第三章(14)
「これで全部ですか?」
宿屋へ戻って荷物をまとめていたレクトである。
玄関先につながれている馬には、すでに武具やテントなどが載せられていた。
「我々の分はな」
ラドニスが、皮の袋を地面に置いてひと息つく。
男性陣の荷物はまとめ終わっている。さすがに女性陣の荷物となると手伝いにくいので、そちらはパルヴィーひとりに一任した。
彼女が作業を済ましエリスたちが戻ってくれば、すぐにでも旅立てる。ザットのことがバレるかもしれない可能性を考えると、なるべく早く町を出たい心境であった。
レクトもひと息つき、町の通りをぼんやりと眺める。
行き交う人々の中には、まだ目当ての連中の姿は見つけられなかった。
「納得していないか?」
ふとラドニスが、独語するように口を開く。
振り向くレクト。ラドニスは馬のたてがみをなでていたが、声はたしかにレクトへと向けられていた。
「ザット・ラッドのことは」
レクトは言葉の意味を理解する。
「……納得していると言うと、ウソになります」
胸の中にしまっておこうと思っていたが、ふたりだけという状況のせいか、つい本音が口から出た。もしくはラドニスのことを信用しているからか。
「彼の腕前は認めます。戦力が増えるのも喜ばしい。しかしやはり……悪人は悪人です。過去形だったとしても」
正義感の強いレクトには、どうにもそこの折り合いがつかないのだ。頭で納得しようとしても、心がそれを受け入れない。
清濁を併せ呑むには、彼はまだ若すぎるということなのだろうか。
「到底、信用することはできません」
「ならば、私もか?」
ラドニスの言葉に、レクトは疑問符を浮かべる。
ラドニスは振り返り、レクトの顔を見た。
「若い頃、盗賊をしていた」
「……ウソでしょう?」
質実剛健といった雰囲気の彼からは、想像もできない過去である。
「ちょうど昨日の連中ほどの仲間がいた。家族もいた。だがある日、それらすべてを『モンスター』に奪われた」
ラドニスは淡々とした口調で言葉を続ける。
「そして私は、銀影騎士団に参加した」
抑揚のない声が、逆に説得力を高めていた。
レクトは戸惑う。真実、なのだろうか。
「その私も、ザット・ラッド同様、信用に足らないか?」
「それは……」
言葉に詰まる。
ラドニスのことは、年長者ということもその腕前のこともあり、知らず知らずのうちに頼りにしていた部分は大きい。
その頼りに思っていた気持ちは、彼の過去を知り、今この瞬間に消え失せてしまったのだろうか? どこまでいっても悪人は悪人だという理屈に則って?
「……わかりません」
それがレクトの正直な気持ちだった。
しかしそれが答えでもある。人間とは多面的なのだ。一面的に評価できるものではない。
「結論は急がなくていい」
ラドニスは穏やかに言いながら、再び体を馬へと向けた。
「重要なことは、我々の敵は『モンスター』だということだ。人間同士で摩擦を生じさせていても仕方あるまい。我々は、力を合わせて初めて奴らに対抗できるのだから」
それが真理なのかもしれない。人間と『モンスター』という種族の違いからすれば、人間の過去の経歴などささいな問題である。
大事の前の小事、だ。
「それまでの考え方を変えるのは難しいことだが、不可能なことではない。戦うことを決意した、あの男のように」
「……」
レクトは考え込むように黙ったまま、町並みへと視線を戻す。
宿屋から大量の荷物を引きずったパルヴィーが出てきたのは、そんな時だった。
「あの姉御、それはそろそろしまったほうが……」
ザットが、恐縮した口調で忠告する。
合流先の宿屋へ向かうため、通りを歩いている四人である。
エリスは手に入れたばかりのライトグリーンの剣を、抜き身のまま、ずっと手に持ち眺めていた。
周りを行く人々からの視線が痛い。意味もなく真剣を抜いているのだから、暖かい目で見られることはないだろうが。
しかしそんなことはまったく気にしないエリスである。よほど嬉しいのか、飽きる様子もなく舐めまわすように熟視していた。
これが宝石やアクセサリーならば女の子らしいとも思えるところだが、剣というあたり、やはり彼女に普通という言葉は似合わない。
「『ブレード・マリア』……これが本当に『魔導鉱石』の塊だというのなら、あの技を使う時は細心の注意が必要ね」
アリーシェが、真剣な眼差しをエリスへ向ける。
「『魔術』の力が増幅されるということは、そのぶん体力の消耗も激しくなる。力加減を誤れば、一発放っただけでダウンしてしまうということもありうるわ」
「うーん……名前がイマイチだな」
が、エリスは聞いていなかった。
「そもそも誰だよ、マリアって」
誰もなにも、そういう剣の名前だろう。
アリーシェは苦笑いをこぼす。
「よーし、決めた。こいつは今から『エーツェルソード』だっ!」
エリスは宣言しながら、高らかに剣を振りかざした。
近くを歩いていた親子がなんとなく早足になる。
「そんな安易な……」
リフィクが、ストレートな感想を呟いた。
安易を通り越して、そのまんまである。発想レベルが子供並だ。
「……とにかく、これで差し当たっての問題は解決したわけね」
アリーシェは、ため息まじりに話題を変えた。
「あなたたちが山で出くわした『モンスター』というのが気がかりだけれど……『コープメンバー』の情報にはなかったのよね」
「この周辺に住んでいる種族ではないということですか?」
リフィクが質問する。
「そうなるわね。この町へやってくる可能性もある以上、住みかの場所さえわかれば叩いておきたいところなんだけど……」
「それなら、心当たりがある」
と告げたのは、ザットだった。
アリーシェとリフィクは「え?」と思わず立ち止まり、彼の顔を見る。
しかしエリスは止まらなかった。聞いているいない以前に、ちゃんと前を見ているかも怪しい。
「オレ自身、けじめをつけときたい奴らなんだ」
ザットは強い視線で、ふたりの瞳を見返した。
◆
エリスとレクトとリフィク。アリーシェとラドニスとパルヴィー。馬。そしてそれにザットを加えた七人組は、深い山の中を進んでいた。
先導するのはザット。道らしい道などないようにも思えるが、彼は迷わず歩いていく。
目指す先は、彼ら一味が以前アジトにしていたところだという。
「ちょっと前だ。奴らがアジトにやってきたのは」
例の『モンスター』に心当たりがあると言ったあと、彼はそう続けていた。
「当然、敵うわけもねぇ。オレたちは逃げたが、その途中で『おかしら』も、大勢の仲間も、奴らに殺されたんだ。住みかも奪われた。だからオレたちは、残った仲間を集めてこの町の近くにやってきたんだ」
山中で出くわした三体の『モンスター』と、そのアジトを襲撃した者たちとは同じ種族だったという。
因縁深い相手だ。
「頼もうと思ってたんだ。一緒に戦ってくれって。……戦うと決めた以上、やっぱりあいつらをそのまんまにしておくわけにはいかねぇからな」
今は奴らがそのアジトに住み着いているそうだ。場所は無論、わかっている。
「ならば、そこへ向かいましょう」
アリーシェが、よどみなくそう応じた。
「『モンスター』が存在している。それ以上の理由はいらないわ」
「あそこだ」
ザットは切り立った崖に立ち、眼下のアジトを指差した。
滝つぼにほど近い川沿いに、石造りの長方形な建造物がいくつも並んでいる。小さな村にも見えるが、よく見ると、それらはすべてつながっていた。
ひとつの建造物がいくつも枝分かれして、それが形作られているのだ。
外観はかなり古い。風化しているところからも、なにかの遺跡と思われる。
いざそれを前にすると、ザットの心にある傷跡がうずき始めた。
在りし日の日常。敗走の記憶。亡き仲間たちの顔。当時の情景が鮮明なまでによみがえってくる。
「ホントにあそこにいんのか?」
エリスがザットに並ぶようにして、そのアジトを見下ろした。
わざわざ崖上へと回り込んだのは、様子見と奇襲のためだ。ちなみに馬は安全な場所で待たせてある。
あそこにいないとなると、この行動も単なる徒労に終わってしまうが。
遺跡のようなアジトは、しんとした静寂を保っていた。外に『モンスター』の姿は見えない。
「一度戻った時には、完全に住み着かれてましたから。いるはずですが……」
ザットは確認するように、まじまじと眼下を眺める。
「たしかに、いるようだ」
と硬い声を発したのは、ラドニスだった。
しかし彼は、崖下ではなく正反対の方向へと顔を向けていた。すなわち自分たちの後方。
「先手を取られた……!」
言葉が終わるかどうかというところで、振り向いた皆の目にもそれが映った。
木々のあいだを抜けて疾風のようにやってくる、黒い波。
「……!?」
エリスたちは逃げる暇もなく、あっというまに、『その者ら』に半円状に包囲されてしまった。
黒い体毛をたなびかせた、狼を思わせる『モンスター』たち。その数ざっと二十強。少なく見てもこちらの三倍はいることになる。
奇襲を仕掛けるはずが、逆に奇襲を受けてしまったということだ。
周囲の空気が一瞬にして張り詰める。
「奴らだ……!」
ザットが絞り出すように独語した。たしかに、先日の『モンスター』と同種のようだ。
もともと戦闘態勢であったため戦う準備はできていたが、心の準備ができているかというと、そうではなかった。この虚を突いた包囲で崩されてしまっている。
奴らの中央に立つように、一際大きな『モンスター』が歩み出た。
ボス格であると、その雰囲気が物語っている。
「答えろ」
その『ボス』が、エリスたちを睥睨しながら口を開いた。
「貴様らから、かすかに我が同胞たちの匂いがする」
「はー。何日か前だってのに、よくわかるもんだな」
まったくひるみもしないエリスが受け答える。
「けどな、人の匂いをくんくんと嗅ぎ立てんのは礼儀知らずってもんだろうが」
彼女に礼儀を語る資格があるのかはさておき。
その異常なまでの嗅覚をもってすれば、彼女らの接近を察知しなおかつ待ち伏せをすることも、なるほど容易かったであろう。
奇襲攻撃は最初から奴らに分があったということだ。
「……その同胞たちが、まだ戻っていない」
エリスの挑発じみた答えにも乗らず、『ボス』は言葉を続けた。
「貴様らの知っていることを話せ」
「知ってるもなにも」
エリスは得意そうな表情で、『エーツェルソード』の切っ先を奴へと向けた。
「そいつらなら倒したよ。あたしらが!」
『モンスター』たちのあいだに、ざわりとしたさざ波が立つ。
『ボス』はその答えで納得したのか、もしくは最初から期待をしていなかったのか、そこで問答を打ち切った。
「やれ」
わかりやすく命ずる。
周囲の『モンスター』たちが、じわりじわりと包囲網を狭めてきた。
彼らにしてみれば、これは戦いではないのだろう。自分たちより数の少ない人間を、取り囲んで、崖っぷちまで追い込んでいるのだ。
狩りと呼ぶのもわずらわしいほど一方的な状況である。
勝機があるとしたら、そんな部分を逆手に取る形になるのだろうか。
「パターンだけど」
アリーシェが、小声で素早くささやきかける。
「『ボス』だけを狙って、一気に突撃するわよ。全員で、一斉に。ひと息で仕留められなかった場合は覚悟を決めなきゃならないわ」
つとめて冷静な口調だが、あまりにも強引な作戦だ。とはいえ退路がない上に時間もない以上、そんなものでも上策といったところだろうか。
「だけどもし、この包囲を突破することができたら、今度は彼らが崖を背にすることになる」
崖の高さは中々のものだ。『モンスター』といえど、落ちたらタダでは済むまい。
形勢逆転とまではいかずとも、足場的には優位に立てる。勝算も増えるということだ。
『モンスター』たちの、眼光と凶器が光る。いつ飛びかかってきてもおかしくない。
一瞬の差が生死を決する瀬戸際。
「……仇を討つ」
ザットは強く、拳を握った。
「オレの道を、切り開く!」