断章「いつも嵐は突然に」
うららかな時間が流れていた。
のどかな町の一角。路上。屋台の軽食屋の脇に、簡素なテーブルセットがいくつか並んでいる。
その一席に、旅姿の若い男女が仲むつまじい様子で座っていた。
はたから見た光景は、なんとも平和で微笑ましい。
テーブルの上に置かれた大きな皿に、数枚のバンズや適量の野菜、肉、調味料の小瓶などが乗せられている。男性がそれらをいくつか組み合わせてハンバーガーを作り、
「さぁ。できたよ、リュシール」
黒髪の女性へと手渡した。
女性はそれを、なにやら人形めいた無感情な顔で受け取る。男性が慣れた手つきで同じものをもうひとつ作り上げたのを見てから、そのハンバーガーに口をつけた。
昼食には少々早い時間なためか、他のテーブルに客の姿は見えなかった。
通りをゆく人間たちは、彼らの食事風景を視界に入れ、自分の昼食はなににしようかとぼんやり考えるのだろう。
やがてふたりが、皿の上を空にする。
その頃には、周囲の席も埋まり始めていた。集客力からするとなかなかの人気店なのだろうか。
男性の口元についていたケチャップを、女性がナプキンで拭う。やはり無表情であったが、その仕草から、ふたりの深い間柄が見て取れた。
ただの知人同士ならそういうことはやらないだろう。
「ありがとう。そろそろ行こうか」
男性が微笑んで、席を立つ。彼に続いて女性も立ち上がった、その時。
彼女の目つきが変化した。
まるで野生の獣のように鋭く険しく、物々しい雰囲気へと瞬時に変わる。腰に吊っていたロングソードに手をかけ、いつでも抜き放てる姿勢を作った。
不意に彼女が空を見上げる。つられるように彼も顔を上に向けた……次の瞬間。
それは舞い降りた。
不敵に。堂々と。そして軽やかに。
大きな翼を羽ばたかせて、ふたりの目の前へと着地する。
『モンスター』だった。
人間に近い四肢と顔面に、黒と深紫の体。コウモリに似た翼をたたんだ彼は、柔和な笑みをふたりへとかたむけた。
「やぁ、久しぶり」
旧友と再会した時のような、明るくほがらかな声。
しかしそれが発せられた時には、すでに周囲は悲鳴に包まれていた。
突然の『モンスター』の出現に、食事もほったらかしにして人間たちが散り散りに逃げていく。あっというまに、そこに立つ三者だけが残された。
男性が、静かに唾を飲み込む。それがただの『モンスター』でないことを、経験をもって思い知っていた。
「これはこれは……灰のトュループ。……なにかご用で?」
男性は驚きと警戒の上に作り笑いを貼り付けて、あくまで融和的に受け答える。
となりに立つ女性は、妙なことをしたら斬りかかるぞ、と言わんばかりの気配を全身からうち飛ばしていた。
しかしそんなことなどまったく気にかけない様子で、『モンスター』が二の句を継ぐ。
「たしか君『治癒術』が使えたよね。ちょっとやってくれない?」
男性はそれを聞いてようやく、『モンスター』の胴体に大きな傷跡があることに意識を向けた。
血こそ出ていないが、それは刃物でバッサリとやられた跡だろう。そしてまだ真新しい。
「……わかりました」
一瞬の間を置き、男性がうなずく。
こんな町の中では滅多なことはできない、と結論を出したのだ。もっとも、そんな気遣いなどなんの意味も持たない相手だということも承知していたが。
男性は『モンスター』に歩み寄り、その胴体へ片手をかざす。
近くで見て、あることに気付いた。それがただの斬傷ではなく、火傷を伴った斬傷であったことに。
この傷をつけたのは、さしずめ炎の刃といったところだろうか。
「……」
男性には、少なからず思い当たるものがあった。しかしそれ以上は考えず、かざした手に光を宿らせる。
「ヒーリングシェア」
光が傷跡に移り、見る見るうちに再生がなされていった。
「……あなたが傷を負うとは、めずらしいのでは?」
「そりゃね。でも面白い人間に出会ったから。まぁ、君たちほどじゃぁなかったけど」
「『人間』ですか」
楽しそうに語る『モンスター』のひとことを聞き逃さず、男性が思案顔で呟く。光が消えると、傷跡は完全になくなっていた。
「別に放っといてもいい傷だったんだけど、たまたま君たちは見かけたからね。ついでにアイサツでもしようと思って」
『モンスター』は確認するように、傷のあった場所を指でなでる。
「ありがた迷惑という言葉の意味が、今わかりましたよ」
そして男性の皮肉を笑顔で受け流して、翼を開いた。
「ありがとう。またね」
にこやかに言ってのけ、ふわりと飛び立つ。そのまま雲間へと消えていった。
嵐のように現れ、嵐のように去っていく。そういうところは前と同じだ。
男性は肩の力を抜き、女性へと振り向いた。
「びっくりしたね」
彼女も彼女で体の力を抜き、剣から手を放す。目つきも普段の、さざ波のように穏やかなものへと戻っていた。
嵐がいなくなると、その場にざわざわという喧騒が生まれ出す。
避難していた人間たちが帰ってきたのだ。恐らくどこかで、この場の様子をうかがっていたのだろう。
人間たちの視線が、自然とふたりに集中する。
しかしそれはただの視線ではなく、懐疑や悪意、敵意すらをも含んだ視線だった。
無理もなかろう。
『モンスター』と親しげに話をしていた上に、その傷まで治してやっていたのだ。逆になにも思わないほうがおかしい。
「……困ったものだね」
男性は周囲をぐるりと見渡してから、やれやれと苦笑った表情を彼女にかたむけた。
「今日はこの町で宿を取ろうと思っていたのに」
女性は無言のまま、彼の瞳を見つめ返す。