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終章(7)

 

 つるはしを持つ手が震える。

 体に鞭を入れる、とはまさにこんなことを言うのだろう。鉱夫のウィルソンは言葉通りに身をもってそれを実感していた。

 鉱山の採掘作業というのはただでさえ過酷な仕事ではあるが、さすがに一日のうちに何度か休憩の時間がある。

 精のつく昼食が出されることもあるし、家にだって帰ることができる。

 しかし今は、何もかもが変わっていた。

 奴らがやって来てからだ。

 粗暴な盗賊団。奴らは暴力でこの鉱山を支配した。逆らう者には容赦しない。警備のために雇っていた傭兵もすべて殺されてしまった。

 奴らは、働けと言った。これまで通りにと言った。しかしこれまで通りになどさせてくれなかった。

 休憩の時間などはなかった。倒れて意識を失った時がその時間だった。

 食事もゴミのようなものが与えられるだけ。暗くなったら小屋に詰め込まれて寝返りもままならない状態で気絶するように眠る。そして朝になったら終わりの見えない労働に従事させられる。

 町に帰してもらえるはずもなく、家族の顔も長いあいだ見ていない。

 まるで消耗品だ。逆らうことも、刃向かうことも、辞めることも許されない。残された道は従うこと、諦めること、考えるのをやめること。それだけだ。

 鉱夫仲間は次々と倒れ、起き上がらなくなる。いつ自分の番が来てもおかしくない。しかし奴らは何も改善しようとしなかった。

 盗賊団はすべて人間だけで構成されていたが、こんな光景は、昔に見た『モンスター』をどうしようもなく思い起こさせた。

 今の世で獣人と呼ばれているのは、彼らがかつての残忍さを捨て去ったからだ。

 掌を返したように態度を変え、生き方を改め、融和的な存在へと変貌した。

 今となっては人間たちと同じ町で暮らす者も少なくない。

 それは彼らの習性によるものであり、『クイーン』エリス・エーツェルがその習性を利用して彼らを変えさせたのだという話だが、ウィルソンには詳しいことはわからなかった。

 わかったのはもはや『モンスター』が脅威の存在ではなくなったことと、それをいいことに無法な行ないをする人間たちが出始めたということだ。

 そんな人間は『モンスター』時代にもいないわけではなかったが、今では桁が違う。

 脅威から解放された無法者が横行する世界。その魔の手がいよいよウィルソンのもとにも伸びてきたのだ。

 それがこの盗賊団である。

 そんな奴らが、今日に限って少し慌ただしくしていた。

 なにかアクシデントが起きたのだ。

 作業を監視していた奴らのリーダー、たしかクルージーとか呼ばれていたあの男まで、手下とともに採掘場を離れていった。

 前に一度だけ、同じことがあった。町の人間が討伐隊を組織して助けに来てくれた時だ。

 また来てくれたのか……! ウィルソンの胸の内にわずかな希望の火が灯る。

 だがそんな灯火に強く吹きつけるものがあった。

 以前の彼らは、敗走しているのだ。

 

 

「また町の奴らが来たとでも言うのか?」

 盗賊団の頭ジョニー・クルージーは、手下からの報せを受けて厳つい顔をさらに険しくした。

 革と鉄の胴当てをきしませながら立ち上がり、傍らの戦斧を手に取る。

 筋肉の鎧をまとった体は松明の明かりに照らされて凹凸が強調されている。身の丈は周りに人間たちを軽々と上回り、顔に斜めに走った大きな傷跡がさらに見る人間を圧倒した。

「まだ確認はしてやせんが……」

「なら確かめてから言いに来い!」

 怒鳴り声が坑道に響き渡る。それに身をすくめて手を止めていた鉱夫がいたので蹴り飛ばし、クルージーは外へ向かって歩き出した。

「獣人がひとり……偵察か? ただの木こりだったら承知しねぇぞ」

 クルージーは手下をどやしつけつつ、前回の戦いを思い出す。町の人間が徒党を組んでここを奪還しに来た時のことを。

 あの時はここを完全に包囲されていた。こちらが二十五人なのに対して五十人、六十人、それ以上いただろうか。

 そして数の利を取って総力戦を仕掛けてきたのだ。

 馬鹿な連中だ。

 こちらが多人数との戦いを想定していないとでも思っていたのか。

 むしろ、そんな戦いがほとんどだというのに。

 故にその対策も熟知している。そしてそのやり方で勝ってきた。

 かの『クイーン』のように。

 あの魑魅魍魎の世界を少数の戦力だけで渡り歩いてきたというクイーンのように。

 それに比べれば民兵の寄せ集めなど物の数ではない。

 坑道から出たクルージーは、眩い夕陽に目を細めた。

 日が暮れかけている。嫌な時間帯だ。しかしそれは敵にしても同じことだろう。

「獣人が逃げてったのは南と言ったな」

「へい。追跡はライナスに任せやした」

「ほう」

 まだ若いが腕っぷしの強さではクルージーに次ぐナンバーツーと呼んでいい男だ。他の者たちも認めている。奴ならば獣人にも引けを取るまい。

「町の連中の浅知恵なら、これは陽動と見る。北側の人数を増やしておけ」

「へい!」

 しかしこうなると例のヘマがいささか気がかりである。日中シノギに出た手下たちが何者かに襲われてほうほうの体で戻ってきた件だ。

 負傷は浅いようだが戦闘となるとどう影響が出るかわからない。厄介な時にやらかしてくれたものだ。

 とはいえ、まさかその件まで町の連中の仕業ということはあるまい。

 聞くところによると相手はひとり。しかも子供だったという始末だ。

 不可解な出来事ではあるが、今は考えていても仕方がない。奇襲に備えておくのが最優先だ。

 ライナスがその獣人をひっ捕らえて口を割らせるのが理想的な展開だが、殺して敵の威勢を削ぐのも悪くない。

 クルージーは新品同様の戦斧を肩に担ぎ、状況が動くのを待ち構えた。

 

 

 団のナンバーツー・ライナスは、四人の仲間を引き連れて林の中へと飛び込んだ。

 採掘場を後方に、丘とも呼べそうなほどなだらかな山肌が広がっている。

 しかし細い木が所狭しと林立し、高く長い草が豊富に生い茂っているため見通しは限りなく悪い。夕日なのも輪をかけている。

 そんな中でも、前方をゆっくりと移動する大きな影ははっきりと見ることができた。

 例の獣人だ。

 逃げようとしているも木や草が邪魔をしてうまく進めないらしい。

 逃げ道を誤ったな。

 ライナスは仲間たちと固まって真っ直ぐ突き進む。

 この林はしばらく続いている。下手に分散するよりも互いの姿が見える位置を保っていたほうがいい。

 獣人のシルエットが細部まで見えるくらい接近した、その時。

 ライナスの目の前の草陰から、なにかが飛び出した。

「……!?」

 一瞬は野生動物かと思ったが人間だった。子供――少年だ。

「ようよう。山ごと盗もうたぁ大した盗賊だが、ちょっとばかしやり方が悪かったな」

 少年は物怖じせずに言い放つ。四肢に防具をつけた身なりからして山遊びの最中というわけではないようだった。

「こいつ、昼間の……!」

 仲間のうちから驚いた声が上がる。

 それを聞いてライナスの脳裏にも思い浮かぶものがあった。仲間たちを痛めつけたという例のガキ――町の連中とグルだったのか!?

「そんでもって、俺に目を付けられちまった運も悪いぜ!」

「不運はお互い様だ小僧。今日から木の養分になるお前のほうに同情するがな」

 ライナスは躊躇うことなく片手剣を抜き打った。

 ガキだとしても相応の贖いは受けてもらう。

 草むらごと斬り裂く払い上げ。少年は意外にも素早く反応し、両腕の防具で受ける。

 その瞬間。ライナスの腕の力が急になくなり、すっぽ抜けた剣がどこかへ飛んでいってしまった。

「なっ……!」

 はたからすればわざと剣を放り投げたようにも見えるだろう。

 ライナスは目を丸くする。

 なにが起きた……!?

 目の前の少年は体をひねり、さながら弓のように右腕を引く。

 その拳の狙いは、ぴたりとライナスに定められていた。

「じゃあ俺もお兄さんに同情しとくぜ。昼間の時とは違って、手加減はしてやんないからな」

 うち放たれた拳の先から電流が爆ぜる。それがライナスの見た最後の光景だった。

「スタンガントレット!」

 顔面に強烈な打撃を受けたところで、ライナスの意識は遮断された。

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