第二章(18)
「もういいっ! あたしがなんとかする!」
エリスは辺りをキョロキョロと見回すようにしながら、必死に頭を回転させる。
「なんとか……って?」
そんな彼女に、パルヴィーがため息まじりに問いかけた。
よく聞く言葉で、三人も集まればなにかしら良い考えが浮かぶものだ、という類のものがあるが、今はその倍の六人もいる。だというのに打開策が浮かばずにいるのだ。
なんとかできるものならなんとかして欲しいものである。
「そりゃ……なんとかするんだよ! なんとかして、なんとかするしかないだろっ!」
「考えついてないんじゃん。もう無理だって」
「無理じゃねぇよ! 決めつけんなっ!」
「そう言われてもね」
パルヴィーは苦笑いに近いものを浮かべた。余裕すら感じられる態度は、すでに結末を受け入れてしまっているということなのだろうか。
「……『モンスター』と戦ってるんだから、もしかしたらこういうことになるかもって、いつも覚悟はしてたし」
懸命に頭をめぐらすエリスの横で、パルヴィーは遺言のようにひとりごとを言い始めた。
「それがちょっと、思ってたより早かったかなっていうだけで。……まぁ、心残りがないってこともないんだけどね」
伏し目がちに、レクトへ視線を送る。
そのレクトは、いちぶの隙もなく上空のトュループをにらみ続けていた。まるでそれが、せめてもの抵抗であるかのように。
トュループを包む光は、見る見るうちにその輝きを強めていく。
先ほどは『アレ』が放たれるまでにどれくらい時間がかかっていただろうか。もはや体感時間はあてにならないが、そう長くは待っていないはずである。
もういくばくもない。
「おいっ、『魔術』かなんかで、飛べるようになるヤツはないのか!?」
その時エリスが、誰に向けてでもなく質問を投げつけた。
「攻撃が届かないなら、あたしが直接あいつのところまで行って叩き落としてやる!」
発想としては、それは間違っていないかもしれない。しかし皆の表情は好転しなかった。
「飛べるようにって……ないんじゃない……?」
パルヴィーが、記憶を探るように呟く。思い当たらない。もしあるのならば、もっと早くに気付いているはずだろう。
「……いいえ、なくはないわ」
だがそう答えたのは、ラドニスの腕の中でぐったりとしているアリーシェだった。
「このまま、終わりを待つくらいなら……ね。私も、まだあきらめてはいないもの」
彼女は強い意志を秘めたまなざしで、エリスを見つめる。
「『魔術』で、真上へ向かって突風を起こす。その気流に乗れば、あの位置まで飛べるはずよ」
「なんだよ、あるんじゃねぇか。そんな単純な方法が」
活路を見い出し、エリスはパッと表情を明るくした。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいっ!」
しかしそこへ、リフィクが口をはさむ。
「それだと、エーツェルさんが無事では……」
「どういうこったよ?」
歯切れの悪い言葉に、エリスは水を差すなと言いたげに口を尖らせた。
代わりにアリーシェが説明する。つまりこれは、真上へ向けて小石を投げるようなものだ、と。
ある程度の狙いはつけられるが、微調整はむずかしい。そして仮に狙い通りのところへ飛び、わずかなチャンスでトュループを阻止できたとしても、そのあとに問題が待っている。
はるか上空から落下してくる小石を、受け止めるすべがないのだ。
そのまま地面に激突して無事で済むはずはない。落下スピードを軽減する手段もあるにはあるのだが、それは焼け石に水程度の効果しかないだろう、と。
「だから私からは、強制もお願いもできないわ」
手短に説明をし終わり、アリーシェは申し訳なさそうに言った。
「選ぶのはエリスさんよ」
まさに命がけの攻撃。しかし彼女にとって、それはささいな問題であった。
「言うまでもねぇ。あたしがやらなきゃ誰がやるってんだ」
即答するエリス。リフィクはやはり不安げに、それを考え直させようとした。
「危ないんですよっ! なにか、別の方法を……」
「やるやらねぇと論じてるあいだに、ああなっちまうのがオチだろ!」
エリスは声を荒げて、人差し指を突き出した。その先には、無に帰した焦土が広がっている。
「あとのことはあとで考えればいい! 先のことばっかり考えてて目の前のことをやらなきゃ、本末転倒ってヤツだろ! 今考えんのは、今のことだ」
なにもしなければ、このまま灰となって消えるしかない。ならばどんなことでもやらなければならないのだ。
ダメで元々。この絶望的な状況が少しでも良くなれば、それで上出来というものである。
「わかったらさっさと準備!」
無論エリスひとりでは、なにもできない。『魔術』の使えるリフィク、パルヴィー、そしてレクトの力が必要なのだ。
三人の力を合わせれば、少ない時間でも、人間ひとりを打ち上げられるだけのパワーを捻出できるだろう。
「……わかった」
最初にそれを了承したのはレクトだった。不本意ながらも意を決したといった様子で首肯する。
「わっ、わたしも」とパルヴィーも続いた。
ふたりはすぐさま、『魔術』を使うべく意識を集中させる。
「そんなっ……」
苦い顔のリフィクであったが、それを見て、悩みながらもふたりのあいだに加わった。
三人がちょうど三角形を描くように立ち、力を集中させていく。
エリスは最終確認のつもりか、頭上を仰いだ。
灰色の空。太陽のように輝くトュループ。あれは許してはいけない光だ。どうあっても、打ち倒さなければ。
「エリスさん」
アリーシェに呼びかけられて、エリスは顔を下げる。彼女は自分の両手首から、宝石のようなライトグリーンの腕輪を外しているところだった。
「これを」
そしてそれをふたつとも、エリスに手渡す。
「なんだ?」
「身につけることで『魔術』の力を高めてくれるものよ。あなたの炎の技も、それで強化できるはず」
「へぇ、便利なもんだな」
エリスは気おくれた様子もなく、微笑みながらそれを自分の腕へとつけた。
「一蓮托生だ。任せる」
アリーシェを支えるラドニスの言葉に、エリスは「任せろ」と力強く答えた。
そして三人が結ぶ三角形の中央へと移動する。そこは正確に、トュループが位置する真下だ。
その時。
『――天地を焦がす霹靂は』
トュループの例のセリフが、こだまのように響いてきた。
「……雷帝来たりて降り注ぐ」
実のところ、これを口にする意味はまったくなかった。
『ディストラクトレイ』を放つためには、かなり長く力を溜めなくてはならない。そのあいだの退屈しのぎとして考えた口上なのである。
毎回のように口にしてはいたが、『灰のトュループ』という名前ほどには知れ渡っていかなかった。それを聞き、生きている者があまりにも少ないからというのが一番の理由だろうが。
「すべてを滅ぼす声のもと」
トュループは眼下を眺めた。
わずかに残った町の一角。しかしそれも、もうすぐ消え去ることになる。さすがに二連続ともなると多少時間がかかってしまったが、大した問題ではない。
どの道、消えることには変わりないのだから。
「破壊の光を今ここに!」
トュループははやる気持ちに従順に、口調を高ぶらせる。
しかしその時、彼の感覚器官がなにやら異質なものをとらえた。
聴覚と触覚が下方から吹く強い風を感知し、そして視覚がその正体を認知する。
だが認識した時にはすでに遅かった。
高速で飛び上がってきたエリスとすれ違った瞬間、トュループの片腕から紫色の血が噴出する。
それで意識の集中が途切れたのか、彼の体を包んでいた光がたちどころに拡散を始めた。
高山の頂上から見下ろすような、果てしなく雄大な景色。しかしエリスには、そんな景観を堪能していられる余裕はなかった。
しくじりやがって、と数瞬前の自分を叱り飛ばす。
『魔術』によって打ち上げられたはいいが、そのスピードと勢いが思っていた以上にすさまじく、ろくに攻撃の姿勢もとれなかったのだ。
それでもなんとか切っ先を触れさせることができたのは、彼女の意地の表れであろうか。
強い風の音しか聞こえず、体の自由もほとんど利かず、上下左右もわからない、刹那の世界。悔いも刹那に捨て去り、エリスは必死に目と顔を動かして奴の姿を探した。
すぐに見つかった……のはいいのだが、かなり距離が遠かった。普通に考えたら、ここからの攻撃は不可能だろう。弓矢でもなければ届くはずがない。
しかしエリスは剣は振る。
この期に及んで、不可能だったとあきらめられるわけがない。
なにも考えず、ただ届け届けと自分の力に思いを込めながら、それを放った。
「オーバー……フレアぁぁっ!」
声が出ていたのかどうかは、自分でもわからなかった。
トュループは、茫然自失となっていた。なにが起きたのかを理解するのに時間が必要だったからだ。
数多くの者と戦ってきたトュループであったが、こういう対応をしてきた者は初めてだった。
有翼種ならば、無論、飛んだトュループを同じく飛行して追いかけてくることもある。だが翼を持たぬ人間が、こうして上空にまで追撃をかけてくるなど今まで有り得なかったのだ。
とはいえその驚きに固まっていたのは、一秒にも満たないほんのわずかな時間である。
トュループは上へ視線を向け、彼女の姿をとらえた。
打ち上げられた際の気流から中途半端に外れ、風にもみくちゃにされている。あの状態では意識を保っているかすら怪しいだろう。あとはもうあのまま、重力に従って落ちるだけである。
一興としては充分だった。トュループはニヤリと口元を歪ませる。捨て身の攻撃が浅かったのはさぞや悔しかろう、と。
しかしそのトュループの見ている前で、彼女の持つ剣から、激しく火柱が噴き上がった。
「……?」
地上で戦っている時に何度と見た、あの攻撃をするのだろう。だがこの距離。到底届くはずがない。
徒労に終わるのはわかりきっている。
そうほくそ笑んだトュループの予測は、しかし裏切られることとなった。
「もう一度、術を!」
『魔術』で烈風を起こしエリスを打ち上げた次の瞬間には、レクトはもうそれを口にしていた。
再び風を起こし、落ちてくるエリスの落下スピードを可能な限り減殺してやろうと考えているのだ。
アリーシェはその声を耳にしながら、しかし……と思う。
はるか上空まで飛び上がったとはいえ、落ちてくるまで数秒もないだろう。そんな短い時間で力を溜めても、たかが知れている。
ずっと空を見上げていたアリーシェは、すべてを見届けていた。
飛び上がり、すれ違った際に軽い一撃を与えたこと。
次いで放った剣技が、貸したブレスレットにより強化され、炎の刃が普段の何倍にも伸びてトュループの胴へ傷を与えたこと。
そして、その傷があまり深くなかったことを。
……よくやった、というところだろうか。
もう少し近ければ、確実に胴体を両断できていたはずだ。あの状態から二撃目を放ち、当てただけでも大したものである。充分健闘した。
上昇軌道が折り返し地点を過ぎ、エリスは落下軌道に入る。
もう誰にも止められない。見ていることしか、できない。
が、その時、トュループが動いた。
高速で落下するエリスを追いかけるように、さらなる高速で急降下し出したのだ。
「……!」
なにを……? 自分の手で直接トドメを刺そうとでもいうのか? と直感的に思うアリーシェが見守る中、両者の距離がまたたくまに狭まっていく。
そしてエリスが地面に激突する寸前。トュループが、まるで獲物を捕るワシのように、彼女の体を拾い上げた。
助けたのだ。
予想だにしていなかった結果に、それを見ていた全員の時間が少しのあいだ止まる。