第二章(10)
振るわれる大剣の間隙を縫って、エリスはアドレーの真下へとスライディングで滑り込む。
足のあいだをくぐり抜け、背後へ。そしてその背中に渾身の一撃を叩き込んでやろうとした、直前。
アドレーは恐るべき速度で振り返り、同時に剣を横なぎに払った。
跳躍するエリス。足のわずか下を刃が走り抜けた。
着地した次の瞬間、迷わずななめ後方に飛びずさる。一直線に突き出された大剣が、エリスの影を刺し貫いた。
「どうした、それで本気かっ!」
アドレーは笑いを混じらせながら、巨大な剣を高速で振り回す。
「口ほどにもないとは、まさにこのことっ!」
恐らくエリスの体力が万全な状態だったなら、もう少し『戦いらしく』もなっていただろう。
エリスは奴の攻撃を何度もかいくぐりながら反撃を叩き込んでいる。しかしそのどれも、表面をなでるような軽傷しか与えられていなかった。
アドレーがそれしか許していないのだ。
レクトからの援護も行われている。だがアドレーはそれを斬り払い、あるいは避け、急所への直撃を巧妙に防いでいた。
ふたりがかり。だというのにスキが生み出せない。故に攻めきれない。なにかが足りないのだ。あと少しが及ばない。
「焦んなよ。今にでかいヤツをぶちかましてやるから……!」
距離を取り、エリスは剣を持つ手を握り直す。しかし当のエリスは、もう少し焦るべきだろう。体力が心許ない上に、決定打を与えられずにいる。その先に待っているのはゆるやかな敗北だ。
悠長にしている余裕はない。
「オレもそう気の長いほうではない」
アドレーはふと攻撃の手を止め、地響きのように低い声を投げかけた。
「こんなものは、ただの悪あがきだ。一時は人間にしておくには惜しい気概と感じたが……どうやらオレの勘違いだったようだ」
吐き捨てた言葉は、嘲りと失望を伴って風に消えていく。
「お前の言葉は、すべて単なる虚言だ。吠えることしか能のない弱者に興味はない。手早く同胞への供養とさせてもらう」
あえて口にしたのは、彼なりの礼儀なのだろうか。もしくは罵っただけか。それを確かめる術はない。
「言ってろよ!」
突き返すように、エリスが激しくタンカを切った。
「てめぇがどう思おうが知ったことかっ! 勝つのはあたしだ! てめぇは負ける! そうなんのに変わりはねぇぇんだよっ!」
「……やれやれだ」
この期に及んでまだ、と言いたげに、アドレーは鼻の先であしらう。
「まったくね」
捨てられた言葉を拾い上げたのは、その場へ歩いてくるアリーシェだった。
「口にするのは、なんの根拠もない大言壮語や屁理屈ばかり。態度が立派なだけで、あまりにも現実が伴っていない」
「懲りない奴がもうひとりいたか」
「だけど一切の迷いもなく、ためらいもなく言うものだから、不思議と、本当になにかを成し遂げてしまうのかもしれないと思えてくる」
彼女の足取りは、お世辞にも軽快とは言えなかった。顔色もまだ優れていない。無理をしているのは誰の目にも明らかだった。
「そして信じてみたくなる」
エリスのとなりに立ち、足を止める。
「だから……!」
アリーシェの体が、うっすらと輝き始めた。
『魔術』の兆候。それを認め、アドレーはわずかに警戒の色をのぞかせる。
「……エリスさん、私が手を貸せるのは一度だけよ。それで決めて。それをしくじると、本当にもう勝機がなくなってしまう」
アリーシェは、エリスだけに聞こえるくらいの小声で真摯に告げた。正直な状況分析である。理屈抜きに、もう後がない。
「あなただってわかっているでしょう?」
「わかんねぇな」
しかしエリスは、それを否定するべく言葉を返した。
「勝機はいつでもあたしの中にある」
活力に満ちた強い瞳は、まっすぐにアドレーへと向けられていた。
「それを捨てない限り、エリス・エーツェルに負けはない……!」
彼女の横顔を見るアリーシェは、無意識のうちに短く噴き出していた。どうやら自分は、まだまだ彼女のことを見くびっていたようだ、と。
アリーシェの瞳も、正面の強敵へと向けられる。
「頼むわよ」
「任せとけ」
エリスとアリーシェが、足並みそろえてアドレーへと立ち向かっていく。
その姿は目にし、レクトは彼女たちの考えを推し量った。
その攻撃に、残る力をすべてかけるつもりであると。
この状況を打開するにはもはやそれしかないだろう。口ではどう言おうと、エリスももう余力が残ってないはずだ。
捨て身の攻撃で決着をつける。
ならば自分もそれにかけるしかない。
レクトは構えていた弓を下げ、意識を最大限に集中し始めた。
いざという時のためにと思っていたが、紛れもなく今がその時だろう。
「出し惜しみは無しだ……!」
「腹をくくったか」
正面から迫るふたりを目途に収めて、アドレーは全身に力を込めた。
「最後のひと花を踏みにじる。それもまたよし!」
そしてちょうど切っ先を当てられる距離を見計らって、先陣を切るエリスへ大剣を振り下ろした。
エリスは舞うように刃を避け、さらに突き進む。アドレーが剣を引き戻したのと同時に、軽やかに空中へと飛び上がった。
「オーバーっ!」
エリスの振りかぶった剣から、猛々しい炎が湧き上がる。
「ワンパターンな奴め!」
アドレーはすかさず、大剣を自らの足元へ突き立てた。
「グランドブラスト!」
その衝撃で、砕けた地面が勢い良く弾け飛ぶ。が、その直前に、アリーシェが爆心地へと滑り込んでいた。
「リジェクションフィールド!」
そして地面に向け防御障壁を展開する。それによって、上空へ飛び散る岩の弾幕に一カ所だけ穴が生まれた。まるで直上のエリスを、意志を持って避けるかのように。
「無駄だっ!」
アドレーは間髪を入れずに、エリスへと剣を横なぎにした。そこまでが勘定の上だ。最初にも見せた二連撃。いくら動きを読もうが、これはかわせまい。
が、しかし。
「フラッシュジャベリン!」
レクトの打ち放った巨大な光槍が、大剣を持つ腕を直撃した。
「なにっ……!?」
それは完全に、アドレーの予測を外れた攻撃だった。彼からの援護など、弓を射るくらいしかないだろうと侮っていたのだ。
貫かれた腕の力が奪われ、大剣が手からすっぽ抜ける。
「フレアぁぁ!」
次の瞬間。炎の刃が、アドレーの胴を肩からバッサリ斬り裂いた。
傷口から広がる炎に、苦痛の声を上げながら身悶えるアドレー。
その様子を見ながら、レクトは力尽きてその場に倒れた。先ほどの『魔術』に文字通りの全力を注いだからだ。
アリーシェはなんとか意識を保ちながら、気を許したように座り込む。
しかしエリスだけは、疲弊した体にムチを打ち、しっかりとした眼差しで剣を構え直した。
奴はまだ倒れていない。
斬り裂かれ、火だるまになった今でも、アドレーはまだ倒れていなかった。
エリスの眉間にシワが増える。手応えで、斬り込みが浅かったということを自覚していた。
詰めが甘かったのだ。
「おおおおおおっ!」
アドレーが雄叫びを上げる。充血した瞳がエリスを見下ろす。そして固く握った左拳を、大きく振り上げた。
エリスは息を呑む。反射神経に体が追いつかない。
間に合わない……!
「フラッシュっ……!」
その窮地を救ったのは、リフィクがかろうじて放った小さな光弾だった。
殺傷力もなにもない、単なる光の玉が、アドレーの眼前で炸裂する。
振り下ろされた拳は目測を外し、エリスのほんのわずか隣へ叩きつけられていた。
「……だからさ。言ったろうが……!」
エリスは剣先をななめ上へ向け、跳び上がる。
「勝つのはあたしだって!」
突き出した銀の刃は、アドレーのノド元を深々と刺し貫いた。
『シカ』に酷似した巨体が、今度こそ倒れる。それから二度と起き上がることはなかった。
◆
驚くほど時間がゆっくりと流れている。
そう感じるのは、極限まで高まった緊張と興奮がなかなか覚めやらないからであろう。
まず優先させたのは、傷を負って倒れたラドニスとパルヴィーの治療だった。
しかし『治癒術』の使えるアリーシェとリフィクも相当に消耗していたため、それは時間をかけてじっくりと行われた。強い衝撃で気を失っただけで、命に関わる重傷ではなかったのがせめてもの幸いだったろう。
それが一段落ついた頃には、空は斜陽に染まっていた。
「エリスさん」
戦場となった村の、なにもない小屋の中。寝転がっていたエリスへ、アリーシェが微笑みを携えて歩み寄った。
「今回は、敵の力を見誤っていたわ。私たちだけでは負けていた。あなたたちがいてくれて、本当に助かったわ」
そして右手を差し出す。
「ありがとう」
心からの感謝だった。
若干の照れくささを感じながらも、エリスは起き上がってその手を握り返す。
「まぁな。助かったのはこっちも同じだ。お互い様ってヤツだよ」
エリスも、全員が満身創痍になるまで奮闘したからこそこの勝利があるのだと痛感していた。
『モンスター』。それほどまでに強大な相手だ。ひとりでも欠けていたら駄目だったろう。
エリスとアリーシェは笑い合う。
肩を並べ、背中を預け、共に修羅場をくぐり抜けた戦友。死線を共にした仲。出会って間もないふたりではあるが、彼女たちのあいだには確かな絆が芽生えていた。
無論それはふたりだけではなく、この場に生き残った全員に言えることである。
◆
「マスター、聞いたかよ」
大草原『グリンシー』の外れに位置する小村。そこに居を構える酒場に、ひとりの男が上機嫌に入ってきた。
正確には酒場と食堂と、二階の宿屋を兼ねた店である。
男は並ぶ丸テーブルを通り越しカウンター席に直行し、興奮気味に二の句を継いだ。
「近くに巣くってた『モンスター』共がみんな死んでたって」
「もう何度も聞いたよ」
壮年の店主は苦笑してそれに答えた。
店に来る客来る客がそれを口にするため、喜ばしい反面どこか辟易している部分もあるのだ。
男の顔は、興奮とは別に紅潮している。恐らく酔っているのだろう。もう夜も深まっている時間だ、それも無理はない。
店主は注文された酒を出し、構わず続けられる常連客の話に付き合うことにした。
この店を始めて長い。酔っ払いの相手をするのは慣れていた。