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終章(26)

 ◆

 

 ハイブリードたちに連れ去られたリータレーネをなんとか奪還し、これで心置きなく鍛冶屋修行の旅を再開できる……と思っていたのだが。

 二日が経ち。

 白い街の片隅にある公園で、エイザーはふてくされるようにベンチで横になっていた。

「はーー、まったくよ。あの陰険中年め」

 というか実際ふてくされていた。

 例の騒動は案外あっさり片付いた。

 ハイブリードはエーツェル騎士団によって捕縛され、今は外壁の近くに拘留されている。

 総統バーグソンを含む負傷者はすべて『治癒術』を施されて、死者はひとりもいないそうだった。

 『リゼンブル』の生命力の高さのおかげだろう。

 ハイブリードに拉致されてきた一般人は全員エーツェル騎士団が元いた場所まで送り届けるらしい。

 中にはこの街に住み続けることを希望した者もいたようだ。

 ハイブリードという過激派が存在していたものの、本来は『リゼンブル』だけが暮らすのどかな街だ。

 気に入る人がいてもおかしくはないだろう。

 そしてあの後のエイザーはというと。

 総統バーグソンに捕らわれていたリータレーネを見事奪い返して、感動的にハグしたまではよかったのだが……。

 何故かあの場にいたハーニスがなんだかんだと邪魔をしに来て、リータレーネと引き離されてしまったのだ。

 それからは一切近付かせてもらえなかった。

 話すのはおろか顔を見るのも駄目だった。

 彼女のそばには常にハーニスがいて、物理的にも心理的にもエイザーを寄せ付けなかったのだ。

 せっかく取り戻せたと思ったらこれだ。

 たしかに、一時とはいえ良からぬ連中に拉致されたのはエイザーの失態だ。

 その罰を与えられているのだと思えば理屈の上では納得できるが、気持ちの面では納得できない。

 リータレーネがすぐ近くにいるのに会えないというもどかしさが、彼女に対する気持ちを際限なく膨張させていた。

 思わず叫んでしまいたくなるほどに。

「うわぁぁぁリータレーネぇぇぇぇっ」

 というか実際思わず叫んでしまっていた。

「エイザー」

 と、最悪のタイミングでヒューイングがやってきて声をかけた。

 トレイシーとドルフも一緒だ。

「…………」

 できれば見て見ぬふりをしてもらいたかったが、こうなったら仕方ない。

 エイザーはベンチから立ち上がり、何もなかったかのように「よう」と手を上げた。

 ヒューイングたちははっきり言って困惑していたが、エイザーに合わせて、何もなかったかのように口を開いた。

「……エーツェル騎士団の人たちに送っていってもらうことにしたよ。増援の部隊が到着したから、そろそろ出発するかもって」

「そっか。じゃ、ここでお別れだな」

「エイザー君は一緒に行かないの?」

 トレイシーが訊ねる。

「俺は俺の旅を続けるよ。ここから西に行った町に有名な職人がいるって聞いたことあったから、まずはそこを目指すつもりだ」

「ふーん……レーネちゃんは、お父さんお母さんと一緒に帰るって言ってたけど」

 そしてなにやら言いにくそうに言った。

 リータレーネに会ってきたのだろうか。

 ハーニスバリアはエイザーが近付いた時のみ作用するのだ。

「んなわけねーよ、ふたりで行くに決まってるだろ」

「だよね。よかった。レーネちゃんもそうしたいみたいだったし」

 トレイシーはまるで自分のことのように安心した表情をする。

 一緒にさらわれたよしみかすっかりリータレーネと仲良くなったようだった。

「ただ厄介な奴がひとりいるからな。実力行使でいこうと思って、ちょっと作戦考えてたんだ」

「いけそう?」

「なんとかな」

 いつまでもふてくされているだけのエイザーではない。

 このままハーニスがリータレーネを連れ帰ろうというなら、こちらにも考えがあるのだ。

「けどレーネちゃんのお父さんもひどいよねー。エイザー君もそんなに悪い人じゃないと思うんだけど。……お父さんは、わたしが彼氏連れてきても意地悪しないでよね」

「彼氏……い、いるのか?」

「いや今はいないけど……。将来的に」

「…………」

「あっ、黙った! もー、やらないでよね。本気で言ってるからね」

 ドルフは冷や汗を浮かべながらエイザーへ視線を向ける。

「父親としては複雑な気持ちもあるだろう。しかし、娘の選んだ男なら、どんな者でも最終的には受け入れてくれるはずだ」

 話をそらすためかと思いきやわりと真っ当な言葉が切り出された。

「自分がどう思っていようともだ。自分の気持ちよりも娘の気持ちを尊重してやりたいと考える。汲んでやりたいと考える。父親とは誰しもそういうものだからな」

「お父さん……」

 一転して感動しかけるトレイシーと一緒に、エイザーにも胸をつくものがあった。

 父親だからこそ勇気づけられる言葉だった。

「気持ち……気持ちか。そうだよな。やってみるぜ、ドルフおじさん」

「うむ。気持ちが通じれば必ず理解を得られるはずだ」

 ドルフは優しい笑みで頷いた。

 それが誤魔化しきった安堵の笑みでないことを祈るしかない。

「そういや、ヒューイング。なんか言うタイミングがなかったんだけど……。ありがとな、あん時。助かったぜ」

「あの時?」

「レーミットの野郎と戦ってる時、援護してくれたろ? あれがなかったら正直やられてたからな」

「そんなの……偶然だよ。夢中だっただけだし」

 ヒューイングは謙遜するように手を振った。

 しかし武器の扱い方をエーツェル騎士団の団員の学んだり、短い時間ながらみっちり練習している姿をエイザーは見ていた。

 戦闘面でもどうにか役に立とうという意志と行動、それが実ったのだ。

 偶然と呼んでしまうにはあまりに忍びない。

「ほんと言うと、ぜんぜん期待してなかったんだ。お前は戦いをするような性格じゃないしさ」

 エイザーは苦笑いしながら言った。

「けど違ったな。ちゃんと証明してみせた。いざって時はやる男だって」

「エイザー……」

 最初に会った頃の頼りなさは今の彼には見当たらなかった。

 妹を取り戻せたということで自信がついたのか。堂々とした風格が表情にも満ち満ちている。

 それは一人前の男の顔だった。

「そうかな。何の役にも立てなかったと思ってたけど、そう言ってくれるなら救われるよ」

「私たちに後れることなくついてきてトレイシーを取り戻すのにも頑張ってくれた。ヒューイング、お前は充分役に立ってくれた。大変なことばかりの数日だったが、それを乗り越えてひと回り大きくなったと私は思う」

 ドルフはヒューイングの肩に手を置き、誇らしげに言った。

「父さん……」

「へー……そうなんだ」

 トレイシーが呟く。意外そうでもあり嬉しそうでもあった。

「もしそうだとしたら、それは、エイザーのおかげかな」

 ヒューイングは晴れやかな表情で言う。

「なにがあってもめげない。いつも迷わない。ただひたすらにまっすぐ進む。そんな君の背中を見て、僕もそんなふうになりたいと思うようになったんだ」

 純真すぎる言葉にエイザーは思わず照れ笑いを浮かべた。

「リータレーネが関わることだけだぜ、そんなのは。本心ではずっとびびってたんだ」

「それなら余計に、立派だと思う」

 ヒューイングは口元を綻ばせて、右手を差し出した。

「君に会えてよかった。ありがとう」

「こっちこそな」

 やや気恥ずかしくもあったが、エイザーはがっしりとその握手に応えた。

 偶然の出会いが忘れられない縁を生むこともある。

 旅の醍醐味だろう。

 街で暮らしていたのでは決して得られない経験だ。

「近くに来ることがあったら、今度はうちの農場にも寄っていってよ。いつでも歓迎するよ」

「ああ、絶対行く。約束するぜ」

「レーネちゃんと一緒にね」

 付け加えるトレイシーにも、「当然」と頷いた。 

 

 

 三人の背中を見送って、エイザーも覚悟を決めた。

 エーツェル騎士団が出発するというのならこちらも行動を起こす時だ。

「さて、そろそろ俺も」

「悪巧みの準備ですか?」

「わーーっ!」

 急に声をかけられて、エイザーは心臓が口から飛び出そうになった。

 それが今一番聞きたくない声だったからなおさらである。

「ハーニスおじさん……い、いつのまに……!」

「正確に言うならうわぁぁぁリータレーネぇぇぇぇと叫んでいたあたりから近くにいました」

「よりによって!」

 けっこう前からだった。

 ハーニスは冷ややかな目を向ける。

「あんまり公共の場で恥ずかしいことをしないでください。それからリータレーネのことを呼び捨てにもしないでください」

 いつものエイザーならここで萎縮してしまうところだが、今日の彼は違った。

「……いいや、するね! しまくるね!」

 反旗を翻されてハーニスは片眉を少し上げる。

 覚悟を決めたというのは徹底抗戦を決め込んだということだ。

 たとえ相手がこのハーニスだったとしてもだ。

「ではもう少し声のボリュームを落として叫んでください」

「叫んだほうじゃねぇよ!」

 果たしてボリュームを抑えればやっていいのだろうか。

 そのあたりの判断基準は謎だ。

「呼び方だろうが接し方だろうがもう誰にも遠慮しねぇってこったよ。俺とリータレーネの仲なんだからな!」

 数日とはいえ離れ離れになっていて、自分の中にある気持ちを再確認できた。

 これ以上離れていてはどうにかなりそうだ。やはり自分には彼女が必要なのだと。

 リータレーネのほうも同じでいてくれただろう。

 ハーニスに邪魔されるまでの短い時間でも、ちゃんとそれを確かめ合うことができた。

「さっきからいたんならドルフおじさんの言ったことだって聞いてただろ。リータレーネの気持ちを尊重やるのが父親ってもんじゃねぇのかよ」

「娘が間違った方向へ行ってしまおうとしているのなら、それを正してやるのも親の務めです」

 ハーニスは無表情で答える。エイザーの言うことなど聞く耳持たないと言いたげに。

「俺と一緒にいるのが間違いだってのかよ」

「そうではありません。私は、別に君とリータレーネが親しくすること自体を反対してるわけではないんですよ」

「えっ……」

 それは意外な言葉だった。

 エイザーとしては、てっきりそこから拒絶されているものとばかり思っていたのだ。

「おとうさん……」

「やめてください気色が悪い」

 いや、やはり拒絶されているかもしれない。

「強引な手段を取りましたが、それは単に口で言うよりも聞いてもらえると思ったからです」

 ハーニスはいつになく穏やかに言う。

「リータレーネにも、君にも、こんな無謀な旅はやめて街で平和に暮らしてほしいんです。そうすれば何も文句はありません」

 諭すようでもあった。

 彼から見ればエイザーにしてもリータレーネにしてもまだまだ頼りない子供なのだろう。

 ふたり旅となれば親としても大人としても当然の心配だ。

「旅に出る前に私の目を盗んでこそこそ会っていた時だって何も言わなかったでしょう」

「いや、けっこう嫌味とか言われてましたけど」

「今回の件で君も懲りたはずです」

 ハーニスは無視して続けた。

「少々の家出ということで大目に見るつもりでしたが、こんなことになっては話が別です。さぁ一緒に帰りましょう」

「……それはできねぇよ」

 ハーニスの親心も充分に理解できる。

 今なら素直な気持ちで受け取ることもできる。

 しかしエイザーは首を横に振った。

「俺には夢がある。そいつは、街の中にいたんじゃ叶えることなんてできねぇんだ。時間はいくらあっても足りない。なんなら世界の端っこまでだって見て回りたいくらいだ」

 故郷の街にも鍛冶職人はいる。その下でずっと修業を続ければたしかに一人前の鍛冶屋にはなれるだろう。

 しかしエイザーの目指すものはもっと先にある。

 師匠であった故アルムス・ドローズのような、比肩する者のいない達人だ。

 そのためには、各地で腕を振るう職人の方々に師事し、様々な技法を学ばなければならない。

 そしてそれを自分の体に染み込ませて、技として昇華させる。

 家で本を読んでいるだけで身につけられるものではないのだ。

「その夢はあきらめてください」

 ハーニスは一言で切って捨てる。

「できねぇ」

「ではリータレーネをあきらめてください」

「もっとできねぇ!」

「どちらかをあきらめれば、それで話は丸く収まるんですよ。そろそろ君も大人になる時です」

 残酷な二択を突きつけられる。

 しかしその二択は、あくまでハーニスの作り上げた二択だ。

 エイザーの中にはそんな選択肢など存在しない。

 最初から一択しかないのだ。

「俺の気持ちが収まらねぇよ! どっちかのためにどっちかをあきらめるなんてまっぴらだ。俺は両方を選ぶ。今だってそうしてる。だからこれからもそうするだけだ!」

 その一択を選んだ結果が現状だ。

 駆け落ちのような形になってしまったが、最善の方法を取ったつもりだ。

 今さら変える気はない。

「聞き分けのない」

 ハーニスは深いため息をつく。

 決裂することはわかっていたと言わんばかりに。

「お互い譲る気はなさそうですね。そしてこれ以上話を続けていても水掛け論にしかならなそうです」

「そりゃそうだ。肝心の奴がここにいないんだからな」

 エイザーの言葉にハーニスはわずかに眉根を寄せた。

「これは俺とリータレーネとあんたの問題だろ。リータレーネのいないところで何を話したって結論が出るわけねぇ」

「呼び捨てにしないでください」

「だから、リータレーネに決めてもらえばいい。あいつが決めたことなら、俺は黙って従う」

 エイザーは断言してみせた。

 夢は大事だ。リータレーネも大事だ。

 だが嫌がるリータレーネを無理矢理付き合わせてまで成し遂げたいことなど何もない。

 それと同時に、彼女ならば必ず自分の夢を応援してくれるだろうと信じている。

 だから言う。

 自信をもって。

「おとうさんだってそれなら頷くしかないでしょ」

「……何を言い出すかと思えば」

 ハーニスが難しい顔をしたのは呼び方のせいではないだろう。

 エイザーの言ったことに現実味を感じられなかったからだ。

「彼女の性格は君もよく知っているはずです。無理ですよ、そんなことは。彼女を困らせるだけです」

 優柔不断という言葉では収まらないくらいに消極的なのがリータレーネだ。

 自分の気持ちもなかなか言えない。ちょっとした決断もできない。

 そんな彼女にこんな大事な決定を委ねても、到底選ぶことなどできない。

 ハーニスは、そう決めつけているのだ。

「よく知ってるからこそ言ってんだよ」

 だがそれは違う、とエイザーは首を振った。

「そりゃ、困ったことにリータレーネはそういう奴だよ。けど言うべき時には言えるし、決めるべき時には決められる奴だ。それが人よりちょっと苦手ってだけでな」

 あるいはハーニスの庇護下にいた時はそうだったのかもしれない。

 エイザーとふたりでいることによって変わってきているのかもしれない。

 ならその変化は歓迎するべきだろう。

「だからリータレーネが選んだことに従う。ふたりの道はふたりで決める。それなら何の文句もないだろ」

「……そうですね」

 エイザーのまっすぐな視線から逃れるようにハーニスは顔をそむけた。

「彼女がはっきりと私ではなく君を選ぶようなことになれば、考えましょう」

 その横顔はほんの少しだけ寂しげでもあった。

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