第三章(10)
散開して『狩り』を始めた『モンスター』が、風のように緑のあいだを駆け抜けていた。
彼らの聴覚は、かなり広範囲に渡る空間の音を、漏らすことなく聞き取っている。そこから人間の発する音だけを抽出し、位置を絞り込むのだ。鼻が利けばさらに正確さが増すのだが、人間を相手にするぶんには充分だろう。
「近い!」
『モンスター』の一体が、走りながらほくそ笑む。他の者より先に、自分が獲物にありついたのだ。
人間の数は恐らく五つ。固まって一方向へ走っている。
感じ取ったのも束の間、すぐにそいつらの姿が見えてきた。
「一歩リードさせてもらうぜ」
そこにはいない仲間へ優越感を誇示しながら、彼は獲物めがけて足を速めた。
――その彼の気配が、消失する。
「グンドラム……?」
それを感じ取り、一体の『モンスター』が走る足を止めた。
獲物にいち早く飛びついたはずのグンドラムの、『音』が消えたのだ。どういうことだ?
だが彼が襲いかかったはずの人間たちの気配は、まだそこにある。彼だけ感じ取ることができないのだ。
「どうなっている……?」
何が起きた?
「バルトロ?」
もうひとりの仲間もその異変に気付いたのか、気配が消えた場所へと方向転換したのが伝わってきた。距離的には奴のほうが近いか。
「なにもなければいいが……」
念のためという思いで、彼もそこから踵を返した。
「アニキっ!」
林間をひた走るザットは、後方から自分を呼ぶ声を聞き、振り返った。
「ジュナス!? なんでついてきやがった!」
「ダドリーのアニキに言われて……それにオレも心配で!」
「……あいつめ」
ザットは、顔に似合わず世話焼きな仲間へ小さく舌を打った。
「しょうがねぇ、ついてこい!」
今ひとりで戻らすのも心配だ。ならば自分と一緒にいたほうが、まだいくらか安心である。
返事をするジュナスを引き連れて、ザットは再び駆け出した。
動物たちも本能的に危険を察知したのか、鳥のさえずりが先ほどからピタリと聞こえなくなっている。
ふたりは網の目のように並ぶ木々を軽やかに避けながら、疾走する。
「どこに行こうってんです?」
「あいつらの様子を見に行く」
「あいつら……」
という言葉だけど、どうやらジュナスには伝わったようだった。あの五人、と。
やがて木々のあいだに、彼らの姿を見つけることができた。
「いたっ……!」
近付くにつれ彼らの様子がはっきりわかってくる。彼らは、戦闘の真っ最中であった。
相手は一体の『モンスター』。狼に似た種族の奴だ。
「本当に戦っていやがった……!」
ザットはほどほどの距離で立ち止まり、食い入るようにその戦いを見た。
自分と戦った女と大男が前衛となり、あとの三人が弓矢や『魔術』で後衛をつとめている。『モンスター』の動きは素早いが、彼らが苦戦している様子は感じられなかった。
むしろ逆。圧倒していると言ってもいい。
「アニキ、あそこ!」
隣に立つジュナスが、なにかに気付いて指を差した。彼らから少し離れたところの地面。その先を見て、ザットも大きく目を見開いた。
今対峙しているのと同種の『モンスター』の死体が、ひとつそこに転がっていたのだ。
「……!」
ザットは言葉を失う。すでに一体、倒したあと? あれは二体目だというのか……?
「やった!」
ジュナスがガッツポーズを決めるが、ザットは呆けたように無反応だった。
大男の大斧が、『モンスター』の背中をバッサリと斬り裂いたのだ。おびただしい量の紫の血が、周囲に飛散する。
かろうじて持ちこたえていた『モンスター』だったが、やがて力を失い、その場にドサリと倒れ込んだ。
決着、である。
「すげぇ、ホントに倒しやがった!」
ジュナスが、まるで自分のことのように喜ぶ。
ザットも内心ではそう叫びたい気持ちだった。だが心の中でくすぶるなにかが、その気持ちを強く押さえつけていた。
自分でもその『くすぶり』の正体がわからずにいる。心に霧がかかってしまったような状態だ。
故に。
背後から迫る巨大な影に、気が付くことができなかった。
「貴様ら、よくもっ……!」
頭上から、低い怒声が降り注ぐ。
「!?」
ザットは振り向くよりも先に、前方へと飛び出していた。ほとんど無意識による反応だったが、それが彼の命運を分ける。
背中越しに聞こえてきたのは、なにかが風を切る音。地面を砕く音。そして、
「ぐわぁぁぁっ!」
ジュナスの叫び声だった。
「ジュっ……!」
振り向いたザットは、目の前に広がる光景に愕然とする。
そびえ立つ狼型の『モンスター』。手に持つは赤く染まったブロードソード。そして奴の足元に、下半身が血まみれとなったジュナスが倒れていた。
「……!」
ザットの体は、まるで石のように硬直していた。
仲間の危機。すぐに助けなくてはならない。そう前進しようとする一方で、もうひとりの自分が手足を押さえつけていた。
行くな。やめろ。死ぬぞ。放って逃げろ。怖いんだろう? あれはお前の敵う生物じゃない。
立ち向かおうとする自分と恐怖する自分。そのふたつがせめぎ合い、ザットの体を縛りつけていた。
だが時間は彼の葛藤など待ちはしない。
仲間をやられた怒りに目をむく『モンスター』は、眼下のジュナスをにらみつけた。まだ息があることに気付き、トドメを刺そうとする。
やめろ! その声さえ出せない自分が、ザットは悔しくてたまらなかった。
ブロードソードが振り上げられる。
その時。
彼の真横を、なにかが素早く通り抜けていった。
ザットはハッと息を呑む。あの女?
『モンスター』へ直進するのは、ザットと戦ったあの少女。彼女の持つショートソードから、激しい火炎が噴き上がった。
「!?」
「オーバーフレアぁっ!」
炎の刃が、『モンスター』を一刀両断する。
火だるまとなった体が地面に倒れ、落ちたブロードソードが、ジュナスのすぐそばに突き刺さった。
「ヒーリングシェア!」
駆けつけたリフィクが、ジュナスへ『治癒術』を施す。やさしい光と共に、脚部の大きな傷口がみるみるふさがっていった。
「ありがてぇ……」
「大丈夫か!? ジュナス」
ザットが気遣わしげに彼の様子をうかがう。ジュナスは「なんとか」と力なく笑ってみせた。
「あなたは、ケガは……?」
彼の治療が終わると、リフィクはザットへと振り向いた。
「いや、オレは平気だ。……恩に着る」
ザットはかぶりを振ったあと、痛み入るように深く頭を下げた。
「これで全部かな?」
と、パルヴィーが小首をかしげる。
三体倒したところで、『モンスター』の来襲はピタリと止まった。まだ他にもいるのなら、出てきてもよさそうなところではある。
「たしか、三体とかって言ってたな。もういないんじゃねぇか?」
エリスが、情報を知らせにきた男の言葉を思い出し、呟く。
「だが警戒する必要はある」
ラドニスは冷静に言い添えながら、リフィクのほうへと視線を向けた。
彼とザットとジュナスの三人が、並んで歩み寄る。ジュナスの下半身は真っ赤に染められていたが、傷自体はもう治っているため、痛みはないようだった。
「とんだジャマが入っちまったけど」
エリスがザットへ言葉を投げる。
「さっさと続きやろうぜ」
それを聞き、彼は小さく吹き出した。そして、意気消沈にうつむく。
「勝負はもうしなくていい」
絞り出すように、心が吐かれる。
「……オレの負けだ」
エリスたちよりなにより、ジュナスが驚いたようだった。
「なっ、なに言ってんだよ!? アニキ」
狼狽して兄貴分の顔を見る。
「そ、そりゃぁ、こいつらは『モンスター』を倒しちまうような奴らだけど……さっきはアニキが勝ってたじゃねぇか!」
「……そんな問題じゃねぇんだよ」
「それに、アニキだってまだ全力だったってわけじゃねぇ」
「ジュナス」
「あの技だって……」
「そんな問題じゃねぇぇぇんだよ!」
ジュナスの言葉を振り払うように、ザットは吠えながら地面を殴りつけた。彼の中の、なにかが爆発したようだ。
「オレらが戦おうともしなかった『モンスター』共に、こいつらは臆せもせず立ち向かってた! その差だ!」
ザットの声からにじみ出るのは、ある種の悔しさ。そして自分に対する憤りの色だった。
「その差が、オレにはデカすぎるんだよっ……!」
「…………」
ジュナスは言葉を失っていた。彼のそんな様子など、見たことがなかったからだ。
ザットは、締めつけられるようにささやいた。
「……すまねぇ」
ザット・ラッド一味のアジトは、山深い洞窟の中に築かれていた。
そこが今や、火事があったかのように慌ただしくなっている。頭の指示通りに、そこから退避する準備を急いでいるのだ。
「ダドリーのアニキ!」
と、洞窟の入り口に立つダドリー・ベイカーのもとへ、若い男が駆けてきた。
「準備、終わりやした。いつでも逃げ出せます!」
「そうか。なら、あとはふたりを待つだけか……」
報告を受け取ったあと、ダドリーはいかめしい顔で洞窟の外へと視線を戻した。
ザットとジュナス。いくら火急とはいえ、彼らを置いていくわけにはいかない。先に『モンスター』たちが現れないことを祈るばかりである。
焦りと緊張が最高潮に達しようかという頃。
「!」
ダドリーの目に、渇望のふたりの姿が飛び込んできた。
共にいる部外者五人を一瞥しつつ、ダドリーはふたりへと駆け寄る。
「すぐに行けます!」
「いや、その必要はなくなった。奴らはたぶんもういねぇ」
やけに落ち着いたザットの返答を聞き、ダドリーは無意識に、部外者たちを再び見た。
「ただ、みんなは集めてくれ。お縄につく準備だ」
だが続けられたその言葉に、驚いて視線を戻す。
「……勝負を?」
あいまいな質問が出てしまったが、それも仕方あるまい。自分の知らないところで、事態がガラッと変わっていたのだから。
「はなっから、勝負にすらなってなかったんだよ」
さわやかと取れるほど快活に、ザットが自嘲する。そして、かしこまって頭を下げた。
「勝手に決めちまって、申し訳ねぇ」
少々面食らったダドリーだったが、一拍置いたあと「いや……」と首を横に振った。
「アニキが決めたことなら、文句はないさ」
ささやかれたのは、年長者らしい柔和な声。そのあと彼は振り返り、
「野郎共、集まれ! アニキが戻ってきた! それから、ずらかるのは中止だ!」
声を張り上げながら、洞窟の中へ戻っていった。
やがて洞窟の入り口の前へ、ずらりと男たちが並ぶことになる。総勢十八人。
皆の視線を一手に集めながら、ザットが威勢良く口を開いた。
「すまねぇみんな! オレはこいつらに負けた! 最初の約束通り、全員大人しくお縄について、町で豚箱に入る!」
口づてに聞いていたのか、衝撃はさほど大きくなかった。
「だがオレは、お前たちを無理強いしたくない! 気に入らない奴は前に出て、オレから『頭』の座を奪い取ってみろ!」
「えー?」
と異を唱えたのは、はたで見ていたパルヴィーだけだった。
男たちは、そんな気などさらさらないとばかりに、口を閉じている。彼らもダドリーと同じ気持ちなのだろうか。
しばしの沈黙を、ザットが破った。
「……わかった。感謝する」
それでこの一件は無事に終わった……かに見えたが。
「あの、アニキ……」
端に立つ男が、おずおずと口を開いた。
「サミュエルの姿が見えねぇんだけど……」
「サミュエル?」
それを言われて、ザットを含む全員が辺りを見回した。たしかに、姿が見えない。
「まさか!」
と声を上げたのは、ザットとエリスのもとへいち早く襲撃の報せを持ってきたあの彼だった。
「オレあいつから聞いたんだ、『モンスター』が来たって。あいつ、他の奴にも知らせてくるって……」
他にも何人かが同じような報告をしたが、それ以上の情報は得られなかった。
「やられちまったんじゃ……」
嫌な予測が声となり、ざわざわと波及する。
ザットは焦るようにエリスたちへと振り返った。
「仲間がひとり戻ってねぇ。捜しにいってもいいか?」
「えーー?」
「まぁ、いいぞ」
パルヴィーとエリスから、正反対の答えが返ってくる。




