第七章(4)
「まさか応じるとは思わなかったぞ」
あなたがそれを言うのか、と驚きやら呆れやら困惑やらが混ざった心境だったが、口に出すほど無粋ではなかった。
キングを先頭に、そしてリュシールを背後に、ハーニスは子供たちと遊ぶという広場までの道のりを歩んでいた。
やや離れた後方には、なにやらジャンの姿もある。なんだかんだと言いつつも付き合いは良いようだ。
「ハーニスとリュシール……と言ったか。『リゼンブル』にしては珍しく度胸が良くて感心する。あまり戦いを好まないからな、ああいう手合いは」
「……!」
世間話のような声音で投げかけられた言葉に、ハーニスはピクリと眉を持ち上げた。
「……何故それを?」
自分たちが『リゼンブル』であることは明かしていないはずだ。先ほど出会ったばかりのキングが、知りようもない。
「なんとなくだな」
横目だけで振り向き、軽快に答える。
「他の者はどうだか知らぬが、余は人間というものを嫌いではない。しばらく付き合っていれば、『それ』と『それでないもの』の区別くらいはつくようにもなる」
「…………」
ハーニスは、戸惑うように押し黙った。
酷似と言っていい人間と『リゼンブル』の違いが見分けられるくらい、人間について熟知しているというのだろうか。
無論『リゼンブル』が存在しているのだから、理屈で言えば、人間に興味以上の感情を抱く『モンスター』もゼロではないということだ。
しかしそういった者は、『モンスター』の世界においても疎まれる。蔑まれ、非難され、排斥されるのが常だろう。
ごく少数の中の、さらに少数……。もっともキングの場合は、そういった風当たりを己の腕力ではねのけているのかもしれないが。
「……ならばあなたは、人間を食糧とはしないということですか?」
「いや、好き嫌いせずに何でも食べるようにしているが」
キングの返答に、ハーニスはますます困惑を強くした。
人間に厚意を抱いている節がありながら、他の『モンスター』同様、食糧とも思っている……。
「よくわからない方ですね」
率直な感想に、キングは「よく言われる」と笑い声を噴き出した。
「しかし余としては自覚がない。他の食糧……獣や鳥、あるいは魚。そういったものに愛着を抱くこともあろう? それとなんら変わらないはずだが」
「人間と動物は違いますよ」
ハーニスは反感を声に乗せて口にする。
と同時に、キングに抱いていた違和感が、その言葉でほとんど説明されたようにも思えた。
「いや変わらん」
キングは歩みを止めず、屈託のない口調で言葉で継いでいく。
「戦士であるか、そうでないか。余に挑んでくる者であるかないか。強者であるか弱者であるか……。余にとっては、それ以外の分類など意味がない」
「…………」
ハーニスは口をつぐみ、紫紺の長髪が揺れる彼の後ろ姿をまじまじと眺めた。
ふと灰のトュルーブのことが思い起こされる。
彼も、人間や『モンスター』を特別に区別していなかった。彼にとっての区別とは、自分が破壊したいものと、それ以外のもの……そのふたつしかないのだ。
もしかしたらキングもそれと同じなのかもしれない。
自分に戦いをもたらすものと、それ以外のもの。頭の中にたった一本の線しか引かれていない。
なによりも力が物を言う弱肉強食の『モンスター』の世界、そのものを体現した存在と言えようか。
そしてだからこそ、人間や『リゼンブル』に対しても偏見なく接することができるのだ。
恐らくペットなどとたわむれるのと同じ感覚でいる。
人を人とも思わなければ、嫌悪も抵抗も感じないはずだ。
「……なるほど。つまり私にとってリュシール以外の女性は異性ではない、というのと同じことなわけですね」
「あいにく色恋沙汰には詳しくない」
と、キングは声を上げて笑った。
「先代の『キング』は種族がどうのと下らぬことに固執していたようだが、余は違う。故に『リゼンブル』の挑戦であろうと引き受ける」
立ち止まって振り返る。人間じみた造形のその顔に、嫌みはなかった。
これからスポーツをやろうと言った時と同じく、どこか清々しさまで感じてしまう表情である。
「無論、強いのであろうな?」
「ええ。とても」
ハーニスは力強くうなずいてみせた。
当初のイメージとはだいぶ違った人物ではあったものの、それで戦意が薄れることはなかった。
倒すべき相手。理想をつかむために、乗り越えなくてはならない障害。その認識は変わらない。
「楽しみにしておこう」
キングは快活に言い、再び歩き出す。
「『リゼンブル』に敗れる……というのも、弱き余には似合いの最期かもしれんな」
まるで上機嫌に呟かれた言葉に、ハーニスはしばし眉をひそめてリュシールと顔を見合わせた。
◆
「じゃーねー、キングー!」
「またねー!」
オレンジ色に染まった空の下。 十人強の子供たちが、満足げな表情で空き地をあとにしていく。
キングも同じく満足げな表情でその様子を見守っていた。
暗くなる前に帰宅するという教育が行き届いているのか、子供たちの姿はあっという間に消えていく。
木の柵で仕切られただけの空き地には三っつの長い影がぽつりと残された。
「なかなかどうしてかわいいものだ」
遠方を眺めながらキングが口を開く。
「他の者がなぜ嫌っているのか、理解に苦しむな」
恐らく他の『モンスター』たちも、キングには言われたくなかっただろう。
「人間と『モンスター』は、実は近しい存在ですからね」
そんな独言にハーニスが応答する。『リゼンブル』だからこそわかる、と。
「そして近しいから故に、余計に違いが際立ってしまう。自分と違う者を忌み嫌うのは生物の性と言えますからね。……もともと近しいと思っていないあなたには、さぞ理解しにくいことでしょう」
とはいえそれが悪いわけではない。ハーニスにしても、『モンスター』と戦う時は単なる敵として割り切っているのだから。
半分でも同じ血が流れていると思ってしまえば、憎むことすら出来なくなってしまう。それは目的を達するためには邪魔な感情なのだ。
ハーニスの相づちに「ふっ」と短い笑いで応えてから、キングは彼らへと振り向いた。
「カラスが鳴く前に余も帰るとする。これで、場所に対する配慮は消えるが?」
場所を変え、これから戦ってもいい……という誘いだ。
ハーニスはその眼差しを正面から受けて、首を横に振った。
「昼間のような衆目の前で、あなたを倒してみせます。そうでなくては意味がない」
蔑み迫害されている『リゼンブル』が、強さがすべての『モンスター』の序列の上にも立てるということを見せつける。そして彼らの常識を根底から覆す。それが目的への第一歩なのだ。
より多くの者にその瞬間を目撃させなければならない。あの決闘場は、まさしくうってつけの舞台はない。
「自信があるのは良いことだ。ならば余は、束の間の余生を満喫するとしよう」
最後まで冗談とも取れない言葉を残して、キングも同じく空き地をあとにした。
「酔狂なもんだぜ、まったく」
キングがいなくなるや否や、それまで空き地の隅から眺めていたジャンが、ため息まじりに歩み寄ってきた。
「明日には命のやり合いをやるかもしれないってのに。一緒に遊ぶかよ、普通。勇気があるんじゃなくて単なる無謀に思えてきたぜ」
声音に含まれているのは、どちらかというと呆れよりも心配のニュアンスのほうが強い。
がっつりとベースボールをしてしまった真新しい光景を脳裏に浮かべ、その通りかもしれないとハーニスは苦笑った。
「『世界』を相手にしようなんて無謀でなければ出来ませんよ。――リュシール、六回表のダブルプレーは見事だったよ」
満塁の危機に、と彼女に微笑みかける。賞賛されて、リュシールは少しだけ口角を持ち上げた。
「まぁ……子供相手にあんだけ本気になれる神経も見事なもんだったけどな」
見かねたジャンがからかったが、ふたりには軽やかに無視されてしまった。
◆
夜の静寂が彼を包む。
高空の風は強く冷たく、束ねた髪と、絹にも似た薄い羽を弄ぶようになびかせていた。
『決闘場』からいくつも伸びる尖塔。キングはその先端に佇み、眼下に並ぶ街並みを眺めていた。
山のような街『ルル・リラルド』の頂上に建つ決闘場。さらにその高所からは、街のすべてを見下ろせる。
夜闇に点在する家々から漏れ出る明かりは、まるできらめく星空のようだった。
「たそがれてるのかい? たそがれ時も過ぎたって言うのにさ」
それとは逆の頭上。本物の星空のほうから、なにやら軽薄な声が投げかけられた。
コウモリに似た翼がバサリと羽ばたき、すぐ横の尖塔へと着地する。
キングは愉快そうに口端を持ち上げ、目だけでそちらを振り向いた。
「めずらしいものだな、トュループ」
闇に紛れる紫紺の硬皮。長い手足。折り畳まれた一対の翼。そのどれもが、キングにとっては見慣れたものだった。
「貴様が顔を見せにくるとは」
「見せに来たんじゃなく、君の顔を見に来たんだよ。ついでにね」
空中でというのも妙だが、両者の距離はおおよそ五歩。風は強いが声がさえぎられる心配はない。
「ついでか」
「なんだか明日は面白いことが起こりそうだからさ。その前にと思って」
「ほう? 貴様が面白いと言ったことが、実際に面白かった記憶は生憎ないが」
「君は忘れっぽいからね」
「口が減らんな」とキングは微笑を浮かべるも、名残惜しくその色をかき消した。
「昔話に花を咲かせたいところだが、あまり夜更かしもしていられない。生憎ついでにそろそろ明日に備えさせてもらおう」
キングはまるで地面を歩くように空中に一歩を踏み出す。
「弱き余にできることと言えば、せいぜい準備を怠らぬことくらいだからな」
そしてそのまま、重力に従って垂直に降下していった。
「ではな、トュループ。久し振りの帰郷、ゆっくりしていくがいい」
姿はすぐさま暗闇に飲み込まれ、言い残した声だけがしばしその場に滞留した。
「……今回は、今までの何より面白いと思うよ。きっとね」
高空の呟きは、冷たい夜風と同化する。
トュループは薄笑いを浮かべたまま、眼下の街並み――その一角へと視線を落とした。
夜闇に包まれた中に立つひとりの男の姿が、色彩のない瞳に映り込む。