第二章(6)
エリスも今ばかりは、得意の剣技を封印しているようだった。
下手に炎を散らして氷が溶けてしまっては、せっかくの作戦が徒労に終わってしまう。その辺りはしっかり考えているらしい。
いつかの老婆心も無駄ではなかったということか。
レクトは岸から弓矢を射ながら、作戦にたしかな手応えを感じていた。
これでどうにかクローク・ディールと戦った時の不手際を雪辱できただろうか。
しかし最後まで気は抜かない。
「……」
三人の立ち回りを遠目から見つめながら、レクトはふと思う。
エリスの剣技にしろ、衝撃波を矢のように飛ばす彼女――パルヴィーの剣技にしろ、あれは『魔術』の応用技だ。
直接放つのではなく、武器を介して相手にぶつける。故に通常の『魔術』よりも威力や攻撃範囲、バリエーションは限定されるが、格段に扱いやすくはなる。
リフィクの説明ではたしかそういうものだったはずだ。
「……」
実戦で『魔術』を使うには、あの形がベストかもしれない……。特に制御もままならない自分にとっては。
レクトは戦いに向けられる頭の片隅で、そんなことを考えていた。
アリーシェとリフィクがその場へ駆けつけた時には、すでに『モンスター』の数は半分以下にまで減っていた。
斬り裂かれた死体、肉片が、至るところに転がっている。凍った川には水ではなく紫色の鮮血が流れていた。
思わず顔をしかめるリフィク。
しかしアリーシェは、冷酷とも取れる表情でその光景を見つめていた。
そして心のうちで思う。凄惨だと。だが『モンスター』によって流された人間の血は、こんなものではないのだ。苦しめられた思いも、虐げられた心も、こんなものでは到底足りない。
「つぐないにすら遠い……!」
アリーシェは川沿いを走りながら、腰元のロングソードを引き抜いた。
村とはいっても規模の小さな類である。
故に騒ぎが起これば、それはすぐさま村中へと響き渡る。
『モンスター』アドレー・カギュフは、自宅に飛び込んできた手下の報告により、それを知らされた。
アドレーはまず昼寝の邪魔をされたことに腹を立て、バカに大げさに騒ぎ立てていることに、さらに腹を立てた。
人間たちによって仲間が次々とやられている。手も足も出せずに。しかも人間たちの数は十にも満たない……。
そんなことを聞かされたら、大抵の『モンスター』はこう言って笑うだろう。
「なにを寝ぼけたことを」
それはアドレーの場合も同じであった。ただ実際に寝ぼけていたのは彼のほうであったが。
アドレーは取り合わずに寝直そうとするも、手下のやけに必死な態度に免じて、とりあえず様子だけは見てやることにした。
以前は恐らく村長でも住んでいたであろう、村で一番大きな家を出て、川辺へ赴く。
そして現場の状況をまのあたりにしたところで、アドレーの眠気は一気に吹き飛ばされた。
まさしく言葉通りのことが起きていたからだ。
「どうします!? ボス……!」
「……どうするかだと? 決まっているだろう、そんなことはっ……!」
焦りを隠せない手下を叱るように、アドレーは鋭く指示を飛ばした。
「残っている者をすべて集めろ!」
「てめぇで!」
「ラストっ!」
エリスとパルヴィーが、即席にしてはなかなか息の合った動きで、左右から交差ざまに斬撃をお見舞いした。
飛び散る血しぶき。断末魔。
これで川へ誘い込んだ『モンスター』、十五体すべてを斬り終えたことになる。
が、次の瞬間。息をつくヒマも祝杯を上げるヒマもなく。
「ラドニスさん、後ろっ!」
レクトが切迫して声を張り上げた。
戦場を見渡せる場所故に、いち早くそれに気付いたのだ。
「!」
「うおおおおっ!」
反対側の川岸から、一体の『モンスター』が雄叫びを上げながら猛進してきた。
一見それは、他の連中と同じ『モンスター』に思えた。『シカ』に似た頭部。こげ茶色の体毛。鋼鉄製のフルプレート。
しかし肉薄するにつれ、違いがわかるようになってくる。
まず第一に、他の奴らよりも体が大きい。角も雄々しく立派だった。その時点で、他とは一戦を画す存在だということは瞭然である。
この群れのボス格……!。
瞬時に、六人の脳裏に共通した認識がかけめぐった。
『モンスター』は、牛をも一刀両断できるかというほど巨大な剣を握っている。一番近いところにいたラドニスめがけて、走る勢いのままそれを叩きつけた。
避けようにも避けられず、大斧で正面から受け止めるラドニス。が、たやすくせり負けてしまった。
防ぎ損ねた大剣が滑り、肩口から赤いしぶきが弾け飛ぶ。
「出てきやがったか、元締めが!」
「フォグスクリーン!」
アリーシェは即座に、霧を発生させる『魔術』をうち放った。まるで水蒸気爆発でも起きたかのように、辺りが一瞬にして白い世界に包まれる。
煙幕代わりであろうか。迅速な判断だ。
「ここでは戦えないわ、ひとまず下がって!」
なにはともあれ氷上である。動けない『モンスター』をただ斬るだけならともかく、まっとうな戦闘を行うには足場が悪すぎる。
しかも相手は恐らくボス格だ。不安要素は少しでも減らしておかなくてはならない。
「しょうがねぇ!」
エリスも素直に従い、踵を返した。
視界はゼロに近かったが、皆の目指す先はおのずと決まってくる。ボス格がやってきた方向の正反対。レクトが陣取っていた川岸だ。
「小細工を弄するあたり、所詮はただの人間か……!」
エリスら全員が濃霧から抜け出たのとほぼ同じくして、『ボス』アドレー・カギュフも霧からの脱出を果たした。
しかし脱出を優先したためか、方向はかなりズレてしまったようだ。
村の広場のほうへ駆けていく六人の背中が、薄霧越しにうかがえた。
「逃がすな!」
アドレーのひと声と共に、岸に待機させておいた手下たちが人間たちを追いかける。
こちらも六体。忌々しいかな、残存戦力すべてである。
リフィクとパルヴィーがそれぞれ真横と後ろにつき、ラドニスの傷を治す。
が、やはり走りながらでは意識を集中しきれないのか、ふたりがかりでも術の効きは鈍いようだった。
「面目ない……!」
ラドニスが歯がみしながらこぼす。
とはいえ、不意打ちのような一撃である。加えてあの巨大な得物。走れる程度のダメージに抑えただけでも大したものではなかろうか。
「充分よ」
アリーシェは先頭を行くレクトに続きながら、追走してくる敵集団へと視線を飛ばした。
ノーマルサイズが六体。その背後にボス格が続く。
それですべて……だろうか。どちらにせよ『ボス』が出てきたのなら、あとひと押しであることに変わりない。
正念場だ。ここが。
同じく後方を見ていたエリスの脳裏にも、同じ言葉が浮かんでいた。
『モンスター』のボス格。やはり下っぱを相手にしていてもしょうがない。倒すべきは頭。そしてそろそろ欲しい頃だ。白星が。
「おいっ、あいつの相手はあたしがするからなっ!」
先手を打ったエリスに合わせるように、アリーシェは思案をめぐらす。
六人一丸となって戦えば『ボス』には勝てるだろう、というのがアリーシェの予測だった。
相手の力はまだ未知数だが、このメンバーならそうそう遅れは取るまい。少なくとも互角の戦いは望めるはずだ。
しかし厄介なのは取り巻きの存在だろう。
まずはそちらをどうにかしなくては、話にすらならない。
「……私とエリスさんで『ボス』を食い止めるわ。皆はそのあいだに他の『モンスター』を!」
あえて危険な役目を自分に課すアリーシェである。
問題は、どれだけ持ちこたえられるか……といったところだろうか。しかしこればかりは仲間を信じるしかない。
「かしこまりっ!」
めいめい返事をする中パルヴィーの呑気な態度に、少しだけ肩の力が抜けたアリーシェだった。
最初にエリスが戦っていた、村の入り口にほど近い広場。
特に意図したわけではないが、ラドニスの回復を待っていたらそこに着いてしまったのだ。
だがおおよそ八割といったところで、彼の治療を中断せざるを得なかった。思っていたより『ボス』の足が速かったからだ。
手下の『モンスター』を置き去りにするほどの駿足で、エリスらに急迫する。そして追いつかれる寸前で、件の広場へと差しかかったのだ。
もはや捕まってしまうかというギリギリのタイミングで、六人はキレイに左右へ分かれた。
アドレーから見て右方へ、アリーシェ、レクト、パルヴィー。そして左方へエリス、リフィク、ラドニスが散る。
一瞬、アドレーは狙いに迷った。
そこからエリスとアリーシェだけが反転し、アドレーへ正対する。
残りの四人はそのまま回り込んで、後続の『モンスター』たちへと立ち向かっていった。
「たったの二匹で、オレの相手をするつもりか」
アドレーはあざ笑うように、両者へ視線を走らせる。
「片腹痛い!」
誰が言い出したかは定かではないが、『ボス』と呼ばれる『モンスター』の強さは、通常の『モンスター』十体分に相当すると言われている。
アリーシェは常々、その風聞を言い得て妙だと思っていた。個々で若干の違いはあるものの、概ねその通りなのだ。
いくら時間稼ぎが目的とはいえ、それをふたりで相手にしようというのはたしかにお笑いぐさである。
「センベイでも食ってろ『シカ』野郎ーっ!」
そんな窮地にもめげずに、アイサツ代わりの野次を飛ばすエリス。
「笑ってられんのも今だけだっ! 見てろよ! すぐに剥製にしてやるからなっ!」