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第六章(17)

 

 ラドニスは、神妙な面持ちで自分の左腕をじっと見つめた。

 傷が治っている……やはり先ほどリフィクから発せられたのは『治癒術』の光だったというわけか。

 いくらか取り戻した健脚で、エリスとアリーシェに急いで駆け寄る。

 気を失っている彼女らにしても、流血の跡こそあれ傷口は完全に消えてなくなっていた。

 ふたりとも、である。

 地面には相当量の血が飛散しているため、健康体というわけにはいかないだろうが。

 とはいえひとまずの重態は脱した。ラドニスは深く安堵の息を吐き、そして、リフィクへと視線を移す。

「…………」

 『治癒術』とは、自分の体が本来持つ治癒能力を一時的に他人に貸し与える技術だ。複数人を一度に、あるいは自身から離れたところへ術を行使するのはかなり危険な行為だと聞いたことがある。

 人間ならば不可能に近いが、体力も治癒能力も優っている『リゼンブル』だからこそ可能だった大技、といったところだろう。

 しかし……だ。

 ラドニスは険しく眉根を寄せる。

 はたから見てもわかる。

 彼の傷は、まったく消えていない――

 それもそのはずだ。

 大原則として、『治癒術』は自分自身へは効果がない。

 相手へお金を貸せば一時的に相手の所持金は増えることになるが、自分で自分に貸してもプラスマイナスはゼロだ。まるで無意味。

 いくら人間よりも生命力が高いといっても、瀕死の状態であれだけの離れ技を行えば、どうなってしまうかは明白だ。

 ラドニスは硬い表情のまま、リフィクへと歩み寄った。

 そしてしゃがみ込み、彼の体にそっと触れる。

「…………」

 ちょうどその時、どこからか走ってくる足音が聞こえてきた。

 息の上がったレクトが姿を現わし、この場の状況に愕然とする。

「……いったい何が……!?」

 倒れた四人の仲間。おびただしい量の血痕。自然と、唯一無事らしきラドニスへとその視線が定まる。

 ラドニスはすくりと立ち上がり、

「戦った結果だ」

 と簡潔に説明した。

「戦った……!?」

「『リゼンブル』・リフィク・セントランを敵視した我々と、彼をかばったエリス・エーツェル、ザット・ラッド。その結果がこれだ」

 ラドニスの口調から、わずかな沈痛さがにじみ出る。

「一時は全員ともが傷を負ったが、彼の『治癒術』によってどうにか助かることができた。――本人を除いてな」

「……まさか……!」

 レクトは飛びつくようにリフィクへと駆け寄る。ラドニスは背を向け、自分の手の感触を苦々しく噛みしめた。

「じっとしていれば、もしかしたら一命を取り留められたかもしれない。だがそうはしなかった」

 何故その選択をしたのか。理由はきっと単純なものだろう。

 抗ったのだ。この戦いに。この世界に。彼なりの方法で。

「リフィク・セントランは、己の命と引き換えに、皆を助けることを選んだ。自分を討った我々すらをも含めて……」

 

 

「そんな……!」

 レクトはすがりつくように、リフィクのそばにヒザをついた。

 眠ったような表情。しかし血の気はなく、呼吸も感じられない。

 触れた肌にも熱はなかった。

 雨に濡れたように紫の血にまみれた体は、もはや動く気配すらない。

「ぐっ……!」

 レクトは自分への苛立ちを募らせて、地面を殴りつけた。

 どうしてあの時、拒絶してしまったんだ。どうしてもっと考えなかったんだ。どうして彼の力になってやれなかったんだ……!

 嵐のように後悔の念が押し寄せる。

 すべてが遅すぎた。

「こんなにもあっけなく……!」

 噛んだ奥歯の隙間から、悲痛な呟きが漏れる。

 故郷で戦っていた時から嫌というほど思い知らされていたというのに……。人は簡単に死ぬ。だからこそ、戦ってでも守らなければならなかったはずなのに。

「……すみません、リフィクさん……」

「彼を討ったのは我々だ」

 ラドニスは訂正するように言葉をかけ、ぐったりとしたアリーシェは抱きかかえた。

「お前が詫びる必要はない」

「……いえ、あります。そうしたいんです」

「ならばこれ以上は言わん」

 ラドニスは踵を返し、そのまま早足に歩き出す。

「大将が倒れた以上、これは負け戦だ。すぐに撤退する」

「そうしてください。彼らのことは、俺が引き受けますから」

 レクトはこの場に留まる意志を表明して、その背中を見送った。

「――わかった。頼もう」

 ひとことだけ言い残して、ラドニスは去っていく。

 レクトは事切れたリフィクに再び視線を落とし、こらえるようにきつくまぶたを閉じた。

 

    ◆

 

 やがて銀影騎士団が順次退却を始めたことで、深林の小村『パーシフィル』を舞台とした戦闘はひとまずの幕を下ろした。

 戦闘自体の時間が短かったこと。そして村全体を包んだ『治癒術』により、結果的に双方死者はおろか、重傷者すら出なかった。

 ただひとり、リフィク・セントランを例外として。

 

 

 そして戦火の夜が明ける。

 

    ◆

 

 目を覚ましたエリスが見たのは、木造の天井だった。

 どこからか陽射しが当たっている。朝……だろうか?

「…………」

 まどろむ一瞬。再びまぶたが落ちかける。

「……!」

 しかし直前の光景がまざまざと脳裏によみがえり、エリスは飛び上がるようにしてシーツをはねのけた。

 シーツ。すなわち彼女は、ベッドの上に寝かされていた。

 どこかの家の中らしい。はたと、かたわらのイスに腰掛けていたレクトと目が合う。

「リフィクさんは亡くなった」

 唐突すぎる第一声に、エリスは目を丸くして彼を凝視した。

「瀕死の状態で傷ついたお前たち……いや、あの時村の中にいた全員を助けるために『治癒術』を使い、力尽きたらしい」

「なに言ってる……」

「俺が行った時には、もう手遅れだった。すまないと思っている。いきさつはザットから聞いたが――」

「信じるかっ、そんなこと……!」

 エリスは話をさえぎって、暴れるようにベッドから降りる。しかし足元がおぼつかず、勢い余って床に倒れてしまった。

 腰を浮かせたレクトが、「エリス……」と諭すように呟く。そのやけに落ち着いた態度が、内容の説得力を言外に表していた。

 アリーシェの剣によって胸を貫かれたのを見た時、最悪の結果が頭をよぎりはした。

 そこにユーニアの姿が重なり、二度とあんなことを繰り返さないようにと、必死に抗った。戦いたくもないアリーシェにも刃を向けた。

 それなのに……!

「……信じてたまるかっ! そんな言葉だけで……!」

 ベッドを支えにようやく立ち上がる。

 傷がなくなったとはいえ、体力が尽きるまで技を使い続けていた上に相当の血を失ったはずだ。満足に体を動かせる道理はない。

「なら自分の目で確かめてみればいい。今は……」

 と気に病むレクトの言葉が、再びさえぎられる。今度はエリスにではなく、慌ただしく響いてきた足音に、だったが。

「おいレクト、大変だ!」

 勢いよくドアを開けてザットが駆け込んでくる。

 目を覚ましたらしいエリスに気付き、「姉御……!」と安堵と気遣いのまざった呟きを漏らした。

「どうした?」

 レクトが訊ねる。

「あ、いや、それが……」

 大変だと言ったわりには、ザットはためらうように口ごもった。

「とにかく来てくれ。オレひとりじゃどうにもならねぇ」

 

    ◆

 

 晴れ渡った朝の陽射しの下。『パーシフィル』の広場には、大勢の住民が集まっていた。

 皆の表情は対照的に、曇り空のように沈んでいる。

 輪になった人垣の中央では、火の塔……と表現できる、巨大なたき火が作られていた。

 たき火の前には、木で組まれた祭壇のようなものが置かれている。

 そしてその祭壇の上に、リフィクが寝かされていた。

 身にまとった純白のローブ。まるで蝋人形を思わせる、それに負けないくらいに青白い肌。色の失われた顔。

 それを目にした瞬間。エリスは、腰が抜けたようにその場にへたり込んだ。

「……なんとかできなかった……」

 今までこらえていたものが決壊した、とでも言うのか。うなだれたまま涙声を吐き出す。

「……してやるって言ったのに……!」

 そんな姿を見て、ザットはどうしていいか戸惑う。

 レクトはあえて視線を外すように村民たちの輪を眺め、

「何をしようと言うんだ?」

 と疑問を口にした。

 恐らく葬式であろうことは、なんとなくわかる。しかし『大変なこと』というのはいったいなんなのか。

「それが、あいつら……」

 ザットは、言うのもはばかられる、といった口ぶりで答える。

「これからリフィクを、あの火で燃やすとかって言い出して……」

「燃やす……!?」

 レクトは険しく眉間にしわを寄せた。

 遺体を葬る方法としては、そのままの状態で土の中に埋める、いわゆる土葬が一般的だ。

 死者が大地と一体化することによって、新たな命となって自然界に還る。そういう概念が通例とされているのだ。

 逆に遺体を傷付ける行為は、死者に対する冒涜として忌避されている。

 すなわち火葬などもっての他だ。いくら文化の違い、といっても。

「一応止めようとはしてみたんだが聞いてくれやしねぇ。だからって強気に出るわけにもいかねぇし……」

 それで助けを借りに来た、というわけか。

「なるほど……」

 黙って見ているのは忍びない。だが……とレクトも同じく尻込みした。

 丁重に頼み込んで、どうにか村の中に置かせてもらっている立場である。今はささいな衝突も避けたい。

「……」

 そんなレクトの思惑を意に介さず、エリスはすくりと立ち上がった。

 上げた顔には、もう先ほどの憂いはない。凛々しさをたたえた瞳は、見慣れた普段の彼女のものだった。

 そしてエリスは、何も言わずに村民たちの輪へずかずかと歩いていく。

 レクトとザットは無言で視線を交わし、その後ろに続いた。

 

 

 広場の中央。燃え盛る火柱と祭壇の前では、黒地に金の刺繍を施したローブを着た男性が、書物を片手になにやら読み上げていた。

 集まった住人たちは静かに耳を傾けている。表情は穏やかなものもあれば、悲痛さを滲ませたものもある。

 個人的な付き合いは薄くとも、同胞の死を悼む気持ちは変わらないらしい。彼らの同族意識の強さはそんな端々にも表れていた。

 読み上げが終わって書物が下げられると、控えていた男性たちが恭しく祭壇の四隅を持ち上げる。

 そしてそのまま火のもとへと運び――かけた時。

「ちょっと待ったぁ!」

 とその場にエリスが割り込んできた。

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