第一章(12)
今までは楽しむように笑っていた顔が、いつのまにか興を失ったように冷めきっている。
「なかなか良い余興であったが」
口調もそれに伴い、低く鋭くなっていた。
「わしもそろそろ眠たくなってきた。幕引きといこうではないか」
しかし一番の変化は表情でも口調でもなく、ディールからにじみ出る気配だった。
徐々に高められていくそれは、殺意。まるで野生にはびこる獣がまとう殺気そのものだった。
リフィクの背中を冷たいものが走る。
感覚的に悟ったのだ。ついに『ボス』が本気になったと。
それはエリス、レクトも同じだった。
戦慄。
意識無意識とは違う本能的な部分が、命の危機だと叫んでいる。
「夜伽代わりには楽しめたぞ」
ディールが足を、一歩踏み出す。ズシリ、という重厚な震動が、有無を言わせず三人の足腰を揺るがせた。
体の大きさだけでなく、存在そのものが圧倒的な迫力をかもし出している。
「……これが本物の『モンスター』ってヤツか」
エリスはヒタイに汗を浮かべながらも、恐れ知らずに笑ってみせた。
「抗い甲斐があるじゃねぇか……!」
ちょうどその時、であった。
彼らがこの場へやってきたのは。
それに最初に気付いたのはディールだった。
他の者に比べ精神的に余裕があったからだろう。
「ほう。まだ仲間がいたか」
ななめ後方へ振り返り、部屋の出入り口を見やる。通路から部屋へノックもなく入ってきたのは、若い男女のふたり組だった。
ディールにとっては知らぬ顔の人間だが、エリスたちにとっては見知った顔である。
ハーニスとリュシール。
「てめぇら、今さらノコノコ出てきやがって……!」
叱責するようにぼやくエリスとは対称的に、レクトとリフィクはわずかに胸をなで下ろした。
この危機的状況で味方が増えたのは、単純に心強い。
「おや。ご期待に反してしまったのなら、お詫びします」
その場にそぐわないどこか軽妙な口調を飛ばしながら、ハーニスは部屋の中を進む。
「ただ私としては予定の範疇でしたが」
エリスたちとクローク・ディールと、正三角形を描くような位置でその足を止めた。つれあいの黒衣の女剣士は、やはり人形めいた面持ちで彼の背後にピタリとついている。
「このアジトにのさばる『モンスター』共をすべて始末していたら、これくらいの時間はかかるだろうと。想定通りでした」
「……なんだと?」
じわり、とディールが反応を示した。
「冗談のセンスが悪いな。人間というのは」
「否定はしませんが」
ハーニスはもっともらしく肩をすくめる。
「私の言葉が冗談なのかどうかは、ご自分の部下に直接お確かめになられては? ……あの世とやらでね」
そしてこれ以上ないというほど不敵に言ってのけた。
彼の言葉を体現するようにリュシールが動く。彼のとなりに並び、小さい動作で剣を抜いた。
知らぬ人間が見れば、命知らずもはなはだしい奴だと思うのだろう。少しばかり知っているエリスたちでさえそう思ったのだから。
「無茶だ……」
レクトが呟く。
しかし彼らは、言わば少し前の自分たちである。客観視すると、こうも危なっかしく見えてしまうのだろうか。『モンスター』に戦いを挑むという行為は。
「たぶん……大丈夫です」
レクトのひとりごとに、リフィクが割って入った。
「彼らを信じましょう」
「信じる?」
しかし身をもって強さを思い知った相手である。レクトからすればそう楽観的にとらえることなどできはしない。
「その根拠は……?」
「根拠は……ありませんけど……」
エリスは口を一文字に結んで、にらみつけるようにハーニスらを注視していた。
「やはり人間は、頭の悪い生き物よ」
ディールは鼻で笑いながら、ハーニスたちへ体の正面を向け直す。自然と、エリスたちがカヤの外へ押し出される形になってしまった。
正対する一体とふたり。
ディールは、石造りの床が崩れてしまうのではないかというほど巨大な足音を響きわたらせながら、ふたりへと歩み寄っていく。
もしもただの人間がその光景を正面から眺めていたら、ヘビににらまれたカエル以上に固まってしまっていただろう。
しかしふたりは違った。平然と、身にかぶさる影を見上げている。
「さらばだ」
ディールは無造作に右腕を振り上げ、ハーニスめがけてまっすぐ振り下ろした。
――その直後。
ディールの視界を、『腕』が横切った。
「……?」
丸太ほどもあろう深緑色の腕が、ドサリと床に落ちる。
ディールの頭の中では確実に斬り裂いたはずのハーニスは、しかし、なに食わぬ様子でその場に立ったままだった。
その代わりに、彼のとなりにいたはずのリュシールが、いつのまにか位置と体勢をわずかに変えていた。
振り抜いたばかりのようなロングソードから、紫色の血が滴り落ちている。
なにが起こったのかを理解するのに、ディールは少々の時間を要した。
呆然とするように、自分の右腕に目を落とす。
先が、ない。
ぼたぼたと血を流している断面があるだけで、途中から先が忽然となくなっていた。
ないはずだ。本来あるべきものは、近くの床に転がっているのだから。
「……なにをした……!?」
直前までの余裕は消え去り、ディールの顔はただただ驚愕で埋め尽されていた。
自分の体を斬り得る者など、そうそういないはずだ。しかもそれが『人間』ともなれば、皆無。未だかつて出会ったことなどなかった。
豊富すぎる戦果によって築かれた自信も、ヒビを入れられてしまったらこれほどもろいものか。
ディールは自分でも驚くほど混乱していた。
「貴様が……やったのか……!?」
しぼり出すような声とともに、リュシールへ視線を向ける。
「えぇ、やりました」
答えたのは、彼女ではなくハーニスだった。
たたみかけるように、短い言葉を言い浴びせる。
「斬り落としました。私のリュシールが。あなたの腕を。ひと太刀で。目にも止まらぬ速さで。鮮やかなまでに!」
クローク・ディールに負けず劣らず驚いているのはエリスたちである。
なにせ自分たちが死力を尽しても傷ひとつつけられなかった相手を、ああもたやすく斬ってのけたのだから。
「なにをしたんだ……!?」
レクトは知らぬうちに、ディールと同じ言葉を呟いていた。
「あなた方の祖先は、太古の時代、火山の火口の中で生息していた種族であると言われています」
自分の優位を強調するかのごとく、ハーニスは子供のように得意げな笑みを浮かべながら語り出す。
「故に灼熱の溶岩をものともしないほどの、硬質な肌と耐熱能力を持ち合わせている」
リュシールは剣をかまえたまま、ハーニスとディールのあいだに立っている。その様はまるで、主君を守る騎士のようだった。
「しかし一方に特化すれば、一方に極端に弱くなってしまうのも自然の摂理というものです。それははるかな年月を経て進化を果たしたとしても、脈々と受け継がれます」
いやにもったいぶった言い方は単に彼の趣味なのだろう。
「そこにいるブレイジング・ガールにとっての天敵があなただったように。あなたにとっての天敵は、高温の溶岩地帯では縁遠かった……寒冷。すなわち冷気」
立ちはだかるリュシールの瞳は、ディールをとらえて離さない。
その場のパワーバランスが変化しつつあった。
「氷の剣技『チリーストラッシュ』を扱う彼女の前では、あなたの体など布きれにも等しいのですよ」
ハーニスは「ニヤリ」という文字が浮き出るかというほど、妖しく笑ってみせた。
ハーニスの口上を聞いても、ディールはいまいち釈然としなかった。
わずかとはいえ時間が経ち混乱から立ち直り、冷静さを取り戻したからこそ、釈然としない。
妙だ。
ディールも当然、自分の種族の成り立ちは心得ている。そしてその弱点を突いてくる者とも何度も相対してきた。
だからこそ妙なのである。
今までに受けた冷気の『魔術』にしろ剣技にしろ、これほど強力なものは滅多に見たことがない。
ディールは探るような目でリュシールを見た。
そもそもこの腕を斬り飛ばすなど、人間には無理な話だ。
どんな剣技を用いろうと所詮は人間。そして女。単純に、腕力と重量が足りるはずがない。たとえ斬れたとしても、一刀両断などできるはずがないのだ。
それだけは覆らない。人間と『モンスター』の生物的な格差だ。
ではなぜ、現にこうなったのか。
そうして考えをめぐらせていたディールは、自然と、ある結論にたどりついた。
そうとしか考えられない。そう考えれば、納得もできる。すべて。部下たちが斬り伏せられてしまったということにも、信憑性が出てきた。
人間でありながら『モンスター』にも匹敵する能力を持つ。そんなものは……。
「よもやと思ったが……貴様、『リゼンブル』か」
それを耳にし、少しだけに目を細めるハーニス。
「『モンスター・リゼンブル』……忌まわしき者共」
「その呼ばれ方は、ひどく嫌いなのですがね」
前に立つリュシールは、眉ひとつ動かさずディールを注視したままだった。
「なんだ……?」
「……『モンスター・リゼンブル』……?」
同じく耳にしたエリスとレクトが、思い思いに疑問を口に出す。
聞いたこともない言葉だ。しかし『モンスター』という単語が頭にくっついている以上、そのまま聞き流すこともできない。
「……混血種の……ことです」
が、その疑問はすぐに解かれることとなった。かたわらのリフィクが、ためらうそぶりを見せながらも説明する。
「つまり、人間と『モンスター』の……」