいてい『モンスター』というのは、人間よりひと回りほど大きい体躯をしている。その中で『ボス』と呼ばれる者は、さらにそのひと回りふた回り大きいという傾向がある。体の大きさがそのまま力の強さに直結しているためだろう。
だが今、上空を駆けるその者は。
エリスがこれまで見たどの『ボス』よりも、さらにひと回り以上も巨大であった。
まっすぐ立てば家をも越すだろうか。
赤茶色の、爬虫類を思わせる硬質な皮膚に、長く尖った口元。腕は体に比べて細く、脚と尾はそのぶん太くて大きい。背中から生えるコウモリに似た翼も巨大で、低空を飛ぶと空一面を覆ってしまうほどであった。
「ボス、左に!」
「見えている!」
肩口から聞こえるその声に応えるように、『ボス』はギラリとした目を左方へ向けた。
そして群生する木々の隙間から一瞬だけ見えた人影めがけて、その巨大な尾を叩きつけた。
危ういところで攻撃から逃れたアリーシェ・ステイシーは、やはり散開したのは正解だったと、自分の采配を肯定した。
木の陰に駆け込み、『魔術』の力を集中させながら上空をのぞき見る。
飛行する『ボス』の左肩に、通常サイズの『モンスター』が、一体だけちょこんと乗っていた。同じ種族らしく、その『ボス』を縮小したような外見だ。
『ボス』ももちろん厄介なのだが、肩にいるその手下の存在も、別の意味で厄介であった。
まずはそちらを討っておかないと勝ち目がないだろう。
アリーシェは木陰から飛び出しざま、『魔術』の力を解放した。
「ロックブレイド!」
「ぐっ!」
何本もの岩石の刃が脚部を貫き、『ボス』が苦悶の声を上げる。
それに気付いた手下は、すぐに対処の行動に出た。意識を集中し、体をほのかに発光させる。
「ヒーリングシェア!」
その光が『ボス』の体に移ると、脚部の負傷がみるみるうちに元通りに治っていった。
『治癒術』である。
その時手下めがけて矢が飛んできたが、手下は冷静に、片手に持った大きな盾でそれを弾き返した。
調子を取り戻した『ボス』が、攻撃がやってきた方向を鋭い瞳でねめつける。
自らが放った矢の行方を見届け、レクトは強く奥歯を噛んだ。
いくら『ボス』に攻撃を与えても、ああして即座に治療をされてしまう。
まずその回復経路を断つことが最優先とはわかっているのだが、幾度となく矢を射っても、ことごとくあの盾によって防がれてしまうのだ。
どうにかスキを突こうとするも、結果は同じであった。
恐るべき反射神経で反応されてしまう。
攻撃が弾かれるたびに、レクトの中で言いようのない焦りが高まっていた。
その正体は無力感である。
こうも攻撃が効かないと、知らず知らずのうちにクローク・ディールと戦った時のことがよみがえってくる。
あの時の悔しさを二度と味あわぬようにと己を磨いてきたつもりだったのだが、これではなにも変わっていないではないか。
ただあの時とは違って対抗手段の『魔術』もあるにはあるのだが、まだ力の制御が完璧ではなかった。いざという時以外に使うわけにはいかない。
そのことも、レクトの焦燥感をあおっていた。
レクトは理性で、その感情を抑えようとする。
奴らの集中力を乱すだけでもいいのだと自分に言い聞かせ、さらに矢筒から矢を引き抜いた。
「ちょこまかと!」
周囲を動き回る人間たちに対する苛立ちを、『ボス』は短く吐き出した。
眼下の山肌にはみっしりと木が並んでおり、緑の葉のせいで地面すらもまともに見えない。その隙間隙間からちょこちょこと攻撃が飛んでくるのだから、『ボス』のもどかしさはかなりのものだった。
その精神的な攻撃もアリーシェの作戦のうちであったが、次の行動は、彼女の予想にはないものだった。
「……領地をあまり乱したくはないのだがな」
そんな状況にシビレを切らし、『ボス』は強攻策に打って出る。
「致し方ありませぬ」
手下は足を踏ん張り、肩につかまる腕の力をより一層強めた。
『ボス』は上空から、地表近くまで一気に急降下する。そしてその尾で、周囲の木々を手当たり次第になぎ払い始めた。
障害物をなくすと同時に、隠れている人間たちをいぶり出そうと考えたのだ。
大嵐もかくやという勢いで、軽々と木々が吹き飛ばされていく。
しかしどんなに軽く見えようが、木は木なのである。人間からすれば、その光景は脅威以外のなにものでもない。
「なんてこと……!」
アリーシェは光り輝く防御用の『魔術』を前面に展開し、飛来する木々から自分の身を守っていた。
端でも当たってしまえば重傷は免れられないだろう。
彼女はその衝撃に耐えながら、他の皆の無事を祈った。
その『ボス』の行動に動揺するリフィク・セントランであったが、なんとか恐怖心を抑え込み、『魔術』の力を集中させることに専念した。
彼こそが、アリーシェが立てたこの作戦の鍵を握っている。
他の皆が分散し敵の目を引きつけているあいだに、リフィクが全力を込めた『魔術』で攻撃をするという手はずになっているのだ。
そのために、懸命に力を溜めているところなのである。
その時。そんな彼を狙うように、一本の木がうなりを上げて飛んできた。
細い幹ではあったが、長さがある。軌道は直撃コース。勢いもあいまり、当たったらひとたまりもないだろう。
しかしこういう時こそ、そばに控えていた彼の出番なのである。
リフィクの前方に、大斧を構えたゼーテン・ラドニスが躍り出た。
もともとは敵に気付かれた時に、リフィクを守る役目を請け負っていた彼である。まさか飛んでくる木から守る羽目になるとは思ってもみなかったろう。
ラドニスは武器を振り上げ、高速で飛来する木の側面を、なでるように叩きつけた。
絶妙のタイミングで加わった衝撃に、木の軌道がわずかにズレる。
木はまるでリフィクを避けるように地面に落ち、周囲の木々を巻き込みながら、大量の土と砂ぼこりを巻き上げた。
『ボス』が木々をなぎ払っているあいだは人間たちも攻撃してこないだろうと、肩に乗る手下『モンスター』は少し息をついていた。
首を回し、山頂――自分たちの住みか――に視線を向ける。
小賢しい人間たちの突然の襲撃によって、倒された多くの仲間があそこにいる。まだ息のある者が残っているのなら、治癒をして戦力に戻したいところではあるが……この人間たちの狡猾さは油断ならない。
それに『ボス』さえいれば、手こずりこそすれ、負けることなどありはしないのだ。
なにも焦る必要はない。
手下は意識を周囲に戻し、目を凝らした。
そろそろ慌てた人間たちが飛び出してくる頃だろうか。
その『モンスター』の考えは、半分ほど当たっていた。
当たっていないのは、慌てたという部分である。
「ムチャクチャやりやがって!」
エリスとザットのふたりは、猛然とその台風の目へと直進していた。
近くに木や岩が降ってこようがお構いなしである。
もっともザットは、脅威をものともせず疾走するエリスについていきながら、内心ひそかに戦々恐々としているのだが。
巨大な『モンスター』は木をなぎ払うため、ごく低空にまで下りてきている。それはすなわち、攻撃のチャンスでもあるということだ。
また上空へ昇られる前に、とことん攻めるしかない。
とはいえ、空中は空中だ。ちゃんとした『魔術』も弓矢も持たないエリスでは、攻撃したところでせいぜい足ぐらいにしか届かない。
まず攻撃を届かせる必要がある。そしてなにより、狙うべきはあの『治癒術』を多用するうっとうしい奴なのだ。
肩まではいかなくてはならない。
先ほどはそれに失敗して吹き飛ばされてしまったが、今は相手の意識も他へと向いているはずだ。
そういう意味でも好機なのである。
「ザーットっ!」
『ボス』の背後ほぼ至近距離にまで迫ったところで、エリスが後ろを呼んだ。
「あいさ!」
その声に応えて、ザットは足を止める。
エリスは数歩ほど走ってからターンをし、そのザットめがけて再び走り出した。
まるで体当たりでもするように、彼に飛びかかる。
ザットはしなやかに体をひねり、飛びかかってくるエリスの腕をつかんだかと思うと、その勢いを殺すことなく回転し出した。
「でぇぇぇぇいっ!」
そしてその遠心力は上乗せして、彼女を『ボス』めがけて投げ飛ばす。
小石のように軽やかに飛んだエリスは、ゆうに『ボス』の背中の位置にまで到達した。
アクロバティックに姿勢を制御すると、ぶつかるように背中へとへばりつく。
そしてそのゴツゴツと隆起した肌を、ロッククライミングさながら、猛烈な勢いで駆け登っていった。
『ボス』の肩に乗っていた『モンスター』が、驚愕の顔で彼女を見た。
両者の目が合う。
『モンスター』がなにかを叫んだ、その瞬間。彼の横っつらに、矢が鋭く命中した。
苦痛の声が上がる。
それに気付いた『ボス』が、自分の肩口に視線を向ける。その時にはすでに、手下『モンスター』の足もとにエリスの左手がかかっていた。
彼女は素早くもう片方の手で、腰元のサヤから愛剣を引き抜く。
「オーバーフレアぁっ!」
ライトグリーンの切っ先から伸びた炎の刃が、手下『モンスター』の胸部を深々と貫いた。