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第三章(9)

 

 エリスとザットの戦いは、表面上は互角の様相を呈していた。

 最初の一撃以降は、どちらも直撃は受けていない。

 剣を持ってるぶんだけエリスに攻めの利があるが、腕と足の防具がザットに守りの利を与えている。筋力的にはザットが勝っているが、反射神経はエリスが一枚上手といったところだった。

 今の時点では一進一退を繰り返している。

 だがこのまま局面が進めば、まず間違いなくエリスが劣勢になるだろうとラドニスは分析していた。

 やはり体力の差だ。男と女の絶対的な体格差が、時間が経つほど如実に現れてくる。

 とはいえ大抵の男が相手なら、そうなる前に倒せる実力を彼女は秘めているはずだ。目をつけるべきはザット・ラッド。

 ラドニスは、彼の腕前に高く評価していた。

 エリスの腕のほどは、少し前から始めた稽古で把握している。この戦いでの動きも悪くない。

 なのに勝負がついていないということは、彼の腕前が優れている証だろう。

 抜きん出ている。他の賊たちとは一線も二線をも画している。

 まだ若い彼が年長揃いの男たちの中で頭と認められているのも、この腕っぷしなら頷ける話だ。

「やはり生命線はあの技か」

 ぽつりと呟くラドニス。『オーバーフレア』を取ってしまったら、彼女はただ威勢が良いだけの少女に過ぎない。だからこそ、基礎から地力を鍛える必要があったのだ。

「……負けだな」

 

 

 均衡が崩れたのは突然だった。

「はぁぁっ!」

 ザットが裂帛の気合いと共に、右の拳をうち放つ。

 その一撃が、エリスの手からショートソードを弾き飛ばしたのだ。

 間髪を入れずに、ザットは回し蹴りを繰り出す。それはものの見事にエリスの側頭をとらえ、彼女の体を地面に沈ませた。

 男たちから歓声が上がる。

 ザットは勝ち誇った表情で、のろのろと起き上がる彼女を見下ろしていた。

「女だてらによくやったが、もういいだろう。お前の負けだ」

 きっぱりと勝利宣言をする。しかしエリスは、ちゃんちゃらおかしいと言いたげに口角を持ち上げてみせた。

「まだ途中だろうが。なんでそんなことがわかんだよ」

「オレの蹴りが効いていないはずはない。それにもう武器もない。どうやって戦うつもりだ?」

 ザットでなくとも明白だろう。エリス本人の態度とは裏腹に、立ち姿は押せば倒れてしまいそうなほど消耗しているのだ。

「アホか。あたしが剣を拾いにいきゃぁいいだけの話だろ。なんなら、素手でやってもいい」

 強がりにしか聞こえないセリフに、ザットは小さくため息を吐いた。

「わからねぇなら、わからせてやるしかねぇみたいだな」

 そして彼は両拳を握り、攻撃の構えを取る。

「その体に!」

 トドメを刺すつもりだろう。ダウンさせてしまえば文句なしの勝利である。是非もない。

 エリスは黙って相手をにらみつける。

 ザットは息を吸って攻撃の準備を整える。

 一秒後には拳が繰り出されていたであろう、そんな瞬間。

 その場に、乱入者が飛び込んできた。

 

「アニキーっ!!」

 息せき切らせて、ザットの仲間らしき男が走ってくる。

 彼は勝負のことなどまるで無視して、向かい合うふたりのすぐそばまで駆け寄ってきた。

「アニキ!」

「勝負の最中になに考えてやがるてめぇぇっ!」

 ザットは攻撃の構えを解いて、その手下を激しく叱りつけた。仲間内からもブーイングが上がる。

 しかし彼は、それにも構わず言い募った。

「そんな場合じゃねぇんだよアニキ! 奴らがっ……!」

 彼の様子はただごとではない。それに気付いたザットの脳裏に、瞬時にとある想像が浮かび上がった。

 そしてそれは、現実のものとなる。

「『モンスター』がっ!」

 

 その報せが耳に入り、賊たちのあいだが一気に騒然となった。勝負の興奮とは違う、戸惑いのうずまくどよめきである。

 当然それは、対面のギャラリーにも聞こえていた。

「なんだと……!」

 息を呑むレクト。町の平和な様子に触れていたせいか、完全に油断してしまっていたのだ。動揺が隠せない。

「武器を取れ!」

 アリーシェの代わりとばかりに、ラドニスが鋭く喝を飛ばす。

 その声に頬をひっぱたかれたように、一同は揃って動き始めた。

「わたしのはーっ!?」

 パルヴィーはどこかへ蹴り飛ばされてしまったショートソードを、急いで捜索し始めた。

 

「くそっ! なんで奴らが来やがる……!」

 歯を食いしばって悔しがるザット。

「ヒーリングシェア!」

 その横では、駆けつけたリフィクがエリスへ『治癒術』を施している。

 それが終わるや否や、彼女はリフィクの頭をペチンと叩いた。

「お前もかよっ! 勝負の最中に入ってきやがって!」

「えぇー!?」

 理不尽な暴力に驚きの声を上げるリフィク。

 『モンスター』の出現に傷ついたままではまずいと思い、治療をしにここまで走ってきたのだ。どう考えても自然な流れ。むしろ礼こそ言われても、叱責されるいわれはないはずである。

「なにが勝負だ。そんな場合じゃねぇだろうが」

 そのやり取りが耳に入ったのか、低くぼやくザット。そのあと、戸惑う仲間たちを一喝した。

「落ち着け、お前ら! あわててたって始まんねぇだろ!」

「どっ、どうする? アニキっ……」

「どうもこうもねぇ。みんな集めて、アジトの荷物まとめて逃げる準備だ! 早くしねぇと逃げ切れなくなる!」

「わかった!」

 報せを持ってきた男が、指示を受けて弾かれたように走り出す。

「ちょっと待てぇぇいっ!」

 がその矢先、エリスが彼を呼び止めた。男は思わず転びそうになってしまう。

「なっ、なんだ……?」

「奴らはどこにいんだ?」

 詰め寄りながら訊ねる。

「……俺が聞いたのは、あっちだ。三体くらいいたらしいが……」

 指差された方角を見ながら、エリスはニヤリとほくそ笑んだ。

「よし、行っていいぞ」

 そしてザットに振り返る。

「倒してきたら続きやるからな」

「……なんだと?」

 疑問顔の彼には取り合わず、エリスはさっさと仲間のほうへと走っていってしまった。

 

 エリスを追うべく走り出すリフィク。

 その腕を、ザットがつかみ取った。

「おい待て!」

「ひぃぃっ!」

 まるで少女のようなか細い悲鳴が上がる。びびりすぎだ。

「あの女の言葉、どういう意味だ?」

 そんな情けない反応には構わず、詰め寄るザット。質問の意味が汲み取れなかったのか、リフィクは数秒ほどきょとんとした。

「言葉の通りだと、思いますけど……」

 腕を握る力が、ギリッと強くなる。言葉を聞いてわからないからわざわざ訊ねているのだ、と。リフィクは今度は、その内心を汲み取れた。

「その……『モンスター』を倒しにいって、そのあとでまた、あなたと戦うつもりでおられるのだと……」

 というか訊ねるまでもなく、そうとしか聞こえなかったと思うのだが。

 ザットの手の力がゆるむ。

 リフィクはそのスキを見逃さず、罠から解かれた子鹿のように一目散に走り去った。

「……倒すだと……? 奴らを……?」

 愕然と呟くザットだけが、取り残される。

 

「あったーっ!」

 と歓喜の声を上げながら、パルヴィーが草むらの中から自分のショートソードを拾い上げた。

 だが。

「さんきゅっ」

 やっとの思いで探し出したそれを、エリスが横からかすめ取ってしまった。

 

「返してよー!」

「だからまだ借りてる途中だってー」

 そんなことを言い合いながら、パルヴィーとエリスが追いかけっこをする。危機感のなさは、さすがである。

 そうこうしているうちに、レクト、ラドニス、リフィクが合流するべくやってきた。

 レクトは弓を、ラドニスは大斧を、それぞれ手にしている。

「あっちだってよ」

 エリスが、先ほど聞いた方向を指差す。その背後では、パルヴィーが不満そうに頬をふくらませていた。

「体力は大丈夫か?」

 ラドニスが確認を取る。途中だったとはいえ、一戦していたエリスだ。さすがに万全というわけにはいかないはずである。

「元気印のハナマルよ!」

 言葉の意味はよくわからないが、まぁ大丈夫ということだろうか。

 そうラドニスは受け取り、気を引き締めるべく号令をかけた。

「では行くぞ」

 

    ◆

 

「妙なところだな」

 山林に佇む、三つの巨大な影。その左側に立つ一体が、訝しげに呟いた。

 全身が黒く短い毛に覆われた、狼に似た顔立ち。胴体にはレザーアーマーをつけ、腰にはブロードソードを下げている。

 三体の容姿はほとんど同じであった。

「こう山奥にしては人間の気配が多い。村でもあるのか?」

 三体の足元には、人間の男がひとり、血まみれで倒れていた。外見からするとザットの一味だろう。今しがた、彼らが仕留めたものだ。

「妙といえばこの匂いだろ。なんだこれは?」

「まるで鼻が利かないな。面倒なところに迷い込んじまったもんだ」

 彼らが顔をしかめている原因は、地中から漏れ出る温泉の匂いである。人間からすれば気にならないような匂いでも、それをひどく嫌う種族が存在しているのだ。

 特に嗅覚の優れた彼らからすれば、ことさら不快なはずである。

「鼻が利かないなら条件は同じだな。ゲームでもしないか?」

 向かって右側に立つ『モンスター』が、嬉々としてそんな提案を口にした。

 他の二体は、こんな時に? と難しい顔をする。

「いつもと同じ要領さ。この山の中にいる人間を、誰が一番多く狩れるかってな」

 すると真ん中に立つ『モンスター』が、呆れながら彼の肩を叩いた。

「おいおいなにが条件は同じだよ。この中で一番耳が良いのはてめぇじゃねぇかよ。普段勝てねぇからって、こんな状況で」

「ちっ、バレたか」

「まぁいいさ。鼻の悪いグンドラムにもたまには花を持たせてやろう。それにこんな状況だ、ゲームでもして気を紛らわすのもいい」

 と、左に立つ奴が承諾する。それを聞き、「しょうがねぇな」と真ん中の奴も渋々うなずいた。

 提案者である『モンスター』は、仲間の気が変わらないうちにと、いそいそと開始の合図をするのだった。

「それじゃあ、いくぞ!」

 

    ◆

 

 ザット・ラッドを先頭とした集団が、草木のただなかを疾走している。

 獣道にも近いかすかな道ではあったが、長らく山中で暮らしてきた彼らからすれば充分すぎるくらいの道であった。

 彼らが目指しているのは、自分たちのアジトである。『モンスター』から逃げるため、皆一様に必死で走っているのだ。

 だがザットだけは、他の者たちとは少し違う心境にその身を置いていた。

 どこかうわの空。心ここにあらず。エリスの言葉が、どうしようもなく気になっているのだ。

 『モンスター』といえば、強い者。凶悪な者。そして決して勝てない者だ。ずっと、そう思っていた。

 だが彼女は倒すと言った。そいつらを。簡単なことのように。

 それを聞いた瞬間、ザットの心に深い爪痕が刻みつけられた。それは刻々と痛みを増し、有無を言わさず存在を主張してくる。

 ……倒す? 倒せるのか? しかも、たったあれだけの人数でか? ……無理だ。倒せるはずがない。

 それは予想というよりも、彼の願望に近かった。

 もし倒せてしまったら……自分はどうなるのだ? 勝てないとあきらめ、仇を取ろうともせず、逃げ、隠れ、恐怖していた今までの自分は、どうなってしまうのだ?

 やられた皆にも、『おかしら』にも、いったいどんな顔を向ければいいのだ!?

「…………」

 ザットはいつのまにか歩調を落とし、ゆるやかに立ち止まっていた。

「どうした!? アニキ」

 後方から気遣いの声がかけられる。

「……ダドリー、あとは任せる」

 が、ザットは背中でそれだけ告げたあと。振り向かずに、横道へと走っていってしまった。

「アニキっ!?」

 男たちが口々に呼び止めるが、効果はない。

「ジョナス!」

 後事を任されたダドリーが、ハッとして仲間のひとりを呼びつけた。

「アニキのあとを追ってくれ! 様子がおかしかった」

「わっ、わかりやしたっ……!」

 任を受けたのは、ザットとほど近い年齢の青年。彼は急いで、消えた頭のあとを追いかけた。

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