第七章(20)
やぶれかぶれというわけではないのだろう……とキングは言ったが、実際は似たようなものだろうなと岩陰に潜みながらレクトは思った。
先ほど『レールストレート』を放ち――そして見事に外れた――地点からは、当然のように移動している。
突如として厄介な障害物が現れたのなら、逆に最大限利用してやろうというのがレクトの考えだ。
相手にだけ有効活用させておく義理はない。
さすがに本当にやぶれかぶれではないものの、明確な勝ち目があるわけでもなかった。
レクトたちの目的は、単なる時間稼ぎなのだから。
広範囲に渡る攻撃と、この地形変化により、銀影騎士団陣営は大打撃を受けた。
仲間は分断され、陣形は滅茶苦茶。互いの無事すら確認できていない。
そこをキングに好き勝手に暴れられてはそれこそ手のつけようがない。
だから、あえて挑みにきたのだ。
他の仲間が合流し、アリーシェが陣形を立て直し、再び総攻撃を仕掛けるための準備が終わるまで――それまでは、なんとかキングの足を止めておくべきだと。
誰と打ち合わせるでもなく、アリーシェの無事すら確かめてはいなかったが。彼女ならば自分の身を守り切れているはずだと――すぐさま体勢を建て直し始めるはずだ、と。
そんな希望的観測の含まれたラドニスの提案に賛同したのは、レクトにしてもアリーシェに対する信頼があったからだ。
やすやすとやられるような人ではない。心の折られる人ではない。
そして運良く合流できた四人で、玉砕覚悟の遊撃隊を結成したのだ。
――四人。すなわちレクトと、キングの前に飛び出したラドニス、ザット……そしてもうひとり。
クレイグが、別の岩陰に身を潜めている。
伏兵はふたりいる。
勇み足で不意打ちを仕掛けた――ように見せかけた――レクトとは違い、彼はギリギリまで気配を消して潜んでいる算段だ。
確実に奇襲が成功するであろうタイミングを待ち続ける。
対するレクトら三人は、どうにかしてそのタイミングを作り出す。
作戦としては急ごしらえもいいところであるが、無策で立ち向かうよりはいくらかマシだろう。
勝ち目はない。だが、一太刀は入れてみせる。
レクトに相応しい言葉で言うなら、一矢報いてみせる、というやつだ。
◆
「人間というものについては、少しは詳しいつもりでいたのだが」
相も変わらず飄々としているキングに、ザットは少なからず戸惑っていた。
しかしそれは心の中にしまっておく。恐怖と呼ばないのは、単なる意地だろう。
ザットの前方には、キングの小さな背中がある。――本当に小柄だ。こんな、人間とそう変わらない体でよくあれほどの力を発揮できるなと今更ながらに思った。
そしてそのさらに先にラドニスが構えている。
徒手空拳のザットを背に、剣を持つラドニスを正面に向く……一瞬でそうしてみせた判断力も、やはり侮れない。
「余もまだまだ勉強不足であるな。貴様たちには、つくづく驚かされてばかりだ」
普通に考えれば前後を挟まれているというのは劣勢極まりないはずだが、キングにしてみれば気に留める必要すらないのだろうか。
あれだけの大人数で攻め立てても打ち崩せなかったのだ。
今はたったふたり――あるいは三人だ。へへへん、と鼻で笑いたくなるような戦力なのかもしれない。
先ほどは攻めあぐねていたザットだったが、なにも対策を考えてないわけではなかった。
たとえば、キングの戦い方は――炎の技を使ったり空を飛んだりという離れ業はあるが――基本的には、殴る蹴るといった格闘術だ。
そしてそれは、ザットとも共通している。
無論同じレベルとして考えてはいないが、根幹は同じだろう。
ならば、苦手としているものも共通しているのではなかろうか。
つまり、自分がやられて困ることをそのまま相手にやってみせれば、キング相手でも多少のプレッシャーを与えることができるはず……。可能性はある。
「武器は向こうから用意してくれたしな……たんまりと」
という呟きが聞こえたわけではないだろうが。
ラドニスと目配せし、同じタイミングで動き出した。
ラドニスは正面のキングへ突っ込み、ザットは側面の岩塊へと走る。
キングにしてみれば、ザットの動きが意外だったのだろう。一瞬――にも満たない間――だけ気を取られた隙を見逃さず、ラドニスは剣を叩き込む。
刃が硬質な前腕で受け止められたのと、ザットが岩塊に飛び蹴りを打ち込んだのは同時だった。
金属同士がぶつかるような甲高い音と岩石がひび割れる音が二重奏となる。
砕けた岩の破片――それでも人ひとり分はある大きさの――をザットは空中で掴み取り、
「うおぉぉぉぉっ!」
裂帛の気合いと共に、キングの背中めがけて投げつけた。
視界に収めていたラドニスは、すぐさま剣を引いて後退。
振り向いたキングは、驚きとも苦笑とも取れない表情を浮かび上がらせた。
「これはまた、原始的な」
似たような『魔術』はあれど自力で行なう者はそういないだろう。
巨大な岩石がうなりを上げて飛来する。キングは避けるのではなく、逆に立ち向かうべく飛びかかった。
回し蹴りで一打。岩石はまるでガラスのように砕け散り、辺りに破片をまき散らす。
着地したキングへ、さらに投石――ならぬ『投岩』が襲いかかる。間髪を入れずにザットが投げつけたのだ。
「発想として面白くはあるが、対する余としては面白くないな」
今度は拳の一撃で粉砕。砂塵が舞い、割られた岩が音を立てて地面に落ちる。
「そうして武器に転用されてしまうとは……作戦の見通しが甘かったらしい」
キングは迎撃と同時に、ザットに狙いを移して走り出す。
しかしその機先を制するべく、ラドニスが割り込んだ。
弧を描いた切っ先が真下から振り上げられる。
突き出したキングの腕とのあいだで火花が散る。
そしてラドニスは素早く、再び退避。狙い澄ましたように岩石が襲いかかった。
「恐るべきは、『武器』のほうではなくこの連携力か」
蹴りを放とうとしたキングの動きが、そこでピタリと停止する。――停止させられる。
両足と地面とが、『氷』で縫いつけられていたのだ。
飛来した巨大岩石が形そのままに叩きつけられ、地響きと共に津波のような砂煙が巻き上がった。
◆
立ち込める砂塵。 その中心には、今々投げられた岩石があるだけで――キングの姿は見あたらなかった。
斜に立って警戒しているラドニスの表情からもそれがうかがえる。
巨大な岩石の下で……あっさりと押しつぶされてしまったのだろうか。
「やったか!?」
「そのセリフはあまり言わないほうがよろしいかと」
喜色満面のザットへ、そばに降り立ったハーニスが一瞬だけ苦笑して言った。
「ああ、あんたらも無事だったか」
対面へ着地したリュシールの姿も見て、ザットは別の喜色を浮かばせる。
ハーニスが無駄口を継ぐ前に、状況が変化した。
キングがいた場所に佇む岩石からもうもうと白煙が上がり始めたのだ。
ただよう砂煙とは明らかに異なる煙。そして鉄が焼かれるような臭いと共に、むせかえる熱気が辺りに広がる。
なにかが打ち砕かれたような音が響いた次の瞬間。巨大な岩石は、さながら包丁で切られたリンゴのごとく、まっぷたつに割れていた。
「さて果物の中から生まれた者が主役の御伽噺は聞いたことがあったが、岩から生まれた物語はあったかな」
そしてその中央には、先ほどとなんら変わらぬ様子のキングが立っていた。
いや、見た目でいえば変わっている部分もあった。再び両手と両足に防具さながら『炎』をまとっている。
見ると割れた岩の断面は、まるで融解したかのようにまるまる削られていた。
「今の見事な不意打ちはハーニスか、それともリュシールのほうか。どちらにしろ、二度目とはいえついついヒヤリとしてしまったぞ」
「氷だけに、ですか。生憎あの程度が精一杯でしたけどね」
左手に握った剣を構え直してハーニスが返す。
言葉とは裏腹に、キングに焦った様子は見受けられない。
単に余裕があるだけだと思っていたが、ここまでくると、喜怒哀楽の怒と哀の感情を最初から持ち合わせていないのではないだろうかという気にもなってくる。
ハーニスはチラリとリュシールと目配せを交わしたあと、小声でザットに告げる。
「前衛は私たちが引き受けます……さっきの攻撃、案外有効かもしれませんよ」
「そう言ってもらえると助かるぜ。それと一応言っとくが、もう一枚カードが伏せてある」
キングに先んずるべくやり取りを手早く終え、ハーニスは走り出した。同時にリュシールも動く。
ここへ駆けつける時にレクトの姿は見たが、もう一枚……とは。しかしハーニスがそれを考える前に、キングも対応すべく動いていた。
「順序で言えば、やはり貴様たちと先に決着をつけておくのが礼儀にあたるのだろうか」
ハーニスめがけてキングが迫る。その背中越しに、追いかけるリュシールの姿が見えた。
「私たちを前座のように倒してしまうと聞こえる物言いですね」
ハーニスは剣に冷気をまとわせて、左腕を真っ直ぐに引く。
術剣技『チリーストラッシュ』――別にリュシールの専売特許というわけではない。剣の扱いと同様ふたりで身に付け、ふたりで培ってきた技だ。
ハーニスは、肉薄するキングの、炎をまとった四肢の先に意識を投じる。両拳両脚、そのどれが急先鋒となるのかを。
「そう聞こえてしまったのなら、失礼した」
キングは地を蹴り、躍り掛かる。
しかし両拳も両脚も攻める気配がない。急先鋒をつとめたのは――頭部だった。
「!」
炎は囮……! 予想外の動きに迎撃の手が遅れる。
体当たりさながら放たれた頭突きが、ハーニスの胸を強打した。
それでもどうにか剣を突き出してみせたのは彼の意地だったのだろう。
切っ先がキングの脇腹をかすめ、擦り傷代わりに氷を貼り付ける。
後方へ吹き飛んで背中を打ったハーニスは、紫の血を口から滴らせつつも素早く起き上がる。
キングとリュシールが、拳と剣を矢継ぎ早にぶつけ合っている姿が目に映った。
この戦いで幾度となく再現された光景。しかし響く音は重たく低い。
これまでは硬質な鱗と刃がぶつかっているだけだったが、今せめぎ合っているのは、それぞれを覆った『炎』と『冷気』。
互いの肉を削るように『魔術』の力が衝突し、相殺されていく。
足を止めた殴り合いに近いだろう。そう長くは続かない。そして結果は、なかば見えている。
ハーニスがダメージから復帰する寸前に、援護攻撃が放たれた。
再びザットが巨岩を投げ込んだのだ。
リュシールも巻き込むつもりかという憤りがハーニスの中に芽生えたが、今は飲み込む。
キングとリュシールは攻撃の手を止め後方へ退避。そのちょうど真ん中を、巨岩が通過してさらなる岩盤を砕いた。
間髪を入れずに――キングの背後からラドニスが斬りかかる。
抜群のタイミングだった。踏み込んだ位置も、剣の軌道も、実行した判断も、完璧に近い。
その完璧に近い攻撃を――キングは、完璧にやり過ごしてみせた。
背中に目がついているかのような瞬発力で、地面を蹴る。矢のような背面跳びで剣をすり抜け、ラドニスの頭上に躍り出る。
あまつさえ彼へ反撃しようとしたキングへ――電撃をまとった矢が飛来した。
潜んでいたレクトが放ったものだろう。恐ろしく研ぎ澄まされた連携攻撃に、ハーニスは刹那、息を呑む。
一朝一夕には合わせられない呼吸だ。もっともキングの動きを先読みしたというよりは勘に頼った部分も大きいのだろうが。
それが幸いしたか、キングにしても完全に意識外の攻撃だったようだ。
眼下へ叩き込もうとした片足を、急遽、飛んでくる矢への防御として使う。
しかし防ぎきれずに、なかば弾き合うように突き飛ばされた。
一瞬は空中で体勢を崩したキングだったが、いつまでもそのままではいない。すぐさま上下感覚を取り戻したらしく、次の瞬間にはしっかりと地面に足をつけていた。
――その、さらに次の瞬間。
キングのすぐ横にあった岩塊が砕け散り、ひとつ人影が飛び出した。
もう一枚のカード……ハーニスがそんな言葉を脳裏によぎらせる最中、両手それぞれに剣を握った青年――クレイグは、目と鼻の先にいるキングへと一世一代の勝負手を叩きつけた。