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第七章(9)

 

 はたから見れば、キングが真剣白刃取りをしているようでもある。

 どちらが押し勝っても、恐らくそれで決着がつくはずだ。技の威力はどちらも心得ている。

 しかしハーニスには、その決着を待つ気などさらさらなかった。

 氷上を滑り、一気にキングの背後へと接近する。剣はすでに振りかぶっている。

 リュシールの技は、決め手でもあり陽動でもあるのだ。

 あの近さではキングも受け止めざるを得ない。その読みには勝った。あとはこの隙に、渾身の一撃を叩き込むまで。

 卑怯と言われようが、二対一で戦うというのはこういうことなのだ。

 剣の届く間合いに飛び込む。ハーニスは直撃を確信し、剣を振り下ろし――かけた時。

 キングが、顔半分だけ彼へ振り向いた。

 浮かぶ表情は、驚いたものでも、不意を突かれた焦りでもない。まるでこの時を待っていたと言わんばかりの笑みだった。

 次の瞬間。

 キングの両足から、両手と同じように激しい炎が吹き出した。

 それによって足下の氷が一気に溶け、沸き、大量の湯気が爆発的に発生する。

「……!」

 急停止もままならないまま、ハーニスは白に染まった世界へと突っ込んだ。

 

 視界が白一色で埋め尽くされる。言うなれば濃霧。

 そこでハーニスが闇雲に剣を振らなかったのは、彼が賢明である証だろう。

 キングと密着する形でリュシールもいた。間違って彼女を斬るなどということにもなりかねない。

 戦いは一瞬の判断で状況が変わる。

 この瞬間、そんな彼の賢明さが仇となった。

 白い視界がふたつに割れ、目の前にキングが現れたのだ。

「!」

 驚くことすら遅かった。

 寸分の狂いもなく、キングの拳がハーニスの腹部へ打ち込まれる。

 先ほどまでまとっていた炎が消えているのは、彼にとっては幸いだったろうか。

 間髪を入れずに二撃、三撃と重い拳が襲いかかる。四撃目はアッパーの要領で、真下から打ち上げられる。

 ハーニスの体は枯れ葉のように、軽々と宙を舞った。

 そこで初めて白い世界から突き抜ける。

 かろうじて彼が目にしたのは、眼下のキングが、再び両手に炎を灯すところだった。

「焼き払え、リムズブレイズ!」

 キングが両手を突き出す。まとった炎が、巨大な矢のごとく射出された。

 空中をきりもみするハーニスには避けられるはずもない。

 鳥を狩る矢のように、飛翔する炎が彼を飲み込んだ。

 

 地面に敷き詰められた薄氷が、キングを中心として見る見るうちに溶けてなくなっていく。それはさながら水面に広がる波紋。

 銀世界の消失は、この戦いの転換点を示しているようだった。

 

 

 無抵抗に地面に落ちるハーニス。

 受け身も取れずに体を打ちつけられるが、その痛みなど大したものではなかった。

 キングから負わされたダメージに比べれば、だが。

「ぐっ……」

 腕を少し動かそうとしただけで激痛が走る。口端から、紫色の血が流れ出た。

 あの重い打撃を何発食らってしまったかは覚えていないが、それでも数発のはずだ。

 骨は折れているだろう。肉は裂けているだろう。内臓も損傷しているかもしれない。

 たった数発で。

「最後の炎を防いでみせたのは、さすがだな」

 うつ伏せのハーニスへ、キングの悠然とした声がかけられる。

 とどめを刺す気はないのだろうか。

「防御用の『魔術』か。使える者は少ないと聞いたが」

 もしくは、すでに勝負が決したと思っているのか。

「機会があれば教えてもらいたいものだ」

 全身大ダメージ。だがそれでも、まだ勝負はついていない。

 ハーニスは体中から悲鳴が上がるのを押し殺し、引きずるようにして自分の足で立ち上がった。

 正面に立つキング。距離は十歩以上あるだろうか。そのさらに後方に、リュシールが倒れているのが見えた。

「リュっ……!」

 しかし、外傷はほとんどないようだった。それで少し、頭が落ち着いてくる。

 ――大量の湯気を発生させて目くらましをしたキングは、あの炎を放つ技でリュシールを吹き飛ばし、のこのこ突っ込んできたハーニスへ連撃を叩き込んだ――といったところだろうか。

 誘いに乗せられたのだとしたら、迂闊だったと言うしかない。あるいは狡猾であったと。

「……能のある鷹は爪を隠すと言いますが」

 手で口端を拭う。

「もっと能のある鷹は、ツバメの振りまでしてみせるんですね」

「ユニークなことを言う」

「しかしあなたは、一瞬とはいえ爪を見せた。手の内を晒したということです」

「なるほど。それは弱ったな」

 軽快に口を回してみせるハーニスだが、内心の余裕は皆無だった。

 ダメージは著しい。 『回復魔術』は自分自身には効果がない上、リュシールはそもそも使えない。

 負傷を治す手段がないのだ。このまま戦い続けることが、果たしてできるかどうか。

 焦りを悟られぬようあくまで涼やかな顔を浮かべるハーニスは、前方でリュシールが起き上がるのを見た。

 後頭部を打ちつけたのか、手で押さえながら立ち上がる。消耗著しいハーニスの姿を目にし、わずかに表情を曇らせた。

「それこそ強者のあるべき姿だ」

 振り返ることなく背後の光景を見たかのように、キングが口元をゆるませる。

「策を破られたとしても、倒されたとしても、折れずに立ち上がることができる。勝機を見出し戦い続けることができる……。『継承決闘』にふさわしい勇姿と言えよう」

「……勝機などは見えません」

 対抗するように、自嘲の笑みを浮かべるハーニス。だが言葉とは裏腹に、彼の目はまだ戦意に満ちていた。

「しかし、勝機がなくとも戦えます。理由があれば」

「『リゼンブル』……同胞たちのためと言っていたな。感心する理由だ」

「あれは嘘です」

 キングが、意外そうに訝しんで笑みを引っ込める。それだけで、ささやかながら一矢報いることができた気がした。

「……同胞のため。世界を変えたい。リゼンブルが平和に、何にも脅かされることなく暮らせる世界にしたい……。でも本当は、そんなものはどうでもいいんです」

 ハーニスは、晴れやかとも呼べる表情で続ける。

 もはやそれはキングに向けた言葉ではなくなっていた。

 言い聞かせるは己。

 強敵を前に折れそうな自分自身を奮い立たせるための言葉を、彼は吐き出していく。

「彼女が平和に暮らせる世界が欲しかった。ただ彼女だけが、何にも脅かされることのない世界に、してあげたかった。……ただそれだけです」

 キングの背後から、リュシールが斬りかかる。

 ハーニスの言葉に聞き入っていた――というはずもなく、キングは真上に跳躍してなんなくかわす。

 剣は空を裂くが、リュシールは素早く反転し、追い跳んだ。

「それが、あの時心を救われた僕の、最低限の恩返し」

 空中で攻撃をぶつけるふたり。響く金切り音。互いに弾き合う。

 リュシールは猫のようにクルリと回って、ハーニスの目の前へと着地した。

 彼を背に、同じく軽やかに着地したキングへと鋭い視線を飛ばす。

「ありがとうと君が言ってくれたから、僕は今まで生きてこれた。……だから!」

「あの時心を救われたのは、私も同じ」

 呼応するように、リュシールも吐露する。

 表情は険しい。雲行きは怪しい。勝てる見込みは薄い。

 それでも、闘志は消えていなかった。

「一緒に生きようとあなたが言ってくれたから、私は今まで生きてこれた。だから」

 肩の位置で水平に剣を構え直すリュシール。

「他の誰でもない、ふたりのために」

 体に鞭を打ち、背筋を伸ばして戦闘態勢へと戻すハーニス。

 ふたりの目、四つの瞳が、真っ向からキングを打ち据える。

「あなたを倒す!」

 奮起の声が、ぴったりふたつ重なった。


「……麗しい」

 受けて立つキングの声音は、偽りなく感銘しているようでもあった。

 

 と、そんな時。

「ふたりがどうとか、お前らまだそんな寂しいこと言ってんのかよ!」

 その場に、三人のどれとも違う威勢の良い声が割り込んできた。

 背後からかけられた聞き覚えのある声に、ハーニスとリュシールははっとして振り返る。

「あたしらも仲間に入れろよ」

 その存在にまったく気付かなかったのは、戦いに没入していたからだろうか。

 人間の姿が三つ、そこにあった。

 ひとりは、弓を持った怜悧な青年。もうひとりは手足に防具をつけた屈強な青年。――そして。

 正面を切る茶色いショートカットの少女。

「エリス・エーツェル……」

 意外な乱入者に、ふたりはしばし呆然とした。

 

    ◆

 

「よっ、久しぶり」

 エリスは、友人とたまたま出くわしたかのような気楽さでふたりのもとへと歩み寄った。

 ここで初めて対面したハーニスたちと、観客席から見ていたエリスたちとで反応が違うのは仕方がない。

 とはいえ満身創痍なハーニスの姿には、さしものエリスも面を食らったが。

「あれが『モンスターキング』って奴か」

 それは表情には出さず、腕を組んでこちらを眺めている小柄な『モンスター』を改めて見返した。

 人間の大人と大差のない体格。全体的な外見も人間に近い。しかし空色の皮膚や肩口の薄い羽などは、やはり人間とは一線を画している。

 これが、『モンスター』たちの頂点に立つ者。『キング』。

 長い道のりの果てにたどり着いた目標ではあったが、エリスの心境としては、意外とあっさりしたものだった。

「思ってたより弱そうだな」

 挑発ではなく素直な感想である。

 相変わらずの正直者っぷりに、ハーニスは緊張の糸が切れたように苦笑った。

「良い観察眼をしている」

 と、キングは朗らかに受け答えた。

「その通りだ。余は弱い」

「うっ……なんだこの変な奴」

 予想外の反応にエリスは顔をしかめる。

 基本的に、こういう柳に風な対応は調子が狂う質なのだ。

 どこまでも平常なエリスとは違い、控えるレクトとザットの表情には緊張感がみなぎっている。

 ふと、そんなふたりをリュシールが見つめていることに気が付いた。

 その瞳には、まるでそこにいない誰かを探しているような色が浮かんでいる。

 同じく気付いたらしいハーニスも、同種の視線を傾けた。

「少し顔ぶれが変わったようですが……」

「リフィクは死んだ」

 彼の言わんとすることをエリスは包み隠さず口にした。

 ハーニスと、そしてリュシールの顔に、驚きと悲痛さが交差する。

「お前らの言う『世界』ってやつに、あたしが勝てなかったからだ」

 エリスの言葉には、悲観も悔恨もなかった。

 あるのはただ意志だけ。

「ユーニアの時もそうだった」

 目の前の巨大なうねりに抗うための確固たる意志だけだった。

「だから今度こそ、勝つためにきた」

 言葉を体現するべく腰元から愛剣を引き抜く。

 宝石のように輝くライトグリーンの刃が、佇むキングの姿を映し込んだ。

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