第一章(6)
くそっ、くそっ、くそっ!
そんな言葉を何度も吐き捨てながら、彼は必死に走っていた。
体が重く、視界がかすみ、頭が朦朧としていたが、それでも必死に。
ボスのもとへ急ぐためにと。
……片腕を斬られてしまったことは、特に問題ではない。自分たちの種族は腕だろうと足だろうと、時間が経てばトカゲのシッポのように再生することができるからだ。痛みもガマンできる。
命さえ残っていれば問題はないのだ。
問題なのは、その命を失ってしまった仲間がいるということ。
簡単な役目のはずだった。
近くにいくつかある小さな村のひとつにいつも通りに行き、食料を奪うだけだ。度重なる力の誇示により、住人たちは抵抗することもなく差し出してくる。それをただ運ぶだけ。
なんならついでに暴れてきてもいい。そんな簡単な、子供でもできる仕事のはずだった。
それを人間ごときに。人間なんかに邪魔をされようとは。仲間がやられようとは!
よりによって今日。自分が担当のところ、時にこんなことが起きるなんて……!
傷を負わされ、ふたりも仲間を討たれ、おめおめと逃げ帰る自分を見てボスはどうするだろう。
笑うだろうか。怒るだろうか。仕返しに動くだろうか。
どれでもいい。とにかく知らせなければならないのだ。
自分たちをあっさりと倒してしまう人間が近くにいるということを。
体の重さが限界に達しようとした頃、彼の目にようやく帰るべき我が家が飛び込んできた。
アジトだ。やけに遠く感じた道のりももう少しで終わる。
そう思うと尽きかけていた体力も復活してきた。
最後の力を振り絞って走る速度を上げようとした、その時。
突然、彼の視界が上方へズレた。
転んだわけでもないのに見える景色が上へ向かい、青い空が映る。
そのまま視界は回り、ぐるりと一回転するように天地が逆転し、自分の後方が見えた。
そこにいたのは、首と片腕がない、自分と同じ種族の奴。そしてそのすぐ近くで、黒ずくめのあの女が血にまみれた剣を高々と振り上げていた。
……ひどいことを、しやがる……。
最期にそれを思い、彼の意識はぶつりと途絶えた。
宙を舞った『モンスター』の首が、草むらの上に落ちる。
取り残された体も立つ力を失い、うつ伏せにどさりと倒れた。
リュシールを剣を振って血を払い、サヤへと戻す。一連の動きは、ハーニスでなくても見とれてしまうほどあざやかな所作だった。
「美しいよ、リュシール。まるで女神のようだ」
「容赦なく首をぶった斬る女神がいるかよ」
エリスのぼやきもなんのその。ことが終わるや否や早速、彼女に歩み寄るハーニス。
「……本当にあれが、『モンスター』の居所なんですか?」
それを阻もうとは考えていなかったが、それに近いタイミングでレクトが口は挟んだ。
視線はななめ上。木々の中にそびえる石造りの建造物へと向けられている。
それはまるで砦のようだった。城壁や門こそないが、近付く者をすべて迎撃すると言わんばかりの迫力と巨大さに満ちあふれている。
「間違いなく」
ハーニスは迷いなく断言してみせる。
「感じるんですよ。あの中でうごめく『モンスター』たちの醜悪な気配を」
「気配……?」
と言われても、レクトにはあまりピンとこなかった。五感を働かせるにしてもこの距離はやや遠い。もう少し近寄らなければなにもわからないだろう。
「あなたも感じているでしょう? 我々と同じものを」
ハーニスは、最後尾のリフィクへと質問を投げかけた。
「えっ。えぇ、まぁ……なんとなく。なにかがいるかなということくらいは……」
リフィクはなにやら言いにくそうにしつつもそう答える。それを聞いて、ハーニスは満足したように小さくうなずいてみせた。
旅を長くしていると、そういう感覚も研ぎ澄まされていくのだろうか?
「それでは作戦ですが」
話を変えて切り出すハーニスに、
「なんでてめーが仕切ってんだよ」
口を尖らすようにしてエリスがつっかかった。なんとも難癖をつけているに近いが。
「ブレイジング・ガール。そう怖い声を出さずに」
だがハーニスは微笑んで、やさしく諭すようにとりなした。実に大人な対応である。
「仲良くいきましょう」
「てめーが言うかよ」
エリスの虫の居所の悪さは、つまるところハーニスの言動に原因があった。エリスを揶揄するようなことを言ってしまった辺りから始まり、ここまで彼の言うがままに行動してしまっているのがどうにも気に入らないのだ。
なんでも自分で決めたいエリスである。そしてなんでも自分が一番なのがいいエリスである。
とはいえ殊勝にも従っているのは、ハーニスの言うことにも一理あると認めている部分もあるからだ。
そういう矛盾が表に出てきてしまっているのである。
その様子を、レクトは「いつものことか」と諦観したような顔で。リフィクは仲裁に入りたいもヤブヘビを恐れた困り顔で。リュシールはやはり無感情な顔で、それぞれ見守っていた。
「先ほどの、私の言葉がしゃくに障ってしまったのなら謝ります。失礼。失敬。ごめんなさい」
ハーニスはペコリと頭を下げる。
まるでふざけているような物言いではあるが、態度や声は真面目そのものだった。
「なにせ、あなたが『彼女』をさげすむようなことを口走られたので……私もつい、意地の悪いことを言ってしまったのです。お許しください」
ハーニスは頭を上げると、融和的な笑みを存分に浮かべて再びエリスを見つめた。
「捨てましょう。そんなわだかまりは。巨悪を倒すために」
その言葉に偽りはない。口よりも雄弁な彼の目がそれを物語っていた。
「あまりご存じないようですが、私はあなたのことをとても買っているんですよ。あなたの強さ……そして我々と同じく、『モンスター』に抗う心を持っていることを。肩を並べるに値するほど」
への字に曲げられていたエリスの口が、わずかに戻る。
「村で対峙しここにも転がっている『モンスター』は、『鋼鱗族』と呼ばれる種族でして。名前の通り鋼のように強固な皮膚と、そして熱に強い耐性を持っているのです。本来なら効きにくいはず炎の技でたやすく打ち倒してしまう、あなたの強さはまさに本物と言えるでしょう」
「そりゃぁ……当たり前だろ。そんなこたぁ当たり前だ。あたしにかかりゃぁ、どんな『モンスター』だろうとひとひねりだからな」
そしられるのは大嫌いなエリスだが、褒められるのは大好きなエリスでもある。木に登るとまではいかないが、確実に彼女の機嫌は向上していた。
それを察知し、リフィクはほっと胸をなで下ろす。
レクトは足元に転がるワニのような『モンスター』を見下ろして、ふと思った。鋼のように強固な皮膚……それをまるで紙のように両断せしめる『彼女』はいったい何者なのか、と。
思っただけで口には出さなかったが。
「さて。では作戦ですが」
ハーニスは軽やかに、中断されたそれを再び切り出す。
「作戦もなにも、とっとと乗り込んじまえばいいじゃねーか」
が、再びエリスが割って入った。今回は悪意はなく、ただ単にナチュラルな発言であるが。
「……まだ日が高いですからね。夜になるまで待ちましょうという話ですよ」
ハーニスはエリスの視線に留意しながら、言葉を選ぶ。
「もっとも、最終的な判断はあなたに任せますが。今すぐ乗り込んで外に出払っている連中を取り逃がすか、全員が寝床に戻ってくるのを待って攻め込むか。そのどちらかを」
「……しょうがねぇ、待つか。一網打尽にしたほうが気持ちがいいからな」
ほとんど誘導尋問にも近かったが、そういう言い方ならばエリスも従うより他はない。短いあいだで、ハーニスは彼女の性格を把握しつつあるようだった。
『モンスター』の死体を見つかないよう隠して、五人はひたすら日が落ちるのを潜んで待っていた。
そのあいだに、ハーニスが作戦とやらの続きを語る。
「狙うは『ボス』です。『モンスター』たちの作る群れや集団、それを率いているのが、群れの中で最も力の強い『ボス』。それを倒してしまえば、手下らの士気をかなり奪うことができるでしょう」
エリスは故郷の近くにいた『モンスター』を思い出す。たしかにあの中にも、他の奴らよりひと回りは強そうな『モンスター』がいた。あれがあの集団の『ボス』だったのだろうか。
「要は我々が目的とする『キング』を討つということと同じですよ。真っ先に頭を潰し、手足の動きを殺す」
数の上での不利は免れられない。多数の敵に立ち向かうためには有効な手段のひとつだろう。
「そこで、ふた手に分かれましょう。私とリュシール、そしてあなた方三人が左右からアジトに乗り込み、ピンポイントで『ボス』を捜索します。見付けたあとはそのまま倒してしまってください。我々もそうしますので」
さらりと倒せとは言うものの、そのボスがどれほどの力を持っているのかまだわかっていないはずだ。
彼には、相手のことなど構わないほどの自信があるのだろうか。
自信しかないエリスは、当然そんなことは気にも止めずにハーニスの話に耳を傾けている。
「もし苦戦するようなら、退散してしまってもいいですよ。騒ぎになれば居場所もわかるでしょうしね。『彼女』が確実に息の根を止めますから、ご安心を」
「そいつは心配ご無用ってヤツだよ。苦戦にも退散するようなことにもなんねぇ。ちゃっちゃと片付けてやるよ」
エリスはいつも通りというのかなんというのか、なんの根拠もなくそう言い切った。
「結構。期待していますよ」