第六章(16)
「リジェクションフィールド!」
アリーシェは慌てて片手を突き出し、防御用の『魔術』を展開した。
体の前面を覆う半円状の光の壁。それで、炎の刃を真っ向から受け止める。
「うっ……!」
あのトュループの『ディストラクトレイ』なる技ですらもなんとか防ぎきった障壁である。エリスの攻撃があれを凌駕するとは思えない。
負傷や消耗の具合を考えると、普段の力もろくに出せないはず。
しかし防御障壁を押す彼女の気迫は、そんな理屈を吹き飛ばすほどの勢いに満ちていた。
「エリスさん……やめなさいと言ってるでしょう!」
アリーシェの額には、じんわりと冷や汗が浮かび上がっていた。
耐えられることはわかっている。しかしこの炎が、並み居る強者たちを斬り裂いてきたことも知っていた。
それが自分に向けられている。そんなこの状況は、彼女の平静を崩すのには充分だった。
「私たちが戦う理由なんかないとも言ったはずよ! 人間同士で争ってなんになるっていうの!? 落ち着いて!」
「じゃあこの村を攻撃する理由はあんのかよ!?」
光と炎の向こうから、しぼり出すようにエリスが吠える。
「ここの奴らが何したってんだ。リフィクが何したってんだ! 理由があるなら言ってみろ!」
「……理由ならあるわ。『リゼンブル』だからよ」
「……!」
それを聞いたエリスの表情が、苦痛にも似た色をうかがわせた。
「『モンスター』も『リゼンブル』も、生きているだけで人を不幸にする。存在していること自体が罪なのよ」
人々を守る。それがアリーシェの信念だ。自身の受けた深い絶望と悲しみを、他の人々が受けてしまわぬようにと。
「あんなものが最初からいなければ、私は……!」
故に、人間以外の者を排除するという守り方を選んだのだ。
銀影騎士団に参加したのも、その理念が似通っていたからに他ならない。
「ただそこにいることすら許せない。だから戦うの。倒さなきゃいけないのよ」
「どっかの『モンスター』と同じようなこと言いやがって……!」
アリーシェには知りようもないことだが、エリスの脳裏には、鶏にも似た『ボス』の姿がありありと思い起こされていた。
「……同じですって?」
到底聞き流せない言葉に、アリーシェの顔が見る見るうちに険しくなっていく。
「やってることだって変わんねぇじゃねぇかっ! あいつらと今のお前らと、なにが違うってんだよ!」
「これは粛清よ。正義のための戦いよ。理性もなく暴れるだけの『モンスター』とは、同じところなんて、ひとつもないわ!」
アリーシェの声にも熱気が灯り始める。冷静さの仮面で覆い隠していた本心が、こぼれ出ているのかもしれない。
「違わねぇって言ってんだろ! 頭冷やすのはお前のほうだっ!」
「……エリスさん! あなただってずっと『モンスター』と戦ってきたじゃない。それは奴らが憎かったからでしょう? なのにどうして、今さら敵の肩を持つようなことをするのよ!?」
「『モンスター』も『リゼンブル』も『人間』も、関係ねぇ。どうでもいい」
剣のまとう炎が、ひときわ激しくなる。その抵抗力に、アリーシェは脅威すら感じた。
「悪い奴があたしの敵だ!」
「大雑把な……!」
押し切られる――と思った瞬間。腕に伝わる抵抗力が、一気に消失した。
「……!?」
防御障壁を押す炎も、見る間に小さくなってくる。もはや風前の灯火だ。
ついに、エリスの体力に限界が訪れたのだろう。あんなボロボロの状態で、そう長く技を保っていられるわけはない。
アリーシェの胸に、わずかばかりの平常心が戻った。
『リジェクションフィールド』の保持はまだまだ盤石だ。あとはただ待っていれば、技が消えるか彼女が勝手に倒れるかするだろう。
それでこの脅威から抜け出せる。こちらはなにもしなくていいのだ。
「…………ふ」
安堵したためか、あるいは優越感か。無意識にアリーシェの口から笑い声が漏れた。
やがて十秒も経たないうちに、終局の時は来る。
『オーバーフレア』の炎が、完全に消失する。
そのまま押し出された、何の力もまとっていないライトグリーンの刃が、防御障壁に触れる。
障壁がそれを苦もなく弾き返す――はずであったが。
そこで想定外のことが起こった。
ライトグリーンの刃が、まるで紙を切り裂くように、『フォースフィールド』を突き抜けたのだ。
「!?」
障害を突破した剣先が、目を見開くアリーシェの胴へ――突き刺さる。
……いったい何が起こった……!?
理解不能な事態を理解しようと、アリーシェの思考がめまぐるしい速度でかけめぐる。
『魔術』の攻撃であれ物理的な衝撃であれ、アリーシェの体力が続く限り『リジェクションフィールド』に防げないものはないはず。
そして今、体力は充分に残っていた。
ならば、障壁を斬り得る技のようなものを、彼女が使ったのだろうか?
……それはない。性格的にも、今の今まで隠し持っていたなんてことはないはずだ。
エリス自身にないならば……武器のほうか。
不意に、アリーシェの記憶にとある光景がよみがえってきた。
そうだ、あの時……あのレタヴァルフィーでの戦いの時。トュループと出くわした時。
彼女が重傷を負ったことの印象が強すぎて忘れてしまっていたが、あの直前。
彼女の剣が、『魔術』で形成されたトュループの光剣を、まるで透過するように切り裂いていた……!
あの剣は、『魔術』に干渉しやすい特殊素材の塊だ。普通の武器とは一線を画している。
ならば『魔術』を斬るなどというふざけたことも可能、とでもいうのだろうか。
「……そんなこと……!?」
それは刺された瞬間の、反射的な行動だった。
アリーシェは防衛本能のおもむくまま、銀の刃を、目の前のエリスへと振り下ろす。
剣と血の交差。
互いに互いを斬り合ったふたりは、ひとつになるようにしてその場に倒れた。
地面に、大きな血だまりが広がっていく。
◆
その瞬間をザットが目撃してしまったのは、不運としか言いようがなかった。
「姉御っ……!?」
相討ちとなったエリスとアリーシェ。最悪な状況は最悪な結果をもって幕を閉じたことになる。
そして驚きと動揺で固まってしまったザットへ、ラドニスの剣が激しく叩きつけられた。
「……!」
ただし刃ではなく、柄。
とはいえ鈍器と変わらぬそれに頭を強打され、ザットは有無を言わさず昏倒させられる。
「ぐ……」
最後に残ったラドニスも、がくり、とヒザをついた。
ラドニスは前方の光景を見渡す。
血みどろになって倒れている三人……リフィク、アリーシェ、エリス。その誰も、遠目にも尋常ではない出血量だとわかる。
傷は深刻。致命傷かは定かではないが、それに近い状態なのは明白だ。
助けてやりたいのは山々だが、自身も似たような具合のラドニスには難題と言えた。
肩口の斬傷は深手である。今も滝のように血が流れ、その上で立ち回りを演じたために体力も心許ない。
こうしてヒザ立ちしているのもやっとというのが現状だ。
周囲に人影はない。村全体に攻撃を仕掛けるため陣形を広く展開したのが仇となった形だろう。
これも自業自得か、と自嘲したラドニスは、片手の剣を杖代わりにして重苦しく立ち上がった。
「……せっかくできた仲間だ、二度も失うわけにはいかんな」
そして鉛のような体を引きずり、わずかずつ歩き出す。
果たして間に合うかどうかは怪しいところだったが。
「しかし……『魔術』を斬る剣とは……」
ザットと同じく、エリスとアリーシェの決着場面を目撃していたラドニスである。
同じくついでに驚き動揺こそしたものの、彼のように体の動きを鈍らせる愚は犯さなかった。
明暗を分けたのは単純な経験の差だろう。伊達に長く生きているわけではない。
あの剣……説明を聞いただけでも異様な代物だとは思ったが、ああも並外れていたとは。
……いや、並外れているのは武器だけではない。
力を使い果たし、技も消え、目の前にあるのは決して破れぬ壁。それでも前進し攻撃の姿勢をやめなかったエリス・エーツェルだからこそ発現しえた必殺剣、といったところであろう。
使い手が並なら、あんな特性に気付くことすらなかったかもしれない。
苦痛に歪むラドニスの口元に、ちらりと歯がのぞいた。
それはほころんだものか噛み締めたものかは、本人も知らぬところである。
「…………」
ラドニスがリフィクの異変に気がついたのは、そんな時だった。
◆
うっすらと開けた目でリフィクが見たのは、まさに倒れる瞬間の、エリスとアリーシェの姿だった。
不思議と驚きも動揺も、怒りも喜びも感じなかった。
心にわだかまったのは、悲しみのみ。
なぜこんなことになってしまったのか。目の前の状況に対する悲哀のみだった。
体はもうどこも動かない。
痛みもどこか遠いところへ行ってしまった気がする。
かすれゆく意識の中で、リフィクはただ助けたいと思った。
エリスを。
『リゼンブル』であるということを受け入れてくれた時。そんな自分をかばってくれた時。村の人たちのことも思いやって、この戦いを止めようとしてくれた時。本当に嬉しかったのだ。
このままにしておけない。そうしてはいけない。助けたい。リフィクは強くそう思った。
指先すら動かせない彼の体が、ほんのりと光を帯び始める。
それから……アリーシェも。たとえ刺されたとしても、こんな戦いを始めた張本人だったとしてもだ。
そんなことはあとでいい。目の前で倒れ、死に瀕しているのなら、助けたい。ひたすらにそうしたい。
光が脈動するように、徐々に強まっていく。
そして彼女たちだけでなく、村の住民たち、銀影騎士団の戦士たち……この無情な戦いによって傷付いた者がいるなら、そのすべてを助けたいと思う。
こんな戦いはしなくていい。無意味だ。
――ああ……どうしてみんな、もっと仲良くできないんだろうか……。
「……ヒーリングシェア……」
その言葉は声となって出ていたのか。それは誰にもわからなかった。
◆
レクト・レイドは、村の中を走っていた。
目指す先はアリーシェの配置場所である。
この戦闘をやめさせるために。
今さらと言われても構わない。優柔不断とそしられようがいとわない。
気持ちの整理がついたわけではないが、このまま続けさせてはいけないと思ったのだ。
自分も皆も、一度落ち着き、じっくりと考える必要がある。そうするべきだと思った。
――その時。
彼の前方から、強大な『光』が迫ってきた。
「!?」
光の壁……あるいは光の津波。そう形容できる未知の現象に、レクトは腕で顔を覆って身構える。
『光』は突風のようにレクトは飲み込み、そして何事もなかったように過ぎ去っていった。
「…………!」
レクトは顔を上げ、周囲の様子と、自分の体を見回す。
無事だ。何も変わったところはない。無傷。
どうやら攻撃というわけではないようだった。
いや……待て。無傷だと……?
レクトはぎょっとして、左腕を二度見する。
たしかに無傷だ。ついさっき自分でつけたはずの傷すら、きれいさっぱりなくなっている。
「『治癒術』……!?」
◆
リフィクが使用した『治癒術』は、まるで水面に広がる波紋のように、周囲へと拡散した。
近くにいたエリス、アリーシェ、ラドニス、ザット。彼らはおろか村人たちも銀影騎士団も、そのすべてを飲み込み、無差別に治癒していく。
やがて村全体を包み込んだ光。それはリフィク・セントランの、文字通り命を懸けた訴えだった。