第二章「消し去れ! ディストラクトレイ」(1)
パルヴィー・ジルヴィアの胸は、興奮と緊張で高鳴っていた。
年の頃は十代の後半。うら若き……などという言葉も似合う、まだまだ未熟な少女である。
しかし彼女の格好は、同年代の少女たちと比べいささか風変わりだと言えた。
セミショートの髪を覆う額当て。軽量さと頑丈さを兼ね備えた白銀色の胸鎧。左腕には小型の盾を付け、腰元にはショートソードをぶら下げている。
彼女を見た十人に九人が、その姿を『騎士』と思うだろう。
ちなみに残りのひとりは、単なる演劇の出演者だとでも思うかもしれない。まだまだ若い顔や体つきとのギャップがそう思わせる。
草原の端の木陰で、パルヴィー・ジルヴィアは立っていた。正確には待っている、と言うべきだろうか。
彼女の近くには、彼女と同じ格好をした、もうふたりの人間がいた。
ひとりは女性だ。
束ねた長い髪に、秀麗な顔立ち。年齢は三十の真ん中を過ぎた辺りなのだが、本人の前ではもっぱら禁句となっている。
最後のひとりは、パルヴィーの父と言っても通用しそうな年代の男性である。女ふたりと並んでいると、さすがに桁違いの体つきを誇っていた。
三人の格好の違いは、それぞれほんのわずかな部分だけである。鎧もその下の衣服も武器も、示し合わせたようにデザインが統一されていた。
「……そろそろ現れる頃よ」
女性が、芯の強い声で仲間に呼びかける。
男性は低く「ああ」とうなずき、パルヴィーは、
「腕が鳴りっぱなしです!」
と、どこかはしゃいだ声で、待ちきれないように剣に手をかけた。
◆
「なぁー、よー、そもそも『モンスターキング』ってのはどこにいるんだ?」
まるで草の海とも呼べるほど広大な、草原地帯。かかる橋のように伸びる街道を進む荷馬車の上から、気だるそうな声が投げかけられた。
手綱を握る中年男性。そのとなりに座る僧侶じみた若い男、リフィク・セントランは、まばゆい青空を見上げながらぼんやりと答えた。
「どこにいるんでしょうね……」
彼の金髪の頭が、背後から伸びてきた足にゲシリと小突かれる。
「……『ルル・リラルド』というところにいる、というのは聞いたことがあるんですけど……」
リフィクは頭を押さえながら、弱々しく弁解した。
「それがどこにあるかまでは知らないんです」
再び足が飛んでくる。
「舌かみそうな名前っ!」
「それは僕のせいじゃないですよっ……」
馬車の荷台には、主に織物の詰まった木箱がびっしりと並んでいた。それらが布とヒモで、丁寧に固定してある。
その上で、エリス・エーツェルはだらしなく寝転がっていた。
外にハネた短い茶髪。下着と混合しそうなほど丈の短い白いタンクトップに、これまた丈の短い緑色のショートパンツ。
相変わらずというのか、なんというのか、健全な男には目の毒な格好である。
ただ――。大きな町に向かう途中だというこの荷馬車に快く乗せてもらえたのは、もしかしたらそんなエリスのファッションセンスのおかげかもしれなかったが。
「今の俺たちに必要なのは、共に戦ってくれる仲間だ」
行儀の悪いエリスとは違いちゃんと座っていた青年、レクト・レイドが、真剣な口調で切り出した。
「何回するつもりだよ、その話。別に取り立てて必要ってほどでもねーって」
エリスの抗議も取り合わず、話を続ける。
「繰り返すのはお前が真面目に聞かないからだ。いいかエリス、お前の力はたしかに強い。だがその力は、さしずめこの馬と同じなんだ」
レクトは人差し指で、せっせと歩く二頭の馬を指し示した。
「はぁ?」
「人を乗せるなら鞍が必要になる。荷物を運ぶなら荷車が必要になる。力だけあっても、それを有効に使えなければしょうがないだろう」
「……説教くせぇところは母親似だな。そういうのはガキの頃に聞き飽きてんだよ」
エリスはスッと話をすり替える。舌先三寸では彼女に分があった。
「村の外で遊んでてもガミガミ、夜遅くまで起きててもガミガミ、メシで嫌いなもん残してもガミガミだ。あたしのこと目の仇にしてんだよ、ブリジッタ・レイド」
こうなってはこれ以上なにを言っても効果なしかと悟り、レクトは小さくため息をついた。
「……当然だろう。お前が心配をかけるようなことばかりをして、なおかつ聞き分けがないから言い方も強くなったんだ」
「ガキの頃だけならまだしも、あんにゃろうこの前まで言ってやがったんだぜ? 『そんな肌を出した格好をするもんじゃない』だの『もっとキレイな言葉遣いをしなさい』だの。こっちの勝手だってのに」
まぁ、レクトの母親でなくともなにか言いたくはなるだろう。エリスのこの惨状をまのあたりにすれば。
ふたりのやり取りを、リフィクと御者は微笑ましい表情で聞いていた。
「……けど。あのうるせぇ小言も、聞けなくなったらなったでなんかアレだな」
エリスはほんのわずかに声のトーンを落とす。素直に寂しいとは言わない辺り、真性の意地っぱりな証であろう。
それに応えるように、レクトは目を細めて彼女を見た。
「そうだな。俺たちは村の中の世界しか知らなかった。いつも近くにあるのが当然だと思って、今まで深くは考えていなかった」
村を離れた経験はない。家族同然に接してきた村人たちと離れた経験もない。
あるとするなら、まだほんの子供の頃。『モンスター』も知らなかった昔に、村の外へ遊びに行き、夢中になってそのまま野外で夜を過ごしてしまった時くらいだ。
一日ほどである。それ以降は大人しく村の中で遊んでいたし、成長してからはずっと自警団として戦っていた。
レクトとしても、寂しく思う気持ちがないと言えばウソになる。だがそれを凌駕するほど、強い思いが胸にあるのだ。
「……いつか帰ろう。必ず。『モンスター』の『キング』を討って、もう二度と村が危険にさらされないようになったら」
無論、『モンスター』以外にも危険というのは山ほどある。だが目に見えて最も厄介なのは奴らに他ならない。
無慈悲な破壊者たち。
たとえ故郷の村でなくとも、同じ人間が奴らに苦しめられているのなら、放っておくわけにはいかない。可能な限り助けたい。
それはレクトの中にある、衝動にも似た感情だった。
「そうだろう? エリス」
「当たり前だろ、んなこと。今さら言うまでもねーよ」
エリスは寝転がった体勢のまま、歯を見せて笑顔を作ってみせた。
道の起伏に合わせて、荷車が小さく上下する。そんなところで横になり、暖かくやわらかい陽射しが降り注いでいるとなれば、否応なく眠気が湧き上がってくるというものだ。
馬車が目指す大きな町はおろか、途中の村に着くのにさえ、まだだいぶかかるらしい。
特に面白いことがあるわけでもないので、エリスの意識はどこか遠くをさまよっていた。
心地良さそうにまどろんでいる。
狭い荷車の上で体勢を変えるたびに、徐々に彼女の衣服が乱れていく。ただでさえ丈の短いタンクトップは、もはや、性格とは対照的な控え目なバストが見えてしまいそうなまでにめくれ上がっていた。
レクトはそれを注意してやるべきか、そっと直してやるべきか迷ったが、誰も見ていないならいいかと放っておくことにした。
呆れるようにため息を吐く。
荷馬車が大きく揺れたのは、そんな時だった。
二頭の馬が、突然暴れ出したのだ。
前足を大きく跳ね上げ、悲鳴のような鳴き声を上げる。なにやら異様な興奮状態にあった。
御者が手綱を引いて落ち着けようとするも、なかなか治まらない。
レクトはバランスを保っていられずに、たまらず荷車から飛び降りる。エリスは寝たまま地面に転がり落ち、ぐえっ、というカエルのような声を上げた。
「なっ、なにがあったんですかっ!?」
御者席でうたた寝していたリフィクも、異常に気付いてうろたえる。
そんな中で御者の男性だけが、特に慌てることなくも馬を静めていた。
「なんなんだよ! いきなり! この馬共はっ!」
砂を体中につけたエリスが、ややあって静かになった馬車に飛び乗りながら、激しくタンカを切る。
その怒鳴り声で馬が再び暴れ出してしまうのでは……という配慮は一切なかった。
「ああ、すまなかったね。ケガはなかった? よくあることだよ」
御者は苦笑いしながら、ほがらかに弁解する。
「この近くには『奴ら』の住みかがあるから、こいつらも脅えちまうのさ」
今や二頭の馬もすっかり大人しくなっていた。これも熟練がなせる技なのだろうか。
「前に何度か出くわしたことがあって……その時のことを思い出すんだろう」
「奴ら……?」
街道上で停止している荷馬車。自然と見上げるような体勢で、地面からレクトが尋ねる。
「『モンスター』だよ」
その答えを聞き、エリスの顔がこれ以上ないというほど輝いた。
◆
「狙いすました……スラッシュショット!」
白銀色の鎧をつけた少女が、手持ちのショートソードから鋭い衝撃波を撃ち飛ばす。
「続けてっ」
少女は風見鶏のようにクルリと回転して、間髪を入れずに再び剣を振った。
「クロスシュート!」
幅広と縦長の二種類の衝撃波が十字に組み合わさり、『シカ』に酷似した頭の『モンスター』を斬り伏せた。
その背後では。
「リジェクションフィールド!」
同種族の『モンスター』の攻撃を、凛々しい女性が『光の壁』で防いでいた。
奴の剣が、まるで本物の壁に阻まれたように、女性の目前でピタリと静止している。
『モンスター』がどれだけ力を込めても武器は通らない。
「ぬん!」
その横手から飛び出した男性が、大斧で、女性の眼前の『モンスター』を豪快に叩き斬った。
大草原の外れでエリスたちが目撃したのは、そんな光景だった。