第七章(27)
そこからは街の南側が見下ろせた。
眺めた先は、人間たちが暮らす地区。遠近感を抜いたとしても周囲の地区よりワンサイズ小さな建物が階段状に密集している。
建物の隙間を縫うようにつながる街路には様々な『モンスター』や人間たちが行き交っていた。
「変わるのかねぇ、世界ってやつは」
フード姿のリゼンブル、ジャンが歌うように問いかけた。
言葉の内容に比べて口調は明るい。もともとの性格が陽気なのもあるだろうが。
「さぁ」
ハーニスは薄く笑って隣のリュシールに顔を向ける。
彼女も同意見らしく肩をすくめてみせた。
「おいおい」
ジャンは苦笑いを浮かべて大きな柵にもたれかかった。
三人がいるのはルル・リラルド中腹に設けられた公園だ。
さながら展望台。柵の向こうは急斜面の崖になっていて岩肌が剥き出しになっている。
はるか後方には石の城である決闘場がそびえ立ち、直上からの陽光を受けて鈍く輝いていた。
「私たちとしても、可能性を追いかけていただけで確信があったわけではありませんから。未来のことはわかりませんよ」
「まったくよ。図太いっつーのか調子が良いっつーのか」
「とはいえ……きっかけとしては充分すぎるでしょうね」
ハーニスは決闘場を振り仰いで目を細める。
あの激しい戦いが嘘だったように穏やかな昼下がりだった。
いや、あの戦いを経たからこそ得られた穏やかさと言うべきか。
「絶対強者『モンスター』たちのトップに、あろうことか人間が君臨したわけですから」
普通ならばあり得ないことだ。弱者が強者に抗い、その上で力関係を逆転させてしまうなど。
『リゼンブル』が行なうよりもよっぽど効果的だ。
「この事実が知れ渡れば世界は揺れるでしょうね。そういう意味では、なにかが確実に変わると言えるでしょうが」
序列を重んじる『モンスター』たちが、あの異端なトップに対して何を思い、どう動くのか。
伝統通りに付き従うのか。認めないと反旗を翻すのか。
ひとつだけ言えるのは、大きな壁を打ち破ったということだ。
新たな風が吹き込み始めた。
ならば何も変わらないということはないだろう。世界はそれを見て見ぬ振りは出来ないはずだ。
「一度大穴が開いてしまった壁は、たとえ穴を埋めたとしても跡が目立つものです」
「色んなとこを旅してきたお前らと違って、オレが知ってる世界ってのはこの街のことだ。……だからああなってるのを見せられると、変わるんじゃねぇかとも思えてくる」
ジャンの視線は街並みに注がれている。その表情は嬉しげだった。
「いくら同じ街で『共存』してたとはいえ、あの地区だけは別の街みたいだった。キング……いや、キングだったあいつ以外は『モンスター』なんてほとんど来なかったからな。それがこの数日であれだ」
往来には人間の姿と同じくらい『モンスター』の姿があふれている。
まるで大昔からそうであったように、ごく自然に同じ場所にいるのだ。
もちろん元々ひとつの街で暮らしていたからこそあり得る光景ではあるが、希望を感じずにはいられなかった。
「この街の奴らが特別なのか、世界中の奴らもこうなるのか……。そして人間と『モンスター』が仲良くなったら、オレたち『リゼンブル』とも……ってのは、考えちまうよな」
「ええ。それが、私たちの目指す世界です」
「オレにはスケールがでかすぎてよくわからない話だがな」
ジャンは笑いながら、遠方に設置された時計塔に視線を向ける。
「さてと、そろそろひと働きしに行くか……。ところでお前らはこれからどうするんだ? この街で暮らしてく気があるなら家とか仕事とか紹介してやろうか?」
「厚意だけありがたく受け取っておきます。『キング』を倒すことが第一でしたから、その先のことはなんとも……。」
「そうか。まっ、困ったことがあったらなんでも言いにこいよ? オレもお前らの目指す世界ってのを信じてみたくなったからな」
ジャンは手を振って歩き出す。
そして歩きながら、目深に被っていたフードをためらいなく取り払った。
「やっぱり明るい空の下は、気兼ねなく歩けたほうがいいぜ」
普段は隠していた『リゼンブル』である証――頭頂部から伸びるネコ科に似た耳が青空の下で露わになる。
去り行く彼の足取りは、どことなく軽やかだった。
「これから何をするべきなのか……その答えはもう出ているのかもしれないね」
ジャンの背中を見送りつつハーニスが言う。
「せっかく開けた穴をやすやすと塞がせるわけにはいかない。そのためには……」
「おーーい!」
と、その場へそんな大声が割り込んできた。
公園に他の者の姿はなかったはず。自分たちを呼んだものだろう。
ふたりは声の主は頭に思い浮かべてそちらを振り向いた。
想像にたがわぬ三つの影。
エリス・エーツェル、レクト・エイド、ザット・ラッドの三人が、なだらかな斜面を降りてやって来た。
「おや、ごきげんよう」
「こんなとこにいたのかよ。ずっと探してたんだぞ」
エリスは一方的にプンプンと口を尖らせた。
彼女たちと会うのは『継承決闘』の時以来だ。ハーニスたちはハーニスたちで、この街に住んでいる『リゼンブル』たちと会いにずっと街中を回っていたのだ。
「それは失礼。我々になにか用事が?」
「用事っつーか言っときたいことっつーかよ。お前ら、これからどうすんだ? またどっかに旅に出るのか?」
先ほどとまったく同じ質問をされたのが可笑しくて、ハーニスは口元を緩ませた。
「いえ、具体的なことはまだ何も決めてませんが」
「そりゃちょうどよかった。あたしらひとまず自分の村に帰ろうと思ってるからさ、お前らも一緒に来いよ」
思ってもみなかった申し出に、ハーニスとリュシールはふたり揃って目を丸くした。
「まぁなんにもない村だけど、いいとこだぞ。なんにもないけどな」
「他に同行したいという『モンスター』たちもいるのでいつ出発できるのかはわかりませんけど……」
レクトがすかさず補足する。
先の戦いの時からではあるが、彼の中で『リゼンブル』に対する嫌悪感はすっかりなくなってしまったようだった。
詳しいことはまだ聞いていないが、もしかしたらリフィクの死に関連しているのではないかと、ハーニスは目をつけていた。
あるいは希望かもしれない。
もしそうであるなら、その死も無駄ではなかったと言うことができる。命を懸けて人の心を変えられたのなら、それは誇り高い人生だ。
ハーニスはリュシールの顔をうかがう。
こくり、という頷きが返された。
「そうですね。ではご同行させてもらいましょう。あなたたちが生まれ育った場所なら少なからず興味がありますから」
とは言ったものの、願ってもない誘いでもあった。
エリスがすぐさま『モンスター』に殺されるような事態になれば今までの奮闘が無駄になってしまうかもしれない。
せめてこの事実が世界中に浸透するまでは、彼女には『クイーン』であり続けてもらわなくては困るのだ。
放任するには頼りなさすぎる。
護衛――それが、次なる目的と考え始めていた。
「そっか、よしよし」
エリスは心底嬉しそうに顔を綻ばせる。
先ほどまでの不機嫌そうな顔はどこへやら、だ。
そんなエリスが、再び表情を一転させた。
「えっと、じゃ、そろそろいいかな……えっと」
今後は照れたようにうつむき、ためらいがちに口をもごもごとさせる。
快活な彼女にしては珍しくしおらしかった。
そして一拍だけ置いてから、意を決したように切り出す。
「あたしの子分になれよ!」
いつか聞いた、もはや懐かしさすらあるひとこと。
ハーニスとリュシールは互いに顔を見合わせ、思わずといった様子で噴き出した。
「ええ、よろこんで」