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第七章(25)

 

「……よくやったな」

 ゆっくりと降下しながらリュシールがささやく。

 そっけない言葉だったが、それは心からの称賛だった。

「お前もだよ」

 エリスは内側から笑みを滲ませて言う。

「それと、みんなもだ」

 腕一本動かすだけで難儀するほどくたくただったが、不思議と苦しさはなかった。

 やり遂げた充実感と勝利した達成感が湧き水のように次々と溢れ出して、肉体の疲労をどこかに追いやっている。

 あれほど沸いていた観客席が嘘のように静まり返っていることも、今はどうでもよかった。

 

 

 ふたりが地面に降り立つや否や仲間たちが駆け寄って取り囲む。エリスは立とうとするも足に力が入らず、正面にいたレクトへ倒れかかった。

「エリス……やったな」

 しっかりと抱き止めたレクトが、万感を込めて微笑む。

「ああ、やった。……あははっ、やったよ!」

 エリスは彼の体を強く抱きしめて無邪気な笑い声を上げた。

 せきを切ったように喜びが噴き出してくる。

「倒したよ!」

「ああ」

「あははっ、勝ったよ、あたしたち!」

「ああ!」

「今回ばっかりは、ホントに勝てると思わなかった……!」

「ええ?」

 そんなエリスの呟きは、周りから口々に投げかけられる勝利を称える言葉にかき消されてレクトにしか聞こえなかった。

「やりましたね姉御!」

 ザットが清々しい笑顔を見せる。

「オレは何の力にもなれませんでしたが……いいもん見させてもらいました!」

「何言ってんだよザット。お前がいてくれてすっごく頼もしかったぞ」

「ちょっとちょっと、いつまで抱きついてるの?」

 と、ザットを押しのけて前に来たパルヴィーが唇を尖らせる。

「好きでひっついてるわけじゃねーよ」

「ほんとにぃ? ……まっ、今は特別に許してあげるけど」

 疑わしげな視線を向けられるも、最終的な表情は微笑みだった。

 そんなことをパルヴィーに言われたのでレクトの肩を借りる形でどうにか立ってみせる。

 この疲労感も今は心地良いとさえ思えた。

「エリスさん。おめでとう」

 アリーシェが穏やかな顔をかたむけて片手を差し出す。

 エリスは、へっ、と鼻を鳴らしてからその手を握り返した。

「他人行儀なこと言いやがって」

「そうね。私たちをまた信じてくれて……ありがとう」

 ふたりのあいだに自然と笑みがこぼれる。

 そういえば会ったばかりの頃にも同じようなことがあったな、と思い出すエリスだった。

 

 リュシールは、勝利に沸く戦士たちの輪からこっそりと抜け出した。

 背中の翼は小さく折り畳まれ、長い黒髪と同化する。

「がんばったね、リュシール」

 同じく輪の外にいたハーニスが、そう言って上衣を手渡した。

 着るのもわずらわしいとばかりに、彼女は受け取るのと同時に彼へと抱きついた。

「ひとりだったら、がんばれなかったかもしれない」

「だけど、君はがんばった。その結果、勝てたんだ」

 ハーニスは頭をなでる。

「僕たちは勝ったんだ。――『モンスターキング』に」

「うん」

 彼の胸にうずめたリュシールの顔は、間違いなく笑顔だった。

 

「こんな時に申し訳ないけど……リュシールさん」

 と気まずそうな苦笑いを浮かべたアリーシェが、抱き合うふたりへ歩み寄る。

「はぐれたままの仲間がまだいるはずなの。よかったら探すのを手伝ってくれない? その……飛んで」

 仕方なく、といった感じで体を離したリュシールが、こくんと頷く。

「私も手伝いましょう」とハーニスも快く申し出た。

「力になりたいんです。皆さんの」

「悪いわね。ありがとう」

 アリーシェは自然な微笑みを浮かべてみせる。

 まるで憑き物が落ちたように、リゼンブルに敵意を剥き出しにしていた彼女はそこにはいなかった。

 ふと、リュシールが視線を真横に飛ばす。

「……いや、すみません。それは少し遅れるかもしれません」

 少し遅れてハーニスも同じ方向へ振り向き、声を硬くした。

 何事かと視線を追ったアリーシェは思わず息を呑む。

 林立した岩石群をかき分けるように――複数の『モンスター』がこちらへやってきていた。

 

    ◆

 

「私はロナルド・ロバーツ。歴代の『キング』の身の回りのお世話をさせて頂いてきた者です」

 老人のようにしわがれた声だった。

 十体ほどの多種多様な『モンスター』が一同の前に整列し、膝を折る。

 代表者らしく一歩前に出たロバーツは、どこか『ヤギ』に似た特徴を持っていた。

 くの字に曲がった角。細長い顔。浅緑色のローブからは白く短い毛並みがのぞいている。

 口調も立ち居振る舞いも丁寧で敵意は感じない。少なくとも荒事をしにやって来たわけではないようだった。

「私たちに、どういう用件かしら」

 皆が固唾を呑んで見つめる中、アリーシェが先頭に立つ。

 剣は鞘に収めていたが、警戒心は少しも緩めていなかった。

「そちらの……名前をお聞きしたい」

 とロバーツが視線を向けたのは、レクトに支えられるように立つエリスだった。

「あたしか? エリ……いや、えーとえーと……よし」

 エリスはフラフラしながらレクトから離れて、咳払いをして喉の調子を確かめる。

 そしてすぅっと大きく息を吸った。

「――世界を相手に剣を向け、遥かな彼方へ前を向く! 矛先向いても逆らい進み、向き不向きは考えない! ムキになったら天井知らずのエリス・エーツェルとはあたしのことだっ!」

「……ではエリス・エーツェル」

 ロバーツは軽く流して言葉を続ける。

「『継承決闘』の立会人として、『キング』の称号保持者ヴァーゼルヴ・ヴァネスを……倒したトュループを、さらに倒したあなたが、『キング』を継承することを我々がここに証明する」

 人間たちは、言葉の意味を計りかねて呆然とした。

 エリスも無駄に長い自己紹介を言い切ったまま口を半開きにしている。

「エリスが、『キング』に……?」

 パルヴィーが誰に向けてでもなく言ったのを受けて、すかさずハーニスが「当然そうなります」と補足した。

「『キング』を倒した者が次代の『キング』です。そして複数の挑戦者がいた場合は、トドメを刺した者が『キング』に、というルールのはずです。トュループにトドメを刺したのは、間違いなく彼女ですから」

「ああ、そういや、そういうのもあったな」

 エリスは、てへへ、と頭をかいた。

「夢中になってて忘れてた」

「忘れてた……?」

 とハーニスが呆れ顔を作る。

 そこで他の皆もようやくざわめき出した。

「……いや、違っていたら失礼だが、見たところあなたは女性……」

 ロバーツはおずおずと訂正する。

「すなわち『クイーン』。改めて……クイーン・エリス・エーツェルの継承を、ここに証明する!」

 宣言と共にロバーツが片手をエリスへと突き出す。 意外にもその合図を待っていたかのように、観客席から嵐のような歓声がわき起こった。

 いや、もはや歓声なのかすら判別できない大量無数の声が重なって決闘場を震わせる。

 せめて罵声でないことを祈るばかりだった。

「その『キング』……あるいは『クイーン』という存在にはどういう権限が与えられているのか、詳しく教えてもらえる?」

 声の嵐がやや収まるのを待ってから、アリーシェが訊ねた。

 あくまで伝聞でしか知らなかったことだ。『モンスター』自身の口から正確なことを聞きたいのだろう。

「権限などというものはない。それは唯一の最強者の称号というだけだ」

 ロバーツがそらんじるように答える。

「ただ、歴代の『キング』たちは――その言葉に、すべての『モンスター』が敬意を払う。その力に、すべての『モンスター』が恐怖を抱く。その姿に、すべての『モンスター』が憧憬を向ける。――そういう存在であった」

「群れのボス。支配者にして英雄。……そういう認識で?」

「よろしいかと。無論そちら方のように、称号を欲する者たちに命を狙われる覚悟も持ち合わさねばならないが」

 追う立場から追われる立場へ。エリスは観客席にいる幾千の『モンスター』をぐるりと見回した。

 これよりもさらに多くの『モンスター』たちから狙われるかもしれないと考えると、なにやら壮大すぎて笑うしかなかった。

「……しかし今回は少々異例が過ぎる故……実際どうなるかは私にもわからぬ」

「なら実際やってみりゃいいさ。たしか、なんでも言うこと聞いてもらえるんだろ?」

 エリスの質問に、ロバーツは「はい」と答える。

「『クイーン』の命令とあれば、すべからく」

「世界中の奴らにも?」

「すぐに称号継承の報せを各地に届けますので、その際に『クイーン』の言葉も一緒に伝えましょう。……三代前の『キング』は、そうして“人間を徹底的に蹂躙せよ”との言葉を広められました」

「なら充分に効果はありそうね」

 アリーシェが苦笑いしながら呟く。

 今の世界の有りようは、案外そんなひとことが発端だったのかもしれない。

「ねぇ、どういう命令するつもりなの?」

 パルヴィーの疑問に、エリスは「決まってんだろ」と事もなげに答えた。

「“みんな仲良くしろ”だ」

 抽象的な命令に、ロバーツを始め『モンスター』たちが顔を見合わせる。

 ハーニスがすかさずフォローした。

「もう少し具体的に言ったほうが彼らも従いやすいかと」

「えーと、つまりだなぁ……まず人間とか『リゼンブル』をバカにすんのはナシだな。それと、いじめんのもナシ。もちろん取って食うのもナシだ。……そんなところか?」

 ハーニスに振り向くと、ひとまずは、というような首肯が返された。

「……わかりました」

 ロバーツは服の下から紙とペンを取り出し、記していく。

「必ず伝令します」

「おう、頼んだぞ」

 伝令というのがいつ出立するのかはわからないが、これで概ねの目標は達せられたことになる。

 あとはそれが広まったあとにどうなるのか、というところだ。

「なんか、あっさり」

 パルヴィーが物足りなさそうにこぼす。その肩にアリーシェが手を置いた

「あっさり済んでよかったわ。悪い問題は起きなさそうだから、私たちは他の皆の捜索に戻りましょう」

「はい、そうですね」

 そんなやり取りを聞いて、エリスは「あっ、そうだ」ともう一度ロバーツに呼びかけた。

「大事なこと忘れてた、もう一個頼んでいいか?」

「なんでしょう?」

「あとでどっか、みんなが休めそうなとこ貸してくれよ」 

 

    ◆

 

 その後全員で手分けして、戦場であったフィールドを駆けめぐった。

 戦いは終わった。同じ景色だというのに、見える印象は対照的なほどに違うものだった。

「今あたしがここから滑り落ちて死んだら、『キング』はどうなんのかな」

 エリスは、そそり立った岩の上から辺りを見渡しつつ縁起でもないことを言った。

 

「やっぱ姉御は凄い人だったぜ……これであいつらにも顔向けできる」

 ザットは岩石のあいだを駆け抜けながら、ここにはいない仲間たちを思い起こした。

 

「……」

 ラドニスは黙々と、土砂の中に埋まった戦士を掘り起こしていた。

 

「ははっ、たしかに、ここを出た途端に袋叩きにでもされたら死んでも死にきれないねリュシール」

 ハーニスは、上空から捜索している彼女と普段通りの軽口を交わしていた。

 

「覚悟はしていたけど……せめてこの犠牲に見合う成果にはしてみせないと」

 アリーシェは、未だ発見できていない仲間たちの顔をひとりひとり思い浮かべていた。


「アリーシェ様、これからどうするのかな……」

 パルヴィーは楽観的に、誰よりも未来のことを考えていた。

 

「……しかし、エリスのあの言葉を『モンスター』たちが素直に聞くかどうか……。それが問題だな」

 レクトはひとり重々しい表情で呟いていた。

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