終章(14)
「おいおいおいおい、話を勝手に進めんじゃねぇよ!」
エイザーはなんとか起き上がって威勢良く言った。
蹴られただけだというのにダメージは馬鹿にならない。山賊たちとの戦いによる消耗もあるが、どうやらそれだけではなさそうだった。
人間の脚力を大幅に上回る攻撃力だ。一筋縄ではいかない相手だと直感する。
しかしそんなことには構っていられない。
「聞こえなかったんならもう一回言ってやるぜ。俺の、リータレーネを、どうするつもりだ!」
「貴様の知ったことか」
レーミットと呼ばれていた長髪の青年が冷ややかに返す。
「我々『ハイブリード』は同胞を傷付けない。同胞を傷付けさせない。同胞を傷付ける者を許さない。故に保護する。貴様のような者たちの手から守る。ただそれだけだ」
「ふざけたこと言ってんじゃねぇ。俺がリータレーネを傷付けるかよ。 とにかく、とっとと、大人しく、速やかに、返しやがれ!」
エイザーは走り出す。目指した先はレーミットなる青年ではなく、ふたりを肩に担いだ大男のほう。
が、その直線上にレーミットが割り込んできた。
「ブリュックナー、グズグズするな! いつまでこんな連中と同じ空気を吸わせておく気だ!」
両手に握った二本の剣がエイザーめがけて躍りかかる。
その速さはさながら疾風。エイザーは地を這うようなヘッドスライディングでどうにか斬撃をかいくぐる。
が、レーミットの攻撃はそこで終わりではなかった。すぐさま体をひねり、後ろ回し蹴りで追撃をかける。
そこまでは避けきれず、エイザーは再び蹴り飛ばされて地面を転がった。
体を起こすと、リータレーネとトレイシーを担いだ男が走り去る背中が見えた。
「逃げられると思ってんじゃねぇだろうなぁ、俺から!」
「同じセリフを返そう」
レーミットが横合いから迫る。
「貴様らふたりとも逃がしはしない。ここで尽き果てろ!」
エイザーは黒煙の中に消えていく男と、立ち竦むヒューイングに視線を飛ばす。
「――くそっ!」
追いかけたい衝動を懸命に堪えた。ヒューイングを残していくわけにはいかない。あんなことを言われたら尚更だ。
腹を括ってレーミットに相対した。
「なら尽き果てる順番はこっちに決めさせろよ。まずは俺、その次にあいつだ。破んじゃねぇぞ」
「意味の無い順番だ。結果は変わらん!」
レーミットが飛びかかる。一撃目は――左の剣。刺突。
右へ跳んで避ける。すると間髪を入れずに横薙の右の剣が襲ってくる。
「大ありだぜ!」
エイザーはそれを見極め、両腕を体の前に出してた防御した。
刃と手甲が火花を散らす。
この手甲は鍛冶の師匠たるアルムス・ドローズ謹製の一品だ。腕ごと弾き飛ばされない限りはどんな攻撃をも防ぎ切れる。
そしてエイザーは防御した瞬間、スタンガントレット――電撃を発生させ、相手の剣越しに流し込んだ。
手応えはあった。だがレーミットの膂力に変化はない。
「貧相な技だ」
麻痺するどころかさらに力を込め、エイザーの防御を打ち崩す。
「!」
「貧相な人間には効いても、『我々』には通用しない!」
よろけた無防備な胴めがけて蹴りが放たれる。
しかしエイザーもそうそう同じ攻撃を食らうわけもなく、あえて自分から尻餅をついて回し蹴りをやり過ごした。
眼前の空気が裂かれる。
すぐさま足を伸ばして相手の軸足を刈る。狙い通りにレーミットは体勢を崩し、たたらを踏んだ。
エイザーはその隙に跳ね起き、右拳を叩き込む。仰け反りこそすれかろうじて踏みとどまったレーミットへ、さらに飛び蹴りで追撃をかけた。
レーミットの背中が地に付く。その顔は驚愕と共に憤然の色に染まっていた。
「おい聞け、聞き分けのない奴!」
そんな彼へエイザーは構えを維持したまま言い渡す。
「俺はエイザー・エーツェル。鍛冶屋になるために旅をしてる。さっきお前の仲間が連れてったうちの片方の、リータレーネとは、良い感じの仲だ」
その間にレーミットは起き上がる。ダウンを取ったとはいえダメージはほぼ無いようだった。
「お前らのことはだいたい知ってるぜ、『ハイブリード』。リゼンブルを守るとかって名目で人間とか獣人とかを手当たり次第に襲ってる連中だ」
「……何が言いたい」
「それに関してはどうぞご勝手にって話だ。俺とリータレーネに関係のないところで好きなだけやってろって話だ。お前らの世話になんかならなくても、リータレーネのことは俺がきっちり守ってやるつもりなんだよ」
「笑わせる」
「だから安心して返してくれていい。ついでにトレイシーのほうもだ。あの兄貴と親父なら悪いようにはしねぇよ」
「笑わせると言った!」
戯れ言に付き合う気はないと言わんばかりにレーミットが躍りかかった。
「俺も聞けって言ったぞ!」
恐ろしく速い、すくい上げるような右切上。後ろへ跳んでかわす。さらに左薙、刺突、切下ろしと連撃が来るがそれらもすんでのところでどうにかかわす。
レーミットが片足を振りかぶる。蹴りが来る、と見たエイザーはそこで攻めに転じた。
しかしそれは奴の誘いだった。振りかぶった足をそのまま地面に叩きつけ、体をひねる。その場で竜巻のように回転し、何倍も速度を増した剣を繰り出した。
エイザーが顔の前に両腕を出したのは、無意識に近い防衛反応だった。
眼前で火花が散る。
刃は手甲で防げたものの、その剣圧は凄まじく、エイザーの体はたやすく吹き飛ばされてしまった。
「人間の命乞いなど――」
間髪を入れずにレーミットが追撃に走る。
「――聞く耳持たん!」
地面に叩きつけられる寸前、エイザーは振り下ろされる刃を見た。
避けることも防ぐこともできない必殺の凶刃。それが自分の体を食い破る鮮明な幻も、見た。
「では私の言うことならば聞いていただけますか」
それが幻で終わったのは、場にそぐわないどこか涼やかな声と共に、両者の間を強烈な雷光が駆け抜けたからだ。
威嚇。だが充分な攻撃力を含んだその『魔術』を感知して、レーミットは素早く剣を引いて距離を図っていた。
「何者だ!」
紙一重のところで窮地を逃れたエイザーも、地面を転がりながらそちらに視線を向ける。
声と『魔術』の放たれた先――炎と黒煙のゆらめく夜闇の中に、ひとりの男が立っていた。
「げっ……!」
と思わず声が出てしまったのは、それがエイザーのよく知る人物だったからだ。
しかもなるべくなら会いたくない類の知り合いである。
「久しぶりですね、エイザー君」
長身痩躯にマントを纏ったその男が柔和な笑みを貼り付けて歩いてくる。丁寧な言葉遣いではあるが、その声音にはたっぷりとトゲが含まれていた。
「……お久しぶりです、おとうさん」
「おかしいですね、君からそんなふうに呼ばれる身に覚えはないはずですが」
「将来的なおとうさん」
「できれば現在の時間軸に忠実な言葉を選んでほしいものです」
「……ハーニスおじさん」
「結構」
と言ってさらに微笑みを深くしたが、エイザーにとっては嫌味にしか見えなかった。
「ハーニスだと?」
そんなやり取りを注視していたレーミットが、さらに表情を険しくする。
「聞いた名だな」
「ほう?」
「『クイーン』などと祭り上げられている人間に魂を売り渡した、卑しき裏切り者の名だ」
「私も少しは有名になってきたようですね」
真っ向から罵られてもハーニスは表情を崩さなかった。
「素性が知られているのでしたら話が早い。我々『エーツェル騎士団』が到着した以上、このような暴虐的な行ないは許しません。速やかに投降しなさい」
まとう雰囲気から柔和さが消え、厳格な意志が表れる。
エイザーは、エーツェル騎士団の名前を昼間に聞いたことをそこで思い出した。この近くまで来ていると。しかし多数ある中でよりにもよってハーニスの含まれた隊だとは。妙な巡り合わせだと思った。
「拒否するというのなら、そこの少年に代わって私が相手を致しましょう」
ハーニスの警告も、あまり効果はないようだった。レーミットは構えを解かず睨み合ったまま。
その緊迫した時間がいつまで続いたか。エイザーが固唾を飲み込んだとき、レーミットの腕が動いた。
意外にも構えを解いて両手の剣を鞘にしまう。
だが戦意も敵意も未だ充分に張り詰めたままだ。
「たとえ裏切り者であっても同胞は傷付けない。それが我々の掟だ。貴様たちとは違ってな」
レーミットは踵を返す。戦う気はなくとも当然投降する気もないのだろう。
「だが覚えておけ! レーミット・レッサーバイスの名において宣言する。我々『ハイブリード』はどんな妨害を受けようと、『モンスター』と人間を根絶やしにするまで戦い続けるとな」
背中で言い残して炎の躍る中へと消えていく。
ハーニスはそれを追うでも引き止めるでもなく、厳しい眼差しでただ眺めているだけだった。
「……さて」
そんな眼差しが、ギロリと音を立てるかのようにしてエイザーへ向けられる。
山賊の一派と戦ったり『ハイブリード』なる暴徒に襲われたりと様々なことがあった今日一日のうちで、最大の恐怖がエイザーの全身を駆け抜けた。