第一章(9)
「けどな、あたしにはコイツがある!」
エリスは気を取り直し、再び剣を振りかぶる。
その間にも、レクトによる援護射撃は続けられていた。
『モンスター』の頭部を中心に、文字通り矢継ぎ早に連続して矢をお見舞いしていく。
レクトの狙いは正確だった。それ故に、『モンスター』は矢を防ぐのに集中せざるを得なくなっている。
顔を覆う腕、その外皮によってすべて弾き落とされてはしまうが、『モンスター』の動きは完全に止まっていた。止まらなければならないということなのだろう。
鋼のように強固な皮膚に守られているとはいえ、やはり急所はあるようだ。泣きどころとも言うべき弱点が。
それは後方に控える『ボス』も同じなのかもしれない。レクトがそれに思い至った時、
「フラッシュジャベリン!」
リフィクが、先ほどと同じ『魔術』をもう一度うち放った。
光槍はたがわず『モンスター』に命中する。防御していた腕がだらりと下がり、無防備な体があらわとなった。
「燃えろ!」
そこへすかさず、エリスが走り込んでくる。振りかぶった剣からまばゆいばかりの炎が吹き上がった。
「オーバーフレアぁっ!」
『モンスター』の首筋を、灼熱をまとった刃がばっさりと両断する。
直前の不手際を帳消しにするほど、それは鮮やかな切れ味を見せつけた。
火だるまと化した『モンスター』の頭が飛び、床に転がる。
するとカーペットに火が燃え移り、またたくまに炎が広がってしまった。
エリスたちは慌てて、部屋の隅へと待避する。カーペットは中央部にしかなく周囲は石造りなため、それ以上燃え広がる心配がないのが救いといえば救いだった。
「我が片腕ガーディフを葬るとは……それなりに腕の立つ人間ではあるようだな」
ゆらめく熱気の向こうから、低い声が響く。
今まで戦いを静観していた『ボス』が重い腰を上げ、燃え盛る炎の中に平然と立っていた。
まるで猛火などなにするものぞ、と言わんばかりの振る舞い。
「自信の源は『魔術』とやらか。こんな辺境にも使い手がいるとは驚きだ」
座っていた時も思ったが、立ち上がって改めて思う。でかい。
手下の『モンスター』の時点で一般人よりもひと回り大きな体をしているが、この『ボス』はさらにそのひと回りは巨大である。
エリスと比べると、まるで犬と馬ほどの違いがあった。
もはや頭が天井に届きそうである。
「だが所詮、そんなものは付け焼き刃よ」
『ボス』はただでさえ大きな口を、さらに大きくしてニヤリと笑った。
その巨体は美術品を思わせる彫刻の入った胴鎧で包まれている。足を守るブーツにも同じ意匠が見て取れた。
案の定武器は手にしていないものの、巨大さそのものが凶悪な武器になる。やはり人間と『モンスター』。基本的な部分からして大きく水をあけられているのだ。
「弱者の浅知恵。圧倒的な力の前では、なんの役に立つものぞ」
「言ってろよ、ボンクラ!」
ボスの放つ威圧感にまったくひるむことなく、エリスが猛々しく言い返す。そういうところは彼女の数少ない美点であろう。
背後に控えるレクトやリフィクからは、さすがに少なからず気圧されているような様子がうかがい知れた。
「わかってんのか? てめぇの子分がもう何匹もやられてんだよ。あたしが! このエリス・エーツェルが叩きのめしたんだよ!」
正確に言うなら、エリスが倒した(奴の手下とおぼしき)『モンスター』は二体だけである。
何体もと言えなくもないのだが、半数以上を葬ったのはリュシールだ。
もしハーニスがこの場にいたら、すかさずそう訂正していたところだろう。
しかし今はそんなヤボなことを言う人間はいない。
「余裕しゃくしゃくなことをぬかしてられんのも今だけだ! すぐにてめぇも同じ目に遭わせてやるからな! 腹ぁくくっとけ、このワニ野郎め!」
ここぞとばかりに言い連ねるエリス。セリフだけを見るなら三流の悪党にも近しかった。
しかし彼女の威勢の良い弁舌を耳にし、レクトは不思議と安堵していた。畏怖が薄れたのだ。
言葉の力は大きい。
たとえそれがハッタリや強がりだったとしても、聞いた人間の心を突き動かすこともできる。そして他人のみならず、言った本人の心すら動かすことができるのだ。
自分の影響を最も受けるのは自分自身である。
故にエリス・エーツェルは、常に大言壮語を振りかざしている。他の誰でもない、自分自身に対する鼓舞のために。
そうすることで彼女は彼女たり得ているのだ。エリス・エーツェルの理想とするエリス・エーツェルに少しでも近付くために、虚勢を張り続けている。
表には決して出さないそんな姿勢を知っているからこそ、レクトは彼女を信頼しているのだ。
信頼するに値する。そのひた向きさは。
「ワニ野郎……? 我らをあのような生物と同じにしてほしくないものだな」
意外と罵倒の効果があったのかなんなのか、『ボス』は不敵な笑みのままそう言い返した。
「一緒じゃねぇかよ。そっくりだ」
たしかにエリスの言う通り、部分部分で見ると酷似している。喋るでかいワニが二足歩行で鎧を着ているようなものだ。
「違うな」
が、ボスは首を振る。そして自信たっぷりにこう付け加えた。
「なぜなら、我らは泳げない」
「弱点言いやがった!?」
エリスは思わず身をのけぞらせた。
普通に考えるなら自信満々に言うことではないが、そこは『モンスター』。やはり人間とは『普通』の範疇が違っているのだろうか。
「愚かな貴様らに、せめて名くらいは教えておいてやろう。……クローク・ディール。死ぬ際には、我が名を口惜しく叫ぶがいい」
『ボス』の声には、ぞっとするほどの迫力が込められていた。
本能的にそう思ってしまうのだろうか。絶対的強者に立ち向かうという異常性を知らしめるために、頭の中で鳴らされた警鐘なのかもしれない。
「クローク・ディール……」
顔を青くしながら、リフィクがオウム返しに呟く。
「……クローコ・ダイール?」
緊張感のカケラもなく、エリスが呟いた。
「クロコダイルか」
そんなエリスによって緊張を払拭されたレクトが、やはり呟いた。
「結局ワニじゃねーか、てめぇ!」
エリスが人差し指を突きつけて叫ぶ。ボスは愉快そうにふっふっふっと笑っていた。
「ふざけやがって、この野郎が」
それが本名なのかどうかは置いておくとして。
こうも漫才じみたかけ合いをしていられる以上、クローク・ディール(仮)には相当な余裕があるということなのだろう。
それは裏を返せば油断。すなわち勝機である。ディールが本腰を入れる前に、一気に勝負を決めてしまうのがベストな勝ち方だ。この場合は。
しかし、と、他のふたりはともかくリフィクは慎重に思案をめぐらす。
クローク・ディールは先ほどからずっと、激しく燃えるカーペットの上に立っている。
だというのに、熱や炎をまったく苦痛と感じていない様子なのだ。
そういえばハーニスがそんなことを口走っていた気がする。恐らく身体構造的に火には耐性があるのだろう。
「……」
リフィクは最悪な状況を思い浮かべながら、祈るようにエリスの背中を見つめていた。
ディールは足元に敷かれた燃焼中カーペットを乱暴につかみ取り、丸め、エリスたちへ向かって投げつける。
「!?」
慌てて散らばる三人。
言葉通りの火だるまとなったカーペットは、正確に三人が乗り込んできた出入り口をくぐり抜け、バルコニー部分に転がった。
まるでたき火のように、夜闇の中に炎が浮かぶ。
「こんなものも怖がる。人間というものは」
ディールは面白がるようにあざ笑った。
「びっくりしただけだよ! そんな顔、すぐにできないようにしてやる!」
エリスは威勢をぶつけながら、正面切って突撃をかけた。
片手で思いきり振りかぶった剣から勢い良く火炎が噴出する。
「あたしのオーバーフレアで!」
エリスは跳び上がり、炎をまとった剣を大上段から叩きつけた。
……が。
その炎ごと、クローク・ディールの右手が刃をつかみ取った。
なんのためらいもなく。たやすく。
行き場をなくした炎が、まるで鳥が翼を広げるように拡散する。
エリスは微動だにしない剣の上で、逆立ちの体勢で膠着していた。
「効いていない!?」
レクトが目を見開いて、思わず口走る。
今まで見たことがなかったからだ。エリスの炎の剣技が防がれたところなど。
「やっぱり……!」
予見していたことが当たってしまい、リフィクは顔を曇らせた。
もともとが火をなんとも思わない種族なのだ。手下の『モンスター』は斬れても、その上位種とも言える『ボス』には通用しない。道理の通った話ではあるが。
さすがのエリスも、少なからず驚きを表情ににじみ出させていた。
「知ったか?」
自分の力を誇示するような堂々たる声で、クローク・ディールが吐き捨てる。
「身のほどを!」
そしてディールは剣をつかむ右腕を引き寄せ、同時にエリスめがけて左腕を振り上げた。
爪によって裂かれた肩口から、真っ赤な血が弾け飛ぶ。
そのまま剣ごと投げ捨てられ、エリスは受け身もままならずに石の床へと叩きつけられた。
それでも剣を手放さない辺りはさすがと言えようか。
「くそっ……!」
エリスは苦悶の声をもらしながら、起き上がろうと腕を踏んばらせる。
が、どうにも左腕に力が入らなかった。
裂かれた左の肩から滝のように流れる血が、腕を真っ赤に染めあげている。
エリスはうつ伏せのまま奥歯をかみしめた。
「エーツェルさん!」
そこへ、悲鳴に近い声を上げながらリフィクが走り寄ってくる。