第三章(11)
すっかり夜のとばりが下りた『シルパリーサ』の町並みを、六人の男女が歩いていた。
友達同士にも、仕事仲間にも、家族にも見えない、バラバラな年齢構成である。
「そう……『モンスター』が」
仲間からの報告を聞き、アリーシェが小さく眉を上げた。
「大事がなくてよかったわ」
「まぁあたしがいたからな」
当然のごとくと言わんばかりに、エリスが薄い胸を張る。
「そうだったわね」
これを笑って受け流すあたり、アリーシェも彼女の扱い方に慣れてきたということだろうか。
実際はエリスのせいで、別のことが大事になりかけてはいたのだが。
「そっちは大丈夫だったんですか? ひとりで」
とパルヴィーが訊ねると、
「ええ、なにも問題なく。大人しいものだったわ」
アリーシェは、なにやら含みのある微笑みを浮かべてみせた。
エリスたちが町へ戻ったのは、すでに夕焼けも消えかけた頃だった。行方不明だというザット・ラッドの仲間を捜索し……その遺体を埋葬していたら、そんな時刻になってしまったのだ。
ザットたちは特に抵抗もせず、大人しく町までついてきた。そして全員そろって役場へ引き渡し、無事にその報酬を得ることもできた。
一件落着である。
そして今は一日の疲れを癒やすため、皆で大衆浴場へと向かっている途中だった。
「……似ていたな」
ぽつり、とレクトがささやく。
「……そうだな」
隣に並ぶエリスが、めずらしくしんみりとした様子で答えた。
「なにがなにが?」
そこへ、パルヴィーが首を突っ込む。
「なんでもねーよ」とあしらうエリスとは反対に、
「山で出くわした『モンスター』のことだよ」
と、レクトはやさしく説明した。
「故郷の近くにいた奴らに似た外見だったんだ」
「ふーん……」
うなずくパルヴィーだが、心中はあまり穏やかではなかった。自分は知らないふたりだけの共通事項に、なんともモヤモヤしているのである。
もっともふたりだけではなくリフィクも知っていることではあるのだが、それはこの際どうでもよかった。
「似てるといえば、あれですね」
そのリフィクが、笑みを浮かべながら会話に加わる。
「あの山賊の人たち、自警団の皆さんになんとなく似てましたよね」
エリスやレクトが属していた『フィアネイラ自警団』を最初に見た時、リフィクは山賊っぽいという印象を受けた。どこがというわけでもなかったが、発する雰囲気がそれっぽかったのである。
そして日中、本物の山賊に出くわした時から、ぼんやりと彼らのことを思い出していたのだった。
「そうか?」
「そうですか?」
だがその感覚は、当のふたりにはあっさりと否定されてしまう。
「なんのことー?」
またしても自分の知らない話題に、口を尖らせるパルヴィーだった。
役場の地下には、牢屋が三つ並んでいる。この『シルパリーサ』は犯罪が極端に少ないため、その牢が使われることはほとんどなかった。
せいぜいケンカを起こした者たちを、一晩二晩、入れておくくらいの役割しか持っていなかったのである。
もし牢屋に意志があるなら、今の自分の状態にひどく驚いていることだろう。
安穏としていた普段と打って変わって、大勢の人間が所狭しとひしめきあっているのだから。
捕縛された、ザット・ラッドの一味である。
最初に捕まった十五人に、あとから来た十八人。計三十三人ものむさ苦しい男たちが、牢の中でスシ詰め状態となっていた。
交代の時間なのか休憩なのか、不用心なことに見張りの姿はない。彼らの処遇決めや罪状確認などすべてが明日に先送りされてしまったところからもすると、町の人間もどう扱っていいのか戸惑っているのではなかろうか。
いざ捕まえてみたはいいものの、である。
「サミュエルの奴……ひとりで逝っちまいやがって」
奥の牢では、先立った仲間のことを、皆が口々に悼んでいた。空気がどんよりとしているのは、地下だからというだけではあるまい。
入り口に近い牢の中でも、やはり同じ話題が交わされていた。しかしこちらは、少々方向性の違うやり取りである。
「あいつら……案外良い奴らだったな」
自分たちを捕らえた、あの部外者たちのことだ。
「サミュエル捜すの手伝ってくれたし、一緒に葬ってもくれたしな」
「オレらを殺そうともしなかった。町の奴らとは、ちょっと違うぜ」
そして、中央の牢では。
「どうだ? ソニエール」
鉄格子の出入り口に張りついていた小柄な男、ソニエールが、仲間へ向けてオッケーサインを見せつけた。
声を押し殺した歓声が、一瞬だけ上がる。
このソニエールという男、実は鍵開けの達人なのである。ちょっとやそっとの鍵など、彼の前ではかかっていないに等しい。
特に道具も必要とせず細長く伸ばした爪だけで開錠してしまう技術は、聞いたところでマネできない、まさに達人級の業である。
その彼が、オッケーの合図をした。開いた、と。
彼らがさほど抵抗もなく捕まったのは、彼の存在があったのが大きいのかもしれない。投獄されたとしても、抜けるのは易いのだ。
「アニキ、いけるそうです」
暑苦しいヒゲ面のダドリーが、『頭』へ指示を仰いだ。いくぞというひとことがあれば、皆すぐにでも動き出す。こんな薄暗いところとは、とっととおさらばだ。
しかし肝心のザットは、一点を見つめたまま、なにやらぼんやりと黙り込んでいた。
「アニキ……?」
ダドリーが再度呼ぶが、返事はない。
しばらくしてからようやく、ザットがその重たい口を開いた。
「なぁ、お前ら」
次のひとことが、彼らを戸惑いの坩堝へと叩き落とす。
「『モンスター』と戦わねぇか?」
あの少女が『モンスター』を打破した光景は、ザットの脳裏を突き抜ける勢いで網膜を貫いた。
その鮮烈な光が、彼の心にくすぶっていたものを照らし出したのである。
「……オレは、今まで、自分をだましてた。お前らといるのは楽しかったし、人から物を奪って騒ぐのも、楽しかった。そういうのを自由だと思ってたんだ」
ザットは一語一語を置くように、言い募る。周りの仲間たちは、なにやら不安じみた表情で、それを聞いていた。
「けどそれは、ただウサを晴らしてただけなんだよ。『奴ら』に対する恐怖を直視したくなくて、頭の隅に追いやって……自分たちより弱い奴をいたぶって、ウサを晴らしてた。逃げてただけだ。それを自由だと思いたかっただけで……」
牢の中に、ほんの小さなうめき声が響いた。口にはしてこなかったが、彼らにも思い当たる節があったのだろうか。
「あいつらを見て気付いた。そして、教えられた。オレたちにも、『奴ら』に対抗することができるってことに。倒せるんだよ、『奴ら』は!」
熱が徐々に高まっていき、ザットは立ち上がった。「だから」と、皆を見回す。
「オレは決めた。戦う。戦って、真に自由に生きられる道を、この手でつかみ取ってやる」
自分のためはもとより、こうして共にいてくれる仲間のために。口にはしないが、ザットの心を燃やす最大のたきぎが、その感情だった。
「お前たちも一緒に戦ってくれると、心強い」
ザットは改めて、皆の顔を見回す。
賛同の色は、まったく見受けられなかった。
「……正気ですかい……?」
「いくらアニキの言うことでも、そりゃぁ……ちょっと」
「アニキくらい強けりゃ別かもしれねぇすけど、オレたちに、そんな力はねぇですよ」
「や、やめましょうや、そんなバカげたことは」
この反応は、ザットもある程度覚悟していた。『モンスター』に立ち向かうなど狂気の沙汰……少し前なら、ザット自身もそう思ってたいたからだ。
「オレだって、楽に戦えると思ってるわけじゃねぇ。……強制はしねぇよ」
わかっていながらも寂しげに、ザットは告げる。
「自分たちの意志でついてきてくれ」
薄暗い地下牢に、沈黙が落ちた。
恐らく声が聞こえているであろう両隣の牢からも、反応はなかった。
「……考え直しましょうぜ、アニキ」
ひとりの男が、説得を試みる。
「勇気と無謀は違いますぜ」
「だが無謀をやるのにも勇気は要る」
と落ち着いた声で言ったのは、ダドリーだった。
「オレたちとアニキとじゃ、勇気を使う場所が違うんだ。だからオレたちは、ザット・ラッドという男を信じて、オレたちなりに勇気を使えばいい」
周りの仲間に言い聞かせたあと、彼はザットへ視線を向ける。
「行ってくだせぇ、アニキ。アニキの目の前にある道は、オレたちにとっては険しすぎる。共には行けませんが、ここに残ることはできます」
「残る……?」
という言い回しに、ザットは眉根を寄せた。
鍵は開けられるのだ。『モンスター』とは戦わないにせよ、一緒に逃げ出せばいいはずである。
ダドリーは笑った。
「この人数がいりゃぁ、ひとりくらい減ったってわかりゃしないでしょう」
ザットはそれを聞き、ハッと言葉の意味に気付いた。他の仲間たちからも、「あ……」という声がもれる。
「せっかくの『勇者』が、お尋ね者ってんじゃかっこつかねぇですぜ」
なんにせよ、ザットは脱獄をする。罪人のままだ。だが、それを気付かれなければ……はじめからいなかったことにすれば、少なくとも、罪人として追われることはなくなる。
ダドリーはそれを、自分たちの身を挺してやろうというのだ。ひとりの脱獄をカモフラージュするために、全員でこの場に留まると。
さっきとは打って変わって、賛同者が次々と現れた。共に戦う代わりに、彼のためになることならなんでもしてやりたいという気持ちはあったのだろう。
「お前ら……わかってるのか?」
だがザットは逆に、気遣わしげに問いかけた。
我ながらではあるが、自分たちがやってきたことは、かなりあくどい。その罰ともなれば、極刑……死刑ということも充分ありえる。
なのに残るというのか?
「『モンスター』と戦うのなんて、命をかけなきゃできねぇ。兄貴分が命を張るってんなら、子分も張るのが筋ってもんでしょ」
ダドリーが誇らしげに言い切る。周囲からの異論はなかった。両隣の牢からも、逆に賛同の声が湧き上がる。
そしてそれは、やがてザットを鼓舞する言葉へと変わっていった。
「オレたちわかってましたから。アニキは、こんなところで収まるような人間じゃないってことに。今までもったいなかったんですよ」
「調子のいいことを、言いやがって。この」
ザットは胸を熱くして、歯を見せた。
「『あいつら』のところへ行くんでしょう?」
と、ジュナスが言った。ザットはうなずく。
「アニキならやれます。オレ信じてます」
「さぁ、ザットアニキ。見張りがいないあいだに」
ソニエールが、鉄格子のドアを引き開けた。キィという甲高い音が、石壁に響く。
ザットは牢の外を見た。
この先にはイバラの道が伸びている。戦いの道だ。見いだすことができる人間は限られている、とても険しい道。
進むのならば、かけがえのない仲間たちと別れなければならない。最後まで進めるのかもわからない。
だがそれでも、進む価値がある道であることを、ザット・ラッドは感じていた。
自信があるわけじゃない。勝算があるわけでもない。ただひとえに、『モンスター』に恐怖する毎日はもう終わりにしたいのだ。
終わらせてやりたい。
「……お前たちの覚悟は借り受けた」
ザットは狭い出入り口をくぐり抜け、牢屋の外へと踏み出した。
「いつか、かならず生きて返しにくる」
三つ並んだ牢をまじまじと眺める。鉄格子越しに、見慣れた者らの誇らしげな顔がずらりと並んでいた。
「だから、お前たちも生きて受け取れ」
彼と彼らを隔てるドアを、ソニエールがゆっくりと閉じた。再び、キィという音が反響する。
「また会うぞ!」
ザット・ラッドは、目の前に伸びた道を走り出した。