第三章(8)
場所は変わって、木々が刈り取られた小広い空間。傾斜もほぼないその一画に、いくつもの人影が集まっていた。
一方はエリスたち五人。もう一方は、ザット・ラッドを始めとした野性味あふれる男たちである。
両者が、一定の距離を置いて向かい合っていた。
ザットは毛皮をポンチョのようにかぶり、腰巻きを巻いただけという軽装。武器や防具のたぐいは見えない。背後に控える手下たちは、おおよそ十人くらいはいるだろうか。ちなみにダドリーもすでに縄を解かれてあちらの陣営に加わっている。
「まだけっこう残ってたんですね」
高まる緊張に、リフィクが生唾を飲み込む。
とはいえ先ほど戦った人数よりは少ない。もし総力戦になったとしても、おくれを取るようなことはないはずだ。
「こっちが勝ったら、全員ガン首そろえてお縄につく。二言はねぇな?」
エリスが念を押す。ザットは大きくうなずいてみせた。
「間違いねぇ。その代わりオレが勝ったら、てめぇらが捕らえてる他の奴らを解放してもらう」
「残念だが、今頃はもう町の牢の中だ」
と、レクトが答える。
そう答えるがわかっていたかのように即座に、ザットは言葉を続けた。
「そっから解放してこいっつう話だよ」
つまり脱獄を手伝えということだろうか。そんなことをすれば、まず間違いなくお尋ね者である。『モンスター』と戦っている場合ではなくなってしまう。
とはいえ彼らも自身の行く末がかかっているため、条件としては対等なのかもしれないが。
「いいぞ」
エリスはあっさりと、その条件を飲んでしまった。
「いいの?」
一応確認するパルヴィー。
「負けねーから心配すんな」
エリスは杞憂だと軽く笑い飛ばして、さも当然のように前へと進み出た。その手にはウッドブレードが握られている。
「さっ、始めようぜ」
「……なんだと?」
その様子を見て、ザットは不愉快そうに片眉を上げた。
「まさか、お前がオレの相手をするつもりじゃないだろうな」
「見てわかんねぇか?」
「ふざけるなっ! そこの男を出せ」
ザットは一喝して、ラドニスを指差した。パッと見た感じ一番強そうな彼を指す辺り、腕には相当の自信があるのだろう。
「なんだよ、あたしじゃ不満だってのか!?」
「いきがったところで所詮は女だ。話にもならねぇ」
眼中にないと断言され、エリスの堪忍袋の緒が紙のようにあっさり千切れ飛んだ。
「上等だっ!」
有無を言わさず突撃する。口よりもまず、腕ずくで思い知らせてやろうということだろう。いつもと同じだ。
やれやれと言いたげに、どっしりと待ち構えるザット。
ウッドブレードが振り下ろされる寸前、彼は後方へ跳んだ。そして右の拳を固めて引く。
エリスはまだ剣を振り終わった体勢。スキがある。
そこめがけて踏み込み、ザットは右ストレートをうち放った。
避けられる距離ではない。
しかしエリスは剣を振った勢いを利用して、そのまま足元へでんぐり返った。
「!?」
空を裂く拳。エリスは、彼の狙いの左下にいる。
「ぜやぁぁっ!」
エリスはしゃがんだ体勢から跳ね上がりながら、ウッドブレードをザットのアゴ下へと叩き込んだ。
「ぐっ……!」
うめき声が口から出ていかない。衝撃は一直線に脳を貫き、彼の視界を揺さぶった。
「どうだっ!」
してやったりと、勝ち誇るエリス。今のはかなりの手応えがあった。もし真剣だったなら、一撃で勝負がついていただろう。
「……所詮女と言ったのは、取り消す……」
ザットは頭を押さえながらフラフラと踊る。あれで倒れなかったのは驚嘆すべきところだろう。
「……今ので、オレの油断は消え去った……」
だが、効いているのはたしかだ。もはやまっすぐ立ってもいられなくなっている。
「……ダドリー!」
泥酔したかのように足元がおぼつかないザットが、嘔吐するように手下を呼んだ。
「へい」
エリスたちも顔なじみの、ヒゲ面の男が前に出る。
「オレは殴れっ!」
「へい!」
ダドリーの迷いのない右ストレートが、ザットの顔面にぶちかまされる。痛烈な音を響かせながら、ザットは地面に倒れ込んだ。
「……もうわたしたちの勝ちでいいんじゃない?」
パルヴィーが呟く。
「ダァドォリィィィィッ!!」
それが聞こえたわけでもないだろうが、ザットは叫びながら、飛び立ちそうな勢いで起き上がった。
「面倒をかけたなぁぁっ!」
大仰に礼を言い、ダドリーを下がらせる。立ち上がった彼は、ものの見事に復活していた。
むちゃくちゃな復活方法である。
だが復活どころか、先ほどよりも覇気が増しているようにさえ思えた。
「お前にもだっ! 女!」
ビシッと音が出そうな迫力で、エリスは指差す。
「おうおう、天下のエリス・エーツェルを『女』呼ばわりとは、まだわかってねぇみたいだな」
「なんでもいいっ! 見くびった詫びに、オレの本気を見せてやる。だからお前も、そんなオモチャじゃなくちゃんとしたモンを持て!」
オモチャとは、このウッドブレードのことを指しているのだろうか。ということは、ちゃんとしたものとは真剣のことであろう。
「負けたあとで、武器のせいにされてはたまらんからな」
「するか、そんなこと! けどまぁ、それが望みなら変えてやってもいい。後悔すんなよ」
相手の望み通りのことをした上で勝てば、ただ勝つよりも『勝った感』が増す。なんとなくそんな気がしたので、エリスはそれを快く引き受けた。
双方が、仲間のもとへと踵を返す。
「持ってろ」
エリスはウッドブレードを、それが子分の役目とばかりにリフィクへ投げ渡す。
「借りるぞ」
そしてパルヴィーの腰元から、ひょいっとショートソードを抜き取った。
「ちょっと!」
当然のごとく彼女からは抗議が飛んでくるが、
「借りるくらいいいだろっ」
というひとことだけで済ませてしまった。
「貸してもらえないか?」
そんなエリスの代わりに、レクトが折り目正しく頼み込む。
「……いいけど」
彼に言われてしまったら、パルヴィーとしても断わりにくいようだった。
「ありがとう」
そしてレクトは、エリスに向き直って一応の忠告を口にする。
「あの技は使うなよ」
人間相手に『オーバーフレア』を使えば、致命傷は免れられない。条件が条件とはいえ、殺してしまっては意味がない。
「わかってんよ」
当のエリスからは、本当にわかっているのかどうか怪しい返事が返ってきた。
「意外と軽いんだな、これ」
エリスはショートソードの握り心地へ確かめながら、もとの位置へと舞い戻る。するとザット・ラッドも、本気を出す準備とやらを終えたようだった。
先ほどとは違い、両腕と両足にだけ金属製の防具を装着している。プレートアーマーでいうところの籠手とブーツに似ているだろうか。
ザットは防具で覆われた拳同士をぶつけながら、気迫充分といった感じでエリスに正対する。
「今のオレに油断はない」
「それつけたら、なんか変わるのか?」
「やればわかる」
「じゃあやるか」
エリスはショートソードを、両手で握って正面に構える。普段使っているものよりだいぶ短くて軽いが、使っているうちに慣れるだろうと、相変わらず楽観的であった。
両者構えたまま、一瞬二瞬とにらみ合う。
先に動いたのはエリスだった。地を蹴り疾駆し、真正面から突き進む。
一拍遅れてザットも直進していた。互いに向かったふたりが、その中間点で衝突する。
剣を振り下ろすエリス。右腕を突き出すザット。
だがザットの狙いはエリス本体ではなく、彼女の振る剣に定められていた。
刃に対してななめ方向に拳が入る。ショートソードは腕具の表面を滑り、その軌道を曲げられてしまった。
「!?」
瞬間、息を呑むエリス。まっすぐ振り下ろしたはずの剣は、しかし袈裟斬りの軌道でなにもない空間を斬っている。
至近距離でのこのスキは命取りだ。
すでにザットは左腕を引き絞っている。エリスの無防備な上体めがけて。
そこでエリスは、腕を振った勢いに身を任せて、そのまま前方へと飛び込んだ。先ほど彼へ直撃を与えた時と同じ、あの動きである。
ザットの左拳が、影だけを打つ。
だが彼も先の失態を忘れたわけではない。目はしっかりと、影のその先を捕らえていた。
刹那のインターバル。そこからの第二撃は、どちらも放てば当たるタイミングだ。まさに早いもの勝ちという状況である。
わずかな差で出足を制したのは、エリスのほうだった。
でんぐり返るや否や、体を風見鶏のように回転させ、ショートソードを振り上げる。
それは見事に、ザットの胴体を斬り裂いた…………はずだった。
「……」
エリスは、我ながらにして呆気に取られる。手応えがない。ザットも一瞬、目を見張っていた。
避けられたわけではない。狙いを外したわけでもない。完璧な一撃だった。
だったのだが、ザットの体は、切っ先のわずか向こう側にあった。
剣が短くて、ほんの少しだけ届かなかったのだ!
うっかりすぎるミスである。
「……やっちまった」
呟くエリスの脇腹に、ザットの猛烈な蹴りが打ち込まれた。
「バカだ」
まるで小石のように蹴り飛ばされて地面を転がったエリスを眺め、パルヴィーは心の声をそのまま口にした。
「ねぇバカのせいで、わたしたち悪の手先にならなきゃいけなくなったみたいなんだけど」
そして仲間たちを見やる。
今の蹴りは、間違いなく直撃だったはずだ。事実地面に倒れたまま、エリスは動かない。
沈黙する四人とは対照的に、賊たちはおおいに沸いている様子だった。もう勝負がついたかのような盛況ぶりである。
ザットも同様だった。
「全員相手にしてやってもいいぞ!」
すでにエリスなど眼中になさげに、四人に向かって叫ぶ。
「ああ言ってることだし、ルール変更させてもらおっか?」
と軽口を叩くパルヴィーの横で、レクトが彼へと言い返した。
「油断はないんじゃなかったのか?」
言葉の意図を察したのか、ザットはエリスへ視線を戻す。少し目を離したスキに、彼女は起き上がっていた。
「立つか」
ザットの声には感心のニュアンスが含まれていた。
エリスは口から垂れる血を拭い、剣を構え直す。
「慌てんなよ。これでおあいこだ」
たしかに双方共に、一発ずつ打撃を食らっている。だがどう見ても、エリスのほうがダメージが重そうだった。
「どうやら女といっても、オレの知ってるのとは少し違うみたいだな」
好戦的に笑うザット。そして勝負は再開される。
それぞれ相手の出方を見たからか、今度はどちらも、そうそう直撃を許さなかった。
◆
ザットの手下たちは、全員が全員、ふたりの勝負を観戦しているわけではなかった。
日頃と同じく山中に散らばり、『獲物』が探している者も何人かいる。
「……!?」
そのうちのひとりが、驚いて顔を青ざめさせていた。
見てしまったからだ。
連なる木々の向こう側。しばし距離を隔てたところを歩く、人ならざる者たちの、その姿を。
黒い体毛に長く尖った口元。のぞく牙。鋭い目。三角の耳がピンと立ったその容姿は、どことなく狼を連想させる。
それが三体。
「……『モンスター』……!?」
もらした声は、ため息よりも小さい。
だがまるでそれを聞き取ったかのように、『モンスター』は男と目を合わせた。