第七章(14)
「伝統の『継承決闘』が、この有り様とは……」
嘆いた声が風に流れて消えていく。
決闘場にそびえる尖塔のひとつ。その最上階からフィールドを見下ろすひとりの『モンスター』がいた。
浅緑色のローブを羽織った、白い体毛の細面。くの字に曲がった角と横に伸びた耳はどことなく『ヤギ』を連想させる。
彼の名はロナルド・ロバーツ。
『モンスターキング』の世話役であり、この決闘場の管理を総括している立場でもある。
この翁の目は、遥か下方で行われている異様な戦いに向けられていた。
今キングが相手にしているのは、数十人の『人間』とふたりのリゼンブルだ。これを異様と言わずになんと言おうか。
歴代の『キング』、そして数々の継承決闘を目にしてきたロバーツにしても、こんな戦いは記憶になかった。
前代未聞という言葉が頭をよぎる。
驚きよりも困惑のほうが強い。
長らく年を重ねているといっても、初めての出来事はなかなか受け入れられないものなのだ。
もしくは年を重ねているからこそ余計に、と考えることもできるが。
「……夢にしては寝覚めが悪すぎる」
「楽しい現実さ」
窓の外――すなわち空中から、からかうような声が投げかけられた。
ロバーツは横目でそちらをうかがう。
窓のすぐそばで、羽ばたく『モンスター』がいた。
彼からすれば忘れたくとも忘れられない奴である。
「トュループ……あなたの仕業ではあるまいな?」
「どうして?」
問い返す表情は、言葉と裏腹にこの結果を自慢しているようでもあった。
ロバーツは短くため息をつく。
「しきたり、ルール、慣例、前例、伝統、流儀……そういったものが破られる時、必ずそこに『灰のトュループ』の影があった」
思い出すまでもなく、と口が動く。
「街に人間を住まわせるのもそう。継承決闘に複数人で挑戦することもそう。『キング』の称号を得る権利を自ら手放すのも、そうだ」
「そしてそれを全部認めてきたのが、彼」
トュループの視線は、戦いの渦中にあるキング・ヴァーゼルヴ・ヴァネスへと注がれている。
「なにか不満が?」
その視線に振り向かれ、ロバーツは「ふっ」と小さく笑い声を上げた。相変わらずぬけぬけと、と。
「そんなものはあるはずがない。しかし興味はある。あなたのような者が、いったい何を考えているのか、という単純な興味が」
「聞いても面白くないよ」
トュループは言いながら、空を仰ぎ見る。
自然とロバーツもそちらを見た。
太陽が高い晴れ渡った青空。
空のような男だ、と不意に思う。見えているのに手を伸ばしても掴めず、その奥に何があるのか誰も知らない。そしてある時は、またたく間にその様相を変化させる。
風のようにさまよい、雨のように平等に、時として雷のように激しい。
不気味な異端者ではあるが、不思議とロバーツは彼を嫌いではなかった。
あるいは、そういった猜疑心すら衰えてしまったというだけかもしれないが。
「考えていることは、ひとつだけ。僕は破壊したいのさ――目の前にあるものを」
愚問だったかと、ロバーツは眼下に顔を戻す。返ってくる答えはいつもそれだけだった。
戦いのみを追い求めるキング。
破壊のみを追い求めるトュループ。
だから彼らは気が合い、そしてそりが合わない。
◆
先刻のキングとの戦況をかいつまんで説明するハーニス。指揮をしながら聴くアリーシェ。
そこへ「アリーシェさん!」との声と共に、復調したレクトとザットが合流した。
「指揮下に入ります」
「助かるわ。それと、間に合ってよかった」
アリーシェは険しい表情を一瞬だけやわらげて、ふたりの顔を見る。
ちなみにエリスはまだダウン中だ。ザットはそばで控えていようと思ったのだが、彼女に言われて戦線に復帰したのである。
別れていたあいだの銀影騎士団の動向に関しては、ちょくちょく通じていたレクトから話だけは聞いていたザットだ。
エリスを欺くことにはなるが、結果的に良い方向へ転ぶと信じて黙認していた。
しかし彼らに良い感情を持っているかと言われれば、素直には頷けない。
リフィクを死なせた酷い奴らだ、と思う。
ただ同時に、気持ちはわからなくもない、と思う部分もあった。
もしリフィクとの付き合いが短ければ。もしエリスがいなければ。……どういう行動に出ていたかわからない。
だからザットは、飲み込むことにした。
自分の悪事を飲み込んで仲間に勧誘してくれたエリスのように。
目をそむけるとも、ごまかすとも違う。いつか消化される日が来るまで、腹の中に収めておこうと決めたのだ。
今は、『モンスターキング』を倒すことだけを考える。
エリス・エーツェルが目指すことを全力で補佐する。リフィクが果たせなかったことを、自分が引き継いでみせる。
子分の名に恥じないためにも。
「レクト君は『レフトウイング』に就いて、『魔術』と連携して射撃を。ザット君は『フォワード』に帯同して遊撃を……無理はしないで」
アリーシェの指示を受けてうなずくふたり。互いに視線だけで激励し合い、それぞれの持ち場へと分かれた。
ザットが割り当てられたのは、ラドニス率いる直接攻撃班である。『魔術』の使えないザットにはそれぐらいしか戦い方が無いので当然と言えば当然の配置だが。
この戦いにおいてもっとも役に立たないのが自分だということは、ザット自身重々承知だった。
ほんの少し前まで『モンスター』と戦うなど考えもしていなかったのだ。
その技術も知識も経験も、ここにいる誰よりも劣っているだろう。
だがザット・ラッドは挑むことをためらわない。
未熟であろうと半端者であろうと、やると決めたのだ。
ならばやる。愚直なまでに。他の選択肢は考える必要がなかった。
キングが『魔術』攻撃で抑え込まれている隙に、『フォワード』は挟撃の形を作るべく奔走している。
今はまだ深く切り込まず、キングの反応を探ろうという段階だろう。アリーシェらしい慎重な策と言える。
ザットは率先して駆けるラドニスのもとへと走り寄った。
『パーシフィル』にて真剣で対峙したゼーテン・ラドニス。しかしザットには、果たして彼が本気でリフィクへ剣を向けてきたのか、疑問に思う部分もあった。
気迫は本物。闘志も本物。だが肝心の覇気が感じられなかったのだ。
もしかしたらあの時、『リゼンブル』と戦うことに迷いがあったのかもしれない。口ではどう言おうとも、本意は違うところにあった――
根拠は何もないが、そうであって欲しいとザットは思った。
そう信じたかった。
ザットの接近に気付いてラドニスがチラリと振り返る。ザットは努めて勇ましく、白い歯をのぞかせてみせた。
「済んだケンカだ。後腐れは無しだぜ旦那!」
「そう言うと思っていた」
返された口調に、あの時の冷血さは微塵もなかった。
言葉少なながらも温かみのある、よく見知った男の声。
肩を並べて戦える信頼感を取り戻すには、充分すぎる一言だった。
◆
「――キングは勝つことには執着していない」
というのが、肌で感じたハーニスの分析だった。 アリーシェは怪訝な顔をするも耳だけは彼にかたむけている。
「言うなれば、戦うという行為自体を目的としているふうに思えるのです」
戦闘とは、目的を達成するための手段だ。
相手を負かす。奪う。己を守る。――理由は人の数ほどあれども、過程は過程でしかない。
しかしキングの場合は違う。
戦うために戦っている、とでも言えようか。
だから相手を征しようという気概を感じないのだ。
だから簡単に逃げることが出来る。ためらいなく攻撃を中断することが出来る。
彼にとっての戦闘とは、昨日のベースボールとなんら変わりがないのだろう。
命のやり取りであっても遊戯の感覚でいるのだ。
どうりで、ああも笑っていられるはずである。
心底楽しんでいるのだから、躍起になって終わらせる必要もない、というわけだ。
しかし、まったく勝つ意志がないわけでもない。
明らかな隙があれば烈火のごとく攻め立てる。それもまた一興なのだろう。
「そこに、キングの強さの源があると考えます。対処法も」
まるで口癖のように自分を弱いと称しているキングだが、それはたしかに間違っていないかもしれない、とハーニスは思っていた。
とはいえ、あくまで『ボス』クラスの世界における話だ。
キングの能力は、平均的に高いレベルと言えるだろう。これは疑いようもない。
しかし逆に言えば、突出した部分が無いのである。
腕力、丈夫さ、俊敏さ、技の威力。そういった一部分を競うのなら、それぞれ上回る『ボス』が簡単に見つかるはずだ。
一見総合力が高いほうが有利に思えるが、実戦では往々にして一芸に秀でた部分が勝負を分かつことがある。わかりやすくエリス・エーツェルが好例に挙げられるだろう。
キングの強さは、単純な能力だけの話ではない。もっと別の部分が担っているのだ。
「突飛な話ね」
アリーシェが呆れたように呟いた。
キングに対しての言葉なのか、そう推論したハーニスに対しての言葉なのかはわからない。
しかしそれを追及している時でないことをハーニスは心得ていた。生来のお喋り好きとして心残りではあったが。
「確信に近いものはあります」
「……参考にはしておくわ」
「是非。私もそうしますから」
キングに関して自分の覚えうるすべて、感じたすべてを伝え終え、ハーニスは戦線へと踏み出した。
あえて多くの言葉を交わさないのは彼なりの気遣いと言える。
――敵の情報というものは、どんなにわずかな量でも武器になる。特に彼女のような指揮官であれば、知らないよりは知っておいたほうが断然有利に働くだろう。
出来る限りの手は打っておく。策というのは、直接相手に関わるものばかりではないのだ。
「押して駄目なら引いてみろというのは金言ですね」
ハーニスは剣を握る感覚をよみがえらせつつ前方を注視した。
『魔術』の弾幕がキングの退路をふさぐ。銀装の戦士たちが活路に立ちふさがる。そしてリュシールが、自身を刃として突撃する。
ぎこちなくはあったが、なんとか彼女も周りに合わせて立ち回っているようだ。
いつまでもひとりで頑張らせるわけにはいかないと、ハーニスも混戦の真っ只中へ飛び込んでいく。
戦士たちとの連携については、あの怜悧な指揮官がなんとかしてくれるだろう。
◆
疾風のように逃げるキングへ、黒衣の女が追いすがって剣を叩き入れる。
拳、あるいは足の硬質な部分で防がれてしまうのだが、腕前は見事なものだとラドニスは率直に感嘆した。
男のほうと合わせて一度だけ顔を見たことがある。リゼンブル、と誰かが言っていたはずだ。
リフィク・セントランと同じ、リゼンブル――。
彼のことを思い出すたび、ラドニスの古傷は再び血を流すのではないかというほどうずいた。
もはや何十年も前、仲間や家族をすべて失った時に、ゼーテン・ラドニスは自身も死んだのだと思った。
肉体だけが残り、そこに身を焦がすような復讐心だけが宿った空虚な存在。
それからしばらくはその空虚さを埋めるように、ただ『モンスター』と名前のつく者と戦い続けた。
転換期を迎えたのは銀影騎士団という新たな仲間が出来てからだ。
長らくぶりに人間らしい感情がよみがえり、徐々に復讐心も飼い慣らすことができるようになった。
そして彼は、自分のためではなく仲間のために戦うようになった。二度と失うまいと。二度と奪われまいと。
リフィクの一件は、艱難辛苦と言う他なかった。
彼の中では、リフィク・セントランは紛れもない仲間なのだ。リゼンブルと知ったあとでも、まだ。
しかし動き出してしまった状況がそれを許してはくれなかった。
『モンスターキング』に立ち向かうという前代未聞の挑戦に、皆が一丸となって取り組んでいる。別件とはいえ異論を唱えれば、多かれ少なかれその輪は乱れてしまうだろう。
道のりの困難さを思えば看過できない乱れだ。
故にラドニスは、自身の声を黙殺した。銀影騎士団のためだけに行動しようとした。
エリスとザットが反目した時どこか安堵したのは、自然な働きだったのだろう。
抗うことをあきらめてしまった自分とは違い、止めどない流れを前に屈せず抗う者がいたということは。
あわよくば、と思った。
都合の良い話だが、自分を含むこの状況を打破してくれるのではないかと、蓋をした心の底で願っていた。
「リュシール、そろそろ僕にエスコートをさせてくれるかい!」
と、この場に似つかわしくないほど涼やかな声とともに、剣を手にした優男が駆けてきた。
阿吽の呼吸とでも言おうか、女剣士が素早く声に反応し、キングを挟撃にすべく位置取りを変える。
その短い所作からして、先ほどと比べて明らかに動きの精彩が増していた。
水を得た魚――ラドニスの目には、そんな言葉がふさわしく映った。
「ずいぶんとのんびりしていたようだな、ハーニス」
当のキングは、待ちかねたと言わんばかりに口端を持ち上げる。大好物が運ばれてきた時の子供のような純真さすらあった。
「このまま日が暮れてしまうのではないかと思ったぞ」
「案外手ひどくやられてしまいましたからね。しかし、先ほどとは違いますよ」
「どう、違うと?」
「それは倒された時に実感なさってください」
軽妙な口ぶりを聞き、たしかにハーニス……リュシール……そんなふうに名乗っていたなと思い出す。
リゼンブルに対して特別な感情が無いとは言わない。しかし同じ敵に刃を向ける彼らは、仲間とはいかなくとも味方ではあると認識していた。
敵の敵は味方という単純な理屈ではなく、ゼーテン・ラドニスはそう断じた。