第三章(3)
「……帰っとくれ」
パルヴィーのひとことを聞き逃さず、店主はまたしても険悪な表情で吐き捨てた。
ふりだしに戻れだ。
他の三人の視線が、パルヴィーに集中する。
「え? えーと……ごめんなさい」
失言の空気を感じ取り、彼女はすぐさま謝った。
なんてことはない行動なのだが、エリスのあとだと非常に素晴らしい偉業に見えてしまう。
「ふん……」
しかし、店主の気分は上向きにはならなかった。恐らく先ほどの怒りもぶり返してきたのだろう。
「いいか、コイツにはな、『魔術』の力に干渉しやすい『魔導鉱石』っつーもんがふんだんに使ってあるんだ」
まるで説教のように、この剣の説明をし始めた。
「術剣技を使おうってんなら、コイツ以上にふさわしい得物はねぇと断言してやる。よその店のひよっこが作ったもんとは格が違うんだよ」
こちらのせいで機嫌を損ねてしまったのだから、黙って聞くしかない。という思いの三人である。
しかしエリスだけは、店主の言葉などろくに聞かず、目の前に置かれた剣をまじまじと眺めていた。
この輝くライトグリーン。どこかで見たことがあると思ったら、あれである。トュループと戦った時にアリーシェから借り受けたブレスレット。あれと同じ色をしているのだ。
あのブレスレットをつけた時。今まで感じたこともないほどの力が、体の底から湧き上がってきた。
もしこの剣に、あれと同じ効果があるとするならば……。
「魔導鉱石ってのはな、アクセサリーみたいなもんに加工するのでも十年、二十年の修行が必要だ。それぐらい取り扱いがむずかしいんだよ。こんなふうに剣の形にして、なおかつ切れ味、重量、見た目、握りとの相性なんかを完璧に兼ね備えられるってのがどういうことかわかるか? えぇ?」
「よし、買った!」
得意げに語る店主をまるっきり無視して、いきなりエリスが大声を上げた。
内心で助かったと思う三人である。彼女の失礼千万な性格も、こういう時はありがたい。
「売らんぞ」
店主は仕方なく講釈を途中で打ち切り、冷ややかに言い捨てた。
「売れよ!」
「……さっきも言ったが、コイツはオレの最高傑作だ」
店主の口調が、怒りを含んだものから真剣そのものといったものへと変化する。
「ただ金を出して売った買ったって話じゃねぇんだよ。魂の問題だ」
そう言い捨てると、店主はそそくさと剣を箱にしまい奥へと引っ込んでしまった。
「あっ……くそっ!」
エリスは恨めしそうな顔でパルヴィーを睨む。
そもそもの原因を作ったのは自分だということは、完全に棚に上げていた。
客が去りひっそりとした『ブレード・ヴァン』店内に、新たな客がやってくる。
若い男女のふたり組。
「おう、お前さん方か」
それを見た店主は先ほどとは打って変わって表情を明るくし、ふたりをほがらかに迎え入れた。
「お久しぶりです」
男性が礼儀よく頭を下げる。しかし後ろに立つ長い黒髪の女性は、まるで背後霊のように佇んでいるだけだった。
「相変わらずだな」
店主はそんな女性を笑い飛ばして、
「おい、『ブレード・ルシッド』を見せてみろ」
相手の用件を聞く前に片手を突き出した。
男性が振り返って女性を見る。それに応えて、女性は自分の腰元に吊った剣をサヤごと受け渡した。
店主は剣をサヤから引き抜き、黒い刃のそれをじっくりと眺め始める。
「ところで、先ほど来ていた方々は……?」
と、前置き代わりに男性が切り出した。
「ただの、見る目のねぇボンクラ共だよ。あいつらがなんだ?」
「いえ。大したことでは」
男性の口元が、わずかに笑ったような気がした。
店主が剣をサヤに戻し、女性に返す。
「だいぶ斬ってるみたいだな。腕前のほうも相変わらず見事なもんだ」
「ええ。おかげさまで」
答えたのは男性だった。女性は喋ろうともしない。店主も、それは期待していないようだった。
「それで今日は、この剣の代金を支払いに来たのですが……」
男性が本題を切り出した途端、店主は顔をしかめて小さく手を払った。
「おいおい。よせよせ、そんな無粋な真似は」
口調には呆れたようなニュアンスが込められている。
「そいつはお前さん方にくれてやったもんだ。金なんぞいらねぇっつっただろ」
「しかし、やはりそういうわけにも」
「いいんだよ。前に言ったことがすべてだ。お前さんがたがその剣で『モンスター』をバッサバッサと斬り倒してく……それでチャラだってな」
言い切り、反論は受け付けないとばかりに店主はそっぽを向いてしまった。
男性は困り顔で、女性と目を合わせる。
◆
あのあと何軒か武具屋を回り、ランチのために食堂で落ち着いたエリスたちである。
結局エリスの剣は買わずじまいだった。
いわゆる『術剣技』用の剣は他の店にもあったのだが、そのどれも、値段が普通の剣と比べて十倍以上も高かったのである。到底手持ちでは足りなかった。
「意外と高いんだな、ああいうの」
エリスは鶏肉のフライが挟まったハンバーガーをペロリと平らげ、深々と呟いた。世の中まだまだ知らないことが多い。
手についたソースを舌で舐め取っていたら、レクトから行儀が悪いという注意が飛んできた。無視したが。
普通の剣ではそう長持ちしないと知った以上、買うならば『それ用』のものしか考えられない。
とにもかくにも問題は金である。
「そういえば、みんなはどうやってお金稼いでたの?」
サンドイッチを片手に、パルヴィーが唐突に訊ねた。
それは、とリフィクが答える。
「道中で見つけためずらしい薬草をつんで売ったり……獣の毛皮や牙なんかもお金になりますし」
「ふーん、けっこう地道だね」
たしかに地道な稼ぎだが、贅沢をしなければ意外とそれでなんとかなったりするものである。ちなみにパルヴィーらと合流してからは、すべての出費を彼女らに頼りきりであった。
「そう言うお前らの金の出所はどこなんだよ?」
逆に、とエリスが同じ質問を返す。
しばらく一緒にいるが、彼女らは旅の身とは思えないほど羽振りが良かった。食料も充分に買えるし、なにより武器や防具に関しては金に糸目をつけないほどである。
一緒にいるあいだの行動には、特に収入源になるようなものは思い当たらなかった。
「お金は、あれだよ。『コープメンバー』」
「あいつらが会いに行ってる奴らか?」
一般人の中にいるという、銀影騎士団の後援者のことである。
「そ。お金だけじゃなくて、他にいろんなものくれたりもするけどね」
口ぶりだけ聞くと、まるでおじいちゃんおばあちゃんと孫のようだ。
武器や資金が用意されていれば、戦うほうは戦うことに専念できる。すると自然と成功確率は高くなり、能率も上がっていくだろう。
最善の形になる。
そういう構図ができあがっているということは、銀影騎士団の歴史はかなり古いのかもしれない。
「だからアリーシェ様に言えば、剣くらいぱぱっと買ってくれると思うよ」
たしかに、微笑んで応じてくれる光景がありありと目に浮かぶ。
しかし、とレクトが芳しくない表情を作った。
「それでも安い買い物じゃないだろう? 今以上にお世話になるわけにはいかないよ。この代金くらい、なんとか俺たちで稼いでみないか?」
これくらい大きな町ともなれば、日雇いの働き口もいくつかあるはずだろう。パルヴィーは除くとしても、三人がかりならそう時間はかからないかもしれない。
「別にそんなの気にしなくてもいいのに」
パルヴィーがこぼす。恐らくアリーシェやラドニスも同じことを言っただろう。
「いや大事なことだ。なぁ、エリス」
「ん……そうだな」
とエリスから返ってきたのは、いまいちしゃんとしない生返事だった。
別に働くのが嫌なわけではない。とあるひとつのことが、彼女の頭の中を席巻しているのだ。
最初に訪れた店で見た、あのライトグリーンに輝く妙剣。他のどの剣を見ても、あれが忘れられずにいる。
ひと目で魅了されてしまった。
ついつい、あの剣のことを考えてしまうのだ。思い人に恋い焦がれるように。
……エリスには似合わないロマンチックなたとえだが。
「それなら、『旅人支援所』に行きましょうか? 来る時に見かけました」
するとめずらしく、リフィクが提案を口にした。
「それは?」
知らぬ言葉にレクトが小首をかしげる。
旅をするというのは、様々な面で見ても困難と言える。
その中でも一番はやはり金銭的な問題だろう。
なにかしら一芸を持つ者ならばそれで稼ぐこともできるが、世の中にはそうでない者のほうが多い。
そんな稼ぎ口に困った旅人を支援するために各地に設けられたのが、読んで字のごとくの『旅人支援所』である。
システムは単純だ。基本的にはその町の住人が、なにか人手の必要なことを依頼し、その依頼を旅人が受ける。そして然るべきののち依頼主から報酬が支払われるのだ。
旅人は金を手にでき、住人は困っていたことを解決できるという具合である。
もっとも旅人だけでなく、仕事のない住人が依頼を受ける場合もあるのだが。その辺りの線引きはやや甘くなっている。
そういった説明をリフィクがしているうちに、一行は目当ての建物へと到着した。
辺りの建物と比べても立派と外観だ。
中に入ると、すぐにホールのような広い空間が待ち受けていた。
「旅人というのは、それほど多いのですか?」
レクトが訊ねる。こんな施設まで作られる以上は、そういうことなのであろうが。
「そうですね」
少し声量を落として、リフィクが答えた。
「『モンスター』に住んでいたところを奪われてしまったり、その一歩手前の状況が嫌になってしまったりして、どこか新天地を求めて旅をする……そういう人も少なくないと思います」
「…………」
レクトは痛ましい心境で周囲を見回した。
旅姿の人間が、ざっと二十人ほどいる。若者だけでなく子供連れや、老夫婦とおぼしき人たちも見て取れた。
皆少なからずそういう境遇にあるのだろうか。
そういった人々を救済したり手助けをするためにこの施設が作られたというのは、人情的にごく自然な流れだったのかもしれない。
「そういえば、リフィクさんはどうして旅をしていたのですか?」
視線を戻してレクトが訊く。彼は旅の途中でレクトとエリスの故郷『フィオネイラ』に立ち寄ったという話だったが、そのところの詳しい話はまだ聞いていなかった。
「えっ? それは……その……」
リフィクはあからさまに言葉を濁す。
「別に……たいした理由ではないです。全然。そんな」
もしや言いにくいことだったのだろうかと気を遣って、レクトはそれ以上追及しなかった。