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第二章(9)

 

「エーツェルさんっ!」

 後方から回り込むように駆けてきたリフィクが、無惨な姿のエリスを見て悲鳴のような声を上げる。

 そして慌てて『治癒術』を施した。リフィクの片手と、エリスの体がほのかに輝き始める。

「すみません、僕ももう力が残ってなくて……」

 言葉の通り、普段に比べて傷の治りがひどくゆっくりだった。

 しかしそれでも、自分の体が楽になっていくのをエリスはありありと感じていた。

「……あいつに一発お見舞いできりゃいい」

 彼女の目は、離れたところにいるアドレーの背中を真っ直ぐににらみつけている。

 レクト、パルヴィー、ラドニスの三人が、あえて逃げるように戦い、奴をこの場から遠ざけているのだ。奴は奴で、どうやら重体のエリスからはもう興味をなくしてしまった様子である。

「それで決めてやる……!」

「三度目の正直とは言うけど。勝算はあるの?」

 かたわらでヒザをつくアリーシェが、つらそうな表情で確認した。

 彼女は限界近くまで『魔術』を使ったため、体力をほとんど失っている。今は休息に努めている状態だ。もしあとほんの少しでも使い続けていたら気を失っていたことだろう。

「勝てるだの負けるだのの計算は性に合わねぇ。あたしはただ、やるだけだ。全力やって道を切り開く」

 愚直すぎるエリスの答えに、アリーシェは厳しい視線を差し向ける。

「けど『あれ』には通用しなかったじゃない」

 エリスの攻撃は、一度たりともアドレー・カギュフを捕えていない。それどころか反撃をまともに食らい、重傷まで受けてしまっている。

 今のままでは、ただ大言壮語を口にしているに過ぎないのだ。

「たとえ体が癒えてもそれは変わらないわ」

 『治癒術』で傷を治せても、失った体力は戻らない。すでに相当消耗しているはずだ。今まで以上の戦いができるとは思えない。

「そりゃぁ、さっきまでのあたしなら、そうだったかもしれねぇけどな」

 エリスは笑うように声のトーンを上げて、杖代わりにしていた剣から体を離した。

 自分の足でしっかりと立ち、地面から剣を引き抜く。

「さっきまでの……?」

 言葉の意味がわからず、眉根を寄せるアリーシェ。

 ただノックアウトされていただけのあいだに、なにが変わったというのだろうか。

「あたしの目は節穴じゃねぇ、ってこったよ」

 しかしエリスはそれが答えだと言いたげに、いやに自信あふれる表情を彼女に見せつけた。

 

 

 ラドニス、パルヴィー、レクトの三人は、それぞれ三方に散り、アドレーを包囲していた。

 正対する者は構わず退き、必ず背後や横方向から牽制と攻撃を仕掛ける。その繰り返しだ。

 はた目には善戦しているように見えるも、実際はそうではなかった。ただ消極的なだけ。そうせざるを得ないのだ。

 こちらもこちらで激戦の直後。エリスやアリーシェほどではないが消耗している。故にいまいち攻勢に踏み切れていないのだ。

「……つまらん戦いだ」

 そんな戦況に嫌気が差したか、アドレーは吐き捨てるように呟いた。

 元来、アドレーは戦闘行為自体に快感を覚える性格をしている。たまに他の『モンスター』のボス格のところまで赴き、腕試しを挑むこともあるくらいだ。

 そんな彼からすれば、こうも消極的な戦い方はひどく退屈なのである。これ以上続ける気が起きないほどに。

「終わらせる」

 アドレーは大剣を高々と振りかざし、

「グランドブラスト!」

 それを自分の足元へ強烈に叩きつけた。

「……!」

 石を放り込まれた水面に、波紋が広がるように。アドレーを中心とした地面が砕け、まるで火山の噴火のように岩々が上空へと舞い上がった。

 逆方向から襲いかかる岩と石の雨が、近距離に構えていたラドニスとパルヴィーを瞬時に飲み込む。中距離を保っていたレクトだけが、唯一その攻撃から免れることができた。

 飛び上がった岩石群が、重力に従って今度は本物の雨のように降り注ぐ。

 

 レクトは、直視しがたい光景に息を詰まらせた。

 アドレーの周囲に、岩に埋まりかけたラドニスとパルヴィーが倒れている。意識を失っているのか、動く様子はなかった。

 ……死んではいないと、思いたい。

「ただでは殺さん」

 そんなふたりを見下ろしながら、アドレーが低くささやく。

「生きたままその身を食らい尽してやる」

 そしてその目が、ぎろりと音を立てるかのようにレクトに向けられた。

 レクトのヒタイから、冷や汗が流れ落ちる。

 強大な相手だ。しかし、いすくまりはしない。

 『モンスター』の『ボス』と対峙するのは、これで二度目。今度は言い訳はできない。やらねばならないのだ。

 弓を引くレクトめがけて、アドレーが攻めかかる。

 その横合いから、エリスが猛然と突撃してきた。

「勝負しろーっ、剥製野郎ーっ!」

 普段の活発さを取り戻した彼女を目にし、レクトはほっと胸をなで下ろす。

 先ほどまでは、遠目からでもわかるほどエリスの状態は思わしくなかった。それを見た時一瞬は血の気が引いたレクトだったが、すぐに気を取り直すことができた。こうして復活してくるのを信じていたからだ。

 恐らく大抵の人間ならば、体は無事に治っても心はそうはいかないだろう。あれだけの傷を負わされた恐怖が脳裏にこべりつき、足を震わせる。

 しかしエリスに限ってその心配はない。

 たとえ恐怖に身を縛られていたとしても、それよりもっと強い反骨心が体を前へ前へと突き進ませる。レクトの知るエリス・エーツェルとはそういう人間だ。

 

「懲りない奴め」

 嘲笑気味に、アドレーはエリスへと目標を改める。

「だが面白い!」

 ある種の興味を抱いたのだろう。痛めつけてもまだ向かってくる、その根性に。

 アドレーは彼女めがけて、大剣を袈裟がけに振り下ろす。

 エリスは走る勢いのまま、頭から地面に滑り込んだ。背中の直上を巨大な刃先が通り過ぎる。そのままでんぐり返りの要領で立ち上がり、勢いを殺すことなく再び走り出した。

 しかしまだアドレーの間合いである。

 大剣の軌道がななめから縦方向に変わり、再びエリスへ振り下ろされる。

 紙一重のところで身をひねってそれを避け、エリスはさらに前へと駆けた。

 巨体故に足元は死角になりやすい。エリスは駆け抜けざま、アドレーのヒザへと斬撃を残していった。

 銀の刃が紫のしぶきを飛び散らせる。

 恐らくアドレーにとって、それはかすり傷程度のものなのだろう。がエリスは、まるで首でも取ったかのような表情を奴へと見せつけた。

「どうだっ!」

「……腑に落ちないな」

 アドレーは足の傷などまるで気にせず、彼女に懐疑的な眼差しを向ける。

「そんな動きで、オレの攻撃を避けれるはずがない」

 彼はひと目で見抜いていた。今のエリスには、もはや満足に体を動かせる力など残っていないということに。

 一挙手一投足が鈍く、重い。先ほどまでと比べるとまるで全身に鉛をつけているかのような遅さなのだ。

 だというのにエリスは、アドレーの攻撃を二度もかいくぐり、あまつさえ傷を与えるに至った。

 普通なら有り得ないことだ。運良く……の範疇を超えている。

「考えられるとするなら……オレの剣筋を読んでいるのか?」

 アドレーは楽しむような様子で推測を口にした。

 体を動かせば大なり小なりクセというヤツが個々に出るものだ。手や足の振り方、視線などが顕著だろう。注意深く観察すれば、あるいはそれを見極めることもできるかもしれない。そして攻撃を先読みして剣が振るわれる前に動き出せば、たしかに避けることも可能であろう。

 ……理屈の上では、と付け加える必要はあるが。

「まさかな」

 アドレーは自分の考えを笑い飛ばす。あまりにも机上の空論すぎる、と。

「そりゃあ、あんだけやたらめったら振り回してりゃな」

 しかしエリスは、アドレーの推測に応じるように片口角を持ち上げた。

「遠くから見りゃまるわかりだ」

 まるで勝ち誇った表情。

 遠くからということは、アドレーがラドニスたちとやり合っていた時のことを指しているのだろうか。至近距離で正対するより全体を眺めたほうがわかりやすいというのも、理屈としてはうなずける話ではあるが。

 アドレーはわずかに顔をしかめる。エリスはなおも上調子に言葉を継いだ。

「それを見逃すほど、あたしの目はマヌケじゃねぇんだよ。つまりこのエリスアイはなっ!」

 

 肩で息をするリフィク。そのとなりでヒザをつくアリーシェは、驚きの表情でエリスを見つめていた。

「……信じられない」

 本当にアドレーの動きを先読みしているのだとしたら、大した洞察力と動体視力である。にわかには信じがたいが、それ以外の説明が思いつかないのも事実だった。

 しかし真に目を見張るべきは、そんなところではない。

 彼女はあの瀕死の状態で……手足もロクに動かせないような状態で、奴の動きを観察していたということになる。

 痛みで卒倒しなかったのが不思議なくらいの負傷だったというのに。彼女は本当にあきらめていなかったのだ。

 まだ戦うために。勝つために。その牙を研いでいた……!

 その姿勢がすべてを物語っている。彼女という人間の心根を。

「エリス・エーツェル……口だけじゃない」

 アリーシェは一瞬だけ愕然と、そして一瞬だけ口元をほころばせて、ゆっくりと重い腰を上げた。

 両足で地面を踏みしめ、深く息を吐く。

「少し元気をもらったわ」

 そして凛々しさのよみがえった眼差しを、前方へ向けて射飛ばした。

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