第七章(23)
ついにこの時が来た――!
眼下に広がる雄大な景色に、トュループは興奮のあまり身震いした。
世界最大の街ルル・リラルド。そこに住まう幾千の『モンスター』たち。人間たち。リゼンブルたち。
それを今から破壊してやるのだ。
跡形も残らぬほどに。
ずっと昔から目をつけていた最大の標的……それがこの街だ。
だが易々と破壊してしまっては意味がない。何の感情も揺り動かさない。
最大の破壊を行うからこそ最大のお膳立てが必要だ。最良のムードの中でこそ最良の破壊を行うことができるのだ。
上質なワインを寝かせ、熟成させ、大事な記念日まで取っておくように。
そして、まさしく今こそその時だ。
目をかけていた雑多な標的たちがのこのことやって来て一堂に介している今こそ、絶好の機会。
『モンスター』『人間』『リゼンブル』その三者と同時に戦うのは初めて――と一代前の『キング』も言っていたが、それはトュループにも当てはまることだった。
その三者を同時に破壊した経験は未だかつて無い。
本来は同じ場所にいることなどない者たちだ。今を逃せばいつまたそんなレアケースに遭遇できるかわからない。
様々な要因が奇跡的に重なった千載一遇の破壊日和。
未知の破壊――これほど心躍る瞬間があるだろうか。
ない、とトュループは断言する。
だから彼は行うのだ。
「すべてを滅ぼす声のもと……破壊の光を――!」
地上の相手に恐怖と絶望を芽生えさせるための決まり文句を続けるトュループ。
しかし次の瞬間、彼の言葉が打ち切られた。
真下から自分めがけて飛翔してくるものがあったからだ。
その意外さにトュループの集中がわずかにほつれる。
黒い翼を羽ばたかせて迫るリュシール……そこまでなら想定内だ。むしろ空に陣取っていたのは唯一飛べる彼女をおびき寄せる狙いもあったのだから。
しかしもう半分――彼女が片腕に抱えたエリスの存在は、完全に想定外だった。
何故そんなことをする必要が? 意図の読めぬ行動にトュループの判断が一瞬遅れる。
その一瞬を見逃さずリュシールはさらに羽ばたいて加速した。
リュシールが右手に持った剣と、その左手に抱えられたエリスの持った剣、二本の刃が頭上に掲げられ、さながら一本の矢のように曇天を駆ける。
トュループの回避は紙一重のところで成功したが――すれ違いざまにかすめたどちらかの刃が肌を斬り、真新しい血を高空に撒き散らした。
『ディストラクトレイ』を発動させるには破壊力相応の時間、意識を集中させ、力を溜めなくてはならない。
高めに高めた『魔術』の力が流れた血のごとく失われていく感覚を、トュループは自身の中でまざまざと味わった。
「やった! 手応えあり!」
「斬ったのは私だ」
リュシールは一直線に上昇する軌道から旋回する軌道に移行し、今度は横方向からトュループに突撃する。
抱えて一緒に飛べなどと言い出した時はただただ困惑したリュシールだったが、奴の意表を突けたのならまぁいいかとざっくり頭を切り替えた。
「いや驚いたよ」
体勢を立て直したトュループが、それでも態度を崩さずにへらへらと言う。
「てっきり上がってくるのはひとりだけだと思ってたから、君も一緒だとはね」
「そりゃあたしらはいつでも一緒の仲良し友達だから、うわっ!」
エリスが途中で悲鳴を上げたのはリュシールがツッコミを入れたからではない。トュループが予備動作も見せず、片手から光条をうち放ったからだ。
ノータイムでの攻撃は『ディストラクトレイ』のために蓄積させていた力を転用したためだろう。つまりあの技を遮るのには一応成功したらしい。
リュシールは海中のイルカのごときしなやかな動きで回避し、さらに突撃する。
凶光を打ち切ったトュループは、これまた瞬時に両手に『光剣』を形成させて向かって来た。
リュシールは先ほどハーニスから言われたことを改めて思い浮かべる。攻撃はエリスに任せて、自分は飛行と援護に集中――任せるのは危なっかしいことこの上ないのが本音だが、ハーニスがそう言うのなら従うまでだ。
腕の中のエリスが、風圧に耐えて目をすがめながらも剣を振りかぶる。
肉薄するトュループも両腕を引き、『光剣』を突き出した。
リュシールの意識が尖鋭化する。針の先ほどの、ほんのわずかな軌道修正。彼女の仕事はそれだけでよかった。
『魔術』で形成された『光剣』の切っ先と、エリスの剣が――何の力も纏っていない剣が、ぶつかり合う。
次の瞬間。さながら流れ落ちる水を斬ったかのごとくエリスの剣が『光剣』を突き抜け、トュループの胴体に一撃を叩き込んだ。
交差して突き出された『光剣』はリュシールの軌道変更についてこられず、紙一重のところで空を裂く。
事前に打ち合わせていたわけではないが、リュシールにはエリスの狙いを読み取ることができた。
彼女が握るライトグリーンの剣に一瞬だけ目を向けて、その製作者の言葉を思い浮かべる。 剣匠アルムス・ドローズ。彼の家に厄介になった時に聞いたのだ。
『魔術』に干渉することの出来る剣――握っていれば、周囲の『魔術』の流れのようなものを知覚できる。
自分が『魔術』の力を使えば、それを十全に伝達してくれる。
そして相手の『魔術』に対しては、物理的なもの同様に刃を立てることができる。……ただしその場合、自分の『魔術』の力がわずかにでも含まれていたら力同士がぶつかり合って切れ味が鈍ってしまう。
余計な力を抜いた生身の刃のみに許された芸当。それがこの剣の持つ最大の特徴だ、と。
もっとも話をしていたのはハーニスだけでリュシールはただ隣で聞いていただけだが。
この剣の特徴……理屈としては簡単だが、実践もそうかと言えば大いに違う。
『魔術』的なものに対して『非武装』で立ち向かう――それは、たき火の中に素手を突っ込むような無謀さが求められる行ないだ。
しかしこの無謀が服を着ているような少女ならばそれも可能なのかもしれない、とリュシールは思った。だからこそエリスに合わせてみせたのだ。
先ほどキングに一撃を与えたのもどうやらまぐれではなかったようだ。
リュシールは旋回軌道に入って、斬り抜いたトュループの姿を確認する。すでに体勢を立て直してこちらを正面にとらえていた。
やはり、浅かったか。
「よし、今度こそ手応えあった!」
「お前の手は棒切れか」
「なにをぅ!?」
先ほどのエリスのひとふりは、地上だったなら会心の一撃となっただろう。
しかし今は彼女にとっては不慣れな空中。足を踏ん張ることができなければ腰を入れて打つこともできない。おまけに風圧と平衡感覚のズレによって相手を把握することすら難儀しているはずだ。
「まったく効いてない」
「だったら何度でも斬ってやるまでだ」
トュループが切っ先をこちらに向ける。
「バカだね。君には無理だって、いつか言ったはずだよ」
次の瞬間『光剣』がバラバラに裂け、その無数の破片が矢のように襲いかかってきた。
「!」
さながら横殴りに降る刃の雨。リュシールは滑空の要領で、素早く下方へと滑り込む。
「うぇぇっ!」
急激な自由落下に腕の中のエリスがうめき声を上げる。しかし今は回避の時――攻撃担当の彼女の仕事はない、とリュシールは無視した。
『光』は執拗に追いかけてくる。
リュシールは逃げながら片腕で剣を振り、切っ先から氷の礫を撒き散らした。
だがその氷は、思い描いたものよりずっと弱かった。
ここまで力が落ちていたとは――。
空中で相殺する光と氷。それでもなんとか目的を達成することはできたようだ。
すべてを打ち落としたことを確かめてから、リュシールを再びトュループへの直進軌道へとスライドした。
「言ったからなんだってんだ!」
持ち直したらしいエリスが啖呵を切る。
「この前の時はてめぇに一発打ち込めた。だったら今度はてめぇを打ち落とせるに決まってる。そういう流れだろうが!」
「急流すぎるよ」
「それに今はあたしひとりじゃなくてふたりもいる。つまり二倍だ! ほら、もう勝ちだろこれ」
「わくわくしてくるよ。君のそのわけのわからない自信はどうやったら破壊できるのかなってね!」
トュループも再びこちらへ直進してくる。『光剣』を携えて。
先ほどの形を踏襲したのは、エリスの攻撃は取るに足らないものと判断したからだろう。
たしかにその通りだ。ただ剣を振るだけなら、何度やっても軽傷しか与えられない。
だが、彼女にはまだ手がある。
リュシールの中のリゼンブルならではの敏感な感覚器官が、『魔術』の気配を察知する。片腕から感じるそれはエリスが結集させたものだ。
ライトグリーンの刃が激しい炎をまとう。
「だったらあたしも言ってやるぜ。てめぇはもうなにひとつ破壊することなんか出来ねぇよ。あたしがさせるもんか!」
エリスも同じ考えに至ったようだ。その技なら、とリュシールは思う。
刃を立てられずとも触れることさえ出来ればダメージを与えられるだろう。
同時に、しかし、とも思うリュシールだった。
「なら次の標的は、君のその言葉だ。僕の破壊は止められないよ」
「止める!」
「誰にも」
「あたしが!」
両者が再び真っ向から激突する。
エリスの『オーバーフレア』は、トュループの『光剣』によって易々と受け止められてしまっていた。
炎の刃は通らない。
当然だ。先ほどとは違う。
『魔術』には『魔術』で対抗されてしまう。力は向こうのほうが上である以上、競り合いで勝てる道理はないだろう。
『魔術』の力を使わなければ刃は通るがダメージは微々たるもの。
『魔術』の力を使えば大きなダメージを与えられるだろうがまず刃が通らない。
今エリスの手にあるのは、そんな極端な二枚のカードだけだった。
リュシールは少なくなってしまった自分の手持ちと、『下』に伏せてあるカードを頭の中で改めて重ね合わせる。
大まかな――本当にざっくりとした、大まかな作戦はハーニスが示してくれた。あとはトュループの立ち回りに合わせてカードを切っていくだけだ。
勝ち筋はつかみ取れる。
自分とハーニス、ふたりだけではもしかしたら出来なかったかもしれない。
だが他の人間たちと、この頼りなくも頼もしい即席のパートナーの力を合わせれば、出来る。
そんな気がする。
めずらしくも、無性に、そう信じてみたくなった。