第一章(15)
目を覚ましたエリスが最初に見たのは、武骨な石の壁だった。
「……やってくれるぜ……あの姉ちゃん」
しゃんとしない意識の中、上半身を起こす。
すぐとなりに、眠っているとおぼしきリフィク。そして少し遠くに、転がっているクローク・ディールが見えた。
徐々に意識がしっかりとしてきたところで立ち上がり、辺りを見回してみる。
わざわざ見回すまでもなく、そこはディールと一戦やらかした例の部屋のままだった。
「……もうちょっとうまくいくと思ったんだけどな」
呟いた言葉を聞く者はいない。
「ちぇっ……」
扉が壊れたバルコニー部分から見える空は、うっすらと白んでいた。朝……なのだろうか。
次にエリスは、自分の体を見下ろしてみた。
たしかリュシールに、剣ごとバッサリやられてからの記憶がない。
服こそ切れているものの、その下の体自体はキレイだった。無傷。傷跡すらない。
エリスは眼下のリフィクをチラリと見てから、見当たらないもうひとりを探すべく、再び周囲を見渡した。
「中を見て回ってきた」
レクトが戻ってきたのは、エリスが目覚めてほどなくだった。
「大量の『モンスター』の死体があった。……奴らがやったんだろう」
どこか憎々しいニュアンスを含ませながら、目にしてきたものを報告する。
そういえば、ディールと対峙した時にハーニスがそんなことを口にしていた気がする。
自分が気を失っていたあいだの状況と砦内部の状態を聞き終わった頃には、すっかり太陽が顔をのぞかせていた。
エリスは大きくのけぞって、ぐぅーっと体を伸ばす。
「とりあえず、あの村にでも戻ろうぜ。いつまでもこんなトコにいてもしょうがねぇしな」
「……エリス」
いつになく真剣さをただよわせた様子で、レクトが切り出す。
「折れた剣は直せばいい。傷ついた体も、また治せばいい。だが、それを治してくれる人にも限りがあるんだ」
言外に指しているのはリフィクのことだ。
リフィクはかなりの長時間、エリスの治療を行っていたらしい。それほど厄介だったのだ。あの氷の剣技は。
そして体力を使い果たし、倒れるように眠ってしまった、と。
戦闘中からしてもそうである。彼がいなければ、今のエリスはないだろう。
「だからこれからは、あまり無茶をするな」
その口調は、まるで子供にやさしく言い聞かせる保護者そのものだった。
「……わかってるよ、そんなことは」
エリスはめずらしくも殊勝に、その忠告を受け入れた。
「けど、これから先どうなるかなんてのはわかんねぇ。その時になってみなきゃな」
怒られてすねる子供のように、口を尖らせる。
「こうしたいって思ってもガマンするようなのは、ちっとも楽しい生き方じゃねぇ。お前はどうだか知らないけど、あたしはゴメンこうむる」
「抑えろとは言わない。周りと、少し先のことを見てくれればいい。それで充分だ」
物腰やわらかく、肯定的に願い出るレクト。
エリスの性格上、強く言っても逆効果なのだ。幼い頃から変わらない。真に聞かせたいことがあるなら、下手に出る。それに限る。
戦闘中のことも、レクトがもう少し冷静だったなら、そういった言い方を考える余裕もあっただろう。今とは展開が違っていたかもしれない。
しかしすでに終わったことだ。「もし」なんていう有りもしないことを考えていてもしょうがない。レクトも、その点はエリスと同意見だった。
初めて直面した状況にうまく対応できなくても仕方のないこと。ただ、次に同じテツを踏まなければいいだけなのだ。
エリスは面倒くさそうに、息を抜く。
「……覚えてたら、そうするよ」
◆
エリスとレクトが両側から肩を支えて運んでいても、リフィクは一向に目を覚まさなかった。
『魔術』使用の消耗というのはそれほどまでに激しいものなのだろうか。
高い頻度で休憩を挟んでいたせいか、例の森の中の村にたどりついた頃には、すっかり日が傾いてしまっていた。
ちなみにリフィクはまだ眠ったままである。
三人が戻ったことは、すぐに村中に広がることとなった。出て行った時と同じように数十人の村民が、村の入り口でエリスたちを取り囲む。
代表として歩み出てきたのは、やはりあの時と同じ壮年の男性だった。
「村長だ」
「村長だったのかよ!」
「まさか無事に逃げ帰ってくるとはな……てっきり『モンスター』に食われてしまっているかと」
「誰が逃げ帰ったってんだよ。奴らのアジト知ってんなら行ってみろ。みんな死んでるから」
簡潔に事実を述べるエリス。さすがにアレを自分がやったとまでは言わなかったが。
それを聞き、村人たちがざわざわと驚き始める。
「本当なのか……!? いや、しかし、そんなことが……」
その中でも、一際驚いていたのは村長らしき男性だった。
皆をまとめる人間として、『モンスター』の手強さを最もよく思い知らされていたからだろう。にわかには信じられないのだ。
「だから行ってみろって。若い奴ならパッと行ってパッと帰ってこれるだろ」
そんなエリスのひとことに背中を押されたのか、村長は後ろに引っ込み、住民たちとなにやら話し始めてしまった。
自然と孤立する三人。完全にカヤの外だ。
「おーい!」
エリスは自分の存在を主張するかのように呼びかける。
「そんなんどうでもいいから、とりあえずどっか休めるところ貸せよ。こいつをこのまんま野ざらしにしとくつもりか、お前ら」
こいつ、とは、依然として意識を失ったままのリフィクのことだ。草の上とはいえ地面に仰向けに転がしてある。
だがエリスの言葉は彼らには届かなかった。それどころではないのだ。
近くから『モンスター』がいなくなったとなれば、生活そのものがガラリと変わる。もう奴らのために、身を削ってまで食料集めに奔走しなくても済むのだ。
気持ちはわかる。
わかる、が、それで納得するようなエリスではなかった。
無視されたことに頬をふくらませて、文句の十や百でも言ってやろうといきり立つ。
「それなら、私の家に来るといい」
エリスが行動に移る寸前に、そんなやさしい言葉が投げかけられた。
村人たちの輪を迂回して三人のもとへやってきたのは、ひとりの老齢の男性。
それはハーニスらと出会った場に居合わせていた、この村で唯一話相手になってくれたあの老人だった。
「ひとり暮らしには持て余す家です」
「助かる! ジィさん」
「ありがとうございます」
手厚い親切に、深く礼を言うエリスとレクト。
どっぷり話し込んでしまっている村人たちをよそに、ふたりはリフィクの体を再び持ち上げた。
深き森の中を、静かに歩く男女がふたり。
頭上高くで折り重なった枝葉が、太陽の光をほとんど遮断していた。
「困った子だったね、彼女」
男。ハーニスが、微笑みながら語りかける。
女。リュシールは、相づちも打つことなくただ彼のとなりを歩く。
「彼女……エリス・エーツェルなら、僕らを理解してくれたかもしれないのに。残念だったよ」
彼は無反応な彼女を、特に気にすることなく語りかけ続ける。ふたりのあいだでは、それがごく自然な光景なように。
「けど……僕らは共に、『モンスターキング』を討とうとしている。目的が同じ以上、また会うこともあるかもね」
ふとハーニスは足を止め、彼女に顔を向けた。
「もしもう一度会ったら」
ピタリと彼女も立ち止まり、彼の目を見る。
ふたりの視線が熱っぽくからみ合った。
「その時はどうしたい? リュシール」




