終章(17)
◆
「あれか!」
エイザーの目にも、ようやく前方のそれが見えてきた。
渓谷沿いの街道を馬車の集団が走っている。
二十台近くはあるだろうか。
あれのどれかにリータレーネとトレイシーが乗せられているというのだ。
はやる気持ちを抑えて、跨る愛馬に目を落とす。
長時間走らせてしまったが調子は悪くない。もう少しだけなら頑張ってくれそうだ。
「ああ、間違いない」
併走するドルフが念を押す。ならば疑う余地はなかった。
「あんなにたくさん……」
彼の背中にしがみついているヒューイングにも見えてきたらしい。不安げな声が漏れた。
ハイブリードのやり口はあまりに記憶に新しい。当然の感想だろう。
あのレーミットのような手練れがぞろぞろいるのかと考えたらエイザーにしても冷や汗が滲んだ。
「ふたりだけ奪い返したらとっとと退散すりゃいいんだ、敵の数なんて大した問題じゃねぇよ」
だが例え死地であっても飛び込むしかないのだ。
そうするだけの理由がある。
「それに今度はおっちゃんも一緒だしな。なんとかなるって」
「うむ。なんとかしてみせよう」
はるか前を行く馬車の集団が大きな石橋に差しかかる。すると如実にスピードが落ちたように思えた。
エイザーたちとの距離がぐんぐんと縮まっていく。
「チャンス!」
橋を長い。このペースでいけば渡り切るまでには確実に追いつけるはずだ。
「まず俺が奴らを追い越して注意を引きつけるから、おっちゃんは後ろから奇襲してふたりをピンポイントで救出。そうしたらすぐに引き返して逃げてくれ」
「だがエイザー、お前はどうする?」
奴らの前に出てしまったらそう簡単には逃げ切れないだろう。
おとり役の危険は大きい。それは承知の上だった。
「あの中に突っ込んでふたりをさらってくんのは俺じゃ無理だ。この役割しかねぇ。いざとなったら川にでも飛び込んで逃げるから心配すんな」
エイザーたちも橋に突入し、いよいよ馬車の集団が迫る。
その時だった。
最後尾の馬車から人影が覗いたかと思うと、そのまま外へと飛び出す。
危なげなく着地した人影は、走り去る馬車をかばうようにしてエイザーたちの前に立ちはだかった。
「あの野郎は……!」
銀色の長髪。刃のような眼光。白い装束。ふた振りの剣。
レーミット・レッサーバイスは、昨夜とまったく同じ格好で橋の中央に立っていた。
その顔には何の感情も浮かんでいない。それでいて戦意と殺意だけははっきりと感じられた
素通りが許されるはずもない。
ならばやることはひとつ。
エイザーは馬から飛び降りて、そのまま奴へと突撃した。
「わざわざ足止めたぁ念の入ったこったな、そんなに俺とリータレーネの仲を引き裂きてぇのかよ!」
せっかく追いついたのだ、まんまと足止めされるわけにはいかない。
「そんなのはあの陰険腹黒親バカ中年だけにしといてくれ!」
引いた右拳に電撃をまとわせた。最初から全力でいく。
「スタンガントレット!」
「ハーニスによって拾われた命をみすみす捨てに来るとは!」
レーミットは片手で剣を抜き打って拳を受け止める。刃と手甲が火花を散らし、甲高い音が鳴り響いた。
「やはり人間というのは愚――」
レーミットは言葉を途切れさせ、わずかに表情を険しくした。
エイザーは反対に得意げな笑みを見せつける。
「やっぱそういうことか」
昨夜は通用しなかった電撃が今は確かに効いている。その手応えが充分にあった。
「ここじゃ受け流せないもんな」
「貴様……!」
街で戦った時。レーミットは片方の剣で拳を防ぎつつ、もう片方の剣を地面に刺して電撃を逃がしていたのだ。
目の前にいたエイザーは気付かなかったが、離れたところで見ていたヒューイングがそれを見破ってくれた。
この石橋の上ではその芸当もできない。
『魔術』の電撃は蛇のように体に絡みつき、その動きを拘束しているはずだ。
「今だおっちゃん!」
「ウォォォ!」
後方でヒューイングを下ろしたドルフが疾風のように駆ける。
全力の電撃でも拘束できる時間はわずか。獣人の攻撃力で決めてもらうしかない。
肉薄するドルフが腕を振りかぶる。
次の瞬間。
突如割り込んできた人影により、逆にドルフのほうが弾き飛ばされていた。
「……!」
エイザーは目を見張る。別のハイブリードだった。
レーミットと同じ白装束。短く逆立った金髪。山のような長身。筋肉の鎧を纏った巨躯。
握られたポールアックスの先端からは、生々しい紫色の血が滴り落ちていた。
レーミットの拘束が緩み始める。もう片方の剣が抜かれる気配を察知し、エイザーはすぐさま後退した。
「大丈夫かおっちゃん!」
「この程度なら、子細に及ばず」
横目で様子を窺う。左肩に大きな傷が刻まれ、血もかなり流れ出てきているようだった。
「本当かよ」
獣人の頑丈さは人間の比ではないと言うが。本当に問題がないかは怪しいところだ。
すぐさま反撃が来ると身構えていたエイザーだったが、どうやら当てが外れたようだった。
レーミットは体の痺れ具合を確かめるようにしながら、加勢に来た男へと視線を向けている。
「なぜ貴様まで降りた、ブリュックナー」
「『モンスター』の相手は俺のほうが得意だ。あっちは任せときな」
「なぜと聞いた」
「なぁに戦い足りねぇだけよ。昨日は同胞を救い出すので手一杯だったからな。こいつらを挽き肉にしてうさ晴らしをさせてもらうぜ」
「ならば『モンスター』のほうだけにしておけ。あの人間たちは、俺が始末すると宣言した」
物騒な会話が打ち切られる。ふたりは武器を構えて一直線に向かってきた。
「エイザー、無理はするな。もしもの時は退却も考えるのだ」
「そうしたいところだけど、リータレーネはもう目の前だ。ここで我慢できるほどお利口さんじゃねぇぜ」
橋を抜けつつある馬車の集団は、かすかとはいえまだ見えている。
諦めきれるはずがない。
「こいつらを突破して奪い返す! 絶対にだ!」
「二言は無い」 レーミットが両手の剣を広げて躍り掛かる。
エイザーも対抗して飛びかかった。
「何べんも何べんも同じこと言わせんじゃねぇ、リータレーネを返せ!」
蹴りと突き、脛当てと刃が衝突して金属音が響く。
「大した執念だ」
接触した箇所から電撃を送り込んでやったはずだが、レーミットの顔色は変わらなかった。接触が短すぎたか。
もう片方の剣が振りかぶられる。上段からの縦斬り。エイザーは迷わず斜め後ろへと退いた。
「だが我々の同胞である以上は、貴様のようなものには引き渡せん」
視界の端にドルフの姿が映った。ブリュックナーと呼ばれていた男が執拗に追い立てている。こちらへの加勢は期待できないだろう。
そしてこちらも、しばらくは加勢できそうにない。
「俺のどこに問題があるってんだ! 言えるもんなら言ってみろ!」
「容易く言える」
レーミットのふたつの剣が光を帯びた。
昨夜の戦いでは見せなかった、『魔術』を用いた攻撃。
「貴様が人間だからだ!」
レーミットの周囲に三つの光弾が出現する。それらが刃の形を成してエイザーへと射出された。
真横に跳んでひとつ目とふたつ目を避ける。三つ目は回避不能と判断して籠手で受け止めた。
腕がビリビリする。
スタンガントレットの要領で電撃をまとえば『魔術』にもある程度は対抗できる。そうでなければ今頃は腕ごと貫かれていただろう。
「人間などが我々と共にいようなどとは、おこがましいにもほどがある!」
その隙を狙ってレーミットが突っ込んできた。
剣を振る、と見せかけた中段蹴り。
鮮やかなフェイントだが、エイザーにとっては格闘技のほうが読みやすかった。
すかさず奴のふところへ飛び込む。
「リータレーネを勝手に仲間扱いすんじゃねぇ!」
胴と胴がぶつかり合う。この距離まで踏み込んでしまえばエイザーに分があった。
突進と同時に、白装束の首元をつかみかかり、さらに足払いをかける。相手の重心バランスが崩れた一瞬を見逃さず、背負い込むようにして投げ飛ばした。
レーミットの背中が石橋に叩きつけられる。苦々しい声が漏れ聞こえた。
「本人の気持ちがあるだろうが。リータレーネが俺から離れたいとでも言ったのかよ!」
「彼女の意志など関係ない……!」
すぐさま追い打ちしたエイザーをひらりとかわして、レーミットが遠間へ離れた。
「人間と『モンスター』はすべて滅ぶべき害悪だ。我々が真の安寧を得るには我々だけで生きていくしかない。そこに個人の意志などは介在しない」
レーミットの表情は険しく変化していた。
受け身も取れずにまともに落ちたとあっては、さしものリゼンブルでもダメージは免れられないはずだ。
「新たな世界を作り上げるためには、そんなものには構っていられない」
「人さらいが御託を並べんじゃねぇよ!」
「我々は保護を行なっている!」
レーミットの剣に再び光が宿った。
先ほど同じく、彼の周囲に光弾が現れる。だがそれは三個に留まらない。
五個、十個、二十個と増え続ける光弾は、巣の周りを飛び交う蜂の群れを思わせた。
「……!」
「何がクイーンだ。何が共存だ。『モンスター』が馴れ合いを始めて脅威が去った途端、人間たちは愚かにも図に乗り始めている」
エイザーの脳裏に一瞬だけ昨日の山賊たちが浮かび上がった。彼らに限った話でもないだろう。
「自分が蹂躙する側に立ったと勘違いをした者たちが、いずれ『モンスター』になりかわる!」
語調が荒くなるのに応えるように、光弾が刃の形へと変わっていく。
もはや数えきれないほどに増殖していた。
「今は大人しくしている『モンスター』たちも、そうなったら黙っていまい」
エイザーは覚悟を決めて身構えた。あの『魔術』が一斉に放たれたら、残された手段はひとつしかない。
「その時に煽りを食うのは狭間にいる我々だ。惨憺たる歴史を繰り返させるわけにはいかない!」
レーミットが指揮棒の如く剣を振る。
光の刃が次々と発射された。
エイザーは走り出す。
とてもじゃないが防ぎきれない。動き回って凌ぐしかなかった。
「人間と『モンスター』はすべて殺す。我々が混血種から純血種へとなるために。ハイブリードの行動は、世界のすべての同胞たちの未来を守る行動だ。妨げる者は何人たりとも許すわけにはいかない!」
もはやレーミットの言葉を聞いている余裕もなかった。
エイザーはとにかく走る。動きを読まれないように、でたらめに。一散に。
すぐ背後で風を切った気配を感じた。
走り抜けた足元が爆音を発して砕けた。
『魔術』の刃が後ろ髪を撫でる。
「そんなのは俺たちの知らねぇところで勝手にやってろって言っただろうが!」
やけになって叫んだ。
雨霰となって襲いかかる刃の群れは一向に納まる様子がない。
「世界だの未来だの、そんなご立派な話は知ったことかよ!」
だが逃げ続けるのにも限界があった。
徐々に視界が光で埋まる。体中に細かい痛みが増えていく。
直撃を受けてしまうのも時間の問題だ。
ならば、とエイザーは一転してレーミットへと直進した。
当然、大量の光の刃が正面から飛んでくる。
「スタンガントレット!」
エイザーはそれらを、電撃をまとわせた両拳で次々と殴り散らしていった。
が、すべてに対応できるはずもなく、あっという間に皮膚という皮膚が切り裂かれていく。
それでもレーミットへの接近は果たせた。
「俺にはリータレーネが必要なんだよ!」
「貴様は世界に必要ない!」
エイザーは右斜め前へ跳ぶ。そして空中でスピン。振り下ろされた剣が肩口を斬る。だが浅い。
全身を回転させて放った回し蹴りが、レーミットの側頭部をとらえた。
エイザーは着地を取れずにそのまま橋の上に倒れ込む。
「どいつもこいつも邪魔ばっかりしやがってよ……! 俺はリータレーネと一緒にいたいだけだってのに!」
立ち上がろうとするが、膝立ちが精一杯だった。
今の特攻によるダメージが覚悟していたよりずっと酷い。
「それがそんなに難しいことかよ……!」
「ここで死ぬ貴様には……難しい未来だ」
同じく膝立ちの体勢だったレーミットが、ゆらりと立ち上がった。
辺りに浮遊していた光の刃はすべて消失している。今の蹴りでレーミットの集中が乱れて『魔術』の維持が出来なくなったからだろう。
そこまでのダメージは与えられたようだ。
だが、そこまでのダメージしか与えられなかった。
勝負は決まったも同然だった。
エイザーは自由の利かない体で顔を上げ、レーミットを睨みつける。
すると彼の背後で繰り広げられているドルフとブリュックナーの戦いも目に入った。
図らずも、あちらの戦いにも勝負がついたようだった。
ドルフの鋭い爪がブリュックナーの胴体を深々と切り裂いた。
血飛沫が飛ぶ。
うめき声を残して、ブリュックナーがその場に倒れた。
取り落とされたポールアックスが石橋に当たってカラリと音を立てる。
その瞬間。
レーミットが、即座に反転してドルフへと疾走していた。
「おっちゃん気をつけろ!」
声を張り上げるが間に合わなかった。
ドルフが振り返るよりも早くレーミットの剣が振るわれる。背中に大きな×字を刻み込まれて、ドルフは膝はついた。
レーミットは間髪を入れずに再び反転。片方の剣をエイザーに向けて投げつけた。
「!」
さながら矢。エイザーは防衛本能のままに体をよじる。頭をかすめた感覚。尻餅をつく。じわり、と生温かい感触が頭皮に広がった。
レーミットはブリュックナーの襟をつかみ、橋の先のほうへと引きずっていく。
同時に残った片方の剣を掲げた。
刃がまばゆい光を放ち、無数の光弾が現れる。今度はそれらが一カ所に集まり、一本の巨大な剣を形作った。
光の大剣が勢い良く橋へと突き刺さる。
根元まで貫通した刃が、次の瞬間に大爆発を起こした。
地震のような凄まじい揺れと衝撃を肌で感じて、エイザーは最悪の想像をした。橋が崩れる。
それは現実となった。
◆
「すまねぇ。助かったぜ」
ブリュックナーが苦しげな息を吐きながらようやく口を開いた。
傷は深いようだが、すぐに治療すれば大丈夫だろう。
「同胞を守るのが我々の使命だ。助けるのは当たり前だ」
レーミットは、はるか後方に遠ざかった大橋を振り返った。
中間部分が倒壊して、もはや橋の形をなしていない。
もうもうと砂埃が上がっていて向こう側は見えないが、さすがの奴らも追ってこられないようだった。
「同じ敵を二度も仕留め損なうとは……」
致し方なかったとはいえ、だ。
強烈な後味の悪さが残っている。
「エイザー……エイザー・エーツェル」
たしかそう名乗っていたか。記憶の中を掘り起こす。
殺した者の名は忘れる。殺し損ねた者の名は刻みつける。
レーミットはその忌々しい名前は脳裏にしっかりと刻みつけた。