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第二章(16)

 

「……たしかに奴は、トュループと名乗りました」

 陣形の最後列。上がった息を整えながらアリーシェの説明を聞いていたレクトが、真新しい記憶を引っ張り出してそう答えた。

 前線では他の四人と、トュループと名乗った『モンスター』による激しい攻防が続けられている。

 剣がきらめき、炎が舞い、『魔術』が輝く。

 やや距離を置いたこの場所からも、その苛烈さが肌で感じられた。

「そんな相手だったなんて……」

 レクトは愕然をかみ殺すように独語する。

 灰のトュループと呼ばれる破壊の化身。人間も『モンスター』も動物も、数え切れないほどの命が奴の手によって奪われている。なんの理由もなく、ただイタズラに。

 生きる天災。出会ったしまったこと自体が不運。他の『モンスター』とは、比較にならないほどに危険な存在。

 それを聞いた時、レクトは己の軽率さに戦慄した。そんな相手にひとりで立ち向かおうとしていたのだから。

「……しかし」

 それならば、と、レクトの中に新たな疑問が浮かび上がってきた。

 自分は、無事だ。不慣れなことをしたために体力を浪費してしまってはいるが、目立った外傷すら負っていない。たとえ二対一の戦いだったとしても、それは妙ではないだろうか。

 レクトは激戦の空間を凝視する。

 ……ずっと、そうだ。トュループの攻撃はすべて殴る蹴るといった打撃ばかり。しかもその力も、せいぜい人間と同じ程度だった。

 頻度も限りなく低い。思い出したように、反撃の形で繰り出しているだけだ。

「……」

 手を抜いている? この数で当たっても、奴からすればまだ、鼻も引っかけない程度ということなのだろうか……?

 レクトがそんな思考に至った時、

「呼吸は落ち着いた?」

 横に立つアリーシェが再び口を開いた。

「剣ならここにもあるけど」

 自分の腰元を目で指す。

 レクトはつられるようにそれを見てから、ひとつ疑問を訊ねてみた。

「あなたは、戦列には?」

 彼女は最初の一撃以降ずっと、こうしてここに立ち尽くしていた。戦いに加わるそぶりすら見せていない。

 自分の倍に近いほどの年齢とはいえ、この場へ駆けつけるだけで疲れてしまったということもあるまい。……と、微妙に失礼なことを思うレクトだった。

「もしあれが、本当に『灰のトュループ』だとするなら……きっと、可能な限り力を温存しておくのが私の最善だと思うの」

 アリーシェは前方を見すえたまま、重々しく答える。そのあまりに厳然な表情に、レクトは思わず眉根を寄せた。

「この町を、地図から消すわけにはいかないから」

「……それは、どういう……?」

 なぜトュループに『灰』という通り名がつけられたのかを、レクトはまだ知らなかった。

 

 

「ウインドライン!」

 パルヴィーが発生させた突風によって、滞空中のトュループが体勢を崩す。

 そこを見計らって、エリスとラドニスが両側から飛びかかった。

「くらえぇっ!」

 叫びながら斬りかかるエリスに、黙って斬りかかるラドニス。正反対のふたりであったが、しかし、そのどちらの刃もトュループには届かなかった。

 トュループは高速で風見鶏のように回転し、広げた翼でふたりを弾き飛ばす。

「フラッシュジャベリン!」

 その間隙を狙ってリフィクが放った光槍は、やはり素早い動きで避けられてしまった。

「くそっ……!」

 受け身に失敗して尻餅をついたエリスが、苦々しく吐き捨てる。

 四人がかりで怒涛のごとく攻めているのにも関わらず、ここまで一撃たりともトュループには当たっていなかった。

 ことごとく、いなされるか避けられるかしてしまうのだ。

 だが少しずつではあるが、攻撃の精度が上がってきたように思える。恐らくトュループの動きに皆の目が慣れてきたせいだろう。

 とらえるのも時間の問題。

 そういう楽観を頭に浮かべながら、エリスは跳ねるように立ち上がった。

「全然ダメだね、君たち」

 まるでそれを待っていたかのように、トュループが口を開く。

「あー?」

 威圧的に聞き返すエリス。それ以外の三人は、なにを言うつもりなのかと様子をうかがった。

「楽しくないよ」

 そんな時。後方から、銀色のロングソードを携えたレクトが戦列に復帰してきた。

 四人はそれぞれ、横目で彼の姿を確認する。

「ひとり増えてもね。同じことさ」

 言いながら、トュループは右手を前に突き出した。皆に警戒の色が走る。

「だから」

 その右手が、まばゆいばかりの光を帯び始めた。

 やがてその光は手の先に集まり、細長く収束していく。その形は、まるで剣。

「このライトニングレイピアで」

 トュループはスパークを散らす光の剣の柄を、本物の剣のようにつかむ。そしてそれをハスに構えた。

「そろそろ僕も攻撃させてもらうよ」

 

 レクト、リフィク、パルヴィー、ラドニスは、慎重にトュループの次の動きを洞察する。

 剣状の形から察するに、やはり近距離での斬撃というのが攻撃方法なのだろうか。

 しかしあれも、恐らく『魔術』の一種。うかつに断定はできない。見た目を凌駕する効果があり数え切れないほど利用法があるのが、『魔術』の頼もしいところでもあり恐ろしいところでもあるのだ。

「たっぷり『間』ぁ使って喋りやがって!」

 しかしエリスは、まったく警戒することなく再び奴へと攻めかかった。

「エリス!」

 レクトの制止など聞くわけもなく。

 四人は仕方なく、彼女のフォローに急いだ。

「オーバーフレアぁっ!」

 エリスが肩口へ振りかぶった剣から、激しく炎が噴き出る。何度となくかわされてしまったそれだが、しかし今回は様子が違った。

 トュループが、まるで避けるそぶりを見せない。

 翼をたたみ地に足をつけ、棒立ちのように迫るエリスを眺めていた。

 斬れるものなら斬ってみろ、とでも言わんばかりに。

 エリスは「なめんなよ」と言外に表わしながら、最後の一歩を踏み込んだ。

 猛る刃が振り下ろされる。その瞬間になって、ようやくトュループが動きを見せた。

 肉薄する炎の刃を、自身の光の刃で迎え撃ったのだ。

 『魔術』の刃同士が衝突し、周囲の空気が震動する。吹き飛ばされそうなほどの衝撃波が生まれ、そのまま互いの姿勢が膠着した。

「防ぎやがった!」

 歯がみするエリス。いくら剣を押そうと、その状態からピクリとも動かなかった。

 炎と光の向こう側で、人間に酷似した顔が薄ら笑いを浮かべている。

「笑ってんじゃねぇぇっ!」

 なおも押し続けるが、やはり動かなかった。

 そもそも力比べに持ち込んでしまった時点でエリスには分が悪いのだ。

 威勢だけは超人級だが、身体的にはやはりまだ十代後半の小娘である。人間の大の大人にも劣る腕力が、どう転んでも『モンスター』に敵うわけがない。

 もとより一撃必殺の『オーバーフレア』があればこそ奴らに対抗できていたのだ。それが通用しない場面では、たちどころに無力となってしまうのも当然な結果である。

 しかし、たとえそうだとわかっていても、エリス・エーツェルは引き下がらない。

「このっ! このっ! このっ!」

「少し力を入れるよ」

 だがトュループがささやいた次の瞬間、逆に押し返され、エリスの上半身がのけぞってしまった。

「この野郎っ……!」

「エリス、持ちこたえろ!」

 側面へ回り込んだレクトから激励が飛んでくる。

 エリスが動けずにいるということは、相対するトュループも動いていないということだ。包囲するのはたやすい。

 すなわち絶好の好機。

 レクト、ラドニス、パルヴィーの三人が正面以外の三方を取り囲み、先んじてラドニスが背後から斬りかかった。

「背中を狙うのは常套手段だけど、僕には無意味だよ」

 トュループは正面を向いたまま不敵にささやく。剣が体に到達する直前に、彼の翼が勢い良く後方に伸びた。

 そして爪のように鋭い翼の先端が、ラドニスの両腕を深々と刺し貫く。

「……!」

「ほらね」

 滴る鮮血。ラドニスは驚異と苦痛に、険しい表情をさらに険しく歪ませた。

 それと同時に、トュループの視線が左を向く。ラドニスのあと間髪を入れずにたたみかける予定だったパルヴィーを、その瞳がとらえた。

 彼女はすでに至近距離まで走り込み、ショートソードを引き絞っている。今さら急には止まれない体勢だ。

「不用心だよ。攻撃するって言ったのに」

 迫るパルヴィーに向け、トュループは左手を突き出す。

「ライトニングレイピア」

 そしてその左手から、右手同様『光の剣』を出現させた。

 伸びた刃が、パルヴィーの肩に突き刺さる。その瞬間、電流が走ったように彼女の体がけいれんし、短い悲鳴と共に地面に倒れた。

 そしてトュループは、ラドニスの両腕から翼の先端を引き抜き、元の位置にたたむ。

 ヒザをつくラドニス。

 トュループの顔が、あえてゆっくりと右側へ向けられた。

「君は来ないのかな?」

「……!」

 レクトは、思わず足を止めてしまっていた。

 ほぼ同時に攻めかかったふたりが、手玉に取られたように返り討ちにあってしまった。しかもたやすく。エリスからの攻撃を受け止めたままで。

「賢明だね」

 トュループは顔を、正面のエリスへと戻す。

 そして炎の刃とせめぎ合っている右手の剣に、左手の剣をクロスするように重ね合わせた。

 倍化したエネルギーに、エリスはたまらず吹き飛ばされる。

「でもこっちからは行くよ」

 トュループは再びレクトに向き直り、黒い翼を開いた。

 その異形のシルエットに、レクトは改めて目を見開く。

 エリスは激しく地面に叩きつけられるも即座に跳ね起き、負けじと再びトュループへ躍りかかった。

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