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第七章(2)

 

 視界が開けた先にあったのは、蟻地獄を思わせる円形の観客席だった。

 門をくぐって道なりに階段を登り、その最上階に出たハーニスは、眼下の光景に圧倒されてしばし言葉を失った。

 外観が小山なら、そこはさしずめ渓谷と言って遜色ない。見渡す限りの観客席には、多種多様な『モンスター』たちがひしめき合っていた。

 全部で数千にも及ぶだろうか。

 熱気となって表れている期待と興奮は、すべてその中心部へと向けられている。

 渦巻き状の観客席に囲まれた最下層。土と砂が敷かれた一面は、家でいうならゆうに十軒は並べられる広さがあるだろうか。

 そここそが、まさしく名前通りの『決闘場』なのかもしれない。

 そんな広大なフィールドの真ん中に、ひとりの『モンスター』が屹立していた。

「あれは……?」

 ようやく、という感じに声が出る。

 周囲の歓声にかき消されてもおかしくなかったが、かたわらのジャンの耳には届いたようだった。

「『激震のグレゴリオ』。今回の挑戦者だ」

 類人猿的な厳つい顔つきに、体を覆う漆黒の短毛。胸甲に包まれた『ボス』クラスの巨体からも、その名にふさわしい強靭さが伝わってくる。

 片手には鎖付きのトゲ鉄球。しかしひと口に鉄球といっても、その直径はゆうに人間の背丈を超えているだろう。

 『激震』などという大層な異名は、もしかしたらその武器が由来なのかもしれない。

「まぁ、俺も小耳に挟んだだけで詳しくは知らんがな」

「聞き覚えのある名前です……十四の山と二十の平野をその腕力で平定した希代の猛者。こんなところでお目にかかれるとは」

 キングへの挑戦者として、なんら不足はない戦士だ。門番の言葉に反して、もしや彼がキングの称号を奪い取るのでは、という予感さえ湧いてくる。

 グレゴリオをまじまじと眺めるハーニスをよそに、観衆の声量と熱気が、一瞬にしてわっと高まった。

「お目見えか」

 同じく興奮を隠しきれずに呟くジャンの、視線の先。

 フィールドの端から、その影は現れた。

「あれが、『モンスター・キング』……!?」

 予想外の姿に、ハーニスとリュシールは束の間息を呑む。

 ――小さい! それが、浮かんだ感想のすべてだった。

 『ボス』クラスの巨体を誇るグレゴリオと比べると、二回り……いや、三回りは違うだろうか。遠くから見ているため正確ではないが、ともすれば、人間の大人と同じサイズであるかもしれない。

 体の大きさがそのまま腕力の強さに直結するのは人間の世界も『モンスター』の世界も同じだ。無論それだけで勝負が決まるわけではないが、とりわけ重要な要素であるのは間違いないだろう。

 敗北の二文字に最も縁遠い『モンスター・キング』にその要素が無いというのは、意外にもほどがある事実である。

「キング・ヴァーゼルヴ・ヴァネス。今回はどんな戦いを見せてくれるのか……それが楽しみでこの街に住んでるようなもんだ」

 目を輝かせて色めき立つジャンのような余裕は、今のハーニスは持ち合わせていなかった。

 

    ◆

 

 小さな体躯は、しかして貧弱なわけではない。

 ローブのような丈の長い衣服に、若草色のマント。すらりとしたしなやかな四肢。服からわずかにのぞく空色の皮膚は、宝石にも似た光沢をうかがわせる。

 腰まで垂れた紫紺の髪は一本に束ねられ、威風堂々の歩みに呼応して規則正しく左右に揺れる。

 どことなく人間を思わせる作りの顔が、対戦相手を正面に収めて笑った気がした。

 適度な間合いで立ち止まるキング――武器のようなものは持っていない。

 胸のうちから湧き上がる興奮と緊張に、グレゴリオは鎖を握る手をうずうずと脈動させた。

「グレゴリオ・グランドロスと申す。この地の土を踏める光栄、身にしみております……キング」

「強そうな、いい名前だ」

 まるで若者のような声だ、とグレゴリオは思った。姿は今さら驚きはしないが、声を聞いたのはこれが初めてである。

「余はヴァーゼルヴ・ヴァネス。キングなどという称号には似つかわしくない、弱き男だ」

「……御芳名は存じております」

「なに、あいさつのようなものだ。気にしないでいい」

 しかし『モンスター・キング』ともあろう御方が、自らを弱いと評するとは。

 謙遜なのか、果たして愚弄されているのか。

「さぁ、互いにあいさつも済んだところだ。さっそく始めようではないか」

 まるで戦意を感じさせない声で、キングが告げる。

「たったひとつの称号を賭けた戦い。『継承決闘』。その決着は、どちらかの命が尽きることでのみ果たされる」

「承知の上です」

「よかろう」

 びり、と静電気のような緊張感がグレゴリオの肌をなでる。 そこから先は、周囲を埋め尽くす大観衆の声すら介在しない世界だった。

「キング! お覚悟を!」

「貴様が新たな『キング』となることを、心より願おう」

 小手調べ、などという考えはグレゴリオの中にはなかった。

 その必要がない舞台でありその必要がない相手なのは、論じるまでもなく明白だ。

「ぬおおおおっ!」

 大気を震わせる雄叫びと共に、右足を大きく持ち上げる。

 それだけで巨木を思わせる片足を、刺し込むように地面へと叩きつけた。

 激震の二つ名に恥じぬ衝撃がフィールドを揺らし、砕き、余剰した力が無数の岩盤を隆起させる。

 地面が沸騰した、と表現できようか。

 さながら小さな連峰が屹立し、一瞬で両者の姿を飲み下した。

 

 

「弱ったな。身動きが取れん」

 しかし困惑の響きのない口調でキングが呟く。

 背丈を越す鍾乳石のような岩々に周囲を固められ、前後左右に行き場はない。

 ならばと上を見たキングを、次の瞬間、巨大な影が覆い尽くした。

 あの特大サイズの鉄球が、隕石もかくやという勢いで落下してくるのだ。

「なるほど、弱り目に祟り目か」

 身動きを封じてからトドメの大技を叩き込む――定石中の定石だが、ピタリとハマればこれほど強力な攻撃もないだろう。

 ものの数秒と経たず叩き潰されてしまう状況にも関わらず、キングに動じた様子はまったくない。

「しかし活路は見いだせる」

 キングは迫る鉄球に突撃するごとく、直上へと跳び上がった。

 若草色のマントがばさりと展開する。

 しかしてそれはマントではなく、絹のように薄い、一対の羽であった。

 鉄球の風圧を受け流す要領で必殺の一撃をひらりとやり過ごす。

 直下に落下した大得物が周囲の岩盤ごと地面を粉砕し、砂埃の津波を巻き上げた。

「活路などはありませぬ!」

 いつのまに、というのは愚問だろう。影から脱したキングを、再び大きな影が覆う。

 巨体に似合わぬ跳躍力を見せたグレゴリオが、飛翔したキングのさらに上を取っていたのだ。

 握った拳はすでに振りかぶられている。避けられる間合いではなく、キングははたき落とされるように痛打を受けた。

 落下する先――真下の地面には、今々かわしたはずのトゲ鉄球が待ちかまえていた。

 

 グレゴリオが地面を砕いた震動。鉄球が落下した震動。キングが叩きつけられた震動。そしてグレゴリオが着地した微震。

 立て続けの地響きがようやく収まったフィールド上は、砂埃の霧が立ちこめていた。

 すり鉢の底に当たるため、消し飛ばす風も吹かない。グレゴリオは拳に残る感触を握りしめながら、険しい眼差しでたゆたう茶霧を凝視し続けた。

「……たしかに。活路というのは高望みだったな」

 と声と共に。胸で切るように、キングが砂塵の中から歩み出る。

「今後は退路を探すとしよう。目の前の脅威からたやすく逃げてよいのも、弱者の特権であるからな」

 その体には、傷ひとつ……どころか、砂粒ひとつ付いていなかった。

 腕を組んで立ち止まったキングの、背後が透ける。

 衝突したはずの巨大鉄球が、原型を保っていないほど潰されているのが見えた。

 しかも衝撃によって砕かれた、という状態ではない。まるで超高熱によって一気に溶融されたような……そんな潰され方である。

「さすがは、百二十年に渡って『キング』の名を保持し続けている非凡の覇者」

 グレゴリオは口端をニヤリと吊り上げた。

「聞きしに勝る屈強さ」

「心外だな」

 キングは眉根を寄せて苦笑う。

「余は弱い」

 その体を取り巻く空気が、陽炎のように揺らめいて見えた。

「今のも、単に体が小さいから衝撃を少なく済ませられただけだ。普段はコンプレックスにしか思わないがこういう時だけありがたく感じてしまうのだから調子が良い」

 くっくっ、と笑い声がこぼれる。そんなキングが、気遣うような眼差しを向けた。

「せっかくの武器を壊してしまったわけだが……どこかで調達してくるか?」

 緊張が途切れてしまいそうな言葉である。

「『継承決闘』に時間切れや逃走という決着方法はない。十全に戦えるよう、準備をし直すということも可能だが」

「ふっ……心遣いは痛み入るが、結構と答えよう。もとよりこの日のために仲間が用意してくれた装備だ。このグレゴリオ・グランドロス、先刻も今も変わらず十全!」

「それなら心置きなく再開できる。……とはいえ、先ほどのように動きを封じられては弱りものだ。ここはひとつ、『リムズブレイズ』で先手を打つことにしよう」

 言うが早いか。体を開いたキングの両手から、文字通りに手のひらサイズの炎が噴き出した。

 炎の手袋、と表わすのが正解だろうか。

 火衣をまとった両拳を、胸の前で握って構える。

 その立ち居振る舞いに、体の小ささは感じられなかった。静かだが激しい気迫と闘志が、巨大な圧力となってグレゴリオの前に立ちはだかっている。

 この未曽有の圧を感じられただけでも、『継承決闘』に臨んだ価値があったというものだ。

「受けて立つ!」

 強敵との出会いにうち震える。理屈では計れない戦士の欲求を存分に満たしながら、グレゴリオは迎撃の構えを取った。

 

    ◆

 

 太陽の位置がかたむきはじめた空の下、決闘場からぞろぞろと『モンスター』の列が吐き出されていく。『継承決闘』を見終わった観客たちだ。

 かたや興奮さめやらず、かたや戦闘談義に花を咲かす。様々な感想が飛び交う列は、しかし皆一様に満足げな表情だった。

 そして潮が引くように、すみやかに静寂さを取り戻す観客席。一時の盛況が露と消えたその場所には、ハーニスたち三人が残るのみとなっていた。

「基本的には盤石……。今の戦いを見ても、まだ挑戦するって言うのか?」

 敗北した『激震のグレゴリオ』の死体も片付けられ、誰の姿もないフィールド上を遠望する。

 あきらめ半分に言うジャンに、ハーニスは「むしろ自信がつきましたよ」と涼しい声で答えた。

「たしかにキングの強さは類い希なものでしたが、一方的な戦いというわけではなかった……それがわかれば充分です」

 結果的にはキングの勝利であったが、その過程は一進一退。互角の勝負が繰り広げられ、最後の最後でキングが上回った……そんな内容だったのだ。

 キングの強さは未知数でも、グレゴリオの力量は伝聞から推測できる。プラス今の戦いもふまえて。

 過去に、比類する実力を持った敵と戦った経験もあれば、苦戦の末に倒した経験もあるのだ。

 そこから察するに、いくらキングとはいっても、まったくの手の届かない相手ではない……ということである。

「劣勢は承知の上です。決して雲の上の存在などではなく、我々と同じ地に足のついた存在……触れられるのなら勝ちようもあります」

「そいつはちょっと前向きすぎな気もするけどな」

 ジャンはため息まじりに首をすくめてみせた。

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