第二章(12)
「あのかっこいい彼のこと、教えてくれない?」
「どいつだよ」
エリスは興味なさげにシチューを含みながら、それでも一応相づちを打ってやった。
「ほら、弓矢の。レクトくんだっけ? 彼のこと」
「あんなもん別にかっこよかねーだろ。あたしのほうがかっこいいっての」
妙なところでも負けず嫌いを発揮するエリスである。パルヴィーはかまわず食い下がった。
「ねぇ教えてよぅ、いろいろ。好きなものとかぁ、嫌いなものとかぁ、趣味とかぁ、特技とかぁ、将来の夢とかぁ、女の子のタイプとかぁ。なんでもいいから知りたいの」
好感と興味にあふれた表情が、ありありと浮かんでいた。その奥にあるものは、まぁ、わからなくもない。本人も隠す気はないのだろう。
しかしエリスはまったく相手にせず、シチューの中のニンジンを横によけるという作業を優先させていた。
エリスがつれないと見るや、パルヴィーはその向こう隣のリフィクへと矛先を変える。
「ねぇリフィくんでもいいからさぁ、彼のこと教えてぇ」
リフィくん……。彼のヒタイに、妙な汗がひと粒浮かんだ。
「いえ、あのー……僕は、まだおふたりと出会ってから日が浅いので。そういうことは、あまり」
詳しくないんです。と言い終わる前に。
「使えねっ」
パルヴィーは小骨を吐き出すように、低い声で呟いた。
「えぇぇーっ!?」
「んな回りくどいことしてねーで、あいつに直接聞きゃぁいいじゃねーか」
リフィクの驚愕を押しのけて、エリスが口を挟む。めずらしく正論だ。
「えー? でもー」
パルヴィーは再びかわいこぶりっこな仕草で、もじもじと照れ笑った。
「……」
空恐ろしいものを見るような目をするリフィク。
「そういうのってさぁ、順序ってものがあるじゃん? まだ早いかなって」
「ささいなこったよ。迷ってたってしょうがねぇ。思い立ったら即行動。今すぐ奴の部屋に行ってこいよ。そんで押し倒してこいよ」
「エーツェルさんっ……!」
最後に一気に飛躍した展開に、リフィクはたまらず声を上げた。いつも二段三段、段階をすっ飛ばす。
「えー……?」
パルヴィーは困ったように顔を赤らめるが、
「……いいのかなぁ?」
意外と乗り気な様子だった。
思わずイスからずっこけるリフィク。
「でもでも、もう遅いし、寝ちゃってるかもしれないよね?」
「そっちのほうが都合いいだろ」
イスに座り直そうとして、再び滑り落ちるリフィク。
「先手必勝ってのはどこの世界にも通用するアレだ。ためらってちゃなにも始まんねーだろ? だったらやれよ。奇襲だ、奇襲」
親身に激励しているようにも聞こえるも、その実、とっととどこかに消えてほしいだけのエリスだった。
「うーん。……よーし! 奇襲!」
そうとは気付かぬパルヴィーは、なにかを決意したのか、勢い良くイスから飛び降りる。
「やってみる」
そしてペロリと舌なめずりをして、上機嫌な調子で階段を登って行った。
「……お互いの気持ちが大切なんじゃないかと、僕は思いますが……」
真面目に呟くリフィクを横目に。エリスは彼女の背中を眺めながら、
「さかりつきやがって」
と自分でそそのかしたことを見事に棚に上げて、白い目で言い捨てた。まぁ、あの程度の扇動でやる気になってしまう彼女も彼女でかなりアレなのだが。
「別に。自然なことじゃない?」
そんなエリスの肩に、そっとやわらかな手が置かれた。
振り返った先にいたのは、アリーシェ・ステイシー。その後ろにラドニスの姿もあった。
「私たちの戦いはいつでも命がけだもの。焦がれた思いなら、ためらわずに伝えたほうがいいわ。遂げられないよりはね」
彼女の顔は、かなり紅潮していた。目が据わっていて、声や喋り方も普段と比べて甘ったるい。完全にできあがっているようである。
「あなたにも、そういう人のひとりやふたりはいるでしょう?」
水を向けられて、エリスは短く鼻を鳴らした。
「どうだかな。あたしに釣り合うような奴なんかそうそういねーよ。」
言い終えてから、反撃のように「あんたはどうなんだよ?」と聞き返す。
アリーシェは意味深な微笑みを見せて、
「さぁ、どうかしら? おやすみ」
ラドニスを連れ立って二階に上がって行った。
「おやすみなさい」とリフィク。
エリスはそれ以上はかまわず、他の客と話し込んでいた店主をカウンター越しに呼び寄せた。
「おかわり」
そしてビーフシチューをもう一杯注文する。
「まだ食べるんですかっ!?」
「悪いかよ」
リフィクは思わず目を丸くした。かれこれ三杯目だ。見ているぶんにはかまわないのだが、エリスが残したニンジンたちを食べさせられているのだから、たまったものではない。彼女と違い特に空腹だったというわけでもないのだから。
断ると、食べ物を粗末にすんじゃねーよという理不尽な説教が飛んでくる。
それがもう一杯ぶん追加されると思うと、不満を通り越して泣きたい気分になるリフィクだった。
新たなシチューが運ばれ、ひと口ふた口と進んだ頃だろうか。パルヴィーが戻ってきたのは。
彼女は無言でエリスの隣に座り、カウンターにがっくりと突っ伏す。
「……マスター、キツイのちょうだい」
そしてその体勢のまま、なんとも暗然な声を吐き出した。
エリスはそんな彼女をチラリとだけ見て、特になにも言わずにスプーンを運ぶ。
しばしののち店主が、小さなグラスをパルヴィーの前に静かに置いた。大抵の場合、グラスの小ささに反比例して中身のアレの度合いが強くなっていくものだが、さて。
それがきっかけとなったか、リフィクがおずおずと口を開く。
「なにかあったんですか……?」
様子を見るに、なにかがあったのは明白だろう。パルヴィーはグラスに入ったものを一気に飲み干し、再びカウンターにうなだれた。
「……言いたくない」
「『その気持ちは嬉しい。だが今は、心から集中すべきことがある』」
彼女の言葉が終わるか終わらないかというタイミングで、エリスがなにかを言い出した。
まるで紙に書かれた文字を追っているかのように、抑揚のない言い方。
「『それが済むまでは、他のことにまで気を回していられない』……とかなんとか、よくわかんねー御託でお茶濁されて、すごすごと追い返されてきたんだろ?」
なんのことだかリフィクにはわからなかったが、パルヴィーは泥から出るように顔を上げ、じっとりとした目でエリスを見やった。
「……なに? あんたエスパー?」
「あんなクソ真面目な野郎の言いそうなことなんて、たかが知れてるってこったよ」
さらりと言って、シチューをひと口。
「それにあいつだって行きずりの女と寝るほど落ちぶれちゃいねーだろ」
「エーツェルさん、言葉っ……」
あまりに遠慮のない物言いに、リフィクはたまらず眉をひそめる。
しかしパルヴィーは、特にそれを気にした様子はなかった。なにやら頬をふくらませながら、なめ回すようにエリスを見つめている。
「なーんか、ずいぶん詳しそう。彼のことならなんでもわかってますみたいな感じで」
やけにトゲの含まれた声。
「なんだそれ」
「どういう関係なの? レクトくんとは」
言葉的にも物理的にも、ずいっと詰め寄るパルヴィー。エリスは目障りそうな顔を彼女に向けた。
「弟分だよ」
「……レクトくんのほうが年上に見えるけど」
「気にすんな」
「それだけ? いつから知り合いなの? どうやって知り合ったの? なんで一緒に旅してるの? 本当にそれだけ? ねぇねぇねぇねぇ?」
「うるせーなぁっ!」
もう少しでキスしてしまいそうなほど詰め寄っていたパルヴィーを、エリスはガマンの限界とばかりに突き放した。
まぁエリスでなくとも、こうしつこくされたら嫌気も差すだろう。
「ガキの頃から一緒にいたってだけだよ。わかったらとっとと寝ろ、バカっつら」
「それって、幼なじみってこと?」
当初の位置に戻るも、パルヴィーは懲りずに話を続けた。
「……あやしい」
「なにがだよ?」
「だって王道じゃん。なんだかんだあっても、結局そこに落ち着くじゃん」
「だからなにがだよ?」
「負けないからっ!」
パルヴィーはいきなり大声を出して、イスから飛び降りた。そしてそのまま、ふらふらとした足取りで再び階段を登っていく。恐らく今度は自室に向かって。
「鼻につく上に、よくわからん奴」
エリスはその途中まで目で追い、投げやりに言い捨てた。
◆
世界のどことも同じように、その村にも朝はやってくる。
輝く太陽が顔を出し、さわやかな風が流れていく。
酒場兼食堂兼宿屋の軒先に、赤茶色の毛並みをした二頭の馬がつながれていた。アリーシェら、銀影騎士団の所有馬である。
と言っても彼らが乗せるのは人ではなく、人間では持ちきれないほどの荷物だった。両側面に吊らした皮の袋の中には、代替用の武器防具がたんまりと詰め込まれている。
その馬のたてがみを、エリスがわしわしとなでていた。
動物に向けられる目は、いつもと違って穏やかでやさしい。……ような気がした。
背後から、旅支度を終えたレクトとリフィクが歩み寄る。
彼らに少し遅れて、アリーシェ、ラドニス、パルヴィーの三人も建物から出てきた。エリスら三人は自然とそちらに振り向き、対面する形になる。
「みんなで話し合ったんだけど」
アリーシェが口を開いた。
「あなたたちの旅に、私たちもお供することにしたわ。かまわないでしょう?」
「もちろんです」
と気持ち良く答えたのはレクトだった。心強い、という思いが全面ににじみ出ている。
「ありがとう」
「三人そろってあたしの子分になるってんなら、かまわねーけど」
付け足したエリスに、レクトとリフィクが非難の目を集中した。
アリーシェは「ふふっ」と微笑んで、それをあっさり受け流す。
単なる冗談だと思ったのだろう。エリス的にはあながちそうでもなかったのだが。
「『モンスターキング』を打倒するという最終目標まで付き合えるかは保証できないけど、協力は惜しまないわ。これから、力を合わせてがんばっていきましょう」
かしこまった彼女のあいさつにこそばゆいものを感じながらも、エリスは笑顔でそれに応えた。
「しょうがねーな。頼むよ」