第七章(11)
暴風のような炎に吹き飛ばされ、地面に転がるエリス。
「あっつ、あっつ!」
キングの技自体は防げたものの急激に熱せられた空気が肌に刺さる。露出の多い服装がここでも仇となった。
エリスはまるで尻に火がついたように、すぐさま跳ね起きてその場から退避した。
「大丈夫か、エリス」
と、横目でレクトがうかがう。どうやら、彼のいる後列まで押し返されてしまったらしい。
「見ての通り。ったくあの野郎、余計な体力使わせやがって!」
多少ずれた恨み言を呟きつつ前列に目を戻す。
立ち上る砂埃の柱から、ちょうどリュシールとキングが飛び出したところだった。
斬撃と打撃が幾度もぶつかり合う。しかしどちらも決定打には至っていない。
「エリス、どうにかして『モンスターキング』の注意を引きつけろ。一瞬の隙でも出来れば俺が確実に狙い射る」
「その『どうにか』ってのをもっと詳しく聞きてーな」
「なんでもいい、それこそ色仕掛けでもな」
「言うじゃねーかよ」
エリスはふっと口元を綻ばせた。
一度は決裂してしまった彼との関係だが、再びこうして背中を預けることができている。しかも、キングとの戦いという大一番でだ。
あの時の決裂は嘘ではない。失ったものも大きい。それでもエリスは、一筋の遺恨も抱いていなかった。
むかついたが、許した。エリス自身そうしたいと思ったからだ。
あのままでいるより、元通りになるのが良いと思った。だから迷わずそうしたまでだ。
「リュシールさんは、キングと互角に渡り合ってる。なら彼女を中心にサポートする陣形を取るのが最善だ。ザットにもそう伝えてくれ」
「あたしが脇役になるのかよ」
「勝つためにだ」
「……そう言われると、しょうがねぇな。けど慣れてねぇぞ」
「問題ない。『キング』に挑もうなんてことをやってるんだ、今さら出来ないことなんてあるはずないだろ」
一瞬だけ笑みを浮かべてみせるレクト。その鼓舞に、エリスは憎まれ口で呼応した。
「お前に励まされるようになったら、あたしもいよいよ終わりだな」
「ああ、終わらせよう。この戦いを。この旅を」
リュシールが、キングの防御をかいくぐるべく刺突を放つ。
防ぐか躱すか。今まではその二択だったキングに、その時変化が起きた。
ふところに入るべく、低い姿勢で逆に踏み込む。そして剣をつかむと同時に背を向けて思い切り引き、後ろ足でリュシールを蹴り上げた。
前傾姿勢だったリュシールには為す術もない。宙を舞った彼女は半回転し、背中から地面に叩きつけられた。
「……!」
相手の力に逆らわず、逆に利用する戦法――まさしくザットがやったことを、すぐさま真似してみせたのだ。
しかも自分なりの形に昇華させて。
「なかなかどうして。これは面白い」
新しい遊戯を覚えたかのように笑いながら、キングが右腕に炎を宿す。仰向けのリュシールへ、振りかぶる。
「力の弱い余でも、剛の者を投げ飛ばせそうだ」
「さっきから聞いてりゃぁふざけたことばっか言いやがって!」
拳が振り下ろされる寸前、側面からエリスが突っ込んできた。
「反論ついでのオーバーフレアぁっ!」
剣身をつかまれぬようにと、今度は『炎の刃』だけを当てるべく横なぎにする。
素早く側転で逃げるキング。燃え盛る波が、リュシールの体の直上を撫でていった。
「ふざけたこと、とは心外な」
後退するキングを抑えるべくレクトの矢が飛ぶ。その隙にエリスは、不満げな目を向けるリュシールを跳び越え、追撃に走った。
「弱いだのなんだの、心外なのはこっちだっての!」
ライトグリーンの愛剣を上段から叩きつける。迎え撃ったキングの拳が剣を跳ね返し、エリスはひっくり返って尻餅をついた。
「充分強いじゃねーか!」
しかし足腰を踏ん張り、即座に体を起こし、止まらず連撃。
しゃにむに振った剣は、あっさりと空を切った。
「ならばもう一度、心外と言わせてもらおう」
キングがわずかな動きで避けたためである。エリスは勢い余って再び地面に転がった。
「余は弱い」
「弱がりやがって。『キング』なんて野郎がそういうこと言うのが気に入らねぇ!」
砂まみれの顔を上げる。仰ぎ見たキングの表情は、冗談とも謙遜とも取れないものだった。
「事実と自負している。余よりも力の強い者、頭の良い者、速さの優れた者、打たれ強い者……そんな者たちと数え切れぬほど戦ってきた」
言いながら、予備動作もなく跳躍するキング。一瞬前まで姿のあった空間を、レクトの光矢が貫いていった。
「たしかに余は勝ってきたが、強者と勝者は同義ではない。余よりも強い者など、捜せばいくらでもいるだろう」
如才なく着地するキングへ、今度はリュシールが斬りかかる。
刃と蹴りが絡み合い、激しく火花が散った。
「無事ですか、姉御」
「この程度でへばってられるかっての」
駆け寄ったザットの手を借り、エリスはみたび立つ。
そしてキングとリュシールの攻防を注視し、割り込むタイミングを見計らっていた時――キングの大腿部に、真新しい火傷があることに気付いた。
小さくはあるが、先ほどのエリスの攻撃が当たったものだろうか。
「――しばし手合わせした貴様なら、それを理解しているのではないか?」
キングは打撃を繰り出しつつ、目前の相手へ水を向ける。
リュシールは押し黙り、反撃に専念した。もっとも普段から黙っている彼女ではあるが。
キングの言うところに、エリスにしても心当たりがないわけではなかった。
攻撃が一切通じなかったクローク・ディール。一撃で重傷を負わされてしまったアドレー・カギュフ。触れることすら難儀した灰のトュループ。
今まで戦ってきた『モンスター』たちと比べると、キングに圧倒的な力量差を感じないのだ。自分の感覚が麻痺してしまっているのでなければ、だが。
「……へっ。ちゃんちゃらおかしい!」
両者が攻撃で弾きあった瞬間を狙い、エリスが突っ込んだ。
「そんな程度で偉そうにしやがって。あたしのほうがずっと弱いぜ!」
「なに?」
大きく距離を置きつつ、キングは片目をすがめる。意表を突かれた、と表現できそうな反応だった。
「人間の中でも強いと自負があるから、余に挑んできたのであろう?」
「バカ言っちゃいけねぇ。実のところ、そいつらにもコテンパンにされたくらいだ」
と、リュシールとザットを順に顎で指す。
「つまり、弱さではあたしの勝ちだ!」
よくわからない理屈を自信満々に言ってのけるエリス。
取り合う理由は皆無なのだが、なぜかキングは、衝撃を受けたようにのけぞった。
「余が、弱さ負けするとは……」
果たしてそれは負けなのだろうか。
「それで『継承決闘』に臨んだというのか。……悔しいが認めるしかないようだな、貴様の弱さを」
「よし!」
一矢報いたとばかりに拳を握るエリス。
「よし……?」
さすがのリュシールも、小声でツッコまざるを得なかった。
電撃をまとったレクトの矢が、音のように速くキングを狙う。 斜め後ろという死角から。
間の抜けた会話でキングの注意が削がれ――ていたわけはまったくなく、瞬時に、その右腕から炎が噴き出した。
振り向きざまに拳を突き出す。『魔術』をまとった矢を正面から殴りつけたのだ。
一瞬の拮抗。キングは拳を振り抜き、矢は石壁に当たったかのように砕けて吹き飛んだ。
「……!」
距離を隔てた先でも彼が息を呑んだ気配を、エリスは感じ取った。
力を抑えていたわけではないと様子からわかる。レクトのあの技……避けられたことはあっても、防がれたことはなかったはずだ。
『ボス』をも貫いた必殺の一撃。それを、真っ向から打ち破るとは。
「そのしたたかさは嫌いではない。しかし惜しかった」
あざけるのではなく健闘を称えるように、キングが笑う。
「あと二秒早ければ、余の体は貫かれていたことだろう」
果たしてそれが本心かはエリスには読めなかったし、考えもしなかった。
矢に続くべく、すでに走り出していたからだ。
呼応して他のふたりも動く。レクトの目論見は、ザットを経由してリュシールにも伝わっているはずだ。
そもそもサポートってどうするんだ、とエリスは頭の使い慣れてない場所をフル回転させる。やってやれないことはない、とレクトの言葉を反芻した。
キングが視線を戻す。その時には、攻撃範囲まであと数歩、といったところまで接近していた。
「――とはいえだ、てめーの言うこともわからないじゃない!」
残り四歩、三歩――そこでキングも動いた。まっすぐに向かってくる。
「容認ついでのオーバーフレア!」
エリスは剣にまとった炎を、足元の地面へと叩きつけた。
炎が壁のようにそそり立ち、両者のあいだを遮る。
キングは灼熱の抱擁を避けるべく、『壁』を跳び越えた。
「あたしだって、戦ってきたのはどいつもこいつも強い奴ばっかだった」
エリスの声を真下に聞き、キングは、自分の足をつかんだ者に目を向ける。
跳び越えると踏んで待ち構えていたザットが、ジャンプして絡め取ったのだ。
あたかも空中でつまずいたかのように、キングは真っ逆さまに落下する。
ザットの手を振り払い、羽を小刻みに動かして姿勢を制御し、足から着地。しかし間髪を入れずに飛びかかってきたリュシールには対応が遅れ、半円を描いた切っ先が胸部の表面を撫でた。
薄い斬傷が、雀の涙ほどの鮮血を飛び散らせる。
「だからこそ聞きてぇな! 弱い弱いと言ってるてめーが、どうやって強い奴に勝ってきたかってのを!」
たたみかけるべく、振り向きながら剣を振りかぶるエリス。キングの背後から斬りかかる。
「リムズブレイズ!」
しかしそれはさせじと、キングの足先から大量の炎が噴き出した。
「!」
エリスは急制動をかけ、炎に突っ込んでしまうのをあわやというところで持ちこたえる。
炎の噴出を原動力に、キングは天高く舞い上がった。
「ここで説明する余裕はないが、あったとしてもあいにく言葉にできそうもない」
一斉に振り仰ぐ三人。そこへ悠然とした声が降り注ぐ。
「戦いの日々で培ってきた勘のようなものだ。ああ、そうとも。戦いしかしてこなかった生だからこそ、弱き余でも太刀打ちできていたのだ」
薄い羽を広げ、滑空しながら降りてくる小さな影。
リュシールはそれを正面にとらえ、その場で剣を素振りする。青き光の尾を引く軌道から、矢と見まがうツララが生まれ、射出された。
二度、三度と刃を返すたび、次々と氷の矢が打ち出されていく。
滞空するキングは、殺到するそれらを殴りつけ、蹴りつけ、あざやかにすべてを叩き落としてみせた。
「そりゃスゲーけど、つまんねー人生だな!」
着地際を狙い、エリスとザットが走る。
しかしキングは羽の角度を小刻みに変え、落下速度と向きを巧妙にずらし続けた。
「この頃はそう思うようにもなった。故に、女にも弱い。いまだまともな付き合いもしてきていない始末だ」
「それ見ろ。頭下げて頼み込めば、あたしがデートくらいしてやってもいいぜ」
「せっかくだが断ろう。鱗のない婦女には関心がない」
「より好みしやがって!」
ふたりを振り切り、キングが着地する。
前後から挟む形になるよう、リュシールが回り込むのが見えた。
「よくも姉御をフりやがったな!」
「フられてねーよ!」
「自分は答えずすまないが、こちらも聞いてよいか?」
エリスとザット、そしてリュシール。両方向に側面を向けて、キングが身構える。
まるで滝に打たれるようにその両眼が閉じられた。
「余にも勝る弱さを誇るエリス・エーツェルが、どのようにして並み居る強者たちを倒してきたのか。それには関心がある」
レクトはすぐに射れる体勢のまま構えている。
ただ放っても簡単にあしらわれてしまうため、必中のタイミングを見計らっているのだろう。
「そりゃぁ、あたしひとりで倒してきたわけじゃねぇ。仲間がいたから勝てたんだよ」
エリスは答えつつ、脇の子分と前方の『戦友』に視線を飛ばす。
言葉なく返された視線は、なんとなくだが、意思の疎通が計れた気がした。
「仲間。そのふたりのことか?」
「いたんだよ、前は。もっとたくさん、頼りになる奴らがな!」
三人が両方向から迫る。まだキングは動かない。
「けど今はいない。ぶっちゃけ心細い。寂しいったらありゃしない。それでも、やり遂げるためにあたしは来たんだ!」
エリスの剣が炎をまとう。リュシールの刃が青き光に包まれる。レクトの矢が稲妻を迸らせる。
なんとしてもこの一手で勝負をつけてみせる――エリスは自分自身に向けてそう誓った。
決意が追い風となって背中を押し、地面を蹴りつける力を強くする。
「三人だろうと五人だろうと関係ねぇ! 勝つのは、最後まであきらめずにやり続けた奴に決まってる!」