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第一章(14)

 

 臨戦体勢である。

 レクトの瞳からは、ありありとした殺気が立ち上っていた。

 指の力をほんの少しでもゆるめれば、たちまち矢は発射されてしまう。その狙いは正確にハーニスへと定められていた。

「なにやってんだよ?」

 まるで食事中に同席者がうっかり皿をひっくり返してしまった時のような軽い口調で、エリスが尋ねる。

 どうして弓なんかを構えているんだ、と。

「お前こそなにをやっている!」

 しかし返ってきたのは、対照的な罵声にも似た声だった。

「忘れたのか!? 村を襲い、皆を苦しめ殺し続けていたのは、他ならない『モンスター』だぞ」

「そりゃ忘れるわけないだろ」

「ならば離れろ。『モンスター』と同じ血を引く、そんな奴らからは……!」

「あー……?」

 エリスは、ため息のような疑問符をこぼす。

 その横から、肩をすくめたハーニスが皮肉っぽくささやいた。

「これが普通の反応です」

 エリスとレクトは、完全に意見を二分していた。

 『モンスター』は害悪なれどハーニスら自身には関係がないと感じるエリスに、害悪な『モンスター』の血を受けたハーニスらに嫌悪感を抱くレクト。

 感性の問題だ。恐らくどちらが間違っているということでもないのだろう。

 だがそれだけに、両者の隔たりは天と地ほども大きい。

 リフィクはそんなレクトのそばで、止めようにも止められず、中途半端におろおろしているだけだった。

「まぁ、あんな奴のことは放っとけ」

 バカに付き合ってられない、とでも言いたげ早々に興味から外して、エリスは再び彼らへと体を向き直した。

「無理難題を」

 しかし今にも射抜かれようとしているハーニスとしては、そう簡単に放っておける問題ではなかった。

「とりあえずあんたらふたり、あたしの子分になれよ」

 だがそんなことなどお構いなしに、エリスは自分の望みを一方的に切り出した。

「エリス!」

 すかさずレクトから抗議が飛んでくる。

 どちらから対処していいのかに悩み、ハーニスは少しだけ言葉を詰まらせた。 

「……リュシール」

 とはいえ、危険のありそうなものを先に対処しておくのがベターな選択だろう。

 彼のひとことでそんな心情をすべて悟ったのか、リュシールはたちどころにレクトめがけて突撃した。

 まさに風のような速さで疾走する。

 レクトは向かってくる彼女へ素早く狙いを移して、迷うことなく指を放す。

 飛んだ矢は、しかし、サヤから抜き打ったロングソードによってあっさりと弾かれてしまった。

 リュシールは返す刃で、レクトに斬りかかる。

 振り抜かれる剣。それが斬り裂いたのは、レクトの手に収まっていた弓だけだった。

「……!」

 見事なまでに、まっぷたつ。これではもはや使いものにならないだろう。

 彼女の動きの鋭さに、ただただ息を呑むしかないレクト。ついでにリフィクも息を呑む。

 リュシールはそれで役目は終わったと言いたげに、剣を収めてハーニスのもとへと踵を返した。

 行きとは対照的に、堂々たる様子で歩く。

「君の虜だよ、リュシール」

「まっ、お前じゃ勝てねぇよな」

 それらを見ていたふたりから、別々のふたりへ、ささやかな感想が投げかけられた。

 

「さてブレイジング・ガール。先ほど、なんと言いました?」

 一方を手短に片付け終わり、ハーニスはもう一方に取りかかる。

 エリスは、

「その変な呼び方やめろよ」

 と無駄にトゲのある前置きをしてから、仕方なく先ほどの言葉を繰り返した。

「だからあたしの子分になれって」

「……あなたの冗談は、時として面白くない場合がありますね。今とか」

 ハーニスは一笑して跳ね飛ばす。が、エリスとしてはかなりの領域で本気だった。

「別に冗談ってこたぁねーよ。そっちの無口な姉さんが強いのは認めるし、そういうところ含めて気に入った。だから子分になれよっつったんだ」

 相変わらず横柄な物言いである。もう少し態度と言葉のチョイスが違っていたら、結果も変わっていたかもしれない。

 ハーニスはうんざりするように、眉をひそめる。

「……ガール。あなたが『彼女』の子分になるというのなら、話は別ですが」

「そっちこそ、つまんねぇ冗談言うじゃねぇかよ」

 エリスの理不尽な要求など、普通に考えれば通るはずがない。

 うっかり通してしまったリフィクが恐ろしいほどのマヌケだったという、ただそれだけのことだ。

「とにかく、我々はあなたの誘いを受けません。丁重にお断わりします」

 リュシールが戻ってきたのは、ちょうどそんな時だった。彼の近くで、控えるように立ち止まる。

「断わるってのかよ」

「えぇ、断わります」

「そうかい。じゃあ、断われないようにするしかねぇな!」

 言いながら。エリスは素早く剣を引き抜き、リュシールめがけて斬りかかった。

 

 激しく火花が散る。

 エリスより何段階も速く、リュシールが抜き打って迎撃した。

「おぉっと!」

 弾かれた勢いに踏みとどまれずに、エリスはその場でコマのようにクルリと回転してしまった。

「……なんのつもりです?」

 理解に苦しむように、眉根を寄せるハーニス。

 ひと回転したエリスは、剣を構え直してそれに答ええる。

「簡単だよ。勝負だ。あたしが勝ったら、あんたらは大人しくあたしの子分になってもらう。そういうつもりだ」

「いいかげんにしろ、エリス!」

 再び、レクトが怒鳴り声を飛ばした。

 しかしエリスは聞き入れない。

 彼女の意図を理解し、ハーニスは呆れたように目を細めた。

「勝つ……? 私のリュシールに、あなたが?」

 その声には、多少のイラ立ちが含まれているような気がした。先ほどまでの親和的な雰囲気がナリを潜めていく。

「それ以上『彼女』を愚弄するつもりなら……思い知ってもらいますよ。その身を持って」

 リュシールは彼をかばうような位置に移り、いつでも剣を振れる体勢を維持していた。

「別に愚弄だのなんだのをする気はねーよ。もうどっちも剣を抜いてんだ。さっさとやっちまおうぜ。わかりやすくな」

 口元には笑みを浮かべているものの、エリスの目は真剣そのものだった。

 本気で、この賭博のような勝負が成立すると思っているのだろう。

「……よろしいでしょう。どうやらあなたは、言葉ではなく行動を持ってしか納得のできない気質らしい」

 ハーニスは、やれやれと言わんばかりの様子でその要求に応えてみせた。なんだかんだでノリの良い奴である。

 彼は視線を、リュシールの背中に移す。

「君の力、彼女に刻みつけてあげようか。……ただし、一撃だけでいい。殺す必要はないよ」

 リュシールは返事もしなければ、うなずきもしない。しかしハーニスが言い終わった瞬間、彼女の周囲の空気が、音を立てるかというほど急激に変化した。

 至近距離で正対しているエリスは、それを肌で感じ取る。

 まるで空気が温度を下げたようだった。

 突き刺さるほどヒンヤリとし、体の熱を奪っていく。吐いた息が白く残るような錯覚さえ覚えた。

 鬼気迫る、というのはこんなことを言うのだろうか。

「一撃なんてケチなことぬかしてねぇで、とことんやろうぜ」

 しかしこちらは、鬼をも恐れぬエリス・エーツェルである。

「そうしなきゃ納得できねぇだろう? お互いにさ」

 挑戦的に歯を見せながら、剣を振りかぶって先手を取った。

 勝負は、一撃で決した。

 

 

 剣をなかばから砕かれ、胴を派手に斬り裂かれ、エリスはもんどり打って石の床に叩きつけられた。

「そういえば、我々が勝った場合の条件を聞いていませんでしたね」

「エーツェルさんっ!」

 事実上の勝利宣言をするハーニスに構うことなく、リフィクは切迫した声を上げてエリスに走り寄る。

 倒れた彼女を見て、息を呑んだ。

 大きく斬り裂かれたはずの胴体からは、血が一滴たりとも流れていなかった。

 傷口が凍りついていたのだ。

 通常ならば即死とも思えるほどバッサリとやられた斬傷に、まるで止血処置のように氷が張りついている。

 これもリュシールの剣技とやらによるものなのだろうか。

 しかし出血は皆無なものの、当のエリスは声にならない声を上げながら激しいまでに身悶えていた。

 傷に張りついた氷が、徐々に広がっている。それが恐らく内側……体の内部へも侵食しているのだろう。

 氷のむしばみ。その苦痛は尋常ではないはずだ。

「ヒーリングシェア!」

 リフィクはすぐに『治癒術』の行使を試みる。

 それによって氷の侵食はなんとか止められたが、傷の治りは普段と比べて明らかに遅かった。

 その『氷』が術の作用を妨害しているのだろう。なんとも厄介な技である。

 それでもリフィクは、懸命に『ヒーリングシェア』を唱え続けた。

 そんな光景を横目に、レクトは険しい表情でふところからナイフを取り出す。

 現在、彼に残された武器はそれだけだった。

 ナイフを剣のように構えて、ハーニスたちに向き直る。

「……今すぐ去れ」

「脅しのつもりですか?」

 ハーニスが肩をすくめて苦笑う。

「それともあなたも、私のリュシールと勝負するおつもりで?」

「そんなつもりはない。だが、意地だけは張り通させてもらう」

 レクトの目からは、強い意志があふれ出ていた。相手が誰であろうと一歩も譲らない、それほどまでに強い拒絶の意志が。

 緊迫する空気。

 その瞳を正面から受け。

「……いいでしょう」

 いくばくかの逡巡を見せたのち、ハーニスは深く長い息を吐いてそう答えた。

「我らとしては残念ですが、その無謀さに免じて大人しく退散することにします」

 やけにあっさりと受け入れたのは、レクトとしても少々意外だった。

「……そう言われるのは、慣れていますから」

 ハーニスは目を伏せ声色を落とし、うら寂しげに言葉をもらす。それは彼が一瞬だけ垣間見せた本音の部分なのかもしれない。

 しかし、そんなそぶりも一瞬だけだった。すぐに目線を上げ、リフィクに顔を向ける。

「ヒーラー」

 恐らくリフィクのことを呼んだのだろう。

「我々と共に行きませんか?」

「……!」

 彼の言葉を聞き、リフィクとレクトが同時に驚く。リフィクはつい『治癒術』を中断し、見開いた目でハーニスを見た。

「私から見るに、彼らは危うい。危険を危険と判断できない子供のように」

 皮肉を言っているというよりは、まるで身を心配しているような言い方だった。

「我々と同行するのなら、そうそう肝を冷やすことにはならないと保証できます」

「……せっかくですけど」

 リフィクはすぐさま顔を戻し、治療に専念する。

「僕は、あなたたちとは行きません」

 申し訳なさそうに示されたのは、否定の意志。レクトは内心ホッとする。

 ハーニスは「残念です」とだけ言い残して、前言通りに踵を返した。

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