第七章「焼き払え! リムズブレイズ」(1)
階段状に連なる家々は、まるでひとつの山をそのまま街にしたような、という表現がしっくりくる。
街を囲む外壁らしきものが一切見当たらないのは、そこに住まう強者の余裕だろうか。
そんな『家の山』の頂上に、ひときわ大きな建造物がある。家と呼ぶには規模も堅牢さも規格外だ。
砦、と言えばいいのか。城、と言えばいいのか。
ふさわしき言葉は見つからなかったが、そこが自身の命運をかける場所だという予感は彼の胸の中に芽生え始めていた。
青空と水平線を背負ってそびえる魔都『ルル・リラルド』を遠望し、ハーニスは知らず知らず拳に力を込める。
「……ついに、ここまで来たんだね」
切り立った崖の上。隣に並ぶリュシールへと顔をかたむける。彼女の澄んだ瞳も、同じく彼へと向けられていた。
――出会ったあの時から、果たしてどれほどの歳月が経ったのだろうか。
ひたすら生きるのに懸命だった頃。戦う力を身につけていた頃。世界の実態を知り、変革の道筋を探していた頃。『モンスターキング』を討つ決意を固めた頃。そしてそのための旅をはじめた頃――
思い返せば、そのどれもが鮮明な形となってよみがえる。
今まで積み重ねてきたものは、すべてこのためにあったと言ってもいい。
「世界最大の街。キングの住まう土地。『ルル・リラルド』。あそこで僕らの行く末が決する」
ハーニスは口元に笑みを浮かべ、ダンスにいざなうようにリュシールへと手を差し伸べた。
「さぁ行こう、リュシール。世界を変えるために」
いつかと同じく。彼女の手が、その上にそっと重ねられる。
◆
知識として知ってはいたが、もちろん『ルル・リラルド』を訪れたのは初めてである。
「これは……」
視界に広がる街並みに、ハーニスとリュシールは揃って息を呑んだ。
巨大……だった。道も、家も、窓も、扉も、看板も、馬車……らしきものも。ひたすらに。
普段人間たちの街で目にする景色と比べて、すべてのものがひと回りほど大きかった。
まるで童話めいた、自分たちが縮んでしまったかのような錯覚にも陥ってしまう。
とはいえ、基本的に人間よりもひと回りは大きい『モンスター』の体に合わせて作られているのだから、考えてみれば別段奇妙なことでもない。
ふたりが驚いたのは、通りを行き交う『モンスター』たちの反応、である。
羽の生えた者や、角のある者、肌がウロコで覆われている者などその種族は千差万別。しかしそんな『モンスター』たちが一様に、道の真ん中で立ち尽くすハーニスとリュシールをまったく気に止めないのだ。
ちら……と奇異の視線が向けられることはあっても、それ以上の発展はなかった。
迷い込んだ子犬程度の関心を示しただけで済まされてしまう。
キングのもとへたどりつくまで武力行使も辞さない覚悟だったハーニスにしてみれば、まるで拍子抜けした気分だった。
とはいえ無駄に戦う必要がないなら、ないに越したことはない。
隣に立つリュシールを見ると、同じく驚きと戸惑いを表情に浮かべていた。
見合わせた顔は照れ笑いでほころび、しばし緊張を解きほぐす。
ふたりは石畳の街路を、とりあえず上階を目指して歩き出す。
のどかという言葉以上にのどかな街並みを眺めながら、ハーニスはわだかまっている違和感の正体を探ってみた。
今まで見てきた『モンスター』たちは、大なり小なり殺伐とした気配をまとっていたものだ。
それは、群れ同士による抗争や縄張り争い……そういった闘争が、彼らにとって日常茶飯事だからである。
しかし、この街を行き交う『モンスター』たちからはそんな気配が感じられない。
……それも当然だ。この街は、いわばキングを『ボス』としたひとつの群れ。彼らの摂理に則って考えれば、抗争などあるはずもないのだ。
つまりは平和。
他の何物にも脅かされる心配がないため、心にゆとりを持って生きられる。豊かな心を抱いていられる。
だからこそ、ハーニスたちのような異物を「見て見ぬふり」ができるのだろう。
ことさら排除しようとはしない。その必要に迫られていないからだ。
「なににも脅かされない平和……。それがすべての者に行き届けば」
世界のすべてが、この街と同じになれば。そうすることができれば。
人間と『モンスター』の確執を取り除ける。そしてゆくゆくは、『リゼンブル』に対する迫害も、なくなるのではないだろうか。
「僕らの望む世界に……」
と、ささやきかけた途中。ふたりは、おもむろに歩く足を止めた。
そして日陰になっている路地裏へと鋭い視線を向ける。
……その視線に気付いたのか、
「こりゃ、めずらしい旅人が来たもんだな」
ほがらかな声と共に、フード付きのマントを頭からかぶった人間が、ぬっと裏路地から現れた。
いや……人間ではない。『リゼンブル』の男性だ。 ふたりはそう知覚し、一転して警戒の目を和らげた。
「ジャンだ、兄弟」
男がにこやかに名乗る。まぶかなフードからのぞいた顔を見るに、二十代から三十代といったところだろうか。
周囲を歩く『モンスター』たちは、やはり彼にも特別な関心は抱いていないようだった。
「ごきげんよう、ミスター・ジャン。私はハーニス。そしてリュシールです」
同じように笑みを浮かべて返す。
敵地と思って足を踏み入れてみれば、敵対的でないばかりか同胞と出会うとは。嬉しい誤算と言うべきか、肩すかしと言うべきか。
「オッケー覚えたぜハーニス、リュシール。まぁ、単なる旅人が来るようなところじゃあない。わけありだろう? 俺に協力できることがあればなんでも言ってくれよ」
『リゼンブル』にしては陽気だ、とハーニスは思った。これも想定外といえば想定外か。
「ありがとうございます。ミスター・ジャンは、この街で暮らしているのですか?」
「ああ、生まれも育ちもここだ。ちなみに俺の他には……そうだな、二十人くらい『仲間』が暮らしてる」
二十人……ひとつの街ということで考えれば多い数字だが、この広大さでは微々たるものだろうか。
「そうですか。ならば、キングの居場所もご存じで? よければ案内して頂きたいのですが」
「キングだって?」
ジャンは声をひそめて驚く。そして困惑気味に頭をかいた。
「おいおい……なんの用事か知らないが、そりゃわけありにもほどがあるぜ」
ため息ひとつ。そして街の頂上に立つ、あの巨大な城を仰ぎ見た。
「まぁ、決闘場までなら案内してやるよ。俺もちょうど行くところだしな」
「決闘場……?」
呟きに疑問符を乗せて、ハーニスとリュシールも同じく振り仰ぐ。
◆
『モンスター』サイズの家々が視界から途切れると、まさしく山を思わせる、緑と岩の裾野が広がった。
山道らしくジグザグを描いた舗装路の先に目的の城らしきものがそびえ立っている。
遠望した時は長方形に見えた建造物も、近くに寄るにつれ単なる石の壁にも思えてくるから不思議なものだ。
天まで届きそうな尖塔をいくつも生やした石材の塊は、しかし城ではなく決闘場と呼ばれているらしい。
「キングの称号を賭けた戦い、つまり『継承決闘』を行なう場でもあり、現キングの住居でもある。それがあそこだ」
ジャンの説明に耳をかたむけながら、ハーニスたちはなだらかな坂道を登っていた。
道の前後には、街中に負けず劣らず往来がある。皆ジャンのように、あの場所に『用事』があるのだろうか。
「しかし、キングを倒そうとはな……。考えはわからんでもないが、悪いこと言わねぇからやめといたほうがいいぜ」
心配の眼差しを向けるジャン。
「むざむざ『仲間』が死ぬのは見たかない」
「勝ちますよ。必ず」
嬉しい温情ではあるが、とハーニスは即答した。
未知の相手、強大な敵であることは間違いないだろうが、必ず勝機は見いだせるはずだ。
自分たちは勝ってきたのだから。あらゆる相手に。
これまで重ねてきた無数の戦歴が、たしかな自信となって背中を押している。
「そりゃあ、自信があるからこそこんなとこまで来たんだろうが……キングだぜ?」
「正直なところ、不安がないと言えばウソになりますが……」
心配がるジャンをなだめるように、ハーニスは打ち明けた。
「それでも、ふたり一緒ならどんなことでもやり遂げられそうな気がするんです。たとえ最強の『モンスター』を相手取ったとしても」
根拠なき確信。しかしそれが、根底を支えてきた原動力でもある。
ふたりでなら。ふたりでだからこそ、立ち向かえる力が湧く。
「……そこまで言い切られちまったらな。説得は無理か」
ジャンは参ったと言いたげに肩をすくめてみせた。
「それなら俺は応援に回らせてもらうよ。微々たるもんかもしれないがな」
「いいえ。とても心強い」
開放されている巨大な門。その左右にひとりずつ、門番らしき『モンスター』が立っている。
「失礼」
ハーニスは向かって左側、『キツネ』を想起させる外見の門番に声をかけた。
「キングにお会いしたいのですが」
「なんだと……?」
門番は、露骨に蔑む視線を落とす。
「キングはこれから『継承決闘』を行なわれる。会うことは叶わない。出直してくるんだな」
まさしく門外漢に対するようなそっけない返答だった。しかしハーニスは、我が意を得たりと二の句を継ぐ。
「それはちょうどよかった。我々も、その『継承決闘』とやらを申し込みに来たのですよ」
「なに? ……お前がか?」
「ええ。我々が、です」
臆すことなく答えるハーニス。それを横目に、ジャンは自分は含まれていないと言いたげに一歩だけそっと後退した。
門番があしらうように鼻で笑う。
「意味のわからないジョークだな。話にならん」
「こちらとしても、話し合いをしに来たわけではありませんので」
ざわり、と。ハーニスとリュシールの両者から、ほのかに殺気立った気配がかもし出される。
ジャンはもう一歩離れながら、「見かけによらず血の気が多いぜ……」と肩をすくめた。
「おい」
と一触即発のその場に割って入ったのは、反対側に立つもうひとりの門番だった。
こちらは、どこか『ウサギ』を思わせる風貌である。
非難の赤い目は、キツネ似の門番へと向けられていた。
「キングの言葉を忘れたのか。……挑む者は拒まず、素性を問わず、武器を問わず、数を問わず、だ。そのご意志に反する気か」
「だが」
「決めるのは俺たちではない」
「……わかっている」
キツネ似の門番は、渋々、といった感じにハーニスへと視線を戻した。
「……キングに伝えよう。名を言え」
「ハーニスとリュシール」
やる気ではいたものの穏便に済みそうな成り行きに、ハーニスは張っていた気をゆるめる。
人間的な外見を理由に文字通りの門前払いを食らうことも覚悟していたが、どうやらキングの方針らしきものに救われたようだ。
門番は、ふところから取り出した紙束を凝視しつつ、つらつらとペンを走らせていく。
「……明日の朝に、再びここに来い」
「明日?」
今は、まだ陽も高い時刻だ。ほぼ一日待つことになる。
「キングにも予定があられる。今日の『継承決闘』は、これから行われる相手で締め切りだ」
ずいぶんと事務的な決闘である。とはいえ、挑戦できるのなら文句はない。
「わかりました」
ハーニスは大人しく、それに従った。
「しかし、ひとつ疑問が」
「なんだ?」
「現在のキングが敗北した場合、挑戦者が新たな『キング』となるのでしょう? ならばその彼の予定如何によっては、明日まで待たなくてもよろしいのでは?」
「それを考える必要はないな」
門番は、自信をもって断言してみせた。
「あの方が並の相手に負けるわけがない」
「せっかくなら、俺の用事にも付き合ってくか?」
門番との話が波風立たずに済んだと見るや、すぐさまジャンが歩み寄る。
「お前たちにとっても損にはならねぇと思うぜ」
言う彼の視線が、開け放たれている巨大な門――その向こう側へと注がれた。
「『継承決闘』観戦。料金は取られないから安心しろよ」