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終章(27)

 

 

「ハイブリードの連中つかまえたのはいいけどさ、このあとどうするわけ? 街中で縛り首とか? クイーンに逆らった見せしめじゃーって?」

「お前って昔から発想おかしいよな」

 エリスとパルヴィーがそばで立ち話をしている内容も、リータレーネの耳にはあまり入ってこなかった。

 少し離れたところでは大量の馬車が列を作って待機している。その周囲をエーツェル騎士団の面々が忙しなく動いていた。

 リータレーネやトレイシーと同じく他の街から連れてこられたリゼンブルたちをひとりひとり元の街まで送り届けるのだという。

 その準備が急ピッチで行われていた。

 周辺地域の部隊をありったけ集めたためか、今や街の中は三桁を超す大部隊がひしめきあっていた。

「じゃあどうすんのよ」

「とりあえずルル・リラルドあたりに連れてっかな」

「それって『キング』のいた街!? なんでまた」

「人間と獣人とリゼンブルが一番うまくやってんのがあそこだからな。しばらくあの中にいりゃあいつらの気だってちったぁ変わるだろ」

「えー、そうかなぁ。問題起こしたらどうすんのよ」

「あそこは決闘場だったところが闘技場に変わって、血の気の多い獣人がわんさか押し寄せてるからな。あいつらだってそんなとこで問題起こす気になんかならねぇさ」

「楽観的ねぇ」

「悲観してたって良いことないぜ。何事もな」

 リータレーネはそんな作業の邪魔にならないよう、道端に置かれた木箱に腰かけていた。

 隣には母親のリュシールもいる。あの騒動のあとからはずっと一緒にいてくれていた。

 さっきまではトレイシーもいたのだが、出発が近いと聞いて家族のところへ行ってしまった。

 ぼんやりと空を眺めるリータレーネの表情はすぐれない。

 体調的な問題ではなく精神的な問題だ。

 トレイシーの前では無理に笑ってみせていたが、こう落ち着いてしまうと駄目だった。

 ため息が漏れる。

 信じていた通りにエイザーが助けにきてくれて、それはとても嬉しかった。

 知っている人がたくさん一緒だったことには驚いたが。やはり誰でもない、エイザーの姿を見た時が一番嬉しかったのだ。

 トレイシーも無事に家族と再会できてなによりだった。

 問題は解決して、今まで通りの日常に戻れる。そう思っていた。

 しかしどうやらそういうわけにもいかないようだった。

 今もエイザーがそばにいない。

 それがすべてを物語っていた。

 ハーニスがエイザーを遠ざけているのはわかっている。

 それを不満にも思っている。

 しかし嫌だともやめてほしいとも言うことができなかった。

 怖いわけではない。エイザーには厳しくとも、リータレーネにとっては優しい父親だ。

 充分すぎるくらいに愛してくれている。

 だからこそリータレーネは言うことができなかった。

 少しでも父を悲しませるようなことはしたくない。

 黙って旅に出た時から心にわだかまっていた罪悪感が、再会したことで一気に胸のうちを支配してしまったのだ。

 だから言えない。我慢する。

 他人を気遣いすぎるあまりに自分を殺してしまうのがリータレーネという少女だった。

 しかし本心では、やはりエイザーに会いたい気持ちが強かった。

 ふたりで旅に出たことも後悔はしていない。

 これからも続けていきたいと思っている。

 だが父が望んでいないのなら、もうできないかもしれないとも感じている。

 ふたつの背反する気持ちがどうしようもなくせめぎ合っていた。

 苦しい。

 いっそどちらかを選べたら楽になれるのだろう。

 それでも選べない。

 そんなことは決められない。

 誰かに決めてもらいたい。

 ……その結果がこれだった。

 エイザーとは会わせてもらえないままで、父や母と一緒に故郷へ帰る。

 そう決めてもらったことに従っている。

 なのにちっとも楽ではなかった。

 苦しいままだ。

 エイザーはどうするのだろうか。聞いていない。

 一緒に帰ってくれるなら嬉しいが、たぶんそうはならないだろう。

 旅を続けたいはずだ。

 そして実際に続けるはず。

 どんなことがあっても目標へ向かって一途に進み続ける。

 リータレーネが見続けたエイザーはそういう人だったからだ。

 ふたりの道が分かれてしまう。

 このままでは……。

 横に座るリュシールが、そんな心境を察してか手を握ってくれた。

 母は言葉少なな人だが誰よりもリータレーネのことを慮ってくれている。

 それを知っている。

 リータレーネは力無い笑みを浮かべて、大丈夫と強がってみせた。

「で、団員たちには働かせといてあんたは見てるだけなの?」

「こういう面倒なことをしたくないから自分の団を作ったんだよ。それよりお前こそこれからどうすんだ? 牧場ってけっこう遠いだろ」

「途中まではあんたたちと一緒に行かせてもらうつもりよ。昔の仲間もたくさんいるしね」

「老けたお前を見てみんなびっくりしてるだろうな、ははっ」

「老けてないわよーっ! なに言ってんのよ! 大人になっただけでしょーっ!」

 その部分だけは耳に入ってきて、リータレーネは小さく噴き出した。

 

 

「どうした。元気かよ?」

 パルヴィーとの立ち話は終わったらしく、エリスが隣に腰を下ろした。

「えっと……普通です」

 リータレーネは一度だけ顔を見てからうつむいて答えた。

「そうか? あんまり元気には見えないけどな。……まっ、大変なことがあったばっかりだからしょうがねぇか」

「そんなに大変なことはなかったです。ハイブリードの人たちにも、そんなに酷いことはされませんでしたし……」

 心無いことを言われたり、密室で無言の圧力をかけられたり、縛られて人質にされかけたりはしたが……。

 リータレーネの中では、それはもう済んだことだった。

 嫌なことがあっても少し時間が立てば消化されてしまう。

 忘れるわけではないが、さほど気にならなくなってしまうのだ。

 昔からそういう性格だった。

「じゃ、原因はエイザーか」

 リータレーネは顔を上げる。エリスは勇気づけるように微笑んだ。

「オヤジ相手に遠慮なんてしなくていいと思うけどな」

「別に、遠慮とかは……」

「ああいう陰険根暗自己中野郎にはたまにはガツンと」

 ガツン、といったのはエリスの頭のほうだった。

 リュシールのチョップが叩き込まれている。

「悪く言わない」

 たしなめられて、エリスは叱られた子供のように口を尖らせた。

「お前はどっちの味方だよ」

「少なくとも陰口を叩くような人の味方ではありませんよ」

 と、ハーニスが近くまでやってきて口を挟んだ。

 一度どこかへ行っていたようだが、戻ってきてからはずっと大量の馬車のあいだを奔走していた。

 エーツェル騎士団は名前の通りエリスが団長だが、実務的なことはほとんどハーニスが取り仕切っていると言ってよかった。

「じゃあお前の天敵じゃねぇか」

「リータレーネ」

 からみ始めたエリスを無視して告げる。

「そろそろ出発しますよ。あの先頭の馬車に乗ってください」

「あ、はい……」

 リータレーネの表情にさらに濃い影が差した。

 ついに出発の時が来てしまった。

 もう、どうにもならないのだろうか。

「時間か……。んじゃ、あたしも一応そこらへん見回ってくるかな」

 ハーニスがさっさと馬車のあるところへ戻ったからかエリスも矛を収めて立ち上がる。

 リータレーネは、思わずその手をつかんでしまっていた。

「どうした?」

 もうひとりの母親であるかのような優しい顔が見下ろす。

「あの、エリスさん」

 リータレーネは助けを求めるようにその顔を見上げた。

「その……」

「あたしにこそ遠慮はいらねぇからな。言ってみろよ」

「……私、どうすれば……?」

 しかし、なんと言ってほしいのだろうか。

 気持ちの説明ができない。

 自分がどんな言葉を欲しているのかすら今はわからなかった。

「どうすればいいかって? そんなもんはな、いつだって、たったひとつしかないぜ」

 エリスは普段通りの快活さで言う。

 何にも縛られず、何にも左右されず、自分を貫いて生きている人だ。

 自分もこんなふうになれればといつも思っていた。

「それは……?」

「それはな」

 と言ったきり、エリスは口をつぐんだ。

 代わりにまっすぐな瞳だけを向けてくる。

 リータレーネもそれを見つめ返した。

 目は口ほどに物を言う。

 何も言ってくれない。それこそがエリスの伝える『言葉』だった。

「……」

 もしエリスがなにかを言ったら、リータレーネはついそれに従ってしまうだろう。

 それでは意味がない。

 だからこそエリスは何も言わないのだ。

 自分で考えて自分で決めろということすら決めてくれない。

 ただただ真剣な眼差しを向けてくるだけだった。

 その眼差しは、今のリータレーネには受け止めきれないほどの熱量を帯びている。

 リータレーネはたじろぐように目を伏せて、再びうつむいてしまった。

 彼女の厳しさもまた自分のためだというのはわかる。

 だが駄目なのだ。

 大空へ飛び立つにはリータレーネの翼はあまりに貧弱すぎた。

「リータレーネ。行きますよ」

 彼女がなかなか動かないからか、ハーニスがそばまで戻ってきていた。

「フィアネイラに帰って、また家族で一緒に暮らす。そうするんですよね?」

「……はい」

 リータレーネは重い腰を上げる。

 そんな自分がどうしようもなく嫌になった。

 ――その時。

 馬の嘶きと、蹄鉄が激しく地面を叩く音が、その場に近付いてきた。 

 

 

 エイザーが愛馬を走らせてやってくる。

 リータレーネたちの前で手綱を引いて止まらせると、馬上から皆をぐるりと見渡した。

 彼の姿を見てリータレーネの胸は高鳴った。

 来てくれた。

 自分を迎えに来てくれた。

 そんな気持ちを逸らせるリータレーネを、しかしエイザーは、ちらりと見ただけで目をそらしてしまった。

 えっ……。

 その目はエリスへ向けられる。

「俺は一足先に出発させてもらうぜ。いろいろ世話になったな。おやじにもよろしく言っといてくれ」

「おう。気をつけてけよ」

 次にリュシールへと向いた。

「助けてくれてありがとな、リュシールおばさん。あん時はマジでもう駄目かと思ったぜ」

 リュシールは微笑んで頷いてみせる。

 そしてエイザーはハーニスを見た。

「……まっ、おじさんにも一応は助けてもらったわけだからな。流れのついでにお礼言っとくぜ。サンキュー」

「ふたりに比べてずいぶん軽いようですが、まぁ良しとしましょう。これからの君の苦難を考えればそう邪険にもできませんからね」

 ハーニスは皮肉めいた笑みを浮かべて応えた。

「ひとり旅は危険度が高いですから。充分気をつけてくださいよ」

 ひとり……?

 リータレーネの鼓動が早くなる。期待から不安に変わって。

「エ、エイザーくん……?」

 エイザーはリータレーネのほうを見ることなく、視線を前へと戻した。

 長く続く道の先。街の外へと。

 なぜ何も言ってくれないのか。

 なぜひとり旅という言葉を否定しないのか。

 リータレーネの心は混乱状態にあった。

 いつものように、一緒に行こうと言ってくれたら、今なら父を振り切ってでも行ってしまえるのに。

 手を差し伸べてくれたなら、走り出して掴みに行けるのに。

 何も言ってくれない。

 故にリータレーネは立ち尽くしたままだった。

 このまま黙っていたらエイザーが行ってしまうとわかっているのに。

「リータレーネ」

 前を向いたままでエイザーが言った。

 リータレーネが肩がびくんと跳ねる。

「はっ……はい……!」

「悪かったな。ほんとは、すぐにでもお前を取り戻せるチャンスはあったんだ。でも失敗続きで、こんなとこまで来ちまった。情けない男だよな」

「そんなこと……」

「ハーニスおじさんが心配する気持ちもわかるぜ。俺みたいな半人前に娘を預けようなんて馬鹿なこと、できるわけないもんな」

「……そんなこと……」

「つくづく思い知らされたぜ。まだ早かったかもしれないってな」

 彼は何を言い出しているのだろうか。

 まるで別れの言葉みたいではないか。

 リータレーネは息が詰まる思いだった。

「そんな半人前な俺でもさ……情けない俺でも、精一杯やったつもりだったんだ。でも駄目だった」

 駄目なんかじゃない。

「今回のことはマジで反省してる。俺のせいでリータレーネに迷惑かけちまってさ」

 あなたのせいなんかじゃない。迷惑なんかかかってない。

「今の俺には、お前と一緒にいる資格なんかない。お前にふさわしい男でもない」

 そんなことない。――そんなことない!

 リータレーネは今にも泣いてしまいそうだった。

 反論の言葉は次から次へと浮かんでくるのに、それを口に出して言うことができない。

 こんなエイザーを見るのは初めてだったからだ。

 いつもと違いすぎる雰囲気が戸惑いを加速させる。

 こんな突き放すような、冷たいことを言う人じゃないはずなのに。

「だから……俺がリータレーネにふさわしい男になるまで、ひとりで待っててくれ」

「えっ……」

 心臓が凍りついたようだった。

「お前とは一緒に行けない。ここでお別れだ」

 目の前が真っ白になる。

「ど、どうして……そんな……」

 それはリータレーネにとって決定的な一言だった。

 エイザーの口から聞くことはないと思っていた一言。

 他の誰が反対しても、彼だけは絶対に言わないと信じていた言葉だった。

 そんなのは嫌だ。

 この言葉だけは取り消してもらわないといけない。

 駄々をこねてでも、彼と一緒の道を歩みたい。

 それがリータレーネの願いだった。

 そう思っているのに。

 そうしたいのに。

 リータレーネは、言葉を飲み込んでしまう。

 踏み出そうとする足を引っ込めてしまう。

 ……彼が決めたことなら、仕方ない。

 自分がとやかく言うことじゃない……。

 嫌だけど……あきらめるしかない……。

 そう自分に言い聞かせて。

 彼のこともまた、時間が経てば気にならなくなるのだろうか。

 済んだことだと。自分の中で消化されてしまうのだろうか。

 いや。

 ……ならない、と思う。

 なるはずがない。

 他のことならともかく、エイザー・エーツェルという人のことが、そう簡単にあきらめられるはずがなかった。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 たとえ彼が決めたことだったとしてもだ。

 他人の決めた道に従っていても苦しいだけだって、思い知ったばかりではないか。

 でも……。

 リータレーネは視線を泳がす。

 いつからかエイザーが黙ってリータレーネを見つめていた。

「……」

 その目には見覚えがあった。

 やはり親子なのだなと思う。

 先ほどのエリスと同じ熱量を湛えた目だった。

 自分に決断を強いる目。考えさせて、決めさせて、言わせる目。

 そして厳しくも優しい目だ。

 その目を見てはっとする。

 ……そうか……これは……。

 情けないのは自分だ。彼と一緒にいる資格がないのは自分のほうだ。

 こんなことまで言わせて。こんなことまでさせて。まだ立ち尽くしたままでいる。

 そんな自分は、彼にふさわしくない。

 彼はひとりでどんどん先に行ってしまう。

 彼についていくためには、ただ手を引いてもらうのを待っているだけでは駄目なのだ。

 こんな自分ではいられない。

 リータレーネはエイザーの瞳を見つめ返す。

 炎のように熱い目。

 いつだって自分を勇気づけてくれる目だ。

 さっきはその目から逃げてしまった。応えることができなかった。

 でも今なら。

 彼の目なら。

 逃げずに受け止めることができるかもしれない。

 そうしたい。そんな自分でありたい。

 リータレーネの胸に、勇気の火が灯った。

 

 

「私は、そんなのは嫌!」

 リータレーネは彼へと足を踏み出す。

 一歩踏み出してしまえばあとは勝手に体が動いていた。

「私も、行きたい! 一緒に!」

 声を張り上げる。

「エイザーくんと一緒に!」

 手を伸ばす。

「俺の言ったことに初めて逆らったな」

 エイザーは、その手をしっかりと受け止めて、馬上へと引き上げた。

「信じてたぜ。そうしてくれなきゃ泣いちゃうところだったからな。ひとり旅なんてまっぴらだ」

 そして笑顔で言う。

 リータレーネが見てきた中でも、それは一番の笑顔に思えた。

「うん。私もひとりは嫌。ふたりがいい」

 リータレーネもつられて笑顔になる。

 暗雲の立ちこめていた心が急激に晴れ上がっていくのを感じた。

 他の人からすればなんでもないようなことだろう。しかしリータレーネにとってあの一言は、自分を変えるための大きな一歩だったのだ。

 今ならどんなことでも言えるような気がした。

「試すようなことしてごめんな。ほんとはあんなことこれっぽっちも思ってないからな」

「わかってる。でも、もしほんとのことでも、私の答えは変わらないよ」

 きっと、ずっと変わらない。

「わがまま言ってもエイザーくんについてく。だって私、エイザーくんのこと大好きだから」

「うっ……!」

 ストレートな言葉を受けてエイザーは火のように顔を赤くした。

「お、俺も大好きだからなぁぁぁー!」

「おほんおほんっ! んー、ごほんごほんっ!」

 ハーニスがわざとらしく咳払いをする。

 リータレーネとエイザーは、はっとして彼へと振り向いた。

 ふたりだけの世界に入り込んでいて忘れていたが、両親たちにしても、リータレーネの決断を黙って見守ってくれていたのだ。

「パパ、ごめんなさい。……でも」

 エイザーを選ぶということはすなわち父に背くということだ。

 こっそりと出て行った前回とは違う。正式な旅立ちだ。

 しかし今さら尻込みはしない。

 そう決めたのだから。

「何も決められない私だけど……。何も言えない私だけど……。でも、これだけは、自分で決めることができたから」

 リータレーネは胸のうちを告げる。

 言える勇気はもう貰っていた。

「後悔しないって言い切れることだから」

 他の何を迷っても、これだけはもう迷わない。

 違う答えにはならない。

「だから……」

「リータレーネ。これからは、あまりエイザーくんに迷惑をかけないようにするんですよ」

 ハーニスは穏やかな顔でそう言った。

 リータレーネは驚いて目を見開く。

 内心では穏やかではないのかもしれない。

 しかしその言葉は、ふたりの旅立ちを認めてくれた証だった。

「パパ……」

「それと、たまには顔を見せに帰ってきてください。たまにじゃなくて頻繁にでもいいですけどね」

「おうよ、孫の顔くらいは見せに帰ってやるぜ!」

「えぇっ……ええっ!?」

 赤面してあたふたするリータレーネに構わず、エイザーは愛馬の腹を蹴って走り出させた。

「じゃあなー!」

 彼女を連れ去るように出発する。

 もう何にも憚ることはないとばかりに。

「仲良くなー!」

 エリスとリュシールが手を振って見送る。

「あっあわっ……パパ、ママ、エリスさん、いってきますっ……!」

 リータレーネは遠ざかる三人に慌てて手を振り返した。

 なんとも慌ただしい出発になってしまったが、今はそれも悪くないかもしれないと思った。

 早くふたりきりになれるのだから。 

 

 ◆

 

 旅立つエイザーとリータレーネの姿が見えなくなるまで、エリスとリュシールは並んで手を振り続けていた。

「あたしとお前らが家族になる日も近そうだな」

「気、早すぎ」

 エリスが冗談めかして言うと、リュシールもまんざらでもないような顔で答えた。

 無口で無表情な奴だが、これだけ一緒にいればなんとなく察せるようになるものだ。

 それにしてもこいつらとも長い付き合いになったもんだな、とエリスは思った。

 最初に会った時はまだ自分も少女と言える年頃だった。

 それが今では、お互いの子供が自分たちの道を歩み始めるようにまでなっている。

 なにやらおかしなものだ。

「……けど自分がおばあちゃんって呼ばれてるとこは想像したくねぇな。けっこう傷つきそうだ」

「それはそう……」

 エリスとリュシールは、改めて顔を見合わせて微笑み合った。

「……嗚呼……」

 そんなふたりの横で、ハーニスはこの世の終わりのようにうなだれていた。

 エイザーとリータレーネの姿が見えるうちはまだなんとか頑張っていたようだが、途端にこの有り様である。

「……行ってしまった……私のリータレーネ……」

「くよくよしてんじゃねぇぜ。娘の成長を喜べよ」

 自分の意志をもって親離れできたというのは素直に喜ぶべきことだろう。

 リータレーネの性格を考えれば尚更だ。

「それはもちろんそうですが。しかし……嗚呼……」

 やはり親子と言うべきか。このぶんではハーニスが子離れをするのにも一苦労しそうだった。

 そんな彼を慰めるようにリュシールが寄り添う。

「あの子の決めたことだから」

「ああ、わかっているよ。その通りにしてあげるのが一番良いっていうことはね」

 とはいえ納得している様子はない。

 裏を返せばそれだけ愛情が深いということだ。

 ハーニスの行動原理は大抵がそれに起因している。

 時として行き過ぎてしまうから、こういう問題を起こしてしまうのだ。

「第一よ、そんなに心配するようなもんでもないだろ。あたしがお前らと出会ったのだって今のエイザーくらいの年齢だったし」

 その頃のエリスは若さに任せた無茶ばかりやっていたが、案外なんとかなるものだった。

「あいつはあたしに似たとこあるしな」

「だから心配なんですよ」

 ハーニスは聞き捨てならないとばかりに言い返した。

「どういう意味だコラ」

「……世界を変えるためにと頑張っているのは、彼女のような子供たちが平和な世界で暮らせるようにしてあげたいからです。なのに、むざむざ危険に身を置く生き方を選んでしまうとは……」

 ハーニスの口からため息が漏れる。

「残念ながら、男を見る目だけはリュシールから受け継がなかったようですね。全然。まったく。これっぽっちもです」

「さっきは認めたみたいな雰囲気出してたくせによ。調子の良いこった」

「私も大人ですから。それくらいの気遣いはします」

 だんだんと普段の調子が戻りつつあるハーニスだった。

 エリスは、若いふたりが旅立っていった先を遠く眺める。

「大丈夫だって思ってんのは本当だぜ。エイザーだけじゃなくリータレーネに関してもな」

 今までは心の奥底に隠していただけで、誰にも負けないくらいの強い意志を彼女は持っている。

 そして逆風に立ち向かって踏み出す勇気も見せてくれた。

 そのふたつがあればどんなことでも乗り越えていけるはずだ。

「危険があっても進む。誰かに反対されても選ぶ。転んでも立ち上がる。それができるふたりだ。助け合ってうまくやってくさ」

 なにより自分たちの子供なのだから。

 エリスは名残惜しむように眺め続けたあと、踵を返して歩き始めた。

「さっ、あたしらはあたしらのやることに戻ろうぜ。みんなを待たせちゃ悪いからな」

 世界はいまだ望む形になっていない。

 まずは目の前のことをひとつひとつだ。

「ええ。……ところでクイーン、あの時リータレーネを見捨てませんでしたか?」

 ハーニスが掘り返したのはバーグソンと対峙した時のことだろう。

 エリスの言葉だけを聞けば、たしかにそう思っても仕方ない

「そりゃあ……お前らが来んのが見えたから、隙を作ろうと思ってビビらせてやっただけだよ。あたしにとっても娘みたいな奴なんだから見捨てるとかするわけねぇだろ、ははっ」

 エリスは立ち止まらずに答えた。

 ハーニスは訝しむようにリュシールと顔を見合わせる。

「そうかな?」

「あやしい」

 ふたりは悪戯っぽく笑い合って、彼女のあとについて歩いた。

「まぁ信じるとしましょう。これからも長い付き合いになりそうですからね」

 

 

 

 おわり

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