第三章(5)
剣専門の武器屋『ブレード・ヴァン』。店主の名前はアルムス・ドローズ。
そしてその『ブレード・ヴァン』を訪れた若い男女の客は、男のほうがハーニス。女のほうがリュシールという。
三人はドローズの自宅で、この町特産のハーブティーを味わいながら、たわいのない話に花を咲かせていた。
ちなみにその八割を喋っているのはハーニスである。残りの二割がドローズ。リュシールはまさかのゼロ割となっている。
ドローズの自宅は、店舗と一体になった造りだ。
建物を真上から見て、左下に店舗。右下に居住区。そして上半分が鍛冶場と倉庫になる。
妻を亡くしてひとりで暮らすようになってからは、もう五年ほど経っただろうか。
ハーブティーが半分ほど減った頃。店舗のほうから、なにやら彼を呼ぶ声が聞こえてきた。
「今日はずいぶん客が多いな」
よっこらせとこぼしながら、ドローズはテーブルから離れる。
「ちょっと待っととくれ」
「お構いなく」
ハーニスたちに短く断わってから、面倒くさそうにダイニングキッチンをあとにした。
残されたハーニスは、優雅な仕草でハーブティーをひと口含む。
そして少々いたずらっぽく、となりに座るリュシールへと微笑みかけた。
「聞き覚えのある声だね」
「おーい! いるんだろじじぃー!」
エリスはカウンターはバシバシと叩きながら、姿の見えない店主を呼び続けていた。
ガラの悪いことこの上ない。店側からすれば、間違いなくもっとも接客したくないタイプの客であろう。
もうほんの少し続けていたらアリーシェかレクトあたりに止められていただろうという、すんでのところで。店の奥からドローズがやって来た。
「なんじゃい。あんたらにはなにも売らんと言ったはずだがな」
最前のエリスの姿を見て、さっそく短いため息を吐く。
「……お?」
しかしそのとなりに立つアリーシェを目にした途端、一転して顔から険悪な雰囲気が抜けていった。
「いつもお世話になっています」
アリーシェと、そしてラドニスがそろって頭を下げる。
「さっきはあのー……失礼つかまつりまして……」
ひと呼吸遅れてパルヴィーも頭を下げた。緊張のせいか言葉遣いが妙なことになっていたが、指摘した者はいなかった。
「たしか……アリーシェ・ステイシー。それとゼーテン・ラドニスだったか」
ドローズは首をひねりながら記憶を掘り起こす。様子を見るに、パルヴィーのことはあまり気にしていなかったのだろう。
あくまでエリスの失言が尾を引いているようである。
「無事に生き残ってるみたいだな。前に会ってから、もう何年経つんだ?」
「四年と記憶しています。そちらもお元気なようで、なによりです」
「じじぃのくせに意外と物覚えいいんだな」
旧知との再会のあいさつを、エリスの正直な感想がぶち壊した。
どうしてそれを胸の中にとどめておけないのか、毎度のことながら小さく頭を抱えるレクトである。
ドローズはカウンターの定位置に座りながら、ふん、と鼻を鳴らした。
「美人の顔ならそうそう忘れねぇさ。お前さんの顔は明日の朝には忘れてるだろうがな」
そしてきっちり言い返す。しかし前に店を訪れた時とは違い、その声には多少の冗談っぽさが含まれているような気がした。
「この、はすっぱな娘もあんたらの身内か? 騎士団の」
「いえ。ですが彼女とこちらのふたりも、共に『モンスター』と戦う同志です」
アリーシェはエリスと、背後に控えるレクトとリフィクを手で指して紹介する。
彼女らを見るドローズの目が、ほんの少しだけ変化した。
諸々のあいさつも済んだところで、エリスが余計なことを言う前に、とアリーシェが用件を切り出す。
「彼女が剣を探しているのですが、そちらの『マスターピース』をとても気に入ったようで」
「あの緑色の剣だ」
「……それを、いくらでお譲りしていただけるのか、ご相談にうかがいました」
ドローズは合点がいったという顔をしてから、軽くあしらうように息を吐いた。
「だから売らんと言ったろうが。あれは売りもんじゃない」
しかしそこで言葉を終わらせず、「だが、まぁ」と二の句を継いだ。
「『モンスター』を斬るってんなら、他の剣なら売ってやる」
まったく売らないの一点張りだった状態からすれば、目覚ましい進歩と言える。
「ボケんなよ、じじぃ」
だがエリスにとっては、その程度の進歩などたいした意味はなかった。
「あの剣以外はいらねーよ。ごちゃごちゃごねてねーで、耳そろえてとっとと売りやがれっ」
耳をそろえるのは売るほうではないのだが。
「いいか、じじぃ。あたしらが倒しに行くのはただの『モンスター』じゃねぇ。奴らの頂点だ」
エリスはカウンターに身を乗り出す勢いで言い募る。
「普通の剣よりてめーの剣を使ったほうが、楽に倒せるだろうがっ!」
まず倒せることが前提なのが恐ろしいところである。
「たぶんだけどな!」
「……『ボス』とかってのか? んなもん大差あるめぇ」
「アホか。そいつらひっくるめた頂点だよ」
「あん?」
ドローズの目が、初めて興味深げに開かれた。半笑いでエリスを見やる。
「おいまさか、『モンスターキング』なんて言う気じゃあるめぇな?」
「仰る通りです」
助け舟を出すように、アリーシェがすかさず口添えた。
「先ほど『コープメンバー』を通して、他の団員にもその旨を伝えて頂くよう頼んできました」
「本気か?」
ドローズは、彼女をにらみつける勢いで見やる。
「冗談では口にできません」
アリーシェはその目を、鋭い眼光をもって見つめ返した。真に迫った意気がにじみ出る。
「……死ぬぞ」
「そうならないために、あなたの『マスターピース』を譲って頂きたいのです。そうすれば百人力。他の剣では力が足りません。……そういうことでしょう?」
アリーシェはこれで援護は終わりと言いたげに、最後にエリスへ微笑を向けた。
「そういうことだ」
エリスはまるで、それが自分の代弁であったかのようにうなずいてみせる。調子の良いことだ。
「…………」
ドローズはムスリと押し黙り、なにかを考え込む。
迷っているのだろう。それはつまり、少なからず賛否の選択肢が生まれたということ。心が揺らいでいるということだ。
アリーシェの言葉がかなり効いているようである。
「……条件がある」
エリスが待ちきれなくなるだろう寸前、ドローズがやおら口を開いた。
「最近、近くの山に賊が住み着いて町のモンが迷惑してる。その連中をひっ捕まえてこい。そうすりゃ、考えてやらんこともない」
「……それって」
と、パルヴィーが呟く。
なんとも都合のいいことに、こちらの目的とうまく合致してしまった。一石二鳥というヤツだ。
「お安い御用だな。捕まえてくりゃいいのか?」
エリスは喜々としてそれを引き受ける。もとより断わる理由などない。
「ああ。説教のひとつもしてやらにゃならんからな。それに人間同士、命の取り合いをすることもあるまいて……」
「待たせたな」
ダイニングに戻ったドローズに、ハーニスは「いいえ」と首を横に振ってみせた。
「どんな用件だったのです?」
「いきなり俺の『マリア』を譲れときた。最近の若いもんは礼儀知らずでいけねぇや」
困ったふうに顔をしかめながら、よっこらせとイスにつくドローズ。カップに残ったハーブティーを一気にあおるが、もう冷めてしまっているだろう。
「あの負けん気が彼女のいいところでもありますが」
苦笑まじりに言ったハーニスに、ドローズは「あ?」と片眉を上げた。
「知り合いみたいな言い方だな」
「何人かとは面識があります」
このダイニングと武器屋店舗は、ドア一枚を隔てた距離にある。先ほどのエリスたちとのやり取りもほとんど筒抜けであった。
「そうかい。ならあの嬢ちゃんに目上に対する口の聞き方を教えてやっといてくれ」
「言って聞くとは思えませんが」
ハーニスは小さく肩をすくめる。
「……して、例の剣。彼女に譲るつもりで?」
「わからんが、やらんだろうな」
ドローズは不明瞭なことを即答して、ティーポットから新たな茶をカップに注いだ。
「あの嬢ちゃんがこっちの嬢ちゃんくらいの腕前なら、まぁ俺も気分良くくれてやるところなんだが」
ぐびりと飲むが、恐らくそれも冷めているだろう。とはいえ冷たくなってもさほど風味が損なわれないのがこのお茶の特徴ではある。
「ただの人間が束になってかかったところで『モンスターキング』になんぞ勝てるわけがねぇ。小娘と一緒に土に帰すにゃぁ、惜しい傑作よ」
「では、なぜあのようなことを?」
山賊を捕らえてくれば考えないこともない、と。
「断わる理由を考える時間が欲しかっただけだ。まぁ困ってんのは事実だからな。一石二鳥ってヤツだよ」
ハーニスは「ふふっ」と声を出して笑った。食えない老人である。
「ですが、それを考える必要はないと思いますよ」
「なぜだ?」
「たしかに腕はまだ未熟ですが、胸に秘めた気概はそうではありません。常人とは一線を画しています。精神は時に肉体を凌駕する……将来性を考慮すると、彼女に渡してみるのも悪い話ではないでしょう」
ハーニスはよどみなく、すらすらとエリスに対する評価を並べていく。ドローズはそっぽを向いて面白くなさそうな顔をした。
「ずいぶんと買ってるじゃねぇか。あのおてんばを」
「個人的な感情で見る目が甘くなっている可能性もありますが」
対照的に、ハーニスは冗談めかして笑う。
「少なくとも、『ただの人間』で片付けるには惜しい少女には違いありません」
なんにせよ高評価であることには変わりない。それがいまいち理解できずに、ドローズはぽりぽりと頭をかいた。
「……そこまで言うならな。連中が戻ってきたら、そこの嬢ちゃんと腕試しするとこ見せてくれよ。それでまた判断し直す」
ドローズはドローズで、リュシールの腕をかなり高く買っているらしい。ただ実際に戦っているところを見たことはなく、使っている剣を見ただけのはずなのだが。
「よろこんで……と言いたいところですが、残念ながらそれはお断わりさせていだたきます」
まさか断わられるとは思っていなかったのか、ドローズはポカンとした表情でハーニスの顔を見た。
ハーニスはカップに少しだけ残っていたお茶を飲み干し、音を立てないよう静かに受け皿に戻す。
「少女らと一緒にいたのは『銀影騎士団』でしょう? ……彼らと顔を合わせるのは、いささか避けたいところなのですよ」
空になった彼のカップへ、リュシールがティーポットをかたむけた。