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第七章(5)

 

 厚意に甘えて、夜はジャンの家に泊めてもらうことにした。

 屋内とはいえ床の上に寝る形になるが、野宿を思えば快適という以外の言葉はない。

 ささやかな夕食と諸々の片付け、準備を済まし、あとは休むだけ――となった頃。

 ハーニスは家の外に出て、ひとり夜風に当たっていた。

 かすかに潮気を含んだ風は冷たく、それでいて心地良い。他の住民たちも寝入る頃合いなのか、周りから漏れ出る明かりも徐々に少なくなっていく。

 ……明日。

 ハーニスは星空を見上げ、遠き過去に思いを馳せた。

 明日の戦いに勝てば、これまでの悲願が達成される。少なくとも、限りなくそれに近づくことが出来る。

 今の世界を変え、『リゼンブル』たちへの不当な迫害をなくす……そのために。

 ……いや。

 ハーニスは小さく首を振った。

 たしかにその願いもある。しかし、あくまでそれは手段に過ぎない。真の願いはもっと単純なものだ。

 単純で、だがとても困難な、たったひとつの願い。そのためならば他の何を犠牲にしてもいい。

 あの時から……彼女と出会った時から、その願いだけが自分を突き動かしている。

 今なお色褪せぬその思いをよすがに、ハーニスは湧き上がる緊張と不安を少しずつ飼い慣らしていった。

 

    ◆

 

 ここ『ルル・リラルド』に暮らす者たちにとって、継承決闘とは他のどんな祭りよりも盛り上がる一大イベントであった。

 挑戦の報せは浜風の勢いで流布し、半日と経たず全住民の知るところとなる。滅多にない連日の開催に興奮が途切れることなく、眠れぬ夜を過ごした者も多かったという。

 最も今回は、挑戦者が挑戦者なだけに別種の話題も尽きないようだったが。

 

 『決闘場』へと向かうゆるやかな登り坂。そこでごった返す『モンスター』たちの行列を見て、フード姿のジャンは意外そうに眉を上げた。

「めずらしいんじゃないか、朝っぱらからこんなに並んでんのは」

「おいジャン。俺にはどうも信じられないぜ」

 と、傍らの男性が困惑と疑惑が混じった表情を向けてくる。

 彼の周りには、男女合わせて十人ほどの『リゼンブル』が集まっていた。

 この街に暮らす同胞たちだ。ジャンが、ハーニスとリュシールの応援のために声をかけたのである。

 ちなみにふたりとは朝一で別れたため、今頃はすでに『決闘場』へと着いているだろうか。

「『兄弟』がキングに挑戦だって? いったいどんなバカだよ、そいつは」

 他の面々の顔にも、一様に似たような色が浮かんでいる。

 彼の疑問も最もだ。継承決闘の舞台に『リゼンブル』が立つなど聞いた試しがない。

 夢にも思わなかったことだ。

「素敵なバカだよ。それも、とびっきり最高のな」

 どこか微笑ましく、ジャンが答える。

 たしかに今まで聞いたこともない。そして正直、勝てるとも思わない。

 だが、それとこれとは別問題だ。

 困難に立ち向かう仲間がいる。短い間とはいえ知らぬ仲でもない。ならば、どうにも応援したくなるではないか。

 彼らの、無謀なまでの勇気と一途さを。

「まっ、つべこべ言わずに見届けてやろうぜ。愛すべき『兄弟』たちの、一世一代の大勝負をな」

 

    ◆

 

 石壁の切り取られた一角から、外の様子がうかがえる。

 荒野のような、土と砂だけの広大な地面。そしてその周りを逆三角形の観客席がそびえ立つ。席は満席に近いだろうか。多種多様な『モンスター』たちが熱狂を隠すことなくひしめき合っている。

 なんてことはない、昨日見たのと同じ光景だ。

 違っているところと言えば、昨日は上から眺めていたのに対し、今日は最下層から見上げている、という点だけだろう。

 ハーニスとリュシールは、決闘場の控え室にいた。

 控え室といっても部屋というわけではない。戦闘フィールドへと向かう巨大な通路を、便宜的に控え室と呼んでいるようだ。

 ふたりは壁際に申し訳程度に備え付けられたイスに腰掛けている。『モンスター』サイズなので、当初はやけに低いテーブルだなと思ったものだが。

 決闘場自体はかなり簡素な造りと言えた。門扉を備えたいくつかの出入り口、観客席へ上る階段、控え室、そして尖塔を擁する居住区。それらが一本の通路で結ばれているだけだ。

 石材が組まれた壁にあるのは、燭台と窓のみ。すべての無駄を取っ払ったシンプルさは、まさしく戦いのためだけに存在する場所故だろう。

「……ずいぶんかかるね」

 ハーニスは、苦笑いをするように傍らのリュシールへと横目を向けた。

 フィールド上では、土木用具を持った『モンスター』たちが慌ただしく動いている。

 グレゴリオとの一戦で荒れ果てた地面を総出で均しているのだ。

 全体から見れば狭い範囲ではあるが、継承決闘という大事が行われるとあっては些細な荒れでも許されない――そんな周到さがうかがえる。

「こっちだって昨日から急ピッチでやっているのでな。ブーイングを受けるのは客からで充分だ」

 と足音を反響させながら歩いてきたのは、見覚えのある、『キツネ』を思わせる風貌の男だった。

「しかし本当に、むざむざやってくるとはな。隣にいた奴との賭けに負けちまったぜ」

 そう続けたところで、ハーニスは思い出す。昨日、挑戦を受け付けた門番だ。

「ずいぶんと良い趣味をお持ちですね」

「ふん。決闘の勝敗は賭けてないから安心しろ。お前たちに賭ける奴がゼロじゃあ成立しないからな」

 ハーニスの皮肉にも答えず、彼は惜しげもなく侮蔑の表情を見せつける。

「せいぜい、派手に立ち回ってから負けることだ。そのほうが観客も盛り上がる」

 単に恨み言だけを聞かせにきたのか、言うだけ言ってそのまま背中を向けて歩き出してしまった。

 ハーニスは一瞬だけ呆れ顔をリュシールに傾けたあと、

「……そういえば、ミスター」

 と物腰やわらかに彼を呼び止めた。

「なんだ」

「たしか昨日、我々の名前を何かに書いていましたよね。あれは?」

 キツネ似の門番は、「これか?」と、ふところから紙束を取り出してみせる。

「継承決闘の挑戦者リストだ。もっとも、今となっては墓石屋への注文書と大差ないがな」

「そこに、書き加えてもらいたい一文があるのですよ。昨日、言うのを忘れていました」

 ハーニスはイスから立ち上がり、鋭気に満ちた視線で彼と向き合った。

「ハーニスとリュシール。共に『リゼンブル』。とね」

 キツネ目という俗称通りに細い彼の両目が、しかめ面をしてさらに細められる。

「不本意ではありますが、今回ばかりはこの看板を背負わせてもらいましょう」

 

    ◆

 

「おおうっ……」

 驚きが重なりすぎて何から驚けばいいかわからない。 エリス・エーツェルの心境は、たとえるならそんなところだった。

 というのも無理はない。それはあまりに予想外だったからだ。

 彼女の周囲に広がるのは、見慣れているようで見慣れない、すべてが巨大スケールな街並みだ。

 そして通りを行き交うのは、様々な種類の『モンスター』たち。単に歩いている者や、路肩で立ち話に熱中している者、露天を出している者もいる。

 まるで人間の街のように、『普通』に暮らしている彼らである。

 初めて目にする光景に、エリスの中で戦意よりも興味と好奇心が勝り始めていた。

 『モンスター』たちの頂点、キングの住まう街。『ルル・リラルド』。

 とてつもない魔窟を覚悟して乗り込んでみれば、この穏やかですらある景色に拍子抜けする。図らずもそれは、昨日ハーニスとリュシールが体感したのと同じ流れだった。

「看板にはルル・リラルドって書いてあったけど……」

 落胆なのか安堵なのか、エリスは深くため息を吐く。

「気合い入れてきて損した」

「損か得かオレにはわかりませんぜ」

 その横でザットが額の汗を拭った。こちらは安堵が100パーセントのようである。

「……素通りしていくんだな」

 少しだけ冷静さを取り戻したらしいレクトが、周りの様子を見てつぶやいた。

 エリス、レクト、ザット、十字路の真ん中に立っているその三人を、行き交う『モンスター』たちはまったく気にしていなかった。

 ちらりと視線を向けるくらいはするものの、特に何をしようということはない。

 彼らの知る『モンスター』といえば、『人間』を見ればすぐに襲いかかってくるような野蛮な印象が強い。しかしこの街の『モンスター』はそんなこともなく普通なのだ。

 見知った『人間』と大差のない普通さ。

 それも驚きのひとつに含まれていた。

 ――彼女たちは知る由もないが、この街には人間たちが暮らしている地区もある。

 ここに住まう『モンスター』たちにしてみれば人間というのは特別な存在ではないのだ。

 無論『食料』としての認識はあるが、キングがそれらを愛玩している以上、無闇に襲うこともない。

 危ういところで成り立っている『共存』も、事情を知らないエリスたちには不思議以外の何物にも映らなかった。

「まぁよくわからねぇけど、戦う手間がないならそれに越したこたぁないな」

 そしてエリスとしても、いくら目の前に『モンスター』がいるとはいえ問答無用で攻撃するつもりはなかった。

 旅をし始めた頃ならいざ知らず、だ。

「しかし落ち着きませんぜ、この状況は」

 ざっくり割り切ったエリスとは違い、ザットは緊張の汗が止まらない様子だった。

 汗は拭えても、今までの様々な記憶は拭いきれないものである。

「落ち着く時間はたっぶりあるから慌てんなよ。まずはキングとかって奴を捜すとこから始めなきゃならねーからな」

 キングがいるらしき街に着いたはいいが、この広さは予想外だった。

 ひと通り見て回るだけで何日かかるかわからない。

 倒した『モンスター』から腕ずくで聞き出せばいい……あるいは暴れているあいだに向こうからやって来るだろうと軽く考えていたエリスだったが、どうやらその方法は没にするしかないようである。

「さてどうしたもんか……地道に聞き込みでもしてみるか?」

「奴らにですかい?」

 ザットは露骨に困った顔をして聞き返す。

 助け舟を出したわけではないだろうが、「エリス」と、レクトが深刻めいてそれをさえぎった。

「それよりまず、お前に聞いておかなきゃならないことがある」

「スリーサイズ以外なら答えてやってもいいけど」

「本来なら、もっと早くに切り出すべきだったろう……だが現状を招いてしまったのは俺が一端を握っていたからでもある。それを負い目に今まで尻込みしていたが……」

「いいから早く言えって」

 逡巡を色濃く顔に浮かべながらも、レクトは意を決して切り出した。

「本当に三人だけで挑むつもりなのか?」

 その言葉には、ザットもドキリとした表情をうかがわせる。

 『パーシフィル』でアリーシェら銀影騎士団の面々と別れてしばらく。そのことには特に触れず土壇場まで来てしまったが、やはり確認しておかなくてはならない。

 ……といってもすでに乗り込んでしまった辺り、他の選択肢は無さそうだが。

「なんだそんなことかよ」

「なにか作戦……勝算でもあるのか?」

「ふっふっふっ」

 真剣なレクトとは裏腹に、よくぞ聞いてくれた、とばかりにエリスが笑いをこぼす。

「ぎりぎりまで秘密にしとこうと思ってたけど、そんなに言うならあたしの奥の手を教えてやってもいいぜ」

「なっ……奥の手だと!?」

「あるんですか、姉御!」

 声を上げて驚く男ふたり。

 無論、初耳だ。ここまで旅をしていたあいだ、そんなものは片鱗もうかがわせなかったが……。

「ああ。奥の手ってのは、それは…………」

 エリスは、時間を止めたかのようにたっぷりと溜めを作る。

 先ほどレクトが長く前置きした意趣返しかもしれない。

「それは……?」

「そっ、それは?」

 待ちきれずにレクトとザットが先を促す。

 エリスはさらに沈黙を続かせたあと、得意満面に発表した。

「色仕掛けだ」

「…………」

 ふたりは、ただ黙るしかなかった。

 ビュッと一瞬だけ強い風が吹く。

「仕方ない。やっぱり予定通り……」

「――いやいや、案外有効かもしれないよ」

 と、前触れもなくレクトのひとりごとをさえぎって、頭上から声が投げかけられた。

 

「!」

 この軽薄な声は……と三人が見上げた時には、すでに影は地面へと降り立っていた。

 今さっきの強い風は、こいつの羽ばたきだったのだろう。

「彼って純情だから」

 コウモリを思わせる翼。紫紺の四肢。常に人をあざけたような喋り方。

 何故ここにいるのかはわからないが、他にこんな奴はいないだろう。

「てめぇはっ!」

「いつかのおちょくり野郎!」

「灰のトュループ!」

 気がゆるみかけていた三人が、一気に緊張感を取り戻す。

 反射的に剣を抜こうとしたエリスに向けて、

「おっと、その手はそのまま下ろしたほうが君のためだよ」

 と忠告めいた言葉を投げてきた。

「あー?」

 柄を握った体勢で止まったのは、奴との距離が少し離れていたのもあるだろう。

 およそ六歩から七歩。もしこれ以上近寄っていたら有無を言わさず抜いていたはずだ。

「なに言ってやがる!」

「今の君たちは、たとえるなら家の中に入り込んできた小さな虫だ」

 レクトとザットにしても、臨戦態勢一歩手前を保っている。トュループは小話でもするように二の句を継いだ。

「たいていは、誰もそんなの気にしない。だけどその虫が、針と毒を持ってて、自分たちを刺してくるかもしれないとわかったら……どうするかな?」

 エリスたちは無意識に息を呑んで、周囲に目を走らせた。

 往来の『モンスター』たちは、依然エリスたちには興味を持っていない。むしろ、興味の種がトュループに移ったくらいだ。

 しかし剣を抜けば――危害を加えるかもしれない相手だと判断すれば、状況は一変するとでも?

「……なにが目的だ」

 慎重に推し量るように、レクトが口を開く。

「そんなことを忠告してまでわざわざ俺たちの前に現れる……その魂胆はなんだ」

「魂胆だなんてさ。そう鼻息荒くせずに仲良くしようよ。キングの居場所、知りたいんでしょ?」

 トュループは肩をすくめて、かろうじて柔和と言える笑みを浮かべてみせた。

「僕は知ってる。教えてあげてもいいよ。なんなら急いだほうが……」

「評判の飯屋の場所だとしても、てめぇなんかにゃ教わらねぇよ!」

 売り言葉に買い言葉、でもないだろうが、エリスは勢いに任せてライトグリーンの剣を抜き放った。

「エリス……!」

 レクトが制止の声を上げるが、猛る彼女には届かない。

「自分のやったこと、あたしが忘れてるとでも思ってんのかよ!」

 初めて出くわした時のこと――ひとつの町を半壊させ、無数の犠牲者を出したこと。それは今でもエリスの脳裏に鮮明に刻みつけられている。

 トュループの忠告に反して、剣を抜いたエリスに対する住人らの反応は淡白なものだった。

 まるで道にゴミが散乱しているのを見るかのように、横目で眉をひそめて、さっと距離を置くだけ。トュループがほのめかした排他的な行動は予兆すら感じられなかった。

 それもある種『普通の反応』ではあるが。

「……ああ、そうだな」

 周囲の反応を確認してから、レクトも背負った弓に手をかける。

「忘れられるはずがない!」

 件の出来事のきっかけを作ってしまったレクトにすれば、輪をかけてその思いは強いだろう。

 ふたりに呼応してザットも応戦の構えを取る。

「なんのことだかさっぱりわからねぇが、姉御をバッサリやったことはオレも忘れてねぇぞ」

「僕も忘れてほしくはないけどね。……あーあ、せっかく穏便に済まそうと思ってたのに」

 トュループは、それでも余裕の表情で肩をすくめてみせた。

 計画がご破算、というより、転がった状況を楽しむように。

「アホか。あたしがいて、てめぇがいる。その状況に穏便なんて言葉はねぇんだよ! ここであったが百年目だ!」

「だとしても、こんな道の真ん中で剣を抜くなんてヒトの迷惑考えたほうがいいよ」

「どの口が……!」

 というエリスの反論を待たずに、トュループは翼を広げて再び上空へと飛翔した。

「そういう迷惑な人の相手はしたくないから。じゃあね」

「また逃げんのかよ!」

 素早く飛び去っていくトュループ。しかし、いつもと違って高度が低い。

 向かう先には、山のようなこの街の――頂上にそびえる、巨大な建造物があった。

 エリスは迷わず剣を収め、その方角へ向け走り出す。

「追いかけるぞ! キングの前にあの野郎を倒して景気づけしてやる!」

「がってん!」

 うなずくザットと無言のレクトが後に続く。

 三人が幸いだったのは、継承決闘が行われるために、往来にいる『モンスター』の数が普段よりずっと少なかったことだろうか。

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